紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

小学6年生の頃

2005-03-15 06:19:40 | 2・仕事の周辺
息子はさっさと親離れしたが、まだ小学6年生ということもあって、それからは、私は日帰りの山行には行ったが、泊まりがけではあまり行かないようにした。あと1年、中学生になるまでは、身近にいて、みていてあげようと思った。

そこで、私が考えたのは、息子が一緒に遊んでいる友だちを誘って、一緒に山に行ったり、遊びに行くのはどうだろう、ということだった。

その手初めが、羽村までのサイクリングだった。たすくちゃん、高沖君、まっちゃんを、くすの木で行こうとしていたサイクリングに誘ってみると、みんな行きたいといった。息子も喜んで、「それなら行く」という。要するに息子は、くすの木少年団より、クラスの友だちと遊ぶ方がよくなったのだ。

羽田までも遠かったが、羽村までも、また遠かった。
が、くすの木少年団の子供達も、みな小学校高学年になっていたこともあって、びゅんびゅん飛ばしていった。
息子の友だちも、くすの木の仲間と会うのは初めてだったが、羽村の堰に着くと、みんな一緒になって遊んだ。

息子、娘が小学生だった8年間、私は何人かのメンバーと、月1回「くすの木新聞」というのを発行していた。今回久しぶりに引っ張り出して読んでみた。「羽村まで往復80km・サイクリング」 

今なら、おそらくホームページかBlogで、新聞を作っただろう。その頃は、まだほとんど手書き。たまにワープロのこともあった。

「サイクリングキャンプに行こう!」はその時に、息子や友だちと一緒に行った時に、ヒントをもらって書いた、シリーズ最終刊。

そうして、その1年間、近くのカニ山というキャンプ場で、テントで泊まったり、テント担いで奥多摩の七ツ石岳に登ったり、11月の雪の天狗岳に行ったり、スケートしに行ったり、息子の友だちも一緒に、あちこち出かけることになった。さすがに、雪の天狗岳に一緒に行きたがったのはただ一人、まっちゃんだけだった。→ 「雪山の思い出」

  


その頃、そのシリーズとほぼ同時進行で、もう少し年齢が上の子を対象にして書いていた作品がある。「峠をこえたふたりの夏」を初めとする3部作だが、それについては、また別の機会に書こうと思う。そちらは、息子だけではなく、娘も頭の中に置いてストーリーを書いた。

(トップの写真:羽村の堰)