紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

三宅島に移住し2年たった

2017-07-01 13:11:26 | 23・三宅島のくらし
2年過ぎたのを夫のブログを見て、知った。
夫は、農業を楽しみながら、一つ一つ学んで、ずいぶんいろんなことを身につけた。

三宅島だより 『 園芸ハウスー三輪 』

私はといえば、とにかく行き来に追われた気がする2年間だった。
ところが、今調べてみたら、行き来したのは14回。
思ったより少なかった。
でも、いつ三宅島にいくか、いつ調布に帰らなくちゃならないか常に考えている。

私の三宅島での役割といえば、ほとんどが家事。
日々食事の支度をすること。
コンビニもレストランも、私の村にはないので、自分で作る以外、おいしいものは食べられない。
おかげで、料理にも、この年齢になって、興味がでてきた。
当分、なすが山ほどとれるというと、なすで何が食べられるかネットで検索。ためしに作ってみる。
食べきれないほどのトマトをもらえば、保存の方法を調べて、焼きトマトにしたり、トマトソースを作ったり。
ラッキョウをもらえば、どうやってつけるか調べ、初めてラッキョウをつけ、こんなにおいしいものなのを知った。
ヨモギ団子をたくさんもらえば、自分で小豆を煮て、それと一緒に食べる。
お菓子がなければ、パウンドケーキを焼いたり、ロールケーキを作る。

私が三宅島ですることは、家のほかにはどこにもいけないので、近くを散歩する以外は、仕事をするだけ。
友達もいないので、とにかく集中できる。
でも、先月電動アシスト自転車を持って行ってからは、自分でどこへでもいける足を手に入れた。
自分の好きなときに、どこへでもいけるって、とても自由な気分。
野菜もとりにいけるし、買い物にも、初めて自力でいけた。草むしりの手伝いにも、気の向いたときに行ける。
秋になったら、図書館に通って、もっと三宅島のことも知りたい。
そして、島も一週してみたい。やりたいことがつぎつぎに出てきた。

これからもいったり来たりになる。
冬から春の半年間、テレマークスキーも調布に渡らないと続けられないし、必要があって人と会うのも、病院も、何するのも調布にいかなくてはならない。
なかなか夫のように、三宅島に根をおろせないけど、それでも三宅島から竹芝桟橋に向かう船に乗れば、一緒に話ができる人にも会えるようになった。
それは、当初にくらべたら、ずいぶん三宅島に知り合いができたということだ。

初めて三宅島にきたときの写真。