蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

百年目   (bon)

2012-08-24 | 日々雑感、散策、旅行
落語の演目ですが、この中に「・・美しい栴檀(せんだん)の木は、醜い下草の南縁草を肥やしにして生き、
南縁草は栴檀の下ろす露で繁殖する。」 という下りがある。

 立派な栴檀の木の下の見にくい南縁草を誰かが刈り取ってしまったら、やがて栴檀も枯れてしまった。
つまり、栴檀も南縁草もお互い持ちつ持たれつの関係で、一方を失うともう一つもなくなるという故事なんです。


 昨日の読売新聞コラムに、この事を引用して原発問題に一つの見方を呈していたので興味を引かれたので
ちょっと紹介しました。

 栴檀と南縁草を、日本経済と原発にそれぞれ例えて、
「・・原子力発電と、そこから養分を得て発展してきた日本経済の間柄にちょっと似ていなくもない。
・・・閣僚の中にも最近“原発ゼロ”を口にする人が出てきたのは不思議である。原発ゼロになれば、
失業者が200万人増えると経団連は予想している。
…国の将来に希望を無くし、生活苦の“原発ゼロ自殺”も現実になるだろう。
“南縁草を刈り取れ”という合唱の中で、栴檀の木を守るのが政治の務めである。」

「“百年目”には二つの意味がある。①めったにない好機、②運のつき。脱原発の百年目(①)が、
日本人の未来にとって百年目(②)になることもある」と。


 そういえば、最近の政府発言をよく注意していると、「脱原発依存」といっている。


 私見をいえば、急に全原発を停止することは、これを補うエネルギーが確保できないから現実的には無理。
戦後誰もが経験した抑制生活を今になって何年も続けることはできないのではないか?
かといって、いつまでも原発に頼っていて良いことはない。いずれ廃止すべきである。

 先般行われた討論後のアンケートでは、2030年原発ゼロが46%で最大だったそうだが、これに到達する道筋・・
例えば、10年後の自然エネルギーの導入率、さらに5年後の・・という風に、そして、そのための開発事項を
抽出して取り組む・・というシナリオが描けないものかと常々思っています。


 一方、落語の方は、
堅物で通っている番頭さんが、ある時、茶屋遊びをして浮かれているところを、旦那さんとばったり出くわし、
慌てふためいて、とっさに「ご無沙汰しております・・」と、住込みの番頭さんなのにこのような挨拶をした。

“ここであったが百年目”ということで、・・ご無沙汰・・・。


ちょっと、その下りのところをネットの記事を参考にして紹介しますと、
「・・・ずっと堅物と言われている番頭にあんな派手なまねはできないと、取り合わない。
・・そのうち、旦那と番頭の二人は土手の上で鉢合わせ。避けようとするだんなに、番頭のは
芸者と勘違いしてむしゃぶりつき、はずみでばったり顔が合った。

いちばんこわい相手に現場を見られ、番頭は動転。同居している番頭が突然、「お、お久しぶりでございます。
ごぶさたを申し上げております。いつもお変わりなく……」  
酔いもいっぺんで醒めた番頭、逃げるように店に戻ると、風邪をひいたと寝込んでしまう。

あんな醜態をだんなに見られたからはクビは確実だと頭を抱えた番頭、いっそ夜逃げしようかと、一晩悶々として、翌朝、
帳場に座っても生きた心地がない。

そこへ、だんなのお呼び。
昨日のことはおくびにも出さず、天竺(てんじく)の栴檀(せんだん)の大木と南縁草という雑草の話を始める。

ところで、昨日は面白そうだったなと、いよいよきたから、
番頭、取引先のお供で・・しどろもどろで言いわけ。

だんなは少しも怒らず、「自分でもうけて、自分が使う。おまえさんは器量人だ。約束通り
来年はおまえさんに店を持ってもらう」と言ってくれたので、番頭は感激して泣きだす。

「それにしても、昨日 『お久しぶりでございます』と言ったが、一つ家にいながらごぶさたてえのも……
なぜあんなことを言ったんだい?」

「へえ、堅いと思われていましたのを、あんなざまでお目にかかり、もう、これが百年目と思いました」



ちょっと長くなりました。お後がよろしいようで・・・。


桂米朝の「百年目」をどうぞ~。 このくだりは、23分あたりからです。








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