蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

女子大学生誕生100周年  (bon)

2013-10-11 | 日々雑感、散策、旅行

 少し前に来た会報に“女子学生入学100周年を迎えて”という記事がありました。 
東北大学の事なんですが、そこにこの記事にまつわるHPがあり、我々とは何の関係もありませんが
一つの歴史事実としてここにアップします。
               
http://www.morihime.tohoku.ac.jp/100th/

同HPから以下に引用します。

「明治末頃の日本の大学は、旧制高校を卒業した男子学生のための学校であり、正規の学生身分で
女性が大学に入学することは考えられていませんでした。

ところが、大正2年(1913)にその「常識」を破る事件が起こりました。
創立間もない東北帝国大学が、独自の判断で4人の女性の受験を認めたのです。

入学試験のさなか、文部省は 「元来女子を帝国大学に入学せしむることは前例これ無きことにて
頗る重大なる事件にこれあり 大いに講究を要し候」 云々と 事情説明を求める書簡を大学に送りますが、
大学は委細かまわず、黒田チカ、牧田らく、丹下ウメ 3人の合格を発表、ここに日本初の「女子学生」が
誕生することになったのです。 

   初代3女性
     (同HPより) 

 

 3人の女子学生はやがて卒業して女性初の「学士」となり、その後も副手や大学院生として

数年間大学での研究生活を送りました。

その後、黒田は母校東京女高師 (後のお茶の水女子大学)の教員となり やがてオックスフォード大学等へ留学。
帰国後は恩師真島利行のもとで理化学研究所の嘱託を兼ね、紅花の色素に関する研究等で業績を上げました。
昭和4年(1929)には、日本国内では2番目の女性理学博士として、本学の学位を得ています。
なお本学理学研究科では、こうした黒田の業績に因み、優れた業績を挙げた大学院生に対する賞として
「黒田チカ賞
」を平成11年(1999)に設けています。

 また丹下は大学院進学後米国に留学。帰国後は母校日本女子大の教授となる一方やはり理化学研究所に
入所し鈴木梅太郎のもとでビタミンの研究に従事、農学博士となっています。

 牧田は黒田同様、母校女高師に教員として戻りますが、洋画家・金山平三との結婚を機に退職、
孤高の画家と呼ばれた金山を支える後半生を送りました。」


やはり昔の人は、偉かった・・。 

東北大学では、この100周年を記念して種々の事業が行われていて、今年8月8日には記念シンポジュームが
開催されたり、記念ロゴマークを制定するなどこの一年を通じていろいろと展開されています。

 

 

 倍賞千恵子ヴァージョンでどうぞ・・

  

 

 

 

 

 

コメント (2)
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