伊豆大島に大きな被害を及ぼした台風一過、じっとしていると肌寒いくらいの天候でしたが、
今回のランチの会は“神楽坂”でした。
これまでも何度か来てはいましたが、夜どこかのお店に直行して、あまり周りを歩くこともなかったので、
初めてのような感覚で歩いてみました。
神楽坂に入る前に、少し外れにある“筑土(つくど)八幡神社”にお参りしました。といっても、覗く?程度で
失礼極まりないお参り?ですが、境内入口に作曲家“田村虎蔵”をたたえる碑がありました。
なに?それ~。 “まさかりかついだ金太郎~” でお分かりですね。
このほか、“牛若丸”や“花咲じじい”などもあるんですね。
津久戸を後にして、神楽坂へ・・。
良くご存じの方は、な~んだ・・ということですが、メイン(中央)の “神楽坂” を少し横に入ると、
何とか横丁とか、石畳の細い路地のような道があり、それが曲がってしばらく続くところは、
急に昔にタイムスリップしたような感じでした。
パンフなどには、“江戸” の名残が偲ばれる・・と書いてあったり、そうかと思うと、イタリア、フランスなどなど
海外の、小さいけれど洒落た感じのお店もかなりあったり、歩いているだけでも楽しさを感じさせてくれます。
神楽坂を登って中ほどに、開基が徳川家康とか言われる“毘沙門天(善国寺)”があり、この毘沙門天様は、
420年ほどもここにいらっしゃるそうです。
このお寺の右向かいの横丁が“本多横丁”で、両側にいろんなお店がぎっしりと並んでいて、石畳が続く中、
すぐに右に入るさらに狭い石畳は“芸者新道”と名付けられた横丁で、その昔はにぎわっていたのかもしれませんが、
今はそんな面影はあまり無いようでした。
これを突き抜けて、左側に並行した横丁が、“かくれんぼ横丁”。 途中で細い道が折れ待っていたりして、
なるほど・・“かくれんぼ”である。 黒塀が続いたり、夜には華やかな音色も聞こえる別世界が偲ばれます。
地蔵坂から少し歩いて、“宮城道雄記念館”まで行ってみました。財団法人なんだそうです。
この人は、神戸のご出身だったのですね。 途中で見た、切り株から竹が・・
神楽坂に戻る道は、やはりくねくねした“見番横丁”でした。 その昔、神楽坂芸者の“見番所”があったのですね。
坂を下って、若宮公園を過ぎて東京理科大学の近代科学資料館に入ってみました。
機械式計算機やコンピュータの歴史的な実物、なつかしい(今でいう)パソコンや電卓などの展示、
音響(レコード)機器、真空管なども久しぶりに見てここでも懐かしい昔を思い出しました。
今度は、夜にも来てもう少し神楽坂の良さを味わいたいものだと異口同音に・・お茶してお別れとなりました。
田村虎蔵作曲から