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蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

神楽坂研究(3) (bon)

2016-09-30 | 日々雑感、散策、旅行

 今年2月に始まりました、若さんの「神楽坂研究」シリーズは、その(1)田中角栄ほか
有名人エピソードを含む界隈について、その(2)では、古代、縄文時代の神楽坂の再現と
続いて、その後、タイムリーな話題として、“米銃乱射事件”、“札幌の思い出”などの記事
アップがありました。
今回は、神楽坂研究 その(3)として、ユニークな“神楽坂怪談”を記事アップします。

 筆者の“若さん”は、かって、FX社から出向されて来られ、私と同じ職場で密着活動した
“お仲間さん”で、神楽坂に住んでおられます。 昼夜を分かたず、地元神楽坂はいうまでも
なく、都内はもちろん、全国的に出没されている多能で、ゴルフ、ワイン好きの活動家です。
 今回は、視点ががらりと変わって、現代怪談です。さて、どのようなお話に展開されるで
しょうか?

 

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秋です(が)神楽坂怪談もどきはいかが?  

2016年8月号小説新潮  新見付(市ヶ谷と飯田橋の間の外堀の新しい橋) 壇蜜の神楽坂散策(8/25)

 神楽坂駅(東西線)そばの自称怪異現象が多いといっている“新潮社”、小説新潮8月号で「神楽坂怪談」を特集。夏目漱石没後100年記念も追い風に「吾輩猫である」掲載し完売です。同社は、毎年この時期怪談特集しています。読後、神楽坂の怪談実話(もどきも)を個人的にかなり収集していることに気づきました。

 その前に、8月25日壇蜜が猫メイク浴衣姿で紹介したNHK「あさイチ」についてちょっと補足説明します。
 仏人らしく女性大好き、神楽坂で成功した3人が登場。オリビエ(元米国IT企業)、ベルトラン(そば粉クレープ=ガレットで大成功。仏ブルターニュに支店)そしてポコさん(シェフ一筋、ミシュラン💮)です。いずれも、出身地方の料理が売りのレストランです。個人的には、本多横丁の店の前に時々愛想よく立っている、リヨン出身オーナーシェフポコさんの舌を噛みそうな、ルグドゥノム・ブション・リヨネ(Lugdunum Bouchon Lyonnais)がおすすめ。(Bon!) 店の前の椅子にポコさんやGH.MUMM(F1シャンパンで有名)の社員が時々います。なんとGH.Mummのシャンパン出荷量は日本が米、独に次いで3位とのこと、すごい!

 毎年8月は靖国神社で御霊(みたま)祭り、武道館で戦没者追悼式が開かれます(黙祷)。
終戦の昭和20年(1945年)8月15日、神楽坂はじめ牛込地区一帯は焼け野原でした。その年の5月の度重なる空襲目標に大本営(現市谷防衛省)がありました。 JR市ケ谷駅と飯田橋駅の中間の新見付にも猛火が押し寄せました。新宿区側(牛込区)の土手には防空壕と堀から消防車に給水する場所がありま
した。 新見付交差点には、戦前から今も営業しているT舎があります。社長は、大本営方向から降り注ぐ焼夷弾の近距離着弾を察知した父親に連れられ防空壕に飛び込み助かりました。近所のSさん(市谷砂土原町)は空襲直後、その壕から戻ると自宅は全焼。庭の防空壕の蓋を開けたら、流入した空気(酸素)で一瞬にして貯蔵物が発火・焼失しました。 

  15年ほど前の夏の終わり、その新見付を千代田区側に歩いている時のことでした。 渡り切る寸前、覆いかぶさるように茂る木陰の水面にうつぶせのJohn Doe¹(ジョンドウ)発見。しばらくすると、救急車、はしご消防車、パトカーで大収容作戦がはじまりました。それ以来、通過の際は“合掌“。
 先日の台風7号の風雨の中、深夜0時半すぎの帰り道、橋を過ぎて市ヶ谷掘り側石垣にいました! 風で桜、夾竹桃、雑木などの枝が揺らぎザーッと当たる雨音の激しい樹間に人影発見(ドキッ)。 堀の水面近くの石垣に腰かけた男の上半身です。風雨の中で手に何か物をもって動いているのが目に留まります。40-50cmに延びた土手の雑草越しに両肩と頭を目撃。市ヶ谷掘り側の水面近くをのぞいてみてください。 います!? 耳を澄ますと風の音に交じり不気味な音も聞こえます。 間違いなく気配²を感じるはずです!

        
 B29東京大空襲焼夷弾爆撃     新見付から見た飯田掘り   市ヶ谷掘り(土手にいます!)

 

 霊体験豊富な地蔵坂のママン
 


    パリ社員旅行      悪霊払いの十字架      水晶玉       お清めの塩

 地蔵坂には、夏目漱石お気に入りの寄席がありました。日本初の原稿用紙発売した「相馬屋」前の坂道が“地蔵坂”。 右手にママンYさんの店、そしてユネスコと出版クラブ。銀杏の古木は、空襲に奇跡的に焼け残り被災者が集まる目印でした。地蔵坂(別名藁店(わらだな))にある喫茶・バーのママンは、妖怪、怪談噺大好きです。

 彼女はセミプロ・シャンソン歌手、個人リサイタルは、いつも満員御礼です。海外を飛び回っていた元会社役員。イタリー大好きでいつも日本から脱出したがっています。旅行の必需品は、身代わりお守り、水晶玉とお清めの塩、和洋折衷の霊対策が必須とのこと。宿泊したパリのホテルで、同僚女性社員が体調不良。彼女がチェックしたら悪霊発見、直ちにお清め。第2陣で同じ部屋に宿泊した社員も体調不良!ママンの悪霊センサーは本物です。霊体験・怪談を語ると目がキラッとします。胸元の十字架は、欧州で霊に憑かれた時から身に着けている“悪霊払い”と“悪い男払い”とのこと。そのせいか、お店にはいい男が集まり、結果美女も集まるようです。(笑)

 

出る、出ます。病院とマンションも! 


 昨年4月、脳梗塞リスク低減のため、内頚動脈プラーク除去手術しました。術後ICUから病室に戻ると、何十年ぶりの脳血流増大のせいか目が異常に冴え、冴え!天井を見上げると、望遠レンズで見ている様にシミに焦点が合ってきます。全く眠つけません。
 消灯後、PCでオンライン麻雀をしていると周りに若い少年達が集まってきました。気配を感じるので、目を合わせようとするとフワーッ、ユラユラーと離れていきます。ヘルメット姿の少年達の霊(雀鬼)は日の出前に帰りました。雀鬼達出現は、その晩だけの実に不思議な経験でした。

 神楽坂人の健康の守り神、大久保通に面する東京厚生年金病院(H26年からJCHO東京新宿MCへ名称変更)の本館と別館の間の小道は、霊の出る名所です。夜歩いているとだれか後からついてくる足音、気配を感じるそうです。体験者のAさんの家の床下には魔除けの水晶玉が埋められています。

 縄文時代は海の入り江、今はちょっと小洒落た店が集まるO通りにホーンテッド・マンションがあります。戦前学生と芸者が心中した元料亭跡地に建てられました。知人のYさんは購入後、占いの先生に見てもらったら棲んでいるから“ダメ”とのご託宣。 新築だからと入居しましたが、本当にでるし、外出先まで憑いてくるので結局実家に戻りました。最近まで別の部屋の住人だった芸者Mさんも“あそこは出るよ!!”だって。

 
少年達の霊(雀鬼)と病室で麻雀大会  旧東京厚生年金病院   某ホーンテッド・マンション

 

本多横丁“呪い”の原因は本田修理(しゅうりの)守(かみ)だった!


 本多横丁は50軒の飲食店、料亭でにぎわう神楽坂一の横丁です。江戸時代から三年坂とよばれていました。転ぶと3年以内に死ぬという迷信があります。

 その昔、津久戸八幡へ下る坂道の左(北西)側は行元寺(ぎょうがんじ)や西照寺などの寺町でした。京都清水寺の三年坂のように、寺や墓地脇の坂道にこの名前が広まったようです。 
 怪談実録「神楽坂物語」(中脇初枝)に本多横丁のお化け銀杏(いちょう)の話がありました。その昔、坂の右(東南)側一帯の御屋敷の旗本、本多修理守が粗相をした娘を庭の木の根元³で手打ちにしました。 後に古木の周辺に霊がでる、木の切り株のある家の住人は祟りのせいで長く住めなかったという実話 です。 ある高名な僧侶に祈祷をしてもらってからは、その家に住むことになった芸者さんは神楽坂一の人気を誇ったとか。

 それにしても、屋敷の庭で若い娘を手打ちにした旗本の名前を横丁名にしたこと自体に祟り(たたり)の原因がある気がします。地元の人は、何かと不幸な事象が付きまとう横丁だと認識しています。 ほぼ同時期に寿司屋の大将、板さん3人(3軒)がたて手続きに病死。1軒は廃業、1軒はつい最近まで、にぎり鮨がない寿司屋でした。 T商店は語るも涙の連続悲劇。食堂Yも実に悲惨でつらい人情噺。そして老舗名店での後継者問題などなど切りがありません。 本多横丁名物菓子店は改築工事途中で業者に逃げられ、廃業。老舗中華饅屋もギャンブル運に見放され創業地の自社ビルから今年撤退しました(横丁入口左側のビル1Fへ)。

  昨年、六星占術で財を成し、自ら250歳まで生きると宣言したH先生の「大殺界御殿」(横丁北西側)が完成し入居。 新宿のホストクラブで一晩500万使っているとの噂も下火に、自宅食堂がわりの名店Mにもいかず御殿ごもりが多くなりました。 Mの大将は軍団からしたようです。 H先生が、もし宣言通り200年以上住み続けることになると“妖怪が住む横丁”と呼ぶしかありません。 新たな呪いに憑かれた横丁になるかも(ゾーッ)。 
 歴史のある街、神楽坂には、霊が出没するビル、お店が他にもたくさんあります。 前述の地蔵通りの霊感ママ、神楽坂一筋の手相占いも得意なU女史、自称霊感強い若手美容師O君3人に一番霊気が強い地点はどこかアンケートしました。 最恐霊波地点は、神楽坂下の甘味の「紀の善」を坂下から右に入った、中年ゲイの出会い場所として有名な「くらら劇場」(5月閉館) の手前(神楽小路の中間点)でした。 2番目は、熱海湯通りともよばれる小栗通りで、O 君は通りを抜けるまでいつも強烈に感じるそうです。

 最近、神楽坂人を震撼させたのは、インターネット経由で憑いてくる悪霊です。スマホとSNS(FACE BOOK等)を使いこなす認知症のはいった生霊(いきりょう)が徘徊しています。 LINEで憑きまとわれ、FACE BOOKで脅され、奇行に惑わされます。問題を訴えても警察はなかなか対応してくれません。コワ~イですよ! そういうのも。怖い話の詳細を知りたくなった方は、神楽坂に飲みに来てください。ご案内します、では。(笑)  つづく

 
 本多横丁(右側本多家屋敷跡)   本多家屋敷(イメージ)   庭のお化け銀杏(イメージ)


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1 John Doe(ジョンドウ)は“名無しの権平衛”の意味。一般に身元不明死体(男性)の呼び方。女性   はJane Doe。 水死体は土座衛門と呼ばれます。英語では a drowned bodyといいますが      Jon(Jane) Doe が一般的に使われます。

2 昼間現地調査の結果、気象観測ロボット君がいました!人間(霊)に見えるんです。

3 現在、呪われた銀杏古木調査部隊を編成中です。

 

 

 

 

 

 

 

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