サークルの広報を担当し、再校に再校を重ねようやく終了となる。早速メールで原稿を送ることとなる。当初は、街のコンビニでコピーし、編集していたが、ネットでとても安い方法を知り印刷も仕上げて送ってくれることを知り、最近ではもっぱらそれを利用している。
コンビニではA4のカラーコピーが1枚80円(両面だと160円)もするが、ネットで調べた業者は、A4でしかも両面刷りで40円で済むのである
早くこの方法を採用していれば、金額と手間がかからずに済んだのにと、、、、知ることと知らないこととの違い、損得など大きな差異を生んでいる。こうしたことは人生の中で沢山あるのだろうなー。どん欲に情報を集めよう。
ちょっとかな飛躍
旅は、目的地の観光を楽しむばかりでなく、伴にする仲間との語らいも楽しみの一つであり、旅そのものを大きく膨らませることとなる。十数年来の友人達と年何回か小さな旅を計画し実践しているが、この旅は互いに気の置けない連中でとりわけ実のあるものとなる。
過日の旅もそうであった。現役を引退し、何かと世界が狭くなりがちであるが、仲間との何気ない会話から様々な情報が入り学ぶ事があり、反省することありで大きな収穫となった。今後も、絆を大切にし健康で続けていきたいものである。
友人達と昨日、宝永山に登る。富士5合目まで車で行き、そこから宝永山に向かって六合目の茶屋に登り、そこから足場の心許ない急峻な路を登ること2時間、悪戦苦闘しながら友人に励まされ目的の宝永山にたどり着く。
途中で火口が三つに分かれている様子が見られ大規模な噴火だったことがわかる。火山灰が当時江戸でも観測されたという記録が残っているそうだが、信仰の山の怒りにさぞ恐怖の中で畏敬の念をもって眺めたことであろう。
麓から見ると宝永山は山のように見えるが、大きな富士山の裾野の一部であり盛り上がっている面は無いことがわかった。
とにかく快晴に恵まれ富士山の頂上が直ぐそこに見えるのに驚きつつ、強風の中で雲海の上に立つ爽快さ充分堪能した。友に感謝しながら下山した。 謝々
写真は宝永山から富士山頂を撮ったものと第一火口の縁から宝永山を写したもの
『あなたの好きな数字は何ですか。』 こんな質問をされることがある。末広がりで縁起のいい8を上げる人もいれば、割れない7を上げる人もいる。各人各様色々な理由をつけて答えるのであろう。
ところで、こんな質問は聞かないが、もし『あなたの好きな漢字は?』と聞かれたら、どんな理屈をつけてあげるのだろうか。
私は、真っ先に「里」という漢字を上げる。なぜか、これは小さいときからそうなのである。
子守歌やおとぎ話などから耳にしたり、あるいは大人達の会話の中から私なりに創り上げた想像の世界にある空間を意味するのである。
「里」は、未だ行ったこともないユートピアであったり、時には寂寥感を漂わせる寂しい世界であったり、そしてまた何とも云いぬ懐しさの情を湧かせたり空間を意味したりと不思議な漢字なのである。皆さんはどんな漢字を上げますか。
わが町は、戸数が400近くある。その中で、80歳以上の方々が100名以上居られ、世に言う限界集落に近づきつつある。しかし、元気一杯のサークルがあり、昨日もその役員会を夜遅くまで行った。たくさんの宿題を与えられ、今日は一日中、若い方のように機関銃のように打てないので、時間ばかり浪費することとなりながら、、、パソコンを前に奮闘した。
先ずは、映画会開催のパンフレット作成に始まり、年2回発行の広報誌の編集に当たった。過日原稿募集したところ、たくさん寄せられ嬉しい悲鳴をあげながら、多趣味な方々(謡曲・舞踊・書道・太極拳・俳句・書道などの部がある)の面々を思い起こしつつ進めた。
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こうして役職を預かり、地域社会に溶け込むことが出来るようになったのも、ここ十数年以来のことである。それまでは、多分に漏れず我が街に関心が無かった、いやその余裕がなかったというのが正直なところである。今、私なりに関われる幸せをかみしめつつ頑張ろうと思っている。
昔の田舎では、今頃になると牧草刈りを始める。夏の太陽を存分に浴びて牧草は肥え刈り取る適期になるからである。大きな鎌(手鎌の5倍もある)を振り回し草を刈るのであり、今のように草刈り機であっという間に刈るのと違い重労働である。エネルギーの消耗も激しい。そんなとき子どもたちは、こじはん(今で言うおやつ)を届ける役割となる。サツマイモやトウモロコシを蒸かしたものぐらいだが、共に食べた楽しい思い出となっている。
その牧草地(谷地といっていた)には、牛馬が食べない草がはびこり厄介物としていた。当時は毒草といっていたような記憶がある。
しかし、それがミツカシワという貴重な植物であり、群生していることから約2万年前の洪積世の最終氷河期に出来た湿原の証しであるといわれ、今では木道もつくられ開花期には大勢の人々が訪れている。阿武隈山中の海抜500メートルにあり、7000平方メートルあまりの小さな湿原だが、脚光を浴びることとなった。
田舎に帰省するたびに訪ねて、遠き日の思い出と知らぬことへの、、、、に浸るのである。