暖冬のせいかサツキ季節外れに花を綻び始めたが、もう何週間もアップした姿のままである。可哀そうに開き切れないまま萎えてしまいそうである。このような木が数本あるのは珍しいことである。こんなところにも異常気象の一つの現れか。 サツキにとってはいい迷惑である。
一時の風潮に踊らされて、やむに已まれず踊ってみたが誰もついてこなかった人様の姿を見ているようでもある。そんな世相を何度見たことか、、、。ちょっと飛躍過ぎるか。
暖冬のせいかサツキ季節外れに花を綻び始めたが、もう何週間もアップした姿のままである。可哀そうに開き切れないまま萎えてしまいそうである。このような木が数本あるのは珍しいことである。こんなところにも異常気象の一つの現れか。 サツキにとってはいい迷惑である。
一時の風潮に踊らされて、やむに已まれず踊ってみたが誰もついてこなかった人様の姿を見ているようでもある。そんな世相を何度見たことか、、、。ちょっと飛躍過ぎるか。
春一番が、どこへやら今朝は池に薄氷が張るという寒さである。そんな中でも木々たちは春を迎える準備を着々としている。
そんな様子を狭い我が家の庭でも見ることができる。時期は異なるがいずれも赤い実になるウグイスカグラやオトコヨウゾメの花芽が膨らんできた。この幽かな変化を観るのも愉しみに一つである。
ところで、昨日の映画会のあとプロジェクターにパソコンを繋ぎユーチューブの落語を披露した。悲しい話の映画の後大笑いで散会した。偶にはいいか。
落語は桂三枝の誕生日、泣かせる話である。
何事にも終わりがあるのは必然だが、20年近く勤めさせていただいた某委員、一抹の寂しさがないでもないが、本日をもって辞退することとし後進に委ねることにした。快諾を期待しよう。
さて、今日は他に映画会がある。あの戦後の荒廃期の世相を描いた作品「自転車泥棒」を準備した。反応は如何に、、、。
昨日、米寿を迎える姉から故郷の香りのする贈り物があった。懐かしい草餅や大福もち、漬物などの他につるし飾りが入っていた。つるし飾りは、故郷は雪が積り、外での仕事ができないので炬燵で針仕事で作ったという。働き者の姉の姿に母の面影が浮かぶ、、、。よく針に糸通しをさせらたことも。
草餅は、北風が当たる庇に吊るし寒風に晒し凍み餅(保存食)にして田植えの頃よく食べたものである。
春一番の暖かい風が吹き、いよいよ春近しの想いがする。昨秋蒔いたきぬさやエンドウ、早くも花をつけ、可愛いらしいさやが生り出した。食卓に載るのが愉しみである。
このエンドウ豆の瑞々しい葉を見ると、母が栽培していた陽当たりの良い畑の風景を想い出す。畔にはスミレやオオイヌノフグリの花が咲き春が来た喜びとともに、、、。
昨日は、桜の咲くころのような陽気、ウォーキングしていてもまさに春うららの気分となり、つい距離も伸びる。今朝は一変強風と雨ウォーキングは出来るかな。
6837、7290、7387、9694、7703、8846、9980、これはこの1週間の日々の歩数計の記録である。よくいう一万歩までは届かないが、歩くと爽快な気分となるので自分なりに満足している。日課のお努めは継続に価値があるのだから、、、。
我が街には、自前の集会所がある。自治会活動は勿論、様々なサークル活動で使われている。そこにはブラウン管テレビと篤志家が寄贈したパソコンがあったが、この度行政からの補助として新たなテレビとパソコンが入ることとなった。
昨日、新製品の披露があり出向いて見たが、やはり新しいものはいい。わが老人会「集い」でも大いに活用させて貰おう。
久しぶりに頂いた友のメールに、今度はイランへの旅を計画しているという。世界の観光地は、勿論秘境までも旅している彼は元気いっぱいである。求める好奇心に敬服!良い旅の話を期待しよう。
イラクでは、古代遺跡が無謀にも破壊されているというが、イランのギリシャ時代のぺルセポリス遺跡など大切に保存されているだろうな。行ってみたいが、 こちら今は枯れてしまったのか。萎えてしまったのか。傘寿を迎える者の、、、。
今日は紀元節と言って国を挙げて祝った日であったことを知る人は少なくなった。
小学生の頃、普段はボロを纏っていてもこの日ばかりは、ふだん着ない樟脳の匂いする羽織袴で登校し校長先生が奉読する教育勅語や、神武天皇の話など謹んで聞くのが恒例だった。その時歌った歌、今でも懐かしさとともに歌唱することができる。
雲に聳ゆる 高千穂の。
高根おろしに 草も木も。
なびきふしけん 大御世(おほみよ)を。
あふぐ今日こそ たのしけれ
その式典も終戦とともに絶えたが、善し悪しは別として想い出の一つである。
ところで母に着付けてもらって心が引き締まったあの羽織袴どうしたのだろう。
今年は梅の花付きが悪いと前に記したが、アップしたこの木だけは成績が良く沢山ついている。昨年、多くの徒長枝をバッサリ伐ったせいかもしれない。他の木もそうしたつもりだが、この木のようにはいかないものが多く難しいものである。
後にアップすることになるであろう豊後系は、花芽がびっしり愉しみである。