幸いなことに台風もこの地では大した被害もなくホッとしている。棚のサツキたちたっぷり水分を吸収し秋の新芽も活き活きとしている。
そうした中でサツキ「真如の月」幹の半分ほどにガレが入り心配してきたが、葉は秋の萌えで青々としていて一安心。花芽も初夏のに続いて萌えだした葉の中にもできつつある。
こうしたど根性サツキたちには、特別愛おしさを感じる。これからは花芽に穴を開ける芯喰い虫の発生時期である。忠実に消毒をしなくては、、、、。
幸いなことに台風もこの地では大した被害もなくホッとしている。棚のサツキたちたっぷり水分を吸収し秋の新芽も活き活きとしている。
そうした中でサツキ「真如の月」幹の半分ほどにガレが入り心配してきたが、葉は秋の萌えで青々としていて一安心。花芽も初夏のに続いて萌えだした葉の中にもできつつある。
こうしたど根性サツキたちには、特別愛おしさを感じる。これからは花芽に穴を開ける芯喰い虫の発生時期である。忠実に消毒をしなくては、、、、。
台風の影響で昨夜は土砂降り、これから風雨が強くなりそうである。願わくば被害がなきよう想う朝である。
ところで飛翔力のよわいトンボ、マユタテアカネは この風雨をどう過ごしているのであろうか。数日前、風の弱いところの庭のあちこちで見られたので撮ってみた。雄は雄は婚姻色で尾は真っ赤になっていた。当に秋の風景での赤とんぼである。
露風が詠んだ「赤とんぼ」は今頃を懐かしんで作詞したのであろうか。このトンボたちを見て、いや初夏に生る「桑の実を摘んだのは」とあるからそうとも言えないな。
いずれにしてもトンボの姿を見ると何故が郷愁を誘われるのである。爺にとっては、、、。
60年も前、キャノンの8ミリ撮影機を購入した。当時の値段では今では考えられないほど高価(50,000円)で給料の3倍もしたのである。動力はゼンマイ式、フイルムはダブルサイズで反転してもう一度撮るというやっかいな代物だった。間もなくして富士フイルムからフジカシングル8が販売されて早まったことを覚えている。というのは、このカメラはコンパクトでフイルムを装填すればあとは撮るだけ、暗室でフイルムを反転させるということもない重宝なものであった。
ところで、そうこうして撮りためていたフイルム劣化することやプロジェクターも壊れてしまい見られないので取り合いず一巻だけDVDに作成する。昨日早速視聴したところ当時の8ミリフイルムの限界か、デジタルカメラの製品を見慣れたこともあって比して劣っている。改めて技術の進歩を思い知らされる1日であった。カメラ店でスマホにもダウンロードしてもらう。
久しぶりに、幼かった息子の数々の動画、慈しみ育んでいた若い頃の自分たち、温かいものを感じながら懐かしんで視聴する。
サツキ「星の輝き」、消毒液の希釈率誤りでアップしたように葉を傷めてしまった。そのため今頃は涼しさを感じ再び葉を萌えさせるのだが、黒ずんだ葉ばかりで新芽の姿がない。
毎日観察していたがその変化がない。可哀想にこのまま枯死してしまうのかと心配する日々であった。
ところが今朝、思いがけないところから芽を吹き出しているではないか。よく見るとここにも、そこにもと可愛い小さな小さな緑芽が出ている。これで十分水を吸い上げている証拠、一安心慶びでいっぱい!!
来春の花は期待できないが、青々と繁る根上がりの姿で満足であると詫びる心で想うのである。
我が家のメィーン木の槙、義弟から頂いて移植し早45年ほどになる。当初は年2回剪定していたが、このところは怠けて初秋に一回で済ます時もある。剪定作業も齢と共に大儀となりつつあるが、樹形づくりが姿形が丁寧にされた木なので崩さないよう忠実に手を掛けていこう。
早朝涼しい内にと取り組んだが1時間半も掛かってしまった。汗ぐっしょり、、、。
剪定前
剪定後
芽を出し茎(枝)葉を延し花をつける。これが草花の一般的な生え方であるが、葉の一枚も延すことなく花茎のみニョキニョキと伸ばし花をつける変わり者の彼岸花が、生け垣傍で咲き出したのでアップしてみた。
彼岸花の球根は、暗い地中でどのようにして花の季節を知るのであろうか。地中では日照時間変化は察知出来ないだろうから僅かばかりの温度の変化、虫たちの泣く音??、、、、だろうか。摩訶不思議である。
ところで、昼間はどこに隠れているのであろうか虫たち、夕方になると一斉に鳴き秋の訪れを知らせるようになった。彼岸花といい虫たちの合唱といい季節は確実に進んでいる。
こぼれ種で庭のあちこちにやたらと殖えたニラ、今は盛りと咲いている。池の端に一本延びて咲いているのをアップしてみた。
この花を見ると、桑畑の畦道沿いにニラを栽培していた田舎の光景をいつものことながら想い出すのである。ニラの花咲く畦道を、カボチャやさつまいもを蒸かして稲刈りしている父母たちに届ける自分の姿を、、、。
なつかしき故の頬杖ニラの花 高野素十
一本の花でも、そのひとのあゆみを回想させる力がある。時に遠い昔を想い起こさせ郷愁を誘うのである。頬杖ついて暫し眺めて子供の頃の世界に浸って見ることとするか。元気だった父母たちと、、、、。
ブドウの収穫も終わりに近づいてきた。だが、そうした中でいつまで経っても熟さない房がある。
熟すると粒が淡い色の青で透き通るようになり柔らかく糖度もますのだが、アップしたのは実も堅く青々としている房である。こうした房は葉が散ってもかわらない怠け者(表現が不適切、十分に栄養が行き届かない犠牲者なのだ)である。
その原因は、鈴なりのようになった初夏に摘果することなくすべて生らせようとするからである。そのことが分かっていても勿体ない心がわいてきて出来ない。青い房を見ては、毎年反省する爺なのである。
葡萄農園の見事なブドウたちは、摘果作業の成果とでも言うべきか、、、、。
アメリカ産のハナトラノオ、繁殖力が強く狭い庭では他の草花に影響するので大分引き抜いた。池の端に残っていたものが咲き出したのでアップしてみた。
明るいピンクの花を見ると、もう少し残しておけばと思わないでもない。花期の時だけちやほやされるのは迷惑な話であろう、、、これ植物の世界ことばかりではないな。
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昨日、某OB会の幹事さんからコロナ禍で中止また中止となっていた会、今年はどうるかとの相談あった。我々にとっては貴重な会であり諸般の情勢を考えながら実施する方向で進めようということとなる。何事もテキパキと処理する実行力のあるMさん、すべてを感謝しつつお願いしよう。
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今朝メールを開くと息子から「電動アシスト三輪車試乗してきました。兄妹でプレゼントしようか」との便りである。免許返納を知って心遣いである。さてさてどうしたものか。
街のグリーンベルトに生えていた赤松の大木、乱暴な剪定で樹勢が弱らないか心配していた。あまりにも伐り込んでしまったからである。案の定ついに枯死してしまい伐採されることとなる。
アップしたのはその切り株の様である。年輪を数えると80数輪、爺と大差ないようである。乱暴な扱いにより枯れてしまった赤松に悼む心で元気なときの姿を想い出すのである。
ところで、年輪を見ると南側の幅が広いので方位が分かるという。これは根を四方八方に延ばせるという環境のなかでの話ではないだろうか。というのはアップした年輪を見るとそうはなっていない。年輪の幅が詰まっているところは東南東である。むしろ北側の方に太い根を延ばしているので幅が広い。根の状態によって年輪の姿が大いに影響しているようだ。暫し観察しての爺の結論である。これ正論かな?