今日もまた健康であることの幸せを感謝しながら早暁散歩に出かける。暫くして東の空にアップしたように見事の朝焼けが飛び込んできた。
暫し佇みその自然が織りなす美しさに心を洗われる。と同時に心の奥深いところにあるであろう心理(宗教心とでもいうべきか)が呼び戻され手を合わせたくなるのである。
早起きは三文の得(徳)というが、心地よい疲れを感じながらの早朝散歩体調管理に気をつけながら頑張っていこう。健康であることに感謝しながら、、、、。
今日もまた健康であることの幸せを感謝しながら早暁散歩に出かける。暫くして東の空にアップしたように見事の朝焼けが飛び込んできた。
暫し佇みその自然が織りなす美しさに心を洗われる。と同時に心の奥深いところにあるであろう心理(宗教心とでもいうべきか)が呼び戻され手を合わせたくなるのである。
早起きは三文の得(徳)というが、心地よい疲れを感じながらの早朝散歩体調管理に気をつけながら頑張っていこう。健康であることに感謝しながら、、、、。
株分けしてあちこちに植えている斑入りヤブランが咲き出したのでアップしてみた。この花はやがて実を付ける。この花を見て想い出すのは、その実を使った鉄砲でする兵隊ごっこ遊びである。
篠竹で造る鉄砲、実の大きさにあった太さの篠竹を細工して作るのである。太くても細くても用をなさない。試行錯誤して上手く造った鉄砲のあの音は忘れられない。また、子供たちみんな篠竹鉄砲を持って大将の指示に従い「お前は斥候兵として敵の様子を探ってこい」「お前は敵陣の後ろに回れ」.などとガキ大将と遊んだ兵隊ごっこも、、、。
兄たちの教科書には「ススメススメヘイタイススメ」と載っていたし、兵タイゴッコという題でこんな記述がありました。勇サンハ オモチャノ テッパウヲ 持ッテ 「ボクハ ホ兵ダヨ」 トイヒマシタ。こんな時代遠い遠い昔の話である。
歴史は繰り返すと言うが、決してそうしたことのないようにしなければならない.。
酷暑の夏を耐え忍んできたサツキたちも、このところの涼しさを感じ再び緑葉が萌えだしてきた。既に花芽をつけているがこの新葉にも花芽をつけてくれるので芯喰い虫やハバチの幼虫の発生に気をつけなくてはならない。春の開花に向けてもっとも気をつけなければならない時期である。
アップしたのは株立ちづくりの「華宝」である。我が家に来て40年ちかくなる相棒とでも言うべきお気に入りの木の1本である。
さてさて、今日は秋の長雨の走りのような天気、暑さに負けて中には元気のないサツキたちもあるので回復するような手立てをしていこうか。こんな作業も至福の時なのである。
町内のNさんから頂いたモチノキ長いこと掛かっていい姿に造ってきたが、数年前すす病に侵され弱ってしまった。そこで多くの枝葉を思い切って切り落とし復元力を期待していたが、アップ(左)したように萌えてきた。
高くなると剪定に苦労するので、今度は小作りにしようと刈り込んでみた。さてさて、どういう樹形にするか愉しみながら造っていこうか。庭造りはすべて自己流、涼しくなってきたのでそろそろ他の樹木も剪定+に取りかかろうか。
この街に移り住んで後数年で半世紀になろうとしている。街のあゆみも自分史の中では大きな存在である。そうしたこともあって街のあゆみの資料を収集しDVDに編集したことは既に記したが、自治会長さんの勧めもあって公開することとなった。ところがコロナ第七派の襲来で中止となる。何れ機会を見て資料提供などで協力頂いた方々や共に役員として力添えを頂いた仲間たちに公開しようと想っている。
時間的に余裕もあるので既存のDVDを新たに編集し直そう今挑戦中である。パワーデレクターのいろいろな機能を改めて勉強しつつ進めている。ユーチューバーたちの作品視聴は大いに参考になるのである。頑張ろう!!
今朝庭のフヨウが一輪再び咲いているのでアップしてみた。夏の盛りに次々と咲いていて、もう花芽もないので幹の三分の一ほど切り戻した株である。それが再び新芽を伸ばし花をつけたのである。花は元気いっぱいやや小振りだが真夏の花と遜色ない。
この一日花、涼しくなると萎れることなく日中いっぱい咲いてくれるのである。今日の最高気温は29度との予報である。夕刻までもつかな??。美人薄命と言うがこの花もまた然りである。
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昨日、寮生の仲間M君から電話でFさんが旅立ったとの知らせがあった。卒業以来60数年毎年のように旅をしたり集う会を持ったりしていた友のひとりである。コロナ禍でここ3年ほど会っていなかったが、冥福を祈りつつ同じ寮生の仲間たちに伝える。皆持病を抱えがんばっている。昨日は、悲しいかなそういう年まりになったことを改めて思い知らされた日であった。
親しくしていた寮生仲間6人組も5人となるか、、、。
街のグリーンベルトに生えていた二抱えもあろうかとの楢の大木、昨日伐採された。ナラ枯れ病に罹り季節外れの黄葉していたかと想っていたらあっという間に枯死してしまったためである。前にも記したが、この地に移り住んで間もなく半世紀、日々眺めていたこの大樹との別れ何と寂しいことか。
尚、グリーンベルトに生えている木々は、緑の環境を護ることを大切にした造成業者で伐採されることなく多摩丘陵の自然林の一部であった。そうした木々は、松枯れ病とかナラ枯れ病で虫が運ぶ病原菌によって枯死する。その対策はないものだろうか。これもまた生々流転とでも言うべきか、、、、。
メダカ池ミニスイレンがかき回されいた。一連の犯人はどうやらハクビシンという結論にいたる。というのはネットで調べると金魚やメダカさえも襲うと記している。ブドウ棚を荒らしたのも池の金魚を食い散らしたのもかれらの仕業であろう。
美味しい安芸クィーンの房に袋かけをしているが、試みとして袋を網で覆ってみたところ、こちらは被害無し、、、一部色づき甘い実を間もなく食べ頃となりそうだ。来年は大粒系のブドウには、対策としてすべて網も用意しようかと考えている。趣味として葡萄栽培をちまちまと愉しんでいるのによりによって襲うこともないだろうにハクビシンめ!!
兄に遺品の火鉢で飼っているメダカは、逃げ場がないので早速網をかぶせた。
グリーンカーテンに這わせた朝顔ようやく咲いてくれたが、遙か上のベランダ近くで咲きだした。それも数本蒔いたのだがシロバナばかりである。一方蒔いた記憶のないところの朝顔は、地を這いようにして赤やブルーの花をつけている。なかなか意とするようにはいかない朝の顔である。
ところで遙か洋上で誕生した台風11号、日本列島より離れていったと思ったらたくさんのエネルギーを蓄えて北上するという。これもまた、意とするようにはいかないようである。ちとオーバーな表現で言うならば、人生ままならない、、、、?
晩秋の頃、山の果の代表はコクワである。コクワ?というのはサルナシの実のことで郷里ではそう呼んでいた。霜が降りる頃、この実は熟れて甘い果実となるのである。よく友と誘い合ってコクワ採りに出かけたものである。ヤマブドウやマタタビのように蔓を他の木に這わせて延びるのである。高いところの実までも、猿のように登って採るのである。
郷里のこんな想い出もあって鉢や地植えでサルナシを愉しんでいる。鉢植えの実はすべて落果してしまったが、アップしたのは地植えの小さい木ながら2つ生っているものである。サルナシは雌雄異株が主と言うが、1本を挿し木して殖やしたものであるので我が家のサルナシは雌雄雑居性の木らしい。
ところで宮沢賢治は、サルナシをヤマナシといって童話(?)を書いている。そこでは美味しい果実酒になると書いている。2つでは無理か、、、、。