さて次はまた暑い中をしばらく歩いて「原子力科学館」へ。このあたりには原発関係の
施設がたくさんあるので、通りの名前も「原研通り」。私は学生時代、「原研」の人に
やたらに勧誘されたことがあります。それは「原理研究会」で、略して「原研」と
呼ばれていました。それは韓国の統一教会を母体とするもので、霊感商法や合同結婚式で
話題になったところです。それとは違うぜ、はっはっは。
フーヒー、遠い。歩いて来るやつは想定してないんだろうなあー。
ハンカチは汗びっしょりになりましたが、まずはひとりで映像を見る。アインシュタイン
の案内で、「アトミックライド」に乗って宇宙に行ったり、原子の世界をのぞいたり。
「原子爆弾」だの「原発事故」だの言われてますが、「原子ってのはこの世界を作って
いる小さな粒で、みんなそれで出来ているんだよ」という話です。
映像を見たあとは展示を見ます。左にある「ラジエーションボックス」なるものは
この3月に出来たばっかり。「放射線ってのは恐いものじゃないんだよ。普段から
降り注いでいているものなんだよ」ということを視覚的に見せるため、自然放射線の
飛んだ跡がモクモクと雲のように可視化されるようにした装置です。見ていると、
海の中でタコがフワっと墨を吐いたような、もしくは白濁した温泉に浸かってて
湯の花がモワリとなるのを見たような感じでした。これを見て放射線になじんで、
原発施設は怖くなんてないんだ!と思うようになるのかし~らw
「わずかな被ばくでは、明らかな影響はありません」という話。ちょうどこのタイミングで
また福島の一部の避難地域が解除され、「もう戻れます。これ以上補償金は出ません」と
なりましたが、そこで子供を育てて問題ないってことなのね?ホントにそうなの?
展示を見ていると、やたらに「安全」を強調しています。まーそりゃそうかも
しれませんけどねえ。。。「絶対安全」って言っててここで事故が起こり、それから
また福島でも大事故があったんだから、無条件で信じろってほうが無理かなー。
過去の事故からの教訓があるから大丈夫!ってことらしいです。まあこれに福島が
加わるわけでしょうが、これだけ短い期間で何度も続いているんだから、また
「想定外」のことが起こるんじゃないか、と思うほうが自然な気がしますけど。
ちなみに「チェルノブイリ」はウクライナの発音になって「チョルノービリ」と
シールが貼ってありました。英国のパブの料理で定番の「チキン・キエフ」も全部
「チキン・キーウ」になってるのかしら?ムソルグスキーの「展覧会の絵」の最後は
全部「キーウの大門」に表記が変更されるのかしら?
福島の原発については、ちらりとだけ触れていました。まあ直接関係ないってか?
原子力の利用なんかについての説明がありました。
これで終わりか?1999年の死者を出した臨界事故については完全スルーなの???
さすがにそんなことはなかった。本館の横に、小さな別館があったのです。
見落とすところだったよ。そこはご覧の通り、とても小さな一室で、その左隅に
事故のことを説明するコーナーがあったのです。
「大事なことはおびえ恐れることなく、この事故の真実を正しく理解し、自分の生活、
健康に自信を持つことではないかと思います」と書かれています。きちんと言いたい
ことを述べていますね。どうも「理解すれば自信が持てるよ」と読めるのですが、
みなさんはどう思うでしょうか。
「隠している」というのは考え過ぎか、別館の片隅で、しかもこのパネルの向こう側に
映像が流れていました。
このドキュメンタリーは一番見ごたえがあったぞ。
作業にはマニュアルがあるんだが、「裏マニュアル」なるものがあって、つまり
安全軽視のテキトーにやっちまおうというやり方が横行していて、さらにそれも
驚くほど無視しておっそろしい臨界事故、すなわち放射能ダダ漏れが起こった。
作業員は被ばくして2人死亡。2時間が過ぎてやっと村長さんが住民避難を独断で
決行。
ここでは詳しく説明していませんでしたが、臨界を止めるには「誰が行く?死ぬだろ。
若い奴より年の順か?交代で行こう。ひとり3分で戻ろう。いや、1分にしとこう」
という決死隊が作業をしたのです。
20年以上前の記憶なのですが、住民避難の指示が遅れたのは「パニックになっちゃい
そうだから」という理由で、近所の住民は知らずに被ばくして、あとで激怒したとか。
避難指示のシステム、避難訓練などは全く想定していなかった。だって「絶対安全」と
言い切っていたんだから、避難訓練なんてできるわけないでしょう、ということでした。
ちなみに後日、双葉で被災した語り部の話を聞きましたが、具体的な避難指示などが
全然伝わってこなかったので、放射能の雨を浴びたし、原発の職員やマスコミが
どんどん逃げていくのに、原発近隣の住民は置いてけぼりををくったと怒っていました。
ここの12年前の教訓はどうなってたんだ?
というわけで、いろいろ考えさせられました。まだ救われるのは、ある程度の情報が
隠ぺいされずにこうやってわかるということ。そしてそれについてどう思うかを
こうやって発信できる自由があるということでしょうか。