痛々しい姿の門脇小学校ですが、右のほうに四角いアルミで出来たようなものがある
でしょう?あれは展望台になっているんです。
そこから見た景色です。ここはかつては住宅地でした。
展示されていた写真ですが、こんなだったのが津波で更地にw
校舎に置いてあった置時計が、離れたところで発見されたそうです。
板の部分が全部なくなるって、津波の威力はどれだけすごかったのでしょうか。
消防車がぐしゃぐしゃになるくらいですからね。。。
震災のビデオを観ました。その中で、この小学校に避難してきた人のつらい体験談が
ありました。この小学校には地震のあとにたくさんの人たちが避難してきました。
しかし津波が迫り、建物の中にいては危険なので、裏山に逃げようということに
なりました。しかしこの画像に見られるように、2階の窓から出ても裏山に渡る
ことができません。そこで教室から教壇を持ち出して、それを橋のようにかけて
避難路を作ったのです。
↑ここに教壇をかけて必死の避難。
次々に避難民が渡って行きました。子供たちと一緒にいた女性が、老人が渡るのを
手助けしていました。しかしいつまで??子供らは先に渡って避難したけれど、母親は
全員が渡り終えるまで補助をしなければならないのかと思っていたところ、うしろの
人が「もう行っていいよ」とバトンタッチを申し出てくれました。そして避難したのです。
しかーしっ!そのあとで、「あの人は自分勝手に先に逃げた」という声が聞こえてきて、
ひどく苦しんだのでした。そりゃあんまりだw そのあとで、息子さんが「お母さんは
悪くないよ」と言ってくれた言葉に救われたそうです。
衝撃的な津波被害の映像も見ていてつらいものですが、あとになってわかってくる、
避難所でのひどい人たち、火事場ならぬ地震場泥棒、このように人を傷つけるような
言動をする人たち、人間が起こす二次被害というのもげんなりするものです。