石巻げんき市場から見た石ノ森萬画館。
こちらは海岸方面。向こうに見える日和山公園に登ります。手前に見えている船は
離島の田代島、網地島に向かう連絡船です。いずれそちらにも行ってやろうかと
思っています。
さて日和山に登る道は急坂だ。日差しが強くて汗がしたたるしーw
おうおう、来るたびに建物が増えます。もとは住宅地だったのですが、ちと雰囲気が
変わりました。手前にも橋がかかりました。二本並んで、必要あるのかという話にも
なったそうです。
こちらは2015年の画像です。震災から4年経っても津波の跡が残っています。
東方面。だいぶ整備されて、やや右のほうに津波伝承館が出来たので、あとでそれを
見に行きます。
この景色を眺めているところで、語り部の(?)老人がとある人をつかまえて
熱っぽく震災のことを話していました。地震のあとに学校の先生が車でやってきて、
「津波が来るから逃げなさい」と言ったということで、それが許せないということで
(ただ伝えるだけとは何だ?!)思い出しては怒りが爆発してしまう様子でした。
被害があまりにも大きく死者も沢山出たため、「あのときこうするべきだった」
「あの人がこうした(こうしなかった)」という無念さや考え方の違いがいまだに
くすぶっているのでしょう。私は早々にその場を立ち去ったのでした。
こちらも2015年の景色。ほとんど何もありませんでした。
さっき歩いてきた北方面。
さっきいたげんき市場が見えます。あそこから土手を歩いてきたんです。
2015年には、川沿いが津波で建物がなくなっていました。
山を下りて伝承館に向かいます。
さっき山から見ていたエリア。ここには2015年にも来たんです。
右のほうに門脇小学校が見えています。それを見にバスに乗って来たのですが、
どうやら運転手さんに幽霊と疑われてしまいました。そのときのエピソードは
このブログで遡って御覧下さい^^;
おお、あの土蔵は見覚えがある。
ここを歩いたんだよw グーグルマップには「震災遺構 本間家土蔵」と書かれています。
明治30年に建てられたもので、津波でもこれだけは奇跡的に残ったというものです。