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さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

コリントスへ到着

2016年11月23日 | ギリシャ

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ピルゴスのバスステーションに到着。



だだっぴろい。すぐにコリントス行きのバスの時間を確かめると、約2時間半後に
あるという。とりあえず今日中に到着できる~~w



さすがに長い時間待合所に座っているのも疲れるので、街を散策しようと出てゆくが
昨日の大雨でこのありさまだ。どうにかこうにか街の中心部へ向かうのだが・・・。



線路を渡るところでこうなっており、これ以上進むのは断念。ひどすぎる。



列車も動けるのか?ホームに人がいるけど?



バスは定刻通りに出発。5時間くらいはかかりそう。ちなみに今まで乗ったバスは、
長距離バスでも街中を通り、いろんなところで客を乗り降りさせていた。コリントス
では街中を通るのか?ホテルの近くを通るのなら、適当なところで降ろしてもらいたい
のだが、と乗務員に尋ねてみるが、英語がわからないのか情報を知らないのか、
とにかく要領を得なくてわからない。まいるなぁ。。。



バスはペロポネソス半島の北端を海岸沿いに走る。山越えを通ってきたのに比べ、
今回は高速道路をひた走るので乗り心地は快適。



ギリシャを旅していてやたらに見たのがコレ。なんだと思いますよねえ。どうも建設中
ってわけでもなさそう。どうして骨組みだけなの?中古住宅を売るときは、こうやって
手放すものなの?



パトラの町を通過。ここで海峡を渡る大橋があるのです。これを渡って北からデルフィに
向かうというルートも考えたのですが、バスの乗り換えが複雑になるのでやめておき
ました。この先の読めないバスのシステム、やめておいてよかったよ。。。



途中でバスはサービスエリアで休憩。ちゃんとアナウンスしないので、運転手に聞く。
出発時間くらい確認しないとね。しかし英語があまり通じない。すると運転手は俺の
腕時計を指さし、15時10分のところを示した。そのとき15時5分だったので、たったの
5分?すぐに一服(-。-)y-゜゜゜



しかし15時10分を過ぎても運転手は来ない。10分のところを指さしたので、「10分
休憩」で、15時15分出発という意味だったのか?

しかし20分を過ぎても戻ってくる気配はない。ご覧の通り、他の乗客たちも集まって
くるが、ドアも開かないので待つしかない。結局15時30頃になって運転手はいろいろ
と買い物袋を手にさげて悠々戻ってきたのであった。ギリシャだぜー。



というわけで、コリントスへ到着しましたー。こちらは南側の海です。



ご覧ください。南側の海が見えたとき、「おお、ついに一周してきたかー」と思う
わけなのです。 

バスは高速の停車場に着きました。どうやら街中には行かずに、そのまま高速で
アテネに向かう様子。なので止まっていたタクシーをつかまえてホテルまで行って
もらうことに。

このタクシーがくせ者で、ギリシャではメーターを使った明朗会計と、メーターを
使わない不明朗会計があるのです。どうしてなんだ?メーターがないほうは、
だいたい少し高いようです。まあ日本よりだいぶ安い感じだし、ぼられるという程
悪質なのはいませんでしたが。でも10~15分くらい乗って、メーターでは数百円
から千円、メーターがないと1500円という感じが多かったです。 


オデュッセイア 2

トロイ戦争はギリシャ側の勝利に終わり、戦士たちは帰国していたが、オデュッセウスは愛する妻子のもとに帰ることを望みつつも、気高き仙女、麗しの女神カリュプソの岩屋に7年も引き止められていた。夫になってずっといてほしい、と望まれていたのである。(それも悪くない気がするが)

ゼウスを中心とする神々はどうしたものかと協議。海の王ポセイドンは助力に反対。ゼウスの娘、女神アテネはオデュッセウスを憐れんでゼウスに嘆願。彼女は彼が帰国を果たしハッピーエンドになるまで、ずっと彼を導いてやることになります。


ゼウスの使者ヘルメスはカリュプソのところへやってきて、オデュッセウスを返してやるのはゼウスの命であると伝える。カリュプソは「女神が人間の男に抱かれるのを嫉妬してるのですね」と恨んで可哀想に泣き出す。しかし最後にはあきらめて、彼を出立させてやる決心をするのだった。


しかたなくカリュプソと夜のお勤めをしていたオデュッセウスは(相手は美貌を誇る女神だってのになあ)、昼間は海辺でひとりため息をついて帰国を願っていた。そこにカリュプソが現れ、「筏で返してやる」と伝える。彼は「この荒波にコロス気でしょ!」と疑いますが、「誓って企みはナイ」と女神は受け合う。


筏で大海に乗り出したオデュッセウスであるが、海神ポセイドンの怒りによって筏は砕け散り、三日三晩荒波に翻弄されるが、女神アテネの導きで、ズタボロになりながらパイエケス国の海岸に流れ着く。オデュッセウスはオリーブ畑の茂みのなかに入ってゆき、落ち葉を集めてその中で永い眠りにつくのであった。


オリンピアからコリントスへ ~オデュッセウスの冒険

2016年11月22日 | ギリシャ



朝テレビをつけると、ホメロスの「オデュッセイア」のアニメをやっていました。
ギリシャ語はちんぷんかんぷんですが、話の筋は知っているので、だいたいの
内容はわかります。



シュリーマンが子供の頃に何度も読んで、これは本当の話だと遺跡発掘を夢見た
彼の原点です。長い話なので、これから何度かに分けてご紹介致しましょう。



夜中まで雷雨の音が聞こえていましたが、でかけるときにはご覧の青空♪
オリンピアを去って、今日はコリントスへ向かうのです。



これは廃線だと思いますよねェ。この電車に乗って途中まで行くこともできるの
ですが、降りてからバス停までまた歩くので、やはり最初からバスにしておき
ました。



バス停は、なんと駅前から。



駅に到着すると、あ、あれは…?!



ホテルのバーで酒を注いでくれた人でした~(^益^)b
バスが来るまで、しばらくおしゃべり。彼はオリンピア郊外に住んでいたのです。



バスは出発。灰皿がありますねー。でもさすがに車内は禁煙でしょうw



さて今日はオリンピアからコリントスへ行くのですが、ホテルでバスの行程を聞いて
みると、来た道のトリポリ経由ではなく、西の「ピルゴスへ行け」という。
なんか目的地の反対方向に行くみたいですが、まあ海岸沿いの道は景色がきれい
だというので、とりあえずピルゴスへ向かう。例によって、その先のタイムテーブルは
不明で、とにかく「ピルゴス!」なのである。またいきあたりばったりかー。



また例によってバスは市内循環で買い物客の短距離利用、路地で止まってひっきり
なしの乗り降りが続く。さてこの画像はなんでしょう。ピルゴスのバスステーションに
到着したのです。昨日の大雨で、なんと海のよう。降りられるのか???



タイヤが水につかって船のように進みます。さすがに客を降ろすところは水が引いて
いる場所にバスは止まりました^^;


オデュッセイア 1

イタケーの王である勇猛な戦士オデュッセウスは、トロイ戦争で大活躍してから凱旋帰国をしようとしますが、帰ることが出来ずに10年余りも放浪の旅をするはめになります。この物語は、彼の帰国の冒険と苦労、そして彼の不在中にひどい目にあっていた妻子の仕返しをするという長編叙事詩です。

トロイ戦争は紀元前1700年頃から紀元前1200年頃の間に起ったといわれています。そしてその物語を紀元前8世紀頃に吟遊詩人が歌ったらしい。「平家物語」のようですね。そしてホメロスという詩人が文字に書き残したのが紀元前6世紀頃らしい。

この話には様々な神々が登場して大きな役割を果たしているし、超自然的な出来事に満ちているので、架空の物語だろうと思うのが普通でしょうが、その頃にはどうやら本当に戦争があったらしいし、神話といってもシュリーマンのように「本当にあったはずだ」と考えることもある程度は可能なのです。


オリンピアは土砂降りで

2016年11月21日 | ギリシャ



朝から遺跡、考古学博物館、古代オリンピック競技博物館とたっぷり見物したので、
遅い昼食となる。といってもこちらでは13時過ぎからぼちぼち始まるので、14時頃
となってちょうどいい時間だったのだが。



歩き回ったのでビールが旨い。まあだいたいいつも旨いけど^^;



左はナスのディップ。パンにのせて食べるやつで、もうすっかりおなじみ。右は
豚肉のスブラキ。日本の居酒屋でよく食べる「やきとん」ですな。

ここで大雨となる。この季節にはまず滅多にないのであるが、雷が鳴って土砂降り
である。ゼウスの雷(イカヅチ)だ。神様の親分を怒らせると雷が落ちてくるのですが、
雷雨って広範囲に影響しますよね。個人に対する怒りって・・・?深く考えてはいけん
のですかー。

ちなみに2週間以上の旅だというのに、傘を持ってこなかった。だって月間降水量が
ほとんどゼロですぜ。しかーし、バケツをひっくり返したとはまさにこんな感じ。
打ちつける大雨の音で、話し声もまったく聞こえないほどだ。恋人と一緒だったら、
何か話しかけるフリをして、聞こえないから、と顔を近づけて、すかさずほっぺに
チューするけどなー。

雷雨っつったら通り雨?と期待したが、これがなかなか止まない。遺跡を歩いて
いるときでなくてよかったなー。やはり普段の行いがいいからなー。・・・しかし、
このエリアに普段の行いが悪いやつがいたら? いや深く考えない、と^^;



ちらほらといる他の客も動けない。傘があってもビショビショになるだろう。なので
コーヒーを頼んで時間をつぶす。かれこれ2時間以上。喫煙可♪



なんとかおさまってホテルに帰れましたー。しかしそのあとでも断続的に雨が降る。
夕方まで町のレストランにいたし、雨は降ったりやんだりなので、外にもう一度
食事に行く気がしない。こういうとき、Wifiで音楽を聴けるのはいいなー。必携の
旅のアイテムだ。

ホテルのレストランは、ブッフェスタイル。値段は高くもないが、こちら小食で酒重視
なので、いわゆる「食べ放題」には辟易だ。というわけで、バスターミナルで買った
固いパンが夕食となる。毎日昼と夜にレストランだったので、たまにはこうやって
胃袋を休憩させるのはいい。



といってもバーには行って酒は飲むので、こういうのは休憩ではないのか?
いや、「休肝日」っつーのがあるよね。それはなくていいのだが、「休胃日」なので
ある。・・・酒でも胃は使うか。。。



カウンターにひとり。うしろを振り返ると、テーブル席にも誰もいない。バーテンダー
係のにいちゃんも、俺に一杯注いだらどこかに行ってしまった。さきち・のひとり酒。
居酒屋とかバーのカウンターでひとりっつーのはたまにあるけど、これはホントの
ひとり。いちおう贅沢、とも言えますが…。 


古代オリンピック競技博物館 3

2016年11月20日 | ギリシャ

     

レスリング

人間の原始的な力と技を競うという、もっとも古い競技のひとつです。「アップ
ライト」と「グラウンド」の2種類がありました。今でいう、上半身だけを
攻撃する「グレコ・ローマンスタイル」と、全身が攻撃対象になる「フリー・
スタイル」なのでしょうか。3回相手を倒すと勝ちだったとか。
上の画像は、交尾の様子ではなく、レスリングでバックをとったところです。



ボクシング

げんこつで相手を打ち負かすという、レスリングと同じく人類最古の競技のひとつ
です。手を傷めないように、こぶしには柔らかい革ひもを巻きました。今でいう
バンテージ。ボクサーは向かい合い、左手を防御に、右手をパンチに使い、頭部
だけを狙いました。ボディー攻撃はなかったのですかね。なんと時間制限はなく、
どちらかがKOするか、ギブアップするまで続けられたそうです。激しそう。

     

こりゃあ~ヘビー級ですなあ。ちなみに体重は無差別だったようですね。
それじゃあデカイ奴が勝つよねェ。。。



これは殴られてこうなったのではありません。少年アスリートの像です^^;



走り幅跳び

いわゆる「ロングジャンプ」は、1歩だったのか2歩だったのか、はたまた3段跳び
だったのかは定かではありません。板を置いた踏み切り台を使って砂地に飛ぶのは
今と同じで、両手に石か銅の重りを握って飛んだそうです。そして振り子のように
重りを握った腕を振って、地面に降りる直前にその重りを後ろに放り投げたとか。
そのほうが距離が出るとも思えませんが、見栄えが良くなったのかな?

     

馬車レース

2頭立て、4頭立ての馬車レースがありました。スタートが大事で、ロープを
渡してきっちり同時にスタートできるように工夫されていました。そしてカーブで
インコースを取るのがとても大事で、そこが乗り手の技術の見せ所で、アクシ
デントが起こる場所だったのです。大騒ぎが目に見えるようです。



せっかくだから、横に並べて展示すればよさそうなものですが、馬と人間は
残っても、馬車がなくなってしまったのですなぁ。

     

いかがでしたか、オリンピックの歴史。戦争ばかりしていたギリシャの国々も、
オリンピックのときだけは停戦したそうです。武力行使ではなく、スポーツで
戦うのもいいですよねえ。領土問題の決着には、ロシアと体操で、韓国とは
サッカーで、中国とはバレーボールでやったらどうだ?審判が大変すぎるで
しょうけどね~(^益^;


古代オリンピック競技博物館 2

2016年11月19日 | ギリシャ



オリンピック競技の様子を描いたモザイク画。(小島よしおの団体みたいw)

    

かけっこ

スタジアムでは4種類の競争がありました。縦長のトラックに、スタートラインの石が
並んでいましたよね。あの片道が基準で、あとはその往復、つまり競う距離はその
倍数になっていました。短距離は約200ⅿ、そして400ⅿ、中距離の800ⅿと、
長距離で、1400ⅿから4800ⅿのレースがあったのです。



武装でのかけっこ

フル装備してのかけっこもありました。やはり戦争の影響が強いのでしょう。
ヘルメットに脛当てをつけ、重い盾をかかえてスタジアムを往復、もしくは2往復した
のでした。やはり大変すぎたのか、紀元前5世紀には脛当てがはずされ、紀元前
4世紀になってヘルメットがはずされ、最後には盾をかかえての競争になったとか。

   



少年の競技

オリンピック少年の部は、紀元前632年、第37回オリンピックで始まりました。
最初はかけっことレスリングだけで、その後にボクシングが追加されました。
どれだけとうちゃんかあちゃん達がコーフンしたか。

     

古代ギリシャ文明は、哲学や文芸などの知のみならず、女性の美、そしてアスリート
たちの肉体美と、「精神と肉体」の「調和」を重んじたのです。