バスは駐車場に到着し、いよいよ神威岬に徒歩で向かいます。聞くところによると、
先端まで20分ほどかかるとか。帰りに20分なので、写真なんか撮ってたらせいぜい
10分くらいしか余裕がないではないか。はるかここまで来てなあ。。。
さていきなり入り口には「女人禁制」ときたもんだ。バスに同乗していた女性は
当然全く無視して入っていきましたが。
この尾根づたいに行くのです。遠くに灯台が見えますね。「風が強くて怖いよ」と
聞いていたので、ほぼ無風の日を選んでやってきましたが、なかなかの暴風です。
道から落ちたら助からないな、という感じのところを進んで行くのです。
東側。風の音で波の音も聞こえないくらい。
岩をアップに。
だんだん近づいてきたぞ。
水はきれいですが、迫力がありすぎて。
青い。函館も青が映えたけれど、こっちは迫力の青です。
さあて到着です。
岩礁があるから、北前船は離れて回らないといけなかったでしょう。
さあ先端に立っています。その先に立っている岩。聖なる地です。女人禁制!
振り返ると歩いてきた尾根。はるか向こうに雪を冠っているのが余別岳。あと20分
くらいこの景色を堪能していたかったけれど、帰りのバスがありますのでw
これじゃあ道路を整備しないと歩いてはいけませんなあ。
西側の海。
さてあちらに見えるは駐車場。レストハウスは連休には開くのかな?
東京は夏日とか言っているのに、ここはまだ「冬季休業中」。襟裳岬でもそうだった
な。駐車場にトイレがありましたが、そこも「冬季閉鎖中」。松前でもそうだったな。
トイレはシャッターが閉まっていますが、なんと女性のほうはシャッターがこじ
開けられている。怪力を発揮した女がいたのであろう。韓国人のカップルがそちらに
向かい、女性のほうは半分ほど開けられたシャッターをくぐって中に入っていました。
水は出るのか?男性のほうは、閉まっているシャッターを開けようとしたが、動かずに
あきらめていました。おそろしや女の執念!
しかし北海道、一年のうち半年は公衆便所を閉めるって、どうよ?
天気がいい日を選んで、積丹半島へ向かいました。
目的地は積丹半島のはじっこ神威岬。この半島は険しい山が海岸線まで迫っているので
長らく秘境でした。明治時代に北海道を周ったランドーも、ここの道なきエリアを
進むことは断念しています。いまはご覧のとおり、海岸線に沿って道路が開通して
いるのでぐるりと回ることができるのです。
まずは余市を通過。ここは廃線になるという話になっているので、この立派な駅舎は
どうするんだ?
バスは1日に2本! 選択肢もなく朝9時に小樽を出発するのに乗るしかない。
神威岬では乗って行ったバスが折り返すので、1時間しか岬に滞在することは
出来ません。あちらではバス停から岬まで歩いて20分ほどかかるとか。それじゃあ
1時間はあまり余裕がない。しかしその次の「最終」に乗るなら、岬で4時間ほど
いなけりゃならない!
やはりトンネルに次ぐトンネル。険しい崖が海岸まで迫っているので、トンネルを
掘らないと進めないわけです。大変な土木工事だったでしょう。先頭に座って
見ていると、トンネルが3つ並んでいるのを見たりしました。まず人が通れるくらいの
小さいトンネルの跡がある。次に少し山側に車が通れるトンネルが掘られた。そして
さらに内陸部にこのようなトラックも通れる2車線の大きなトンネルが開通している。
この100年くらいで頑張ってきた歴史です。
さて停留所に「群来町」とありますね。ニシンが海を真っ白にするほどやってきた
ところなのでしょう。底引き網漁船が乱獲したもんだから来なくなっちゃったw
あれは天狗岳か。東京は25度の夏日、甲府は30度の真夏日なんてニュースで言って
ましたが、こっちは雪山だぞ。
途中で道は山の中を通って行きます。白樺ですよ。
まだ雪が残っているぞ。
北海道らしい景色を堪能できる道のりです。
片道2時間20分の道のり。途中でトイレ休憩もあるんですよ。
道路とトンネルのない時代は、船で行くしかなかったのです。
またすごい雪山が見えてきたぞ。
あれは余別岳か。その向こうがいよいよ半島の先っちょだ。
長い道のりだった。まもなく神威岬に到着です。
もう4月も半ばを過ぎたというのに、朝起きたら雪だよ!東京は桜もとっくに散り、
25度を超える夏日になる予報も出ているというのに。
満員電車の通勤を強いられていたときは(そして職場ではうんざりする会議の連続で)、
こんな雪には心底うんざりさせられたものだが、のんびりまったりぐうたらな日々を
送っている今はそんなの、かんけーねー!(古い)。テレビでモーニングショーを
見たりする。首相を狙った爆弾騒ぎだの、大谷君だの、特殊詐欺だのをダラダラと
やっている。その番組では最後に出演者がストレッチをすることになっている。
番組が切れる最後にカワユイアナウンサーがちらりと映るんだが、たったの2秒ほど。
玉川さんとか映らなくていいから、女子アナをずっと映せ。なんなら5分くらい
映してほしいぞ。
午前中は部屋でのんびりして、昼飯に外に出て散歩をする。この日は南小樽方面へ。
後日とある酒場で「なんたる市場で歩いてましたよね?」と目撃情報を言われる。
俺もついに小樽での知名度が上がったか (^_-)-☆
人気店の「みかん」に行ってみた。ヒマなので混んでいる12時台は避ける。
評判通り、なかなかの味だった。しかし街中の行列が出来る店、わりと美味くもない
店が多く、逆にわるくない味のところがガラガラだったり。こりゃあネット情報の
仕業ですな。ランキングや評価、口コミなんぞはあまり信じないほうがいいぞ?
部屋でガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んでいます。面白い人物が次々に
出てくるので、腰を据えて読まないと楽しめない大作だが、実に味わい深い作品です。
こういう本をベッドで横になって読んでいると、いつしか眠ってしまう。ダラダラ寝
なので、やたらに夢を見る。夢って、なかなか会いたい人は出てこないし、また
不安や窮地だったりあんまりいい場面じゃないことが多い。それでも亡くなった人が
出てきたり、時間をさかのぼっていたりと楽しいものですなあ。
目が覚めたらもう夕方で暗くなっており、本のページはいくらも進んでいないことに
気づくのであったw 思い出せば学生時代の休みのときがそうだったなあ。。。
スナックのヲヴァ~サンが、「ボトル入れたほうが安いよ」と強く勧めるので、
入れても3500円でした。後日そのボトルを飲んだら、料金をとらないw テーブル
チャージもない店なんですかー( ゚Д゚)
この店、80歳以上限定という感じです。40年以上の歴史がありますが、スタート時の
ままの客層でここまできたか。年寄りが多いと病気(自慢?)の話題になったりする
ものですが、こんときゃ死者の話。なにせ平均寿命を超えた人が多いし、なかには
98歳の人もいるとか。「この半年で6人死んだ」なんて話が出てきたところで、
隣に座った老夫婦が「今日は通夜だった」なんて言い出す。その御夫婦、帰ると
いうので「もうちょっと飲んでいったら」と言われて「明日葬式だから」と応えて
いました。。。でも空気がしんみりしないところがさすがの店!
お決まりのカラオケが始まる。向こうのヲジイサンは楽しく歌うが、伴奏とずれて
歌う。さらに音の高低も違っている。ナイス縦横ずれの熱唱。そこでママさんは
「あのドイツ人もヘタだったな♪」とニヤリ。覚えてやがる^^;
一方で、その奥さんはうまい。
♪噛んだ唇 したたり落ちる 血で書く名前は藤十郎
おんな心を もてあそび 奈落へ落として消えた人
憎いの 憎いの 憎い 恋しい 藤十郎~♪
すごい熱唱だよ!!!
そしてそこでセリフが入る。
ふたつに重ねて 切り刻まれて あの世とやらに堕ちましょう
嬉しい 嬉しい 藤さまのあの世の言葉
思い出しても 耳たぶまで火照って 狂いそうでございます
おんなの真実は 阿修羅の流れのようでございます
幾度この世に生まれてきても 梶はあなたの女でいとうございます
熱っぽく気持ちのこもった長セリフ、思わず拍手をせずにはいられない。
とおじゅううろおぉぉぉぉ~~~♪
さて順番で歌うのだが、その小さいヲヴァ~サンの歌は、常にセリフ入りのやつだ。
忠兵衛、おっ母さんと呼んどくれェ~~~!
またもや長セリフ絶叫入り(^益^)w
「すごいなあ」と言うと、ママさんが「セリフのきょうちゃんって呼ばれてンだァ」
と言ってました。
順番で歌うし、「よそ者」で「お若い人」の注目を浴びている俺も当然「歌え!」と
せかされる。俺もヘタなんだが、「星降る街角」を披露する。イントロが始まると
ヲヴァ~サンたちは立ち上がり、曲に合わせて踊るのであった。ウォンチュー!
夜も更け1組2組と帰り出し、最後にママさんとひとりのヲジ~サンと俺だけが残った。
ヲジ~サンは近所にある次の店に行くという。そしてママさんを誘った。ママさんは
行く気になり、俺も一緒に行こうという。「この店はどうするんですか?」と聞くと
「もう閉めるよ」ときたもんだ。3軒目ですっかり酔ってるにもかかわらず、この
流れでは行くしかあるまいて。「ここのお会計は?」と聞くと、「いいよ!」
だってさ!
その次の店はさらなるカオスだった。。。そちらの常連のおばさまたちと合流し、
強烈な女4人がしょーもない下ネタで盛り上がるのだった。とても内容は話せませんw
さっきのスナックで払ってないので、ここはママさんのぶんも払いましたよ(^益^)b
札幌から小樽に帰る途中、日本海に出たところの小さな町、銭函で電車を降りました。
学生時代に旅好きの友人がここの入場券をお土産にくれたことがありました。縁起が
いいってか?そいつは宮崎県ですでに廃線になっている駅、「妻」の入場券もくれた
ことがあります。まだ20代も前半だった頃、「そんなんほしいか?」と思ったなあ。
駅舎は看板だけ古いものが残っています。ここは高倉健の映画「駅Station」の最初に
出てくる場面に使われました。そんときゃ40年以上も前だから、もんのすごい寂れた
雰囲気の田舎だったが。。。
少し歩くとこんな古い建物がちらほら。でもだいたいは新しい家が並んでいます。
こうやって古い建物を見つけては撮影していると、これを見ている人は「こんな
町並みなのか?」と思っちゃうよね^^;
昼食を食べようと思って、グーグルマップで見つけた喫茶店を探すと、こんな蔵
ですかー! 魚の浮彫が素晴らしいぞ。
一階はカウンター席。「2階もありますよ」と言われたので上がってみたら素敵。
レトロ調になっています。
古いジュークボックスがありました。使える状態になっています。
「ナポリタン」というのもすでにレトロなんだが、ハイカラな感じだぞ。「ハイカラ」
という言葉がもうレトロだがw
珈琲もおいしかったよ^^
さて海岸を散歩。見渡す限り誰もいませんでした。
長い冬は吹雪だったりするのだが、こちらにもようやく春がやってきました。
ずっと向こうには工場や風力発電が見えました。
羊ケ丘展望台に行ってみようと思い、すすきのから地下鉄で終点の福住までやって
きました。ここには札幌ドームがあります。今年は日本ハム球団が北広島に出来た
エスコンフィールドに本拠地を移したので、今年からはここはコンサドーレの
サッカーばかりになるのかな。
雪が溶けた後のほこりっぽい道を歩いて、公園内に入ってきました。公園なのに
600円もとるんだな!
なにやら立派な施設が見えてきました。
おー、あるある。見覚えのあるポーズの像が。
Boys, be amitious! と書いてあるではないか。北海道開拓のエリートたる青年たちを
指導するべく、はるばる米国から高い報酬で頼み込んで来て頂いた博士です。でも
当時英語の授業を受けられる素養を持った青年は少なかったそうです。入学試験の
サンプルが展示されてたけど、簡単だったぞ^^;
パラパラとガイコツ人旅行客がいて、同じポーズをとって写真を撮っていました。
えらくもっさりした羊たちがいました。
ここはすごく広い敷地ですが、公園として開放されている部分はほんの一部です。
クラーク博士に関する展示がある記念館がありました。博士は米国の開拓にかかわった
経験を買われてこちらに招へいされたとか。たしかに適切な人選だったわけだなあ。
しかし西部開拓といえば、ヨーロッパからやってきた移民が原住民をけちらして
「開拓」したことは、原住民から見れば「侵略」なわけで、時代の流れでいたしかた
ない気もするが、農耕民族がいわば暴力で強引に狩猟民族を駆逐したという構図
ですから。それは和人がアイヌ民族を蹂躙した構図と同じでしょう。それで
Ambitious! なんて言われたら、「大志を抱け」と訳すよりも「野望を持て」と
領土拡張の野心と訳す意味にもなってしまいそう。
クラーク博士は熱心なクリスチャンでした。しかも清廉なプロテスタントですから、
仕事熱心で自分自身の利益よりも、公共の利益のほうを重んじるような人でした。
だから米国からわざわざ東洋の僻地にまで来てこういう仕事を引き受けたのでしょう。
「開拓」「文明開化」「効率的な資本主義的経済の運営」などなど。それは善良で
温和、平和な暮らしを長い間細々と続けてきた原住民とは共生できないわけです。
アイヌ民族から見たら、こういう人物はどのように映るのか?
クラーク博士は、農学校の管理を任されたとき、日本の学校の細々とした沢山の
規則を「全部いらない。きちんと自分で考えて正しい行動をとればよい。ただひと言、
Be a gentlman. とだけ言ったそうです。さすが自由の国から来たプロテスタントォ!
自由、自立心、勤勉さ、誠実、正義、フェアプレイ、まさにフランクリンの十三徳を
地でいってるような立派なお方。プラス教養もある。それでも、それでも決定的に
何かが足りないような気がするではないか。いまとなればだけれど。