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北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

北海道ツーリング2014道北道東・初めての一人旅(下)

2015-02-13 23:42:32 | 北海道ツーリング2014道北道東ソロツー
※昨年9月の「北海道ツーリング2014道北道東」のレポートです。かなりの大作なので、3回に分けて掲載しています。北海道の旅への興味と、お時間がおありの方は、もしよろしければ、(上)の季節外れの一面のひまわりや地平線まで伸びるまっすぐの道などから順にお読みいただければ幸いです。

<9月12日>
 この日は温泉街のお祭りらしい。旅館のすぐ前の神社の鳥居を白装束の男たちが行ったり来たりしていた。祭りの準備をしているらしい。
 せっかく阿寒湖にいるのだから、湖の写真も撮っていこうと思い、湖岸の空き地にバイクを止めると、
「今日はお祭りだから、そこにバイクを止めちゃだめ。」
と、法被を着たお年寄りに強い口調で言われた。
「写真を撮ったら、すぐ出ていくから。」
と答え、ほんとうに写真を1枚だけ撮って湖畔を後にした。
 阿寒まで来たら、オンネトーは外せない。
 オンネトーは、R241から少し南に入ったところにある、阿寒富士の麓にあるひっそりとした湖だ。美しいコバルト・ブルーの水がなんとも神秘的な湖で、ここも僕の大好きな場所の一つに数えられる。
 お気に入りの小さな駐車場の「オンネトー」の看板の近くにバイクを止めた。すると、老夫婦と息子さんらしい3人組がやってきて、カメラのシャッターを押してほしいとのこと。僕にも年老いた両親がいて、時々クルマで近場に連れていってあげるようにしている。それだけに、息子さんの気持ちはよく分かる。その後、三脚を出して何枚か自分を入れて写真を撮っていると、1台のレンタカーのマーチがやってきた。降りてきたのは女子大生らしい3人組だった。ここでもまた僕は写真係になってしまった。写真を撮りながら話を聞くと、千葉からやってきた仲良し3人組だそうだ。きっと、大学の4年生だろう。9月に夏休みを楽しめるのは大学生くらいだと思う。採用試験を終えて、ほっと一息ということでの北海道旅行だろうと想像した。僕が担当している4年生のゼミの学生たちの顔が頭に浮かぶ。
 美しいオンネトーで写真係を終えた僕は、再びR241に戻り、西に向かった。ここもまた、標津と同じように大農業地帯だ。とうもろこし畑が延々と続いていた。
 道の駅「足寄湖」でトイレ休憩をとった。オンネトーでは薄曇りの天気だったが、だんだんと青空が広がってきた。いい感じだ。次の目的地はナイタイ高原。最高の景色を拝めそうだ。
 上士幌からナイタイ高原方面へと向かった。いい天気だが、山のてっぺんにだけ雲がかかっている。大平原に青い空、遠くの山には白い雲、まさに絵になる風景だ。
 高原に近づくにつれて、丘の上が白くなっていることが気になってきた。きっと、ナイタイ高原は霧に包まれているのだろう。予想は的中してきた。高原に向かう坂の途中の牧場辺りから霧がかかっていた。その霧は坂を登るにつれて濃くなっていく。ここでは霧だが、きっと下界からは雲なのだろう。
 「あと4㎞」の案内看板のあたりで雨も降り出し、とうとう今日もカッパを着ることになった。今回のツーリングでは、北海道に来てカッパを着なかった日は一度もない。
 霧は、駐車場に入る時にはどこが入り口か分からないほどになっていた。ここが雲の中でなければびっくりするくらいの素敵な風景が広がっているはずだ。ところが、今は真白な世界。どうしてここだけと思いながら、ここに来たら絶対に牛乳を飲まなくてはということで売店に向かって歩いた。大好物のコロッケがあったので、牛乳とコロッケでおやつにした。売店にいたW600の大阪氏は、初めて来たけど何も見えないと残念がっていた。一瞬、霧が薄くなったので写真を撮ったが、あまりきれいには写っていなかった。
 何も見えないナイタイ高原を後にし、4㎞地点を過ぎると、来た時の反対でちゃんと雲から抜け出した。抜け出したところで、一面に広がっている大牧場と、のんびり歩く牛たちの写真を撮り、カッパを脱いで丘を下った。
 ここ上士幌は広大な畑の中を碁盤の目のように直線路が作られている。その直線も、10㎞以上も続いていてその先はまるで雲まで続いているように見える。こんなダイナミックな景色は国内ではおそらく北海道でしか見ることはできないだろう。しかも、今回はそれを何度も見ている。
 道の駅「うりまく」でお昼にした。
「何、オショロコマそばって。」
 店に入ると「オショロコマそば」の文字が目立っていた。店の人に聞いてみると、然別湖のイワナのことを鹿追町では「オショロコマ」と呼ぶそうだ。ナイタイ高原でコロッケを食べているので、お昼はその「オショロコマそば」だけにした。
 名前が変わっているだけで、普通においしいそばだった。そばを食べながら地図を見ていると、鹿追からR38に清水市街を通らずに行けるショートカット・コースを見つけた。
 ショートカット・コースの道道133~道道75は、丘陵地を走る快適な道だった。あまりの気持ちよさに、ちょっと得した気分になれた。
 新得でR38に入り、狩勝峠に向かった。狩勝峠は、20年くらい前に初めて北海道をバイクで走った時の思い出の峠だ。そのときは西から東に向かって走ったが、峠から見た十勝平野に思いっきり感動してしまったことを今でも覚えている。僕にとっては、北海道が大好きになったきっかけの峠とも言える。
 この峠も、ナイタイ高原と同じように雲の中だった。霧で視界は悪かったが、それでも路肩にバイクを止め、十勝平野を眺めてみた。もちろん真っ白な景色で何も見えなかったが、その風景を目に浮かべることはできた。
 峠を下り、南富良野で道道253に入り、麓郷に向かった。ドラマ「北の国から」の大ファンの僕は、富良野に来たら麓郷は外せない。
 麓郷の森の駐車場にバイクを止めた。さあ、五郎の家を見に行こう。そう思った矢先、雨がポツリポツリと落ちてきた。とりあえず傘を持って五郎の家まで歩き、入館券を買った。ところが、入館券を受け取ったところで突然の大雨。急にドバーッという感じで降り出したため、傘も差さずに大急ぎでチケット売り場から最も近い売店に飛び込んだ。
 本格的な雨は一向にやみそうもない。また今日もキャンプは無理か。心の中で、北海道最終日の今日こそ富良野山辺の「太陽の里キャンプ場」でキャンプをしようと思っていただけに、ちょっとつらい雨だった。それでも、そのうちにやむだろうと、傘を差して五郎の家に行き、中を見学した。ドラマのセットがそのまま残された五郎の家は、「ここがほたると純が寝ていた2階の部屋で・・・、それからここが・・・」というようにドラマを反芻しながらキョロキョロしていた。壁にはドラマ・シ-ンの写真が掲げられている。
 五郎の家から外に出るときも、激しい雨は降り続いていた。雨宿りをしようと園内のカフェに入り、「風」の文字の入ったTシャツを自分へのお土産として買い、ブルーベリーソースのソフトクリームを食べた。ついにキャンプをあきらめ、宿泊のできる日帰り温泉施設の「ハイランド富良野」に電話をして予約を入れた。こういうときは、はっきりと記憶している宿泊施設でないと大変なことになるということを紋別の宿探しで学習している。
 空が明るくなってきたので、もうすぐやむだろう。結局、30分程度の大雨だったが、地面はべたべたでどろどろ。やっぱりキャンプは無理だろう。今回のツーリング最後の夜なので、キャンプをあきらめたとは言っても、未練は残る。予定していた5泊のうちに初日の1回しかキャンプをしていないのだから。カッパを着なかった日は1日もなかったので、しかたがないのかもしれない。
 まだ富良野をぶらぶらする時間はあるので、麓郷界隈のドラマに出てきた風景を見ながら宿に向かうことにした。
 道道253は麓郷の丘陵地を回りながら富良野の市街地に降りていく道だ。ドラマで見た風景があちらこちらに見える。
「わっ、この風景、翔太兄さんがほたるのために派手な結婚式をした丘だ。」
「ここを、おんぼろスタウト(小型トラック)で五郎が走ってたんだ。」
 そんなことを思い起こしながら、ゆっくりと風景を楽しみながら坂を下った。
 空は青空なのにまた雨が降り出した。ちょっとでも降り出したらカッパを着るのが賢い選択とは思うが、青空の下ではその気にはなれない。それだけに、ちょっとマズイなあと思いながら走っていた。そろそろカッパを着た方がいいかなあと思って少し広めの路肩を探しているうちに雨はやんだ。なんとか、びしょ濡れにならずに「ハイランド富良野」に着くことができた。
 宿泊費9500円の割にはりっぱなレストランで、ちょっと豪華な夕食メニュー。公共施設なので、格安なのだと思った。今日もまた気持ちのいい温泉のお湯に浸かり、北海道最後の夜を過ごした。
 明日は先日局地的な豪雨に見舞われた苫小牧へ行くが、ニュースで見た苫小牧港への道が心配だ。早めに着けるようなコースを考えながら眠りに就いた。

*本日の走行      294㎞
*本日のピースサイン   12発


<9月13日>
 とうとう北海道ツーリング最後の日になってしまった。午前中の富良野周辺の散策を短めにして、苫小牧港へ行くことにした。時間的には多少足を伸ばしてから苫小牧に向かってもいいが、苫小牧市街の道路状況がよく分からないのだ。
 フェリー持ち込み用の荷物と、そうでない荷物とに分け、少し遅めの9時20分に「ハイランド富良野」を出た。
 まずは、両親や妻に富良野のメロンをお土産に送ろうと、山辺に向かった。山辺にはメロン直売所が立ち並んでいる。
 R38を南に向けて走っていると、「中西農園」の看板を見つけた。昨日の宿に予定していた「太陽の里キャンプ場」で数年前にキャンプをした時に立ち寄った店だ。その時、メロンを宅配で家に送ると、ジャガイモやトウキビをたくさんくださり、いただいたジャガイモとトウキビで晩ご飯を済ませたことがある。キャンプで食べたキタアカリのおいしかったこと。
 バイクを止め、店に入った。すると、メロンを買う前に、店にいたおばあさんが、
「これ、食べな。」
「これ、持ってけ。」
と、店に並べられているメロンやトウキビを指さしてたてつづけに言う。ご自分が育てられた果物や野菜を食べてもらうことを楽しんでおられるような雰囲気だった。
「今、茹でたばかりのトウキビ、食べな。」
と、湯気の立つトウキビを1本僕に差し出した。たった今、朝ご飯を食べたばかりだったが、断りきれずに食べることにした。甘い。ものすごく甘く、本当においしいトウモロコシだ。
「メロン、もう終わっちゃったけど、少し残ってるから食べな。」
 メロンは別腹だ。よく熟れたおいしいメロンも半玉食べた。
「今は、キタアカリがうまいよ。」
 このおばあさんが育てたキタアカリのおいしさは僕もよく知っている。
 もうこれ以上食べられないと思っても、
「もっと食べな。」
とトウキビを勧める中西のおばあさん。
「もうお腹がいっぱいで食べられないですよ。」
 すると、
「じゃあ、持ってって、どこかで食べたら。」
と、茹でたてのトウキビを2本ラップに包んでくれた。僕は、
「じゃあ、これはお昼ご飯にするよ。」
と、タンクバッグに入れた。
 お奨めのキタアカリ1箱を家に送り、
「また、北海道に来た時には寄るからね。」
と、店を出ようとしたら、
「ぜひ、来てくださいね。来た時に店のシャッターが閉まっていたら、私かうちの人のどちらかが死んだと思ってね。」
 そう言って、見送ってくれた。そして、いつまでも手を振り続けてくれた。ご夫婦のどちらかが死ぬまで農園を続けるつもりだと思うと、やっぱりすごいと思った。僕は、今の仕事を何歳まで続けられるかを時々考えている。中西のおばあさんにはいつまでも長生きしてもらいたいものだ。
 再び富良野市街に戻り、ラベンダー畑を見に行くことにした。もちろんとっくにラベンダーの時期は終わっていることは知っている。それでも、「富良野と言えばラベンダーでしょ」ということで行ってみることにしたのだ。
 行き先は「彩香の里」。四季折々の花が育てられている富田ファームが有名だが、あまりにも観光化されているので好きではなくなってしまった。
 「彩香の里」は、市街地の西側の丘にある。案内看板に従って進めば間違うことはない。駐車場には、キャンピングカーが1台とワンボックスワゴン車が1台。たったそれだけだった。ラベンダーはなくても、ラベンダー・ソフトクリームはあるはずだ。売店にいた店員は一人。一人で、お土産もアイスも何もかもやっているようだ。ソフトクリームがあるのを確かめて、ラベンダー畑へと歩いた。少し離れた花畑には色とりどりの花が咲いていたが、すぐ前のラベンダー畑には花も葉もない低木だけが見渡す限り並んでいる。想像どおりの景色だ。ちょうど数人の人たちがせっせと畑の世話をしていた。
 9月の富良野は少し肌寒かった。それでも僕は売店に行ってラベンダー・ソフトクリームを買い、冷たいソフトクリームを食べながら何もないラベンダー畑を眺めた。季節外れでも、富良野と言えば五郎の家とラベンダーなのだ。
 これで、今回の富良野のぶらぶら歩きは終わりだ。寂しいけれど苫小牧に戻らなければならない。道道135富良野美唄線で西に向かい、R452で夕張に出るコースを選んだ。
 数年前に走ったR452は、自然の森や川のせせらぎを感じながら中高速コーナーを走るローカルな国道で、この道も僕の好きな道の一つだ。よくキタキツネにも出会うのどかな国道だが、雑誌などに紹介されてないせいか交通量はほとんど無いに等しい。ほとんど自分だけのパーソナル・ロード状態の道のようになる。
 何もない道なので、R452に入ってすぐの三段滝の駐車場でトイレ休憩を済ませ、一応写真だけ撮ってすぐに走り出した。この滝は川底の岩が段状に削れているために小さな滝のようになっているだけで、めずらしいかもしれないが迫力はない。
 次に向かったのが桂沢湖。ダム湖にかかった橋からは美しい景色が見られるが、なぜかパーキングからは藪が邪魔になって見られない。極端に交通量の少ないR452は、ここ桂沢で三笠方面へと向かう道道116と分岐するため、さらに交通量は減る。ほとんど何も走っていない道になる。だからパーソナル・ロード気分になれる。
 パーキングで、中西農園のおばあさんにいただいたトウキビ2本と、あらかじめ買っておいた缶コーヒーで昼食にする。茹でたてのトウキビは冷めてしまったが、それでもやっぱりうまい。食後の缶コーヒーを飲んで、R452ナチュラル・パーソナルロードへと飛び出した。その間、通ったクルマは1台もなかった。もちろんバイクも0台だ。
 おいしいトウキビでお腹を満たした僕は、森の中のコーナーが連続するワインディングを気持ちよく走るつもりだったが、イメージとは全く異なるまるで高速道路のようなバイパス道路を走っている。
「あれえ、ヘンだなあ。道、間違えた?」
 そんなはずはない。R452の標識も出てるし、第一、間違えるほど多くの道はない。何も走っていない自然に満ちた素敵な国道を、無駄に新しい道に作り替えたのだ。やたらと新しい橋が出現する。それも、次から次へと。その一つ一つに名前がつけられていて、笑えてくる。「桂春橋」「桂夏橋」「桂秋橋」と続いているのだ。ばかばかしくなるくらいおかしい。僕は、夕張川の蛇行に沿って走る自然に包まれたR452が好きだった。ところが、今は高架のバイパス道路で、川の蛇行を無視して直線にしたためヘンな名前の新しい橋だらけの立派な道路だ。
 R452には、僕が楽しみにしていた風景がある。シューパロ湖にかかる大夕張ダムの手前の風景だ。古びた鉄橋が遠くに映り、ノスタルジックな景色が広がっている。ところが、高架になったバイパスはシューパロ湖さえも素通りし、ダムの麓の集落で旧国道に合流する。ほとんどクルマは走ってないのになぜバイパス状の道路を作ったのかナゾにしか思えなかった。
 旧道に合流した所に、古い列車が展示保存されていた。駐車場は水たまりだらけのダートだったが、先頭の古いラッセル車が見えたとたん、水たまりを突っ切って寄り道をした。新しい道のおかげで、時間にはずいぶん余裕ができた。展示されていたのは、夕張炭鉱が栄えていた頃の国鉄夕張線の車両だった。その近くには当時のバスも保存されていた。バス・フェチの僕は、ボンネット型からキャブオーバー型になったばかりの頃の三菱ふそうのバスだと分かった。僕が子どもの頃、豊田市駅周辺を走っていた名鉄バスの多くがこの型だったことを思い出した。バスから再び電車に戻り、先頭車両のラッセル車を間近に見た。温暖な愛知県で生まれ育った僕は、ラッセル車を生で見るのは初めてだ。旅の最後の最後に、ちょっとした感動を味わった。
 夕張からはR274で追分から苫小牧に抜けるのがフェリーの出る苫小牧港へ行く最短の経路だが、少し遠回りをすればトリップ・メーターが2000㎞を超えそうな微妙な距離になっている。旅の始まりに走った道央道を走れば、1990㎞くらいになる。そうすれば、名古屋港から豊田まで40㎞くらいはあるので、2000㎞を達成できる。しかも、夕張からの高速道路にも僕のお気に入りの風景があるのだ。それは、千歳東ICから千歳JCTの間の広々とした大平野の景色だ。濃尾平野の端に住んでいても、濃尾平野を見ることなど絶対にできない。しかし、ここでは確かにそこが石狩平野の東の端だということが目で見て分かる。それだけで、僕にとってはすごい所なのだ。
 R274との交差点のセイコーマートで晩ご飯のパック寿司を買った。フェリーの夕食は2000円もして高い。今夜は、パックの寿司と山辺でいただいたトウキビがあれば十分だ。そうして、夕張ICから千歳方面に向けて高速道路に入った。
 高速道路に入ったのはいいが、ペースが速すぎる。僕はゆったりと風景を眺めたいのだが、「高速道路だから速く走らなければ損」みたいな雰囲気で誰もが走っている。流れに乗って走ってはいるものの、こんなに飛ばしていいのかと思う速さだ。速いとそれだけ早く旅が終わってしまう。大好きな石狩平野の風景も堪能することができない。かと行って、流れを乱すこともできず、あっという間に千歳JCTまで来てしまった。
 苫小牧の手前の美沢PAで最後の休憩をとった。妻に、もうすぐフェリー・ターミナルに着くことを連絡すると、なんとなく僕の無事にほっとしているような声が聞こえた。
 苫小牧東ICを出てフェリー・ターミナルに着いたのは午後4時少し前。大洗行きと仙台行きのバイクは多いが、名古屋行きは僕が2台目だった。手続きを終え、ターミナル・ビルの2階でコーヒーを飲んでいると、少しずつ少しずつバイクが増えてきた。それでも、名古屋行きは7、8台しかいない。
 乗船が17時30分とのことだったので、5時にバイクの所に戻った。一人のおじさんがやたらと人に話しかけていたが、ほとんどのライダーは静かに乗船指示があるのを待っていた。
 先発の大洗行きのフェリーの乗船が終わり、残されたバイクは仙台行きと名古屋行きの4、50台になった。待っている間、ずっと響き渡っていた「上のデッキ、上のデッキ」のアナウンスが耳から離れなくなっていた。そして、予定どおり17時30分に乗船の指示があった。
 バイクを車両甲板に置くと、着替えなどのお泊まりセットだけを持って予約しておいたS寝台に向かった。
「あれっ、これがS寝台?」
 大部屋のベッドにテレビがあるだけ。新日本海フェリーのツーリストSのように個室になっているかと思っていたが、これでは丸2日間くつろげない。翌日には仕事が待っている。まいったなあと思っていたら、特別客室に空きがあるとのアナウンスがあった。以前、妻と利用したことのあるツインルームだ。確か、一等客室が内側で、特別客室が海側のいい雰囲気の部屋だったように記憶している。
 ツイン・ルームを一人で利用できるのかインフォメーションに行って尋ねると、変更可能だと言う。迷わず差額を払って個室に移ることにした。
 やっぱり個室はいい。パンツ1枚になってリラックスして過ごせる。
 出航前に風呂に入っておこうと思い、大風呂に行くと案外たくさんの人が入っていた。作戦失敗だ。行水ですませ、部屋に戻って寿司のパックとトウキビで夕食にした。
 19時00分の出航を、デッキから見つめた。だんだん港が遠ざかっていく。なんとも寂しいものだ。その後は、BSテレビで寅さんをみていたが、次の番組が始まったあたりで寝てしまった。
 元気なまま旅を終わらせられると思っていたが、実はやっぱり体は疲れていたのだと思う。ゆったりした個室で、ホテルと同じベッドでしっかりと旅の疲れを癒そうと思った。

*本日の走行      214㎞
*本日のピースサイン   56発


<9月14日>
 今日は、明後日からの仕事に備えてフェリーの中でひたすら体を休める日だ。僕は、太平洋フェリーに乗ったときの朝食はカフェのモーニングセットと決めている。720円でサラダやヨーグルト、コーヒーまで付いているのだから、レストランの朝食よりずっと割安だと思う。8時00分オープンだが、8時に行くと並ばなければならないので10分前にはテーブルを確保するようにしている。そして、5分前にカウンターに並べばたいていは1番だ。結局、同じ事を考えた人がいたため、僕は4番札で待つことになったが、まったく問題はない。1番から4番はそれほど待ち時間は変わらない。8時ちょうどに来た人は10番札を持ち、僕が食べ終わってもまだ並んでいた。この5分前作戦はみごと成功した。
 10時00分に仙台港に着くので、船は陸地に近づき、スマホが使えるようになった。次の作戦は、仙台で下船する人も仙台から乗る人もいない10時に風呂に入ることだ。それまで、メールや電話で家族や知人に元気で帰路に就いていることを知らせた。
 10時00分、フェリーは仙台港に着岸した。急いで風呂に行くと、「12:00から」の表示が。昼のカフェは12時30分からだ。そこで、作戦変更。12時に風呂に行き、12時25分にカフェに行けば、すべてすんなりといくはずだ。
 部屋でごろごろしながらテレビを観てお昼になるのを待った。そして12時。風呂に行ったら3人しかいなかった。気持ちよく湯船に浸かり、計画どおりその足でカフェに行った。12時にオープンしたレストランは「只今、満席です」の放送があったが、12時25分にカフェに行った僕は、きっちり1番札を手に入れた。カレーライスとたまごスープで660円。しかもカレーは想像してたよりもずっとおいしく、夜もカレーにしようかなあと思ったほどだった。
 昼食を終え、13時30分からラウンジで映画を観て過ごした。「はじまりのとき」という邦画で、映画監督木下恵介のデビュー当時の実話を映画化したものだった。母と息子(恵介)との情愛が色濃く表現され、映画が終わったらすぐに、僕が元気に帰路に就いていることを母に伝えようと思った。結局、海を航行中だったため電波が届かず、母の顔を頭に浮かべるだけしかできなかった。
 それからは、外のデッキに出てみたり、売店に行ったり、部屋で見るともなくテレビを見たり、暇で退屈な時間を過ごしていた。こういう過ごし方こそ、体を休めるのにはいいことなのだ。
 次は晩ご飯の作戦だ。レストランは18時00分に、カフェは19時00分にオープンする。レストランはバイキング方式でステーキやらお寿司やらおいしいものがたくさん食べられるが、2000円は高い。なんだかもったいない気がする。そこで、18時からNHKのBSで「軍師勘兵衛」を観て、19時10分前にカフェに行く作戦に出た。
 ツアーの団体客が乗船していたせいか、18時20分には「レストランは只今満席です」の放送が入った。テレビを観ながら「カフェもちょっとヤバいかも」と思った。それでも、オープン10分前に行って待っていたら、またもや1番札。おいしいカレーをもう一度食べようと思っていたが、やっぱり昼も夜も同じというのはヘンだと思い直し、月見そばとおにぎりにした。これも、思ったよりずっとおいしかった。本当のところ、高い差額を払ってツインルームを独り占めという贅沢をしているので、あまりお金を使いたくないという思いもあった。
 食後はラウンジでピアノとエレクトーンのコンサートがあったので行ってきたが、つまらなかったので10分くらいで抜け出した。
 部屋の戻ってスマホを見ると、電波がつながっていた。スーパーカブ仲間のT君に電話をすると、彼は北海道には行けないから矢作川の源流まで走り、そのまま作手(新城市)と茶臼山(愛知県豊根村)まで行ってきたと言う。スーパーカブで三河高原を走り回るのは、大型バイクで北海道を走り回るのに匹敵するくらい楽しいことかもしれない。自動二輪の免許を持たない彼は、
「カブで北海道を走れるかなあ。」
と言っていたので、
「北海道をカブでツーリングしている人を何人も見かけたよ。」
と話すと、
「定年になったら、いっしょに走ろう。」
と言っていた。定年は近いが、僕は北海道をカブで走るのは怖い。
 電波が途絶えたので、ぶらぶらと風呂へ行き、ゆっくりとお湯に浸かった。バス・トイレ付きの部屋だが、やっぱり広い方が気持ちがいいし、癒やされる気がする。
 フェリーで1日過ごすというのは、だいたいこんな感じだ。風呂上がりにコーヒーを飲みながら、今日1日を振り返り、メモ帳に鉛筆を走らせた。翌日の10時には名古屋港に着く。それにしても、往路のフェリーでは同乗のライダーたちと話をしながら北に向かったが、帰りは誰とも話をしていない。元々、僕は友達づくりが下手なのだと思う。

*本日の走行        0㎞
*本日のピースサイン    0発


<9月15日>
 今日も、昨日と同じように5分前作戦でモーニング・セットを食べた。部屋に戻って下船の準備をしたが、なぜか落ち着かない。外は、北海道ではほとんど見ることができなかった青空が広がっている。Gパンにブーツ、インナーを外して夏仕様にしたブルゾンを羽織り、下船案内の放送を待っていた。両側に陸が見えるので伊勢湾もかなり奥まで入ってきていることが分かる。
 9時10分、下船の案内があった。早い。9時30分くらいと思っていたが、「伊勢湾ランチ・クルーズ」にこのフェリーを使うため、早く入港するということをすっかり忘れていた。
 指示に従って車両甲板に行くと、20台ほどのバイクの横には大型トレーラーの荷台部分が並べられていた。目の前でトラックと連結する。これはダイナミックな光景が見られると思ったが、案外あっけなく連結できるもので、トラックがバックしてきて「カチッ」と音がしたと思ったら、ドライバーが連結部分を確認してさっさと出ていった。あまりの簡単さに拍子抜けしたが、それでもすごいものを見たと思えた。
 予定より30分早い9時30分には下船できた。心配だった伊勢湾岸名港中央ICまでの産業道路も迷うことなく走ることができた。高速に乗ってしまえば30分あまりで豊田松平ICに着く。伊勢湾岸道で、先に出た浜松ナンバー氏に追いついた。手を上げて挨拶をしながら追い抜くと、ミラー超しに手を振っているのが見えた。しばらくすると、フェリーで見かけたBMW氏が僕を抜いていった。ここでも、ピースサインで挨拶を交わす。船内では言葉を交わすことはなかったが、ライダー同士のつながりはあるものだ。
 不思議なことに、暑くない。名古屋港に着いてすぐに、愛知の気温に体が順応しているのだ。人間の体の神秘さに感心しているうちに豊田松平ICに着いた。インターを出れば家までは5分ほどだ。
 家に着くと、バイクの音を聞きつけて妻が出てきた。ヘルメットをしたまま、ハイタッチで「ただいま」の挨拶。
「すごい早いじゃん。」
 時刻はまだ10時30分を回ったばかりだ。妻にはフェリーが早く着くことを言ってなかったので、びっくりさせてしまった。
 荷物を下ろし、エアコンの効いた居間に入ると、一言、
「アイスコーヒー。」
「今すぐ、コーヒーを作れって?」
 特別な時間から日常の時間に戻った。

*本日の走行       45㎞
*本日のピースサイン    5発


 初めての大冒険はあっという間に終わってしまったような気がする。天候には恵まれなかったが、記録的集中豪雨の報道映像にあったような猛烈な雨に遭うこともなくソロツーリングを続けることができたのは幸いだったと思う。できることなら、あと1回くらいはキャンプをしたかったが、それでも天気が良くても悪くても楽しいのが北の大地北海道の旅だ。
 毎年のように妻と2人、2台のバイクで北海道を走っているが、心のどこかで「男なら一人で走ってみろ!」という声が聞こえていたような気がしていた。こうして、北海道ソロツーリングの醍醐味、楽しさを十分味わうことができたが、僕が遊んでいる間もがんばって仕事をしている妻に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちが入り混じった思いを感じていた。来年は、うまく休みを合わせてまた2人で北の大地を走りたいと思う。


*ツーリング期間  2014年9月6日(土)~15日(日)
*使用車種   カワサキZRX1200ダエグ
*総走行距離           2034㎞
*総ピースサイン数         191発
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北海道ツーリング2014道北道東・初めての一人旅(中)

2015-02-05 23:26:17 | 北海道ツーリング2014道北道東ソロツー
※昨年9月の「北海道ツーリング2014道北道東」のレポートです。かなりの大作なので、3回に分けて掲載します。もしよろしければ、前回の(上)からお読みいただければ幸いです。

<9月10日>
紋別セントラルの朝食バイキング(1000円)はおいしいものがたくさんあって、朝から食べ過ぎてしまった。特にジャガイモの「キタアカリ」とトウキビ(トウモロコシ)のせいろ蒸しは最高だ。
 9時にホテルを出て、近くのカニのはさみの巨大モニュメントを見に行った。
「なんじゃ、コレ。」
 たしかに、おもしろい。カニの町の象徴として作られたと思うが、よく思いついたものだ。
 今日の天気は、予報では曇り時々雨。道南は大雨の予報になっていたが、道東は大丈夫そうだ。それでも、いつでもカッパが出せるようにして次の目的地サロマ湖に向かった。そこで思いついた今日のテーマは「道東の湖巡り」だ。
 大農業地帯と思えるような見渡す限りの農地の間を南に進む。
 左手にサロマ湖が見えるようになった。ほとんど海みたいなものだが、雰囲気はやっぱりオホーツク沿いの湖。やたら広いがひっそりしていてすごく穏やかだ。
道の駅「サロマ湖」で駐車場に入らず、坂を登ってホテルの駐車場にバイクを止めさせてもらった。わずかな高台だが、海のように見えていたサロマ湖がここからだとちゃんと湖に見える。ホテル関係者でも宿泊客でもないので、ちょっと眺めて写真を撮り、すぐに下の道の駅の駐車場に移動した。
 トイレから戻ると、隣に止まった神戸ナンバーのブガッティ氏が、
「キムアネップから見るサロマ湖がすごくきれいですよ。」
と、教えてくれた。それなら、と言うことで、キムアネップに行ってみることにした。
 相変わらず海と見間違えそうなサロマ湖畔のR238を走ると、「キムアネップ」の案内標識があった。標識に従って左折し、狭い道を東に向かった。
 キムアネップ岬の駐車場に着くと、「サンゴ草の生息地」という看板が目についた。見てみると、赤い絨毯のような湿原が広がっていた。咲き終わり頃のハマナスの赤い花、プチ・トマトのようなハマナスの赤い実、そしてサンゴ草の赤。オホーツク沿岸の白色ばかりの世界を走っていた僕には、すごく鮮やかで新鮮に映った。
 2つ目の湖は能取湖だ。ちょうどR238は能取湖の周遊道路のようになっていて、こうして走っているだけで訪れたことになる。
 続いて3つ目の網走湖。これまでの2つの湖とは違い、海から離れている。まわりの緑に合わせて水の色も緑色だが、天気が悪いため、くすんだような緑色だった。今回は、前回見た美しい青い湖は見られなかった。それでも、網走市街からR39に入り、呼人浦辺りからの景色は美しい自然に包まれたとても素敵な景色だった。
 素敵な景色と言えば、呼人浦のすぐ先にあるメルヘンの丘だ。僕のお気に入りポイントの一つで、道東に来たら絶対に外せないポイントになっている。広い畑に木が並んでいるだけの景色だが、なんともほんわりとした優しい景色がそこにあるような気がしてならない。
 天気が悪く、空の色が白一色だった。それで、一列に並んだ木がくっきりとシルエットのように見え、とても幻想的な景色になっていた。
 時刻は11時50分。メルヘンの丘の少し先にある道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」でしじみラーメンを食べることにした。以前のツーリングで食べた網走湖のしじみは大きめでとてもおいしかった。
 道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」の駐車場にバイクを止め、中に入ると、なんと運の悪いことにラーメン・コーナーだけ臨時休業の札が掛かっていた。他に北海道らしい食べ物はないかとぶらぶらしていたが、「さくらぶた丼」くらいしか見当たらない。ぶた丼はあまり好きではないが、ほかの普通のメニューよりはいい。
 さくらぶた丼でお腹はいっぱいになった。付いていたしじみの味噌汁がうまかった。
 外に出ると、また雨が降り出していた。カッパを着てR39バイパスとR39で美幌に向かった。今日4つ目の湖はクッチャロ湖だ。クッチャロ湖は美幌峠から眺めるのが最も美しいと思う。美幌でR243に入り、峠へと向かう。内地の峠道と違い、緩やかな傾斜のほぼまっすぐな登り坂で、雄大な景色の中を自分の一番気持ちいい速さで走り続けられる道だ。9月に入って、観光客もめっきり減り、広大な景色がまるで自分のためにあるような気分になってくる。峠に近づくと、辺りは西洋の高原の雰囲気の景色に変わる。その雰囲気を楽しむためのパーキングがないことがとても残念だが、雰囲気を味わいながら走るのもいいものだ。
 美幌峠の駐車場にバイクを止め、まずは揚げいもを購入。JAF会員は300円の揚げいもが250円になる。わずか50円だが、すごく得した気分になる。
 坂道を少し歩くと、眼下にクッチャロ湖。見えた瞬間、やっぱり、
「わあ~。」
と、声が出てしまった。きれいすぎるのだ。湖を見下ろせる岩に腰掛け、揚げいもを食べながらクッチャロ湖を眺める。僕にとっては大好きなひとときだ。この3日間、大好きなことをいっぱいしている。
 駐車場に戻ると、昨日のグロム125の大分氏が、僕のバイクの隣にバイクを止めて待っていた。僕と同じように美幌からこの峠に登ってきたそうだ。僕のバイクを見つけて、待っていてくれたのだった。彼にとっては、初めての北海道ツーリングだ。素敵な兵庫の友達とも出会い、いい思い出がどんどん増えていっているようだった。
「いっしょに写真、撮りませんか。」
 彼の言葉に、いつも持ち歩いている小型の三脚を取り出し、それぞれのカメラでグロムとダエグをバックに写真を撮った。僕は何度も北海道ツーリングをしているが、ツーリング先で出会った人といっしょに写真を撮るのは何年ぶりだろう。これも、ソロツーリングだからこその経験かもしれない。夫婦で走っていると、あまり声をかけられることもないのだ。
 宗谷岬で出会ったエストレアの奈良氏、グロムの大分氏、そして昨日の兵庫加東氏と、ソロで走っていると素敵なライダーたちとの出会いがあり、寂しい旅になりそうなどという不安はいつの間にか消えていた。
 美幌峠を後にした僕は、今日最後の5つ目の湖の摩周湖を目指した。これまでのツーリングはお盆の時期だったのでいつも混雑を避けて裏摩周からの展望を楽しんでいた。今日は9月の平日。観光バスも少なそうなので正攻法で第1、第3展望台から眺めてみようと思った。
 弟子屈市街から入る摩周に向かう道道52は初めて走る道だ。そういえば、今回のツーリングで初めて走る道を走るのは初めてだ。なんだかヘンな言い方だが、毎年北海道を走っていると主要道路や観光地の道路はほとんど走破してしまっている。だから、僕の「北海道ツーリング」は「思い出の道」を走るツーリングになっていた。道道52はしだいにぐんぐん登って行く坂道になっていった。摩周湖第1駐車場の看板を見つけた。かなり狭い駐車場だ。これでは観光シーズンに大混雑するのは当たり前。ここに観光バスが何台も入ってくるのだから、やっぱりこれまでお盆の時期に来たときに裏摩周へ行ったのは正解だったとつくどく感じた。
 駐車料金100円を払って階段を上がると、ここでも、
「わあっ。」
と、声が出そうになった。雨は小康状態で傘は必要なかったが、天気は悪い。そのせいかかすかに周囲に霧がかかっていたが、密やかにたたずむ摩周湖のイメージそのものの風景になっていた。よく、霧で湖が見えないと言われているが、僕はこれで4連勝だ。4回来て、霧で湖が見えなかったことは一度もない。今日のような悪天候でもちゃんと見えたというのは、かなり運がいいと思う。
 第3展望台に向かう途中、遠く左側に見える硫黄山の白い山肌が妙に美しかった。どこかでバイクを止めて写真を撮ろうとしたら、急に霧の中に突入した。これが有名な「霧の摩周湖」なのだと思っているうちに第3展望台にさしかかった。もちろんパスした。すぐ先が見えないのに摩周湖が見えるわけがない。
 坂を下る途中に霧の晴れ間があったので、ちょっと路肩が広くなっていた所でバイクを止め、硫黄山の遠景の写真を撮った。
 急カーブの連続する坂道を下り、R391に入った。すぐに川湯方面に左折すると、摩周湖から美しく見えた硫黄山に着く。近くで見ると大迫力だ。遠くから白く見えた山肌からは硫黄臭の水蒸気が立ちのぼっている。摩周湖の駐車場と共通チケットなので、半券を係のおじさんに渡してバイクを止めた。
 いつの間にか、雨は上がっていた。水蒸気の近くまで歩くと、白い岩肌が部分的に黄色くなっていて、そこからもうもうと濃い硫黄のにおいのする水蒸気が吹き出ている。
「地球は生きている。」
 まさにそれが実感できる場所だ。その先にも、無数に湯気が立ちのぼり、とても壮観な風景だ。
 ここに来たら絶対に食べなくてはならないのがゆで卵だ。硫黄の湯気で茹でた卵の殻は黒っぽい色になり、食べると黄身が濃い味になっているような気がするのだ。もちろん今回も売店に行き、1袋5個入りを買った。400円は安いとは思うが、この5つをどこで食べようかとちょっとだけ悩んでしまった。とりあえず駐車場で1個を頬張った。やっぱりうまい。
 今日の目的地は5つの湖と硫黄山ですべて終了だ。今夜の宿は、知床ウトロの民宿旅館「酋長の家」に決めている。道東に来た時は必ず泊まるお気に入りの宿だ。初めて訪れたのは30年くらい前のこと。数年に1度しか行くことはないが、女将さんはずっと僕たち夫婦のことを覚えてくれている。しかも、本物のアイヌの元酋長の奥さんで、毎回アイヌの話をいっぱいしてくれる。
 時間に余裕があれば藻琴山展望台からもう一度クッチャロ湖を眺めてみたかったが、時計の針はもうすぐ4時をさしていた。このまま一気にウトロに向かうことにした。
 小清水と斜里との間のR344の直線は圧巻だ。林の間を10㎞近くも一直線に伸びている。しかも、アップダウンを繰り返すからよけいにおもしろい。下り坂の終わり頃に加速して、そのまま一気に上る。そんなイメージの道だ。もちろん、そんなことはせずに、一定の速度で上ったり下ったりするが、それがおもしろくてたまらなかった。
 R334は斜里から東へ知床半島方面へと向きを変える。半島の北側の根元辺りの国道は、いくつかの集落を畑と林でつないでいる。それを通り過ぎると、左手にオホーツク海が見えるようになる。昨日は白い波の荒々しいオホーツクしか見ていなかったが、今はおだやかな海になっていた。
 17時30分頃、「酋長の家」に到着。出迎えてくれた宿の人たちの中に女将さんの姿はなかった。
 まずは温泉。熱いが気持ちのいいお湯だ。そして、夕食では毛がになどの知床の海の幸を楽しみ、部屋に戻ってくつろいだ。そのうちにいつの間にか眠ってしまい、目を覚ました11時過ぎにもう一度温泉に入り、床に就いた。一日中バイクで走ると、本当によく眠れるものだ。

*本日の走行      313㎞
*本日のピースサイン   22発


<9月11日>
 朝のニュースで、道内各地で記録的豪雨による大きな被害が出ていることを知った。特に白老や苫小牧の被害は大きかったようだ。帰りのフェリー乗り場までの道路は大丈夫なのか心配になった。幸いなことに、今朝のウトロは青空が広がっていた。それでも、天気予報では曇りのち雨。晴れているうちに知床峠に行かなくはいけないと思った。
 「酋長の家」は、これまでに何度も訪れているが、女将さんの姿が見られなかったのは初めてのこと。出発前にご主人と話をしていると、奥さんが体調を崩されて入院しているとのことだった。お年を召されておられるだけに心配になった。元気になって、またアイヌの話を聞かせてほしいものだ。
 9時にウトロを出て、知床横断道路で知床峠を目指した。やっぱり青空はいい。最高の雰囲気でワインディングを駆け上る。くっきりと見える羅臼岳が美しい。ただ、峠の方向に薄雲がかかっているのが気に掛かる。それでも、峠を登り切るまではいい天気の中で走り続けることができた。
 峠の碑の前にバイクを止め、写真を撮った。しかし、峠から見る景色は、羅臼岳も国後も白く霞んでいた。碑の前に戻ると、品川ナンバーのBMWが入ってきた。言葉遣いがとても丁寧で、礼儀正しい人だ。しばらく品川氏とツーリング談義を交わした後、羅臼方面へと峠を下った。羅臼側の峠道はコーナーが続く下り坂。時折うっすらと霧がかかっていたので、慎重にバイクを走らせた。
 それにしても寒い。陽が照っているのに寒い。きっと高度のせいだと思い、麓に降りれば寒くはないだろうと思っていたが、高度が下がってもやっぱり寒い。9月の道東は、もう秋なのだ。
 羅臼では、まだ行ったことのなかった「北の国から」の純の番屋に行ってみることにした。そこは、小さな、それでいてちょっとおしゃれな食堂になっていた。建物の前で写真だけ撮って、R335で標津方面へとバイクを進めた。
 野付半島に行ってみたかった。おそらく野付半島にしか見られない両側が海になっている道の風景を、また見たくなったのだ。
 今日の目的は、地平線の見える3つの丘(開陽台、多和平、900草原牧場)を制覇することだ。その前に、大好きな知床峠と野付半島を見ておこうと、なんとも贅沢な計画を立てていた。
 R335を走ると、ドライブイン風の「国後がもっとも近くに見える店」で休憩していたが、閉店していた。今まで、お盆の時期でもお客さんがいっぱい入って繁盛してたことは記憶にない。しかたがないので、トイレ休憩を取らずに野付半島に行くことにした。それにしても、やっぱり寒い。15㎞くらい海に突き出ている細い半島は、さえぎるものが何もないのでよけいに寒く感じる。ひたすら野付湾とオホーツク海の間をただただ走る。そうして、バイクで行ける先っぽのパーキングにバイクを止めた。トイレ休憩を取らずに走った上にこの寒さだ。バイクを止めるとすぐにトイレに・・・と思ったが、トイレらしい建物がない。あるのはタンク・ローリーのタンクだけ。まいったなあと思いながら大きなタンクに近づくと、扉が2つ付いている。
「ん?なんだ、これ。」
「トイレじゃん!」
 駐車場に置かれてあったタンク・ローリーのタンクがトイレになっていた。2つの扉は、男子トイレと女子トイレの扉だった。用を足している時は、おもしろくてたまらなかった。タンクのトイレと岬の灯台の写真を撮って半島道路を引き返した。
 標津からR244を7~8㎞ほど走ったところで左折し、道道975に入った。しばらくすると、森の中のアップダウンを繰り返す直線道路になる。これまで地平線までまっすぐ伸びる道を何度も走っているが、北海道の直線道路はどこも美しい。だから、北海道はただ走っているだけでも感動の連続になる。
 一つ目の地平線の見える丘は開陽台だ。もっともメジャーな「地球が丸く見える丘」なのだが、季節外れのためか観光バスは1台もいなかった。ライダーに人気の丘だが、バイクも6~7台だけだった。そのほとんどが、僕と同じカワサキのバイクだ。なんだかうれしくなる。隣に止まっていたW400氏と雨情報を交換し、三脚を持って丘の上に登った。
 ちょうどお昼だったので、ここで昼食にしようと思ったが、喫茶コーナーしかなかった。そこで、ホットドッグ1本といももち1つを食べたが、お腹いっぱいにはならなかった。どこかで何か食べればいいと思い、雲のかかった地平線の写真を撮って丘を下った。
 開陽台を出て、再び麓の道道を走ると、景色は森から一変して大農業地帯になった。前後左右どこを見ても畑、畑、畑。その中に直線の道が直角に交わいながらいくつもいくつもある。同じような道ばかりなので、間違えないように地図で道道150、道道885を確かめながらR243との交差点を目指した。ところが、道道885が工事のため通行止めになっていた。迂回路が示されていたが、道道505を南に10㎞、道道13で東に8㎞となっていた。迂回コースの距離も半端ではない。その迂回路を走っていると、「斜里まで40㎞」の標識があった。
「この先ずっと行くと斜里・・・。まずいかも。」
 そう思っているとちゃんと「摩周・中標津線」という標識もあった。よかったと思ったものの、また斜里方面の標識。
「ひょっとして、逆に向かって走っているのでは。」
と、不安がよぎった。地図では間違ってはいないはずだが、斜里に向かっているとしたら大変なことになる。今朝出発したのが斜里町ウトロなのだから「ふりだしに戻る」になってしまう。
「このまま斜里に出たら、シャリにならないなあ。」
と、ヘルメットの中でつぶやいた自分に笑ってしまった。
 たぶんこの道、と地図を見ながらいくつかのまっすぐに伸びる道を走ると、無事にR243に出ることができた。地図を読むことには多少の自信はあるが、この時ばかりは不安が頭をもたげていた。
 胸をなで下ろし、R243を西に向かった。そして、次の目的地の「多和平」へ行く道道1040へとバイクを進めた。
 多和平への道は道道を外れても案内標識がしっかりしていて、とても分かりやすい。
 これで、地平線の見える丘の2つ目をゲット。羊の写真と、地平線の写真を撮って駐車場に戻ると、GB500TTに乗るおじさんがいた。この人も言葉遣いが丁寧で礼儀正しい人だった。なんでも、28年前に買ったGBを大事に大事に乗り続けているそうだ。
 相変わらず寒い。防寒のためカッパを着て多和平を出た。青空がいつの間にか曇り空になり、日が当たらなくなって寒さが増してきたのだ。
 再びR243に戻り、弟子屈市街に入った。次の目的地「900草原牧場」は、地図で見ても分かりづらい。一度行ったことはあるが、どこをどう走ったのか、よく覚えていない。案の定、摩周駅周辺の道路をうろうろするはめになった。それでも、うろうろしているうちにR53に出て、小さな「900草原」の看板も見つけた。見つけたものの、やっぱりよく分からず、今回もまたどこをどう走ったのか分からないまま狭い道を通ってなんとか900草原牧場に着くことができた。
 これで今日の目的地の3つの丘を制覇したことになる。最後の「丘から見た地平線」の写真を撮り、売店に入った。すると、エゾシカバーガーの文字が目に飛び込んできた。お昼ご飯の続きということで、それを食べることにした。うまいバーガーだったが、特にエゾシカの味というのは感じられなかった。おいしくてめずらしい食べ物を食べたということで満足し、売店を出た。まずいことに、雨がパラつき出していた。
 ここに来るまで、このペースだと今日の宿は「オンネトー国設キャンプ場」かなあと思っていたが、ちょっとあやしくなってきた。そう思っているうちに、雨は本降りになった。
 900草原を出て阿寒に向かうR241を走っているうちにますます雨足は激しくなり、急カーブの続く峠道で、今回のツーリングで初めて「怖い」と思った。まだ午後4時なのに辺りはすっかり暗くなり、路面は雨水が川のように流れていた。カーブはきついし、前を走るティーダのペースは速い。ティーダのテールランプだけが頼りなので離されるわけにはいかない。ついていくのが精一杯だった。それなのに、僕とティーダを平気で抜いていったタンデムのBMWがいた。この雨の中でもその気になれば速いペースで走れるものだと思ったが、恐がりの僕はバイクの性能よりも怖さの方が上回っていた。もちろん、BMWに合わせてペースを上げるようなことはしなかった。そして、この時点でキャンプをするのもあきらめた。
「峠を下った阿寒湖温泉にでも泊まるか。」
 やっとのことで阿寒湖温泉に着いたが、観光案内所とか旅館案内所のようなものが見当たらない。900草原を探していた時の摩周駅周辺と同じように、今度は温泉街をうろうろした。土砂降りの雨のなかでのうろうろなので、早く宿を決めたかった。そこで思いついたのが、「山水荘」だ。これまで2度ほど飛び込みで泊まったことがある小さな旅館だ。うろうろしている時に、山水荘は見つけてある。ただ、空いているかどうか。
 宿の前にバイクを止め、玄関の扉を開けて不安ながら部屋が空いているかどうか聞いてみた。
「いらっしゃい。はいはい。大雨で高速が通行止めになってキャンセルがあったから空いてますよ。」
とのことだった。そのときのうれしかったこと。山水荘は、今までの2回の宿泊で、部屋は古いがお湯はいいし、食事も値段の割にはなかなかいいし、案外いい印象のある旅館だ。
 まずは阿寒湖温泉のお湯に浸かり、冷えた体を温めた。いい気持ちだ。
 素朴でおいしい晩ご飯を食べ、部屋に戻ってNHKのニュースを見た。
「なんだ、これ。」
 苫小牧市街の映像に驚いた。町の人が膝まで水に浸かりながら歩いている。しかも、帰りに通る予定の苫小牧港に向かう道路の映像だ。朝のニュースで豪雨のニュースは見たが、まさかここまで大変なことになっているとは・・・。しばらくして、閉鎖されていた高速道路が開通したとのテロップが入った。スマホを見ると、「大丈夫?」のメールが3通。安心メールを返し、妻には、
「阿寒と苫小牧は、うち(豊田)から四国くらいの距離だから、心配しないで。」
と、電話も入れた。

 それからは、部屋でごろごろして過ごした。もちろん、寝る前にもう一度気持ちのいい温泉に入った。
*本日の走行      284㎞
*本日のピースサイン   26発

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北海道ツーリング2014道北道東・初めての一人旅(上)

2015-01-28 23:09:40 | 北海道ツーリング2014道北道東ソロツー
※昨年9月の「北海道ツーリング2014道北道東」のレポートがようやく完成しました。かなりの大作なので、3回に分けて掲載します。

 2014年9月7日。僕にとって忘れられない日になった。同日午後8時40分、初めて、一人で北の大地・北海道にバイクで上陸し。大袈裟だが「記念すべき日」となったのだ。
 夏と言えば北海道。これが僕たち夫婦の合い言葉のようなもので、一昨年までは毎年お盆休みを利用して2人で北海道を旅していた。回数で言えばもう17、8回になると思う。ところが、去年僕が転職したため、2人の休みが合わなくなってしまった。そこで、去年も今年も2台のレンタルバイクで2泊3日の弾丸ツーリングを決行してきた。
 今年は僕だけ9月に1週間の休暇を取ることが出来た。1週間休みが取れれば、どうしてもまた北海道に行きたくなる。妻が仕事に出ている時に僕だけ愉快な思いをしていては妻に申し訳ないと思ったが、妻は快く「行っておいでよ」と言ってくれた。こうして、たった一人の北海道ツーリングに出かけることが決まった。そして、多少後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、行きと帰りのフェリーの予約をした。

<9月6日>
 一人で一週間放浪の旅をするのは初めてのこと。予定した日が近づくにつれて楽しみに加えて不安も感じてきた。2人で走っているとき、実は後ろを走る妻がすごく心の支えになっていたんだなあと思えてきた。今回は僕一人だけ。わくわく感プラス不安のなかで6日土曜日の夕方、愛車カワサキZRX1200ダエグにキャンプ用具をパッキングし、北海道・苫小牧東港行きのフェリーの出る敦賀港を目指した。
 暑い。とにかく暑い。
 名神高速養老SAでトイレ休憩をとった。バイクは3台しかいない。たまたま空いていた赤白のCB400SBの隣にダエグを止めた。赤白ボルドールは妻のCBと同じ。なんだかいつもの夫婦ツーリングのワンショットのように見えた。
 養老SAを出ると、小雨が降り出した。天気予報では雨は降らないはずだったのでカッパを着ようかどうか迷ったが、今までに「迷ったら着る」を学習してきたので、次の伊吹PAで念のためカッパを着ることにした。暑すぎるが仕方がない。
 伊吹PAを出てすぐ、突然のように土砂降りの雨。「迷ったら着る」は、大正解だった。米原JCTから北陸道に入った頃には辺りも暗くなり、雨の夜の高速の走りにくいこと。降るはずのない土砂降りに見舞われ、スタートラインに着く前から、何か良からぬことが起こるのではないかというイヤな気持ちを感じた。
 18時30分頃、敦賀港に着いた。ブーツの中は雨水でずぶ濡れ。駐車場にはすでに2台のバイクが止まっていた。そこへまた1台。四国からやってきたというが、僕と同じように「まさか、土砂降りになるなんて」となぜか明るい顔でつぶやいていた。彼は乗船手続きを終えると、
「僕、温泉に行ってきます」と言って、雨の中をまたバイクにまたがって出かけていった。新日本海フェリー苫小牧行きの出港は午前1時。まだ6時間以上もある。
 まずは晩ご飯。ロビーの隅のカフェっぽいカウンターでラーメンと鮭イクラのミニ丼セットを注文した。それなりにうまい。ただ、一人だけで黙々と食べているのはちょっと空しい気もした。
 その後、加古川からやってきたという人や、スーパーカブのライダーと出会ったが、出会ったからといって時間がつぶせるわけでもない。ただ一人で、ロビーのベンチに寝転がるが、そう簡単に眠れはしない。妻にメールをしたり、外を眺めたり、そしてまた寝転がったり、まったりとした時を過ごしていた。
 20時30分、埠頭にフェリー「すずらん」が入ってきた。たくさんのバイクが出てきた。
 うれしいことに、雨は小降りになった。予定どおり、11時30分に乗船した。妻はいつもフェリーにバイクを積むのがイヤと言うが、確かに緊張するものだ。しかも、その緊張を他のライダーたちに悟られないようにバイクを停めるのも、ちょっとしたテクニックの一つだ。
 指定された「ツーリストS寝台」に荷物を置くと、すぐに風呂へ向かった。みんなが荷物の整理をしている時間に入ってしまうのがこつだ。当然、一番だと思ったら、加古川のライダー氏が入っていた。しゃべりながらお湯に浸かった。だんだん人が増え始めた頃、風呂から上がり、部屋に戻った。
 「ツーリストS寝台」は寝台席だが、3畳くらいの小さな個室になっていて、思ったより快適だった。ちょっとしたシングル・ルームのようで、着替えもしやすいしテレビもあるし、荷物も置けるし、なかなか気に入った。
*本日の走行      156㎞
*本日のピースサイン    5発


<9月7日>
 6時30分頃に目覚めたが、早起きする必要もないので、8時まで寝た。朝食も、レストランは高いからカフェが開く9時30分まで我慢しようと思ったが、根性のない僕は我慢しきれずにレストランに入ってしまった。
 焼き魚一切れで300円、目玉焼きとキタアカリ・ポテトサラダと味噌汁にご飯で950円。もったいなかったが、我慢の足らない僕なので仕方がない。
 10時頃にコーヒーでも飲もうかと思ってカフェに向かっていたら、同じ新日本海フェリーの敦賀行きとすれ違うとのアナウンスがあったのでデッキに出た。四国ライダー氏と加古川ライダー氏がいた。
 同型のフェリーを見た後、2人と分かれてカフェに向かうと、ロビーでビンゴゲームが始まるところだった。アテンダントの方に誘われて参加したら、なんと1等賞になってしまった。目立つことの苦手な僕は、司会者の所に行って賞品を受け取るときに、どんなリアクションがいいのか困ってしまった。賞品は1000円の金券が2枚。ただし、フェリーの中でしか使えない。しかも、当日限り。
 そうだ、コーヒーを飲みに行こうとしてたのだ。デッキにまだあの2人がいるかもしれないと思いデッキに出ると、男同士2人でで仲良く語り合っていた。さっそく2人を誘ってカフェに行った。もちろん、このときばかりはビンゴゲーム一等賞で太っ腹になっている僕のおごりだ。
 そうこうしているうちにお昼になった。カップ麺でも食べようかと思っていたが、ちょっとばかりリッチな気分になっていたので、レストランでカレーライスを食べた。太っ腹になっている割にはしょぼい。手元にある1000円の金券は晩ご飯で使おう。
 お腹がいっぱいになると眠くなるものだ。食って寝るだけのフェリー生活だが、仕事に追われている身としてはこうしただらだらした生活もうれしい。部屋に戻ってベッドで横になる。しかし、体をあまり動かしてないせいか、眠いのに眠れない。
 再び、デッキへ行った。すると、四国氏が北海道の地図を広げているのが目に入った。四国氏と、これから行こうとしている道北の話をした。
 ふと、今のうちに風呂に入っておこうと思いついた。フェリー「すずらん」には、なんと露天風呂まである。午後3時頃の風呂はすいていていい。露天風呂から海を眺めていると、案外近い所に陸地が見えた。どうやら津軽半島らしい。断崖になった先っぽが竜飛岬だろうと勝手に想像した。海から見る半島は普通なら見られない絶景だ。絶景を海から眺めながらの露天風呂。このままずっとお湯に浸かっていたいと思えるほどいい気持ちだった。
 風呂上がりに、カフェでアイス・コーヒーを飲みながら北海道の地図を広げた。苫小牧から北に向かうと、美深町辺りで300㎞。明日のキャンプは美深かなあ、それとももう少し先の天塩川温泉キャンプ場もいいかもしれない。それとも、もっと足を伸ばしてクッチャロ湖のキャンプ場も楽しそう。その前に、妻の生まれた町の美唄にも寄っていきたいし、そうなるとクッチャロ湖は無理かもしれない。1杯のコーヒーと1枚の地図で、仮想ツーリングを楽しんでいた。
 18時、レストランのオープンを待って、加古川氏と食事に行った。僕には1000円の金券がある。ご飯のおかずは、北海道ビーフシチューに生ハムサラダ、肉じゃがにデザートの杏仁豆腐。これで1920円は高いが、払ったのは920円。ラーメンが720円だから、920円でこれだけ贅沢できれば安いものだ。
 19時を回ると、だんだんドキドキしてきた。予定では20時30分着なので、あと1時間もすれば車両甲板に行くよう指示が出るだろう。一人で北海道の地に足を踏み入れるのは初めてだからか、なぜか緊張して落ち着かない。20時を過ぎても、アナウンスがない。自分を落ち着かせるため、20時10分にタバコを1本。ちょうど吸い終わったところで、車両甲板に行くようアナウンスがあった。
 フェリーは定刻通り20時30分に苫小牧東港に着き、40分には端のバイクから順に外に出た。耳に入る「気をつけて~」の挨拶。そしていよいよ僕の番。バイクを少しバックさせ、クラッチをそっとつなぐ。周りの人の「気をつけて~」の声に、左手を上げて答える。
 街灯のない夜の苫小牧の道は分かりづらいが、「苫小牧市街」と書かれた方に向かえば大丈夫。僕はどうやら国道から外れて走ったようだが、JR苫小牧駅前の「東横イン」を予約しておいたので、道に迷うことなくホテルに着いた。
 チェックインと同時にウエルカムコーヒーのサービス。部屋に入ったのは午後9時30分だった。電話で、無事に着いたことを妻に報告した。
 これで、いよいよ大冒険のスタートラインに着いたのだ。

*本日の走行       28㎞
*本日のピースサイン    0発


<9月8日>
 6時には目が覚め、北の大地放浪の旅のスタートの日を迎えた。フェリーの中では寝てばかりいたから、目覚めはいい。僕にしてはめずらしく8時前に「東横イン苫小牧駅前」を出た。まずは北を目指そう。フェリーに乗っている時からそう考えていた。
 さすがにR36の苫小牧市街は通勤ラッシュで混んでいた。しかし、道央道苫小牧東ICに入ったら、とてもいいペースだ。毎朝通勤で名神高速を走っているが、名神もこれくらいすいていてくれたらどれだけ楽になるか。そんなことを思いながら夕張ICを出た。そして、10数年ぶりに「黄色いハンカチ公園」に行ってみた。
 入場料520円を払い、公園に入ると、なつかしい昭和の店並みが残っていた。その先の黄色いハンカチの竿を見ていると、僕より少し上くらいのおじさんに声をかけられた。なんでも、会社を定年退職し、一人でレンタカーを借りて旅しているとのこと。埼玉の人だそうだが、昭和の建物がなつかしいと言う。豊田で生まれ育った僕も同じようになつかしさを感じていた。あの頃はどこもみなこんな感じだったのだろう。
 次に向かったのが、「夕張と言えば炭鉱」ということで石炭博物館に行ってみた。残念なことに、今日は月曜日。公共施設の多くがお休みの日。ちょっとだけ夕張市街の映画看板の通りまで戻り、夕張の空気を思いっきり吸って、道道36を岩見沢に向けてバイクを進めた。道道36は、北海道にはめずらしく、急カーブの連続する坂道のワインディング。この峠道を楽しみながら岩見沢に向かった。峠を下れば、また畑、牧場、時々集落が続く典型的な北海道の風景が広がる。
 岩見沢でR30に入り、しばらく北に向かって走り、三笠ICから道央道に入った。高架になっているので見晴らしがいい。しかも三笠から北にはまるでテレビで見たスイスのような風景を見ながら走るのだから気分がいい。
 わずか1区間の美唄ICで降りると、インター出口から市街地とは反対の東へと進路をとった。美唄市我路は妻の生まれ故郷で、数年前まで叔父が住んでいた。今はもう亡くなり、叔父の家も廃墟となり、かつて集落があった地は自然に戻ろうとしていた。石炭で栄えていた頃の名残こそ感じられるが、ほとんどゴースト・タウンと化していた。当然のように、叔父の家も背の高い雑草に覆われていて、道と藪と家の敷地の区別はつかないくらいになっていた。それでも、妻が幼児時代に過ごした町。わずかに残る集落と、集落から見た叔父の家の方向の写真を撮り、留守番をしている妻に送った。
 美唄市我路を後にし、美唄市街地のあるR12沿いの通りに出た。R12は、国道として日本一長い直線のある道だ。市街地を含めて20㎞以上もまっすぐな道が続く。この通りのどこかにツーリング・マップルで紹介されているとりめしのおいしい「しらかば食堂」があるはずだ。スピード違反の取り締まりに気をつけ、ペースを落として「しらかば食堂」を探しながら走った。
「あった。」
 思ったより地味な店だ。
 お昼時で、しかも人気の店とあって、店内はほぼ満員だったが、席はあった。普通のおばさんたちが忙しそうに働いている。席に着くと、迷わず「とりめし定食」を注文した。やや濃い目のとりめしは実にうまい。美唄名物としてツーリング・マップルに紹介されているだけのことはある。なぜ鶏が美唄なのかは定かではないが、あまりにもおいしかったので数量限定で残り少なくなっていた持ち帰りパックを1パック買って店を出た。うれしいことに量が多いので、今晩と明日の朝食の2食分になりそうだ。
 しらかば食堂を出て、しばらく直線国道を楽しんだ後、奈井江砂川ICから再び道央道に入った。休憩は先月の2泊3日宗谷岬弾丸ツーリングでも利用した比布大雪PAに決めた。北海道の高速道路はどこもハイペースだ。少しペースを落としたいと思っていたところへ、先頭がパトカーになり、F1のセーフティカー・ラン状態になった。ここでは、70㎞~80㎞の制限速度が、のんびりとした気持ちのいい速度に感じられた。
 予定どおり比布大雪PAでピットイン。缶コーヒーで一休みし、話し相手もやることもないのですぐに走り出した。
 まずいことに、走り出してすぐに雨が降り出した。雨脚はだんだん激しくなってくるが、PAもバス停も見当たらない。危ないが路肩にバイクを停めてカッパを着た。片側一車線の高速道路の路肩は結構怖いものだ。
 しばらく土砂降りは続いたが、士別剣淵ICを出た辺りで雨は小降りになった。士別のホクレンで給油し、赤い旗を110円で買った。これで正真正銘のホッカイダーの仲間入りした気分になった。
 士別市の市街地の信号は本当にイヤミだ。目の前が赤信号の時はその先の信号は見渡す限り青信号なのだ。きっと何らかの安全対策でそうなっているだろうとは思うが、なんだかすべての信号で止まらなければならないような気がするのだ。
 止まったり走ったりを繰り返しているうちにいつの間にか雨が上がっていた。もともと北の空はそれほど暗くはなかったのであまり天気の心配はしてなかった。ここまで雨に降られたことが不思議に思えるような天気だったのだから。
 名寄でR40を外れ、道道252で智恵文に向かった。9月とは言え、ひょっとしたらまだひまわりが咲いているかもしれない。そうは思ったもののひまわり畑の看板だけが目立っていて、案の定ひまわりの季節は終わっていた。
 仕方がないからR40に戻ろうとした矢先、まだ一画だけひまわりが咲いている畑があった。バイクを停めて畑を眺めると、見る角度によってはひまわりが辺り一面咲き誇っているようにも見える。しかも、ひまわりの黄色と雨上がりの空の色の組み合わせがとても素敵に見えた。明らかに夏とは違う柔らかな空の色と、あざやかな黄色がうまくとけ合うとは思ってもみなかった。
 R40は2週間前に妻と二人、2台のバイクで走った道だ。今日は一人だが、道北の一般道を走る楽しさを僕だけまた味わっている。
 16時30分、美深町の「びふかアイランド」キャンプ場に着いた。うまくいけばクッチャロ湖とも思ったが、暗くなるとテントを立てたり、晩ご飯の準備をしたりするのがやりづらくなる。たいした晩ご飯を作ることもないが。
 すでにテントでくつろいでいた静岡のBMW氏の「ここ、いいですよ」の言葉で、彼のテントの近くに立てさせてもらい、バイクの話をしながら今日の家を建てた。彼は敷地内の美深温泉へ、ぼくは晩ご飯の準備にとりかかった。
 実は、僕は袋ラーメンを鍋のまま食べるのにあこがれていた。一人でロング・ツーリングをしたことのない僕は、ソロツーリングをしている人たちのワイルドさがうらやましかったのだ。
 チキンラーメンを沸かした湯の中に入れ、1分間煮たら鍋のまま食べる。ワイルドだなあと一人悦に入っていた。紙の茶碗に美唄のとりめしを半分。あとはサンマの蒲焼きの缶詰とインスタント・コーヒー。これが今晩のメニューだ。結構豪華に思えたが、鍋で食べるラーメンは器すなわち鍋の縁が熱くてスープが飲めない。しかも、麺を入れたらすぐにふにゃふにゃになった。ぷちぷちちぎれるチキンラーメンになってしまったが、それでもうまいと思えた。明日の晩もこれにしよう。
 鍋を洗い、銀マットとシュラフで寝床を作り、僕も温泉へ。2週間前もここの温泉に入ったし、それまでにも何度か入っている。いつもながら適度なつるつる感が気持ちいい。
 今夜は十五夜。雲がかかっていて見えなかったが、どこからか「あっ、見えた」の声が聞こえた。
 あった。雲の切れ目から真ん丸の月が光っていた。

*本日の走行      350㎞
*本日のピースサイン    8発


<9月9日>
 昨晩は何もやることもなく、9時30分頃には消灯してシュラフの中にもぐっ。ところが、なかなか眠れず、11時過ぎにたばこを一本、その後しばらくは意識がなかったが2時にまた目が覚め、ペットボトルのお茶を飲んだ。またしばらくは眠っていたようだが、4時頃トイレに起きた。すると、となりの静岡氏がたばこを吸っていた。
「早いですね。」
と、声をかけると、
「7時半には寝たから。」
と言う。ソロライダーはみんな同じなんだなあと思った。
 本格的に起きたのは5時50分。仕事に行く時の起床時間だ。どうやら体のサイクルがそうなっているらしい。
 スープとコーヒー用にお湯を沸かし、昨日の美唄のとりめしの半分を主食にして朝ご飯の出来上がりだ。食事を終え、早起きの静岡氏を見送り、ツーリング・マップルで今日のコースを考えた。
 出発の準備をし、夜露で濡れたテントが乾くのを待ち、最後にテントを撤収してパッキング。今のところ天気はいいが、今日の予報は曇りのち雨。大型のリア・バッグにレインカバーを被せて「びふかアイランド」キャンプ場を出た。
 いつもは10時くらいまでだらだらしているのだが、ソロツーリングの初回のキャンプは8時30分発。僕にしては早すぎる出発だ。
 R40を北に向かい、音威子府でR275に入って浜頓別方面に向かった。空は、薄日の差した曇り空。いつまでもってくれるのかと思っていたら、R275に入ってすぐポツポツと降り出した。午前中はなんとか大丈夫だろうと思っていたが、道の駅「ピンネシリ」の手前で本降りになってしまった。すぐさまバイクを止めてカッパを着た。
 先月のツーリングで気になったのが寿公園の自衛隊機だ。前回は妻といっしょだったのでトイレ休憩だけだったが、今回は一人旅だ。しっかり見ていこうと操縦席を覗いてみると、なんと廃機となった本物だった。看板にはマッハ2で飛べる性能を有しているとのこと。僕の勤務する岐阜各務原には航空自衛隊の基地がある。毎日のように飛んでいる三角い形のジェット戦闘機のすごさを感じた。
 寿公園からクッチャロ湖は近い。雨はまだ降り続いていた。クッチャロ湖に着いてバイクを湖岸に止めると、一羽の白鳥が湖を見つめているのが見えた。近づいて写真を撮ろうとしたら逃げられた。その後、傘を差してトイレに行った。クッチャロ湖のピットインの目的は、駐車場のトイレに入ること。いつ来ても、ここのトイレで聴く「白鳥の湖」のメロディには心を癒やされる。
 さあ宗谷を目指して出発というところで突然の豪雨。数人いたライダーたちはキャンプ場の炊飯場に避難した。僕もカッパ姿のまま、土砂降りが収まるのを待った。一人旅は僕だけだった。みんなはそれぞれのグループで楽しそうにおしゃべりしているが、僕は無言。なんとなく居心地が悪かった。
 10数分ほどで小降りになったので、クッチャロ湖を出発した。R238に出てほんの2㎞ほど走ったところで右折して農道に入った。これが農道エサヌカ線につながる道だ。しばらくして直角に左折すると地平線の見える10数㎞の直線路の農道エサヌカ線、と思った矢先、左折したら目の前に大きなエゾシカが2頭。いきなりのエゾシカにびっくり。
 農道エサヌカ線は、オホーツク海に沿って走る大平原の中の一本道だ。走っても走っても前に見えるのは地平線。空は灰色。道がまるで灰色の空まで続いているように見える。北に進むにつれてしだいに風が強くなってきた。右手にオホーツクが見える所では、暴風と言ってもいいくらいの強い横風が吹いていて、バイクをまっすぐ走らせるのもつらいほどだ。雨は横から降ってくる。シールドを拭くときと、ピースサインを出すときは片手運転になる。気合いを入れて走らないと、シールドも拭けないし、ピースサインも出せない。もちろん、僕は気合いを入れてピースサインを出して走った。ほとんど、修行に近い気分だった。
 猿払でR238に入ったが、雨と強風はますますひどくなってきた。横風に振られながら走り続ける。こうして最北端の岬宗谷岬はたどり着いたときは今までにないくらい感動した。一人旅だから、よけいにそう感じたのかもしれない。
 感慨にふけっていると、奈良ナンバーのエストレアが僕の隣に止まった。奈良氏は僕を見ると、
「こんにちは。死ぬかと思いましたよ。」
そう言って、僕に声をかけてきた。大型バイクでもかなり振られたので、単発250のバイクではまさしく苦行だったと思う。
 お昼も近かったので、二人で「最北端」の店へ行き、3週間前と同じホタテ・ラーメンを食べた。とにかく、ここのスープはものすごくうまいのだ。
 奈良氏と別れ、1時少し前に岬のパーキングを出て宗谷丘陵に登った。雨降りの強風でちょっとした覚悟が必要だったが、決めた以上はやるのが男。
 丘陵の牧場では、暴風雨の中でも牛たちは平然と歩いていたが、やはり不安なのかミーティング状態に集っていた。集まっていた牛をバックに写真を撮ろうとしたが、三脚が風にあおられて立てられない。しかたがないので、ヘルメットも脱がずにこの世の風景とは思えないもこもことした不思議な丘の写真を撮りまくった。
 丘陵からR238のオホーツク側に降りるとき、オホーツクの海は大荒れに荒れていた。海の青さどころか、大波の白さしか見られない。雨と風の中を、歯を食いしばって元来た道を戻った。こうなったら走るしかないのだ。
 猿払のエネオスで給油した後、帰路も来たときと同じ農道エサヌカ線を選んだ。風が強いのは国道も同じだろう。どのみち強い風にあおられながら走るのだから、距離は短く、大型車は少なく、視界が良すぎて取り締まりもないだろうし、なんと言っても交通量も少なすぎるくらい少ないエサヌカ線を走った方がいいと思ったのだ。
 今後のおおまかな予定は道東をうろうろするつもりなので、浜頓別から先もR238でオホーツク海沿いにひたすら南に向かった。
 雨は降ったりやんだりになってきたが、強い風は収まらなかった。オホーツクの荒波ばかりがやたらと目立っていた。これではキャンプは無理だろう。早めに今夜の宿を決めることにした。次の道の駅「マリーンランド岡島」でどの辺りに泊まるか決めることにした。
 2時30分頃、道の駅「マリーンランド岡島」に着いた。2時間以上、強風の中を走りっぱなしだったので、さすがに疲れた。興部辺りかなあ。それとも紋別まで行こうかなあ。興部なら約80㎞、紋別なら約100㎞だ。
 そこへ、軒下で地図を眺めている僕に気づいた若者が2人やってきた。
「どうかしましたか。」
「この天気じゃ、キャンプできないから、どこか宿を探さないと。」
そう答えると、
「そうですよねえ。」
と言って建物の中に入っていった。バイクを見ると兵庫と大分。どんな組み合わせなのだろう。
 幸い、紋別のセントラル・ホテルが空いていたのですぐに決めた。これで今日の宿は大丈夫とほっとしていると、さっきの兵庫の若者がやってきて、
「どこか、探しましょうか。」
と、声をかけてくれた。紋別のホテルが取れたことを話すと、まるで自分のことのようにほっとした顔をしている。なんて優しい若者なのだろうと感心してしまった。大学に勤務する僕は、毎日、若い人たちと接しているが、担当する教育学・保育学の授業を通して、こういう素敵な心を育てていくことが大切なのだと心から思えた。
「兵庫なんですね。僕、学生時代は兵庫にいたんですよ。」
と話すと、兵庫氏は、
「加東市って分かりますか。」
「僕がいたのも今の加東市だったんですよ。その頃は加東郡滝野町で、隣の社町の大学に通っていて。社にある大学って言ったら、どこの大学か分かっちゃうけどね。で、今は滝野も社も加東市ですよね。」
 兵庫氏は、
「わあ、加東を知ってる人に出会ったの、初めてです!」
 聞けば、その若者は加東市在住とのこと。脇にいた大分氏も、いっしょに僕の宿探しを心配してくれていた。僕は、2人の若者の優しさに完全にしびれてしまった。
 彼ら二人が道の駅を出たあと、たばこを1本吸って僕も出発した。しばらくすると、彼らに追いついた。大分氏のバイクは発売されたばかりのホンダグロム125.兵庫氏は大分氏の小型バイクのペースに合わせて走っていたのだった。後発の僕が追いつくのは当然のことだが、兵庫氏も本当は僕と同じようなペースで走りたいはず。友達思いの本当にいいヤツなんだ。
 道の駅「おこっぺ」でトイレ休憩をしていると、大分氏のグロムが駐車場に入ってきた。彼と少し話をしたが、いっしょに走っていた兵庫氏とはフェリーの中で知り合い、友達になったと言う。大分氏の北海道初ツーリングはいい思い出でいっぱいになっていくことと思う。兵庫氏は、今日中に網走まで走ると言って、今しがた分かれたばかりだそうだ。今まで小型バイクのペースに合わせて走っていたから、ハイペースで時間を取り戻しているに違いない。事故だけはするなよと心からそう思った。
 夕方になって紋別市街に入ったが、まずいことに予約した「セントラル・ホテル」を「プリンス・ホテル」と勘違いをしていた。「紋別プリンス」には、以前お世話になったことがあるので、うろ覚えのなかでも迷わずたどり着くことができた。ところが、僕が予約したのは「紋別セントラル」で、今いる場所は「紋別プリンス」の駐車場。
「ガーン。ここじゃない!」
 その後、紋別市街をうろうろし、「セントラル・ホテル」の看板を見つけ、着いたのは18時30分。
 朝から強風にあおられ、無意識のうちにずっと体に力が入っていたせいか、部屋に入ったとたんぐったりしてしまった。
「ふー。やっと着いた。」
 それでも、なんだかおもしろくてたまらない。大好きな北海道を一日中走り続けていたのだから。
 晩ご飯はホテルのレストランで豪勢に「帆立づくし御膳」。ホタテのさしみにフライ、酢の物にバター炒め、さらにホタテ鍋にホタテの味噌汁。味噌汁はおかわり可ということだったので、おかわりまでしてしまった。これでたったの1580円。これはお得な夕食だと思った。
 本日の走行、これはすごい。昨日とまったく同じで350.2㎞。100m単位まで同じだった。ホテルを間違えて紋別市街をうろうろしたおかげで、「すごい」が一つ増えた。

*本日の走行      350㎞
*本日のピースサイン   57発
コメント (4)
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