※昨年9月の「北海道ツーリング2014道北道東」のレポートです。かなりの大作なので、3回に分けて掲載しています。北海道の旅への興味と、お時間がおありの方は、もしよろしければ、(上)の季節外れの一面のひまわりや地平線まで伸びるまっすぐの道などから順にお読みいただければ幸いです。
<9月12日>
この日は温泉街のお祭りらしい。旅館のすぐ前の神社の鳥居を白装束の男たちが行ったり来たりしていた。祭りの準備をしているらしい。
せっかく阿寒湖にいるのだから、湖の写真も撮っていこうと思い、湖岸の空き地にバイクを止めると、
「今日はお祭りだから、そこにバイクを止めちゃだめ。」
と、法被を着たお年寄りに強い口調で言われた。
「写真を撮ったら、すぐ出ていくから。」
と答え、ほんとうに写真を1枚だけ撮って湖畔を後にした。
阿寒まで来たら、オンネトーは外せない。
オンネトーは、R241から少し南に入ったところにある、阿寒富士の麓にあるひっそりとした湖だ。美しいコバルト・ブルーの水がなんとも神秘的な湖で、ここも僕の大好きな場所の一つに数えられる。
お気に入りの小さな駐車場の「オンネトー」の看板の近くにバイクを止めた。すると、老夫婦と息子さんらしい3人組がやってきて、カメラのシャッターを押してほしいとのこと。僕にも年老いた両親がいて、時々クルマで近場に連れていってあげるようにしている。それだけに、息子さんの気持ちはよく分かる。その後、三脚を出して何枚か自分を入れて写真を撮っていると、1台のレンタカーのマーチがやってきた。降りてきたのは女子大生らしい3人組だった。ここでもまた僕は写真係になってしまった。写真を撮りながら話を聞くと、千葉からやってきた仲良し3人組だそうだ。きっと、大学の4年生だろう。9月に夏休みを楽しめるのは大学生くらいだと思う。採用試験を終えて、ほっと一息ということでの北海道旅行だろうと想像した。僕が担当している4年生のゼミの学生たちの顔が頭に浮かぶ。
美しいオンネトーで写真係を終えた僕は、再びR241に戻り、西に向かった。ここもまた、標津と同じように大農業地帯だ。とうもろこし畑が延々と続いていた。
道の駅「足寄湖」でトイレ休憩をとった。オンネトーでは薄曇りの天気だったが、だんだんと青空が広がってきた。いい感じだ。次の目的地はナイタイ高原。最高の景色を拝めそうだ。
上士幌からナイタイ高原方面へと向かった。いい天気だが、山のてっぺんにだけ雲がかかっている。大平原に青い空、遠くの山には白い雲、まさに絵になる風景だ。
高原に近づくにつれて、丘の上が白くなっていることが気になってきた。きっと、ナイタイ高原は霧に包まれているのだろう。予想は的中してきた。高原に向かう坂の途中の牧場辺りから霧がかかっていた。その霧は坂を登るにつれて濃くなっていく。ここでは霧だが、きっと下界からは雲なのだろう。
「あと4㎞」の案内看板のあたりで雨も降り出し、とうとう今日もカッパを着ることになった。今回のツーリングでは、北海道に来てカッパを着なかった日は一度もない。
霧は、駐車場に入る時にはどこが入り口か分からないほどになっていた。ここが雲の中でなければびっくりするくらいの素敵な風景が広がっているはずだ。ところが、今は真白な世界。どうしてここだけと思いながら、ここに来たら絶対に牛乳を飲まなくてはということで売店に向かって歩いた。大好物のコロッケがあったので、牛乳とコロッケでおやつにした。売店にいたW600の大阪氏は、初めて来たけど何も見えないと残念がっていた。一瞬、霧が薄くなったので写真を撮ったが、あまりきれいには写っていなかった。
何も見えないナイタイ高原を後にし、4㎞地点を過ぎると、来た時の反対でちゃんと雲から抜け出した。抜け出したところで、一面に広がっている大牧場と、のんびり歩く牛たちの写真を撮り、カッパを脱いで丘を下った。
ここ上士幌は広大な畑の中を碁盤の目のように直線路が作られている。その直線も、10㎞以上も続いていてその先はまるで雲まで続いているように見える。こんなダイナミックな景色は国内ではおそらく北海道でしか見ることはできないだろう。しかも、今回はそれを何度も見ている。
道の駅「うりまく」でお昼にした。
「何、オショロコマそばって。」
店に入ると「オショロコマそば」の文字が目立っていた。店の人に聞いてみると、然別湖のイワナのことを鹿追町では「オショロコマ」と呼ぶそうだ。ナイタイ高原でコロッケを食べているので、お昼はその「オショロコマそば」だけにした。
名前が変わっているだけで、普通においしいそばだった。そばを食べながら地図を見ていると、鹿追からR38に清水市街を通らずに行けるショートカット・コースを見つけた。
ショートカット・コースの道道133~道道75は、丘陵地を走る快適な道だった。あまりの気持ちよさに、ちょっと得した気分になれた。
新得でR38に入り、狩勝峠に向かった。狩勝峠は、20年くらい前に初めて北海道をバイクで走った時の思い出の峠だ。そのときは西から東に向かって走ったが、峠から見た十勝平野に思いっきり感動してしまったことを今でも覚えている。僕にとっては、北海道が大好きになったきっかけの峠とも言える。
この峠も、ナイタイ高原と同じように雲の中だった。霧で視界は悪かったが、それでも路肩にバイクを止め、十勝平野を眺めてみた。もちろん真っ白な景色で何も見えなかったが、その風景を目に浮かべることはできた。
峠を下り、南富良野で道道253に入り、麓郷に向かった。ドラマ「北の国から」の大ファンの僕は、富良野に来たら麓郷は外せない。
麓郷の森の駐車場にバイクを止めた。さあ、五郎の家を見に行こう。そう思った矢先、雨がポツリポツリと落ちてきた。とりあえず傘を持って五郎の家まで歩き、入館券を買った。ところが、入館券を受け取ったところで突然の大雨。急にドバーッという感じで降り出したため、傘も差さずに大急ぎでチケット売り場から最も近い売店に飛び込んだ。
本格的な雨は一向にやみそうもない。また今日もキャンプは無理か。心の中で、北海道最終日の今日こそ富良野山辺の「太陽の里キャンプ場」でキャンプをしようと思っていただけに、ちょっとつらい雨だった。それでも、そのうちにやむだろうと、傘を差して五郎の家に行き、中を見学した。ドラマのセットがそのまま残された五郎の家は、「ここがほたると純が寝ていた2階の部屋で・・・、それからここが・・・」というようにドラマを反芻しながらキョロキョロしていた。壁にはドラマ・シ-ンの写真が掲げられている。
五郎の家から外に出るときも、激しい雨は降り続いていた。雨宿りをしようと園内のカフェに入り、「風」の文字の入ったTシャツを自分へのお土産として買い、ブルーベリーソースのソフトクリームを食べた。ついにキャンプをあきらめ、宿泊のできる日帰り温泉施設の「ハイランド富良野」に電話をして予約を入れた。こういうときは、はっきりと記憶している宿泊施設でないと大変なことになるということを紋別の宿探しで学習している。
空が明るくなってきたので、もうすぐやむだろう。結局、30分程度の大雨だったが、地面はべたべたでどろどろ。やっぱりキャンプは無理だろう。今回のツーリング最後の夜なので、キャンプをあきらめたとは言っても、未練は残る。予定していた5泊のうちに初日の1回しかキャンプをしていないのだから。カッパを着なかった日は1日もなかったので、しかたがないのかもしれない。
まだ富良野をぶらぶらする時間はあるので、麓郷界隈のドラマに出てきた風景を見ながら宿に向かうことにした。
道道253は麓郷の丘陵地を回りながら富良野の市街地に降りていく道だ。ドラマで見た風景があちらこちらに見える。
「わっ、この風景、翔太兄さんがほたるのために派手な結婚式をした丘だ。」
「ここを、おんぼろスタウト(小型トラック)で五郎が走ってたんだ。」
そんなことを思い起こしながら、ゆっくりと風景を楽しみながら坂を下った。
空は青空なのにまた雨が降り出した。ちょっとでも降り出したらカッパを着るのが賢い選択とは思うが、青空の下ではその気にはなれない。それだけに、ちょっとマズイなあと思いながら走っていた。そろそろカッパを着た方がいいかなあと思って少し広めの路肩を探しているうちに雨はやんだ。なんとか、びしょ濡れにならずに「ハイランド富良野」に着くことができた。
宿泊費9500円の割にはりっぱなレストランで、ちょっと豪華な夕食メニュー。公共施設なので、格安なのだと思った。今日もまた気持ちのいい温泉のお湯に浸かり、北海道最後の夜を過ごした。
明日は先日局地的な豪雨に見舞われた苫小牧へ行くが、ニュースで見た苫小牧港への道が心配だ。早めに着けるようなコースを考えながら眠りに就いた。
*本日の走行 294㎞
*本日のピースサイン 12発
<9月13日>
とうとう北海道ツーリング最後の日になってしまった。午前中の富良野周辺の散策を短めにして、苫小牧港へ行くことにした。時間的には多少足を伸ばしてから苫小牧に向かってもいいが、苫小牧市街の道路状況がよく分からないのだ。
フェリー持ち込み用の荷物と、そうでない荷物とに分け、少し遅めの9時20分に「ハイランド富良野」を出た。
まずは、両親や妻に富良野のメロンをお土産に送ろうと、山辺に向かった。山辺にはメロン直売所が立ち並んでいる。
R38を南に向けて走っていると、「中西農園」の看板を見つけた。昨日の宿に予定していた「太陽の里キャンプ場」で数年前にキャンプをした時に立ち寄った店だ。その時、メロンを宅配で家に送ると、ジャガイモやトウキビをたくさんくださり、いただいたジャガイモとトウキビで晩ご飯を済ませたことがある。キャンプで食べたキタアカリのおいしかったこと。
バイクを止め、店に入った。すると、メロンを買う前に、店にいたおばあさんが、
「これ、食べな。」
「これ、持ってけ。」
と、店に並べられているメロンやトウキビを指さしてたてつづけに言う。ご自分が育てられた果物や野菜を食べてもらうことを楽しんでおられるような雰囲気だった。
「今、茹でたばかりのトウキビ、食べな。」
と、湯気の立つトウキビを1本僕に差し出した。たった今、朝ご飯を食べたばかりだったが、断りきれずに食べることにした。甘い。ものすごく甘く、本当においしいトウモロコシだ。
「メロン、もう終わっちゃったけど、少し残ってるから食べな。」
メロンは別腹だ。よく熟れたおいしいメロンも半玉食べた。
「今は、キタアカリがうまいよ。」
このおばあさんが育てたキタアカリのおいしさは僕もよく知っている。
もうこれ以上食べられないと思っても、
「もっと食べな。」
とトウキビを勧める中西のおばあさん。
「もうお腹がいっぱいで食べられないですよ。」
すると、
「じゃあ、持ってって、どこかで食べたら。」
と、茹でたてのトウキビを2本ラップに包んでくれた。僕は、
「じゃあ、これはお昼ご飯にするよ。」
と、タンクバッグに入れた。
お奨めのキタアカリ1箱を家に送り、
「また、北海道に来た時には寄るからね。」
と、店を出ようとしたら、
「ぜひ、来てくださいね。来た時に店のシャッターが閉まっていたら、私かうちの人のどちらかが死んだと思ってね。」
そう言って、見送ってくれた。そして、いつまでも手を振り続けてくれた。ご夫婦のどちらかが死ぬまで農園を続けるつもりだと思うと、やっぱりすごいと思った。僕は、今の仕事を何歳まで続けられるかを時々考えている。中西のおばあさんにはいつまでも長生きしてもらいたいものだ。
再び富良野市街に戻り、ラベンダー畑を見に行くことにした。もちろんとっくにラベンダーの時期は終わっていることは知っている。それでも、「富良野と言えばラベンダーでしょ」ということで行ってみることにしたのだ。
行き先は「彩香の里」。四季折々の花が育てられている富田ファームが有名だが、あまりにも観光化されているので好きではなくなってしまった。
「彩香の里」は、市街地の西側の丘にある。案内看板に従って進めば間違うことはない。駐車場には、キャンピングカーが1台とワンボックスワゴン車が1台。たったそれだけだった。ラベンダーはなくても、ラベンダー・ソフトクリームはあるはずだ。売店にいた店員は一人。一人で、お土産もアイスも何もかもやっているようだ。ソフトクリームがあるのを確かめて、ラベンダー畑へと歩いた。少し離れた花畑には色とりどりの花が咲いていたが、すぐ前のラベンダー畑には花も葉もない低木だけが見渡す限り並んでいる。想像どおりの景色だ。ちょうど数人の人たちがせっせと畑の世話をしていた。
9月の富良野は少し肌寒かった。それでも僕は売店に行ってラベンダー・ソフトクリームを買い、冷たいソフトクリームを食べながら何もないラベンダー畑を眺めた。季節外れでも、富良野と言えば五郎の家とラベンダーなのだ。
これで、今回の富良野のぶらぶら歩きは終わりだ。寂しいけれど苫小牧に戻らなければならない。道道135富良野美唄線で西に向かい、R452で夕張に出るコースを選んだ。
数年前に走ったR452は、自然の森や川のせせらぎを感じながら中高速コーナーを走るローカルな国道で、この道も僕の好きな道の一つだ。よくキタキツネにも出会うのどかな国道だが、雑誌などに紹介されてないせいか交通量はほとんど無いに等しい。ほとんど自分だけのパーソナル・ロード状態の道のようになる。
何もない道なので、R452に入ってすぐの三段滝の駐車場でトイレ休憩を済ませ、一応写真だけ撮ってすぐに走り出した。この滝は川底の岩が段状に削れているために小さな滝のようになっているだけで、めずらしいかもしれないが迫力はない。
次に向かったのが桂沢湖。ダム湖にかかった橋からは美しい景色が見られるが、なぜかパーキングからは藪が邪魔になって見られない。極端に交通量の少ないR452は、ここ桂沢で三笠方面へと向かう道道116と分岐するため、さらに交通量は減る。ほとんど何も走っていない道になる。だからパーソナル・ロード気分になれる。
パーキングで、中西農園のおばあさんにいただいたトウキビ2本と、あらかじめ買っておいた缶コーヒーで昼食にする。茹でたてのトウキビは冷めてしまったが、それでもやっぱりうまい。食後の缶コーヒーを飲んで、R452ナチュラル・パーソナルロードへと飛び出した。その間、通ったクルマは1台もなかった。もちろんバイクも0台だ。
おいしいトウキビでお腹を満たした僕は、森の中のコーナーが連続するワインディングを気持ちよく走るつもりだったが、イメージとは全く異なるまるで高速道路のようなバイパス道路を走っている。
「あれえ、ヘンだなあ。道、間違えた?」
そんなはずはない。R452の標識も出てるし、第一、間違えるほど多くの道はない。何も走っていない自然に満ちた素敵な国道を、無駄に新しい道に作り替えたのだ。やたらと新しい橋が出現する。それも、次から次へと。その一つ一つに名前がつけられていて、笑えてくる。「桂春橋」「桂夏橋」「桂秋橋」と続いているのだ。ばかばかしくなるくらいおかしい。僕は、夕張川の蛇行に沿って走る自然に包まれたR452が好きだった。ところが、今は高架のバイパス道路で、川の蛇行を無視して直線にしたためヘンな名前の新しい橋だらけの立派な道路だ。
R452には、僕が楽しみにしていた風景がある。シューパロ湖にかかる大夕張ダムの手前の風景だ。古びた鉄橋が遠くに映り、ノスタルジックな景色が広がっている。ところが、高架になったバイパスはシューパロ湖さえも素通りし、ダムの麓の集落で旧国道に合流する。ほとんどクルマは走ってないのになぜバイパス状の道路を作ったのかナゾにしか思えなかった。
旧道に合流した所に、古い列車が展示保存されていた。駐車場は水たまりだらけのダートだったが、先頭の古いラッセル車が見えたとたん、水たまりを突っ切って寄り道をした。新しい道のおかげで、時間にはずいぶん余裕ができた。展示されていたのは、夕張炭鉱が栄えていた頃の国鉄夕張線の車両だった。その近くには当時のバスも保存されていた。バス・フェチの僕は、ボンネット型からキャブオーバー型になったばかりの頃の三菱ふそうのバスだと分かった。僕が子どもの頃、豊田市駅周辺を走っていた名鉄バスの多くがこの型だったことを思い出した。バスから再び電車に戻り、先頭車両のラッセル車を間近に見た。温暖な愛知県で生まれ育った僕は、ラッセル車を生で見るのは初めてだ。旅の最後の最後に、ちょっとした感動を味わった。
夕張からはR274で追分から苫小牧に抜けるのがフェリーの出る苫小牧港へ行く最短の経路だが、少し遠回りをすればトリップ・メーターが2000㎞を超えそうな微妙な距離になっている。旅の始まりに走った道央道を走れば、1990㎞くらいになる。そうすれば、名古屋港から豊田まで40㎞くらいはあるので、2000㎞を達成できる。しかも、夕張からの高速道路にも僕のお気に入りの風景があるのだ。それは、千歳東ICから千歳JCTの間の広々とした大平野の景色だ。濃尾平野の端に住んでいても、濃尾平野を見ることなど絶対にできない。しかし、ここでは確かにそこが石狩平野の東の端だということが目で見て分かる。それだけで、僕にとってはすごい所なのだ。
R274との交差点のセイコーマートで晩ご飯のパック寿司を買った。フェリーの夕食は2000円もして高い。今夜は、パックの寿司と山辺でいただいたトウキビがあれば十分だ。そうして、夕張ICから千歳方面に向けて高速道路に入った。
高速道路に入ったのはいいが、ペースが速すぎる。僕はゆったりと風景を眺めたいのだが、「高速道路だから速く走らなければ損」みたいな雰囲気で誰もが走っている。流れに乗って走ってはいるものの、こんなに飛ばしていいのかと思う速さだ。速いとそれだけ早く旅が終わってしまう。大好きな石狩平野の風景も堪能することができない。かと行って、流れを乱すこともできず、あっという間に千歳JCTまで来てしまった。
苫小牧の手前の美沢PAで最後の休憩をとった。妻に、もうすぐフェリー・ターミナルに着くことを連絡すると、なんとなく僕の無事にほっとしているような声が聞こえた。
苫小牧東ICを出てフェリー・ターミナルに着いたのは午後4時少し前。大洗行きと仙台行きのバイクは多いが、名古屋行きは僕が2台目だった。手続きを終え、ターミナル・ビルの2階でコーヒーを飲んでいると、少しずつ少しずつバイクが増えてきた。それでも、名古屋行きは7、8台しかいない。
乗船が17時30分とのことだったので、5時にバイクの所に戻った。一人のおじさんがやたらと人に話しかけていたが、ほとんどのライダーは静かに乗船指示があるのを待っていた。
先発の大洗行きのフェリーの乗船が終わり、残されたバイクは仙台行きと名古屋行きの4、50台になった。待っている間、ずっと響き渡っていた「上のデッキ、上のデッキ」のアナウンスが耳から離れなくなっていた。そして、予定どおり17時30分に乗船の指示があった。
バイクを車両甲板に置くと、着替えなどのお泊まりセットだけを持って予約しておいたS寝台に向かった。
「あれっ、これがS寝台?」
大部屋のベッドにテレビがあるだけ。新日本海フェリーのツーリストSのように個室になっているかと思っていたが、これでは丸2日間くつろげない。翌日には仕事が待っている。まいったなあと思っていたら、特別客室に空きがあるとのアナウンスがあった。以前、妻と利用したことのあるツインルームだ。確か、一等客室が内側で、特別客室が海側のいい雰囲気の部屋だったように記憶している。
ツイン・ルームを一人で利用できるのかインフォメーションに行って尋ねると、変更可能だと言う。迷わず差額を払って個室に移ることにした。
やっぱり個室はいい。パンツ1枚になってリラックスして過ごせる。
出航前に風呂に入っておこうと思い、大風呂に行くと案外たくさんの人が入っていた。作戦失敗だ。行水ですませ、部屋に戻って寿司のパックとトウキビで夕食にした。
19時00分の出航を、デッキから見つめた。だんだん港が遠ざかっていく。なんとも寂しいものだ。その後は、BSテレビで寅さんをみていたが、次の番組が始まったあたりで寝てしまった。
元気なまま旅を終わらせられると思っていたが、実はやっぱり体は疲れていたのだと思う。ゆったりした個室で、ホテルと同じベッドでしっかりと旅の疲れを癒そうと思った。
*本日の走行 214㎞
*本日のピースサイン 56発
<9月14日>
今日は、明後日からの仕事に備えてフェリーの中でひたすら体を休める日だ。僕は、太平洋フェリーに乗ったときの朝食はカフェのモーニングセットと決めている。720円でサラダやヨーグルト、コーヒーまで付いているのだから、レストランの朝食よりずっと割安だと思う。8時00分オープンだが、8時に行くと並ばなければならないので10分前にはテーブルを確保するようにしている。そして、5分前にカウンターに並べばたいていは1番だ。結局、同じ事を考えた人がいたため、僕は4番札で待つことになったが、まったく問題はない。1番から4番はそれほど待ち時間は変わらない。8時ちょうどに来た人は10番札を持ち、僕が食べ終わってもまだ並んでいた。この5分前作戦はみごと成功した。
10時00分に仙台港に着くので、船は陸地に近づき、スマホが使えるようになった。次の作戦は、仙台で下船する人も仙台から乗る人もいない10時に風呂に入ることだ。それまで、メールや電話で家族や知人に元気で帰路に就いていることを知らせた。
10時00分、フェリーは仙台港に着岸した。急いで風呂に行くと、「12:00から」の表示が。昼のカフェは12時30分からだ。そこで、作戦変更。12時に風呂に行き、12時25分にカフェに行けば、すべてすんなりといくはずだ。
部屋でごろごろしながらテレビを観てお昼になるのを待った。そして12時。風呂に行ったら3人しかいなかった。気持ちよく湯船に浸かり、計画どおりその足でカフェに行った。12時にオープンしたレストランは「只今、満席です」の放送があったが、12時25分にカフェに行った僕は、きっちり1番札を手に入れた。カレーライスとたまごスープで660円。しかもカレーは想像してたよりもずっとおいしく、夜もカレーにしようかなあと思ったほどだった。
昼食を終え、13時30分からラウンジで映画を観て過ごした。「はじまりのとき」という邦画で、映画監督木下恵介のデビュー当時の実話を映画化したものだった。母と息子(恵介)との情愛が色濃く表現され、映画が終わったらすぐに、僕が元気に帰路に就いていることを母に伝えようと思った。結局、海を航行中だったため電波が届かず、母の顔を頭に浮かべるだけしかできなかった。
それからは、外のデッキに出てみたり、売店に行ったり、部屋で見るともなくテレビを見たり、暇で退屈な時間を過ごしていた。こういう過ごし方こそ、体を休めるのにはいいことなのだ。
次は晩ご飯の作戦だ。レストランは18時00分に、カフェは19時00分にオープンする。レストランはバイキング方式でステーキやらお寿司やらおいしいものがたくさん食べられるが、2000円は高い。なんだかもったいない気がする。そこで、18時からNHKのBSで「軍師勘兵衛」を観て、19時10分前にカフェに行く作戦に出た。
ツアーの団体客が乗船していたせいか、18時20分には「レストランは只今満席です」の放送が入った。テレビを観ながら「カフェもちょっとヤバいかも」と思った。それでも、オープン10分前に行って待っていたら、またもや1番札。おいしいカレーをもう一度食べようと思っていたが、やっぱり昼も夜も同じというのはヘンだと思い直し、月見そばとおにぎりにした。これも、思ったよりずっとおいしかった。本当のところ、高い差額を払ってツインルームを独り占めという贅沢をしているので、あまりお金を使いたくないという思いもあった。
食後はラウンジでピアノとエレクトーンのコンサートがあったので行ってきたが、つまらなかったので10分くらいで抜け出した。
部屋の戻ってスマホを見ると、電波がつながっていた。スーパーカブ仲間のT君に電話をすると、彼は北海道には行けないから矢作川の源流まで走り、そのまま作手(新城市)と茶臼山(愛知県豊根村)まで行ってきたと言う。スーパーカブで三河高原を走り回るのは、大型バイクで北海道を走り回るのに匹敵するくらい楽しいことかもしれない。自動二輪の免許を持たない彼は、
「カブで北海道を走れるかなあ。」
と言っていたので、
「北海道をカブでツーリングしている人を何人も見かけたよ。」
と話すと、
「定年になったら、いっしょに走ろう。」
と言っていた。定年は近いが、僕は北海道をカブで走るのは怖い。
電波が途絶えたので、ぶらぶらと風呂へ行き、ゆっくりとお湯に浸かった。バス・トイレ付きの部屋だが、やっぱり広い方が気持ちがいいし、癒やされる気がする。
フェリーで1日過ごすというのは、だいたいこんな感じだ。風呂上がりにコーヒーを飲みながら、今日1日を振り返り、メモ帳に鉛筆を走らせた。翌日の10時には名古屋港に着く。それにしても、往路のフェリーでは同乗のライダーたちと話をしながら北に向かったが、帰りは誰とも話をしていない。元々、僕は友達づくりが下手なのだと思う。
*本日の走行 0㎞
*本日のピースサイン 0発
<9月15日>
今日も、昨日と同じように5分前作戦でモーニング・セットを食べた。部屋に戻って下船の準備をしたが、なぜか落ち着かない。外は、北海道ではほとんど見ることができなかった青空が広がっている。Gパンにブーツ、インナーを外して夏仕様にしたブルゾンを羽織り、下船案内の放送を待っていた。両側に陸が見えるので伊勢湾もかなり奥まで入ってきていることが分かる。
9時10分、下船の案内があった。早い。9時30分くらいと思っていたが、「伊勢湾ランチ・クルーズ」にこのフェリーを使うため、早く入港するということをすっかり忘れていた。
指示に従って車両甲板に行くと、20台ほどのバイクの横には大型トレーラーの荷台部分が並べられていた。目の前でトラックと連結する。これはダイナミックな光景が見られると思ったが、案外あっけなく連結できるもので、トラックがバックしてきて「カチッ」と音がしたと思ったら、ドライバーが連結部分を確認してさっさと出ていった。あまりの簡単さに拍子抜けしたが、それでもすごいものを見たと思えた。
予定より30分早い9時30分には下船できた。心配だった伊勢湾岸名港中央ICまでの産業道路も迷うことなく走ることができた。高速に乗ってしまえば30分あまりで豊田松平ICに着く。伊勢湾岸道で、先に出た浜松ナンバー氏に追いついた。手を上げて挨拶をしながら追い抜くと、ミラー超しに手を振っているのが見えた。しばらくすると、フェリーで見かけたBMW氏が僕を抜いていった。ここでも、ピースサインで挨拶を交わす。船内では言葉を交わすことはなかったが、ライダー同士のつながりはあるものだ。
不思議なことに、暑くない。名古屋港に着いてすぐに、愛知の気温に体が順応しているのだ。人間の体の神秘さに感心しているうちに豊田松平ICに着いた。インターを出れば家までは5分ほどだ。
家に着くと、バイクの音を聞きつけて妻が出てきた。ヘルメットをしたまま、ハイタッチで「ただいま」の挨拶。
「すごい早いじゃん。」
時刻はまだ10時30分を回ったばかりだ。妻にはフェリーが早く着くことを言ってなかったので、びっくりさせてしまった。
荷物を下ろし、エアコンの効いた居間に入ると、一言、
「アイスコーヒー。」
「今すぐ、コーヒーを作れって?」
特別な時間から日常の時間に戻った。
*本日の走行 45㎞
*本日のピースサイン 5発
初めての大冒険はあっという間に終わってしまったような気がする。天候には恵まれなかったが、記録的集中豪雨の報道映像にあったような猛烈な雨に遭うこともなくソロツーリングを続けることができたのは幸いだったと思う。できることなら、あと1回くらいはキャンプをしたかったが、それでも天気が良くても悪くても楽しいのが北の大地北海道の旅だ。
毎年のように妻と2人、2台のバイクで北海道を走っているが、心のどこかで「男なら一人で走ってみろ!」という声が聞こえていたような気がしていた。こうして、北海道ソロツーリングの醍醐味、楽しさを十分味わうことができたが、僕が遊んでいる間もがんばって仕事をしている妻に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちが入り混じった思いを感じていた。来年は、うまく休みを合わせてまた2人で北の大地を走りたいと思う。
*ツーリング期間 2014年9月6日(土)~15日(日)
*使用車種 カワサキZRX1200ダエグ
*総走行距離 2034㎞
*総ピースサイン数 191発
<9月12日>
この日は温泉街のお祭りらしい。旅館のすぐ前の神社の鳥居を白装束の男たちが行ったり来たりしていた。祭りの準備をしているらしい。
せっかく阿寒湖にいるのだから、湖の写真も撮っていこうと思い、湖岸の空き地にバイクを止めると、
「今日はお祭りだから、そこにバイクを止めちゃだめ。」
と、法被を着たお年寄りに強い口調で言われた。
「写真を撮ったら、すぐ出ていくから。」
と答え、ほんとうに写真を1枚だけ撮って湖畔を後にした。
阿寒まで来たら、オンネトーは外せない。
オンネトーは、R241から少し南に入ったところにある、阿寒富士の麓にあるひっそりとした湖だ。美しいコバルト・ブルーの水がなんとも神秘的な湖で、ここも僕の大好きな場所の一つに数えられる。
お気に入りの小さな駐車場の「オンネトー」の看板の近くにバイクを止めた。すると、老夫婦と息子さんらしい3人組がやってきて、カメラのシャッターを押してほしいとのこと。僕にも年老いた両親がいて、時々クルマで近場に連れていってあげるようにしている。それだけに、息子さんの気持ちはよく分かる。その後、三脚を出して何枚か自分を入れて写真を撮っていると、1台のレンタカーのマーチがやってきた。降りてきたのは女子大生らしい3人組だった。ここでもまた僕は写真係になってしまった。写真を撮りながら話を聞くと、千葉からやってきた仲良し3人組だそうだ。きっと、大学の4年生だろう。9月に夏休みを楽しめるのは大学生くらいだと思う。採用試験を終えて、ほっと一息ということでの北海道旅行だろうと想像した。僕が担当している4年生のゼミの学生たちの顔が頭に浮かぶ。
美しいオンネトーで写真係を終えた僕は、再びR241に戻り、西に向かった。ここもまた、標津と同じように大農業地帯だ。とうもろこし畑が延々と続いていた。
道の駅「足寄湖」でトイレ休憩をとった。オンネトーでは薄曇りの天気だったが、だんだんと青空が広がってきた。いい感じだ。次の目的地はナイタイ高原。最高の景色を拝めそうだ。
上士幌からナイタイ高原方面へと向かった。いい天気だが、山のてっぺんにだけ雲がかかっている。大平原に青い空、遠くの山には白い雲、まさに絵になる風景だ。
高原に近づくにつれて、丘の上が白くなっていることが気になってきた。きっと、ナイタイ高原は霧に包まれているのだろう。予想は的中してきた。高原に向かう坂の途中の牧場辺りから霧がかかっていた。その霧は坂を登るにつれて濃くなっていく。ここでは霧だが、きっと下界からは雲なのだろう。
「あと4㎞」の案内看板のあたりで雨も降り出し、とうとう今日もカッパを着ることになった。今回のツーリングでは、北海道に来てカッパを着なかった日は一度もない。
霧は、駐車場に入る時にはどこが入り口か分からないほどになっていた。ここが雲の中でなければびっくりするくらいの素敵な風景が広がっているはずだ。ところが、今は真白な世界。どうしてここだけと思いながら、ここに来たら絶対に牛乳を飲まなくてはということで売店に向かって歩いた。大好物のコロッケがあったので、牛乳とコロッケでおやつにした。売店にいたW600の大阪氏は、初めて来たけど何も見えないと残念がっていた。一瞬、霧が薄くなったので写真を撮ったが、あまりきれいには写っていなかった。
何も見えないナイタイ高原を後にし、4㎞地点を過ぎると、来た時の反対でちゃんと雲から抜け出した。抜け出したところで、一面に広がっている大牧場と、のんびり歩く牛たちの写真を撮り、カッパを脱いで丘を下った。
ここ上士幌は広大な畑の中を碁盤の目のように直線路が作られている。その直線も、10㎞以上も続いていてその先はまるで雲まで続いているように見える。こんなダイナミックな景色は国内ではおそらく北海道でしか見ることはできないだろう。しかも、今回はそれを何度も見ている。
道の駅「うりまく」でお昼にした。
「何、オショロコマそばって。」
店に入ると「オショロコマそば」の文字が目立っていた。店の人に聞いてみると、然別湖のイワナのことを鹿追町では「オショロコマ」と呼ぶそうだ。ナイタイ高原でコロッケを食べているので、お昼はその「オショロコマそば」だけにした。
名前が変わっているだけで、普通においしいそばだった。そばを食べながら地図を見ていると、鹿追からR38に清水市街を通らずに行けるショートカット・コースを見つけた。
ショートカット・コースの道道133~道道75は、丘陵地を走る快適な道だった。あまりの気持ちよさに、ちょっと得した気分になれた。
新得でR38に入り、狩勝峠に向かった。狩勝峠は、20年くらい前に初めて北海道をバイクで走った時の思い出の峠だ。そのときは西から東に向かって走ったが、峠から見た十勝平野に思いっきり感動してしまったことを今でも覚えている。僕にとっては、北海道が大好きになったきっかけの峠とも言える。
この峠も、ナイタイ高原と同じように雲の中だった。霧で視界は悪かったが、それでも路肩にバイクを止め、十勝平野を眺めてみた。もちろん真っ白な景色で何も見えなかったが、その風景を目に浮かべることはできた。
峠を下り、南富良野で道道253に入り、麓郷に向かった。ドラマ「北の国から」の大ファンの僕は、富良野に来たら麓郷は外せない。
麓郷の森の駐車場にバイクを止めた。さあ、五郎の家を見に行こう。そう思った矢先、雨がポツリポツリと落ちてきた。とりあえず傘を持って五郎の家まで歩き、入館券を買った。ところが、入館券を受け取ったところで突然の大雨。急にドバーッという感じで降り出したため、傘も差さずに大急ぎでチケット売り場から最も近い売店に飛び込んだ。
本格的な雨は一向にやみそうもない。また今日もキャンプは無理か。心の中で、北海道最終日の今日こそ富良野山辺の「太陽の里キャンプ場」でキャンプをしようと思っていただけに、ちょっとつらい雨だった。それでも、そのうちにやむだろうと、傘を差して五郎の家に行き、中を見学した。ドラマのセットがそのまま残された五郎の家は、「ここがほたると純が寝ていた2階の部屋で・・・、それからここが・・・」というようにドラマを反芻しながらキョロキョロしていた。壁にはドラマ・シ-ンの写真が掲げられている。
五郎の家から外に出るときも、激しい雨は降り続いていた。雨宿りをしようと園内のカフェに入り、「風」の文字の入ったTシャツを自分へのお土産として買い、ブルーベリーソースのソフトクリームを食べた。ついにキャンプをあきらめ、宿泊のできる日帰り温泉施設の「ハイランド富良野」に電話をして予約を入れた。こういうときは、はっきりと記憶している宿泊施設でないと大変なことになるということを紋別の宿探しで学習している。
空が明るくなってきたので、もうすぐやむだろう。結局、30分程度の大雨だったが、地面はべたべたでどろどろ。やっぱりキャンプは無理だろう。今回のツーリング最後の夜なので、キャンプをあきらめたとは言っても、未練は残る。予定していた5泊のうちに初日の1回しかキャンプをしていないのだから。カッパを着なかった日は1日もなかったので、しかたがないのかもしれない。
まだ富良野をぶらぶらする時間はあるので、麓郷界隈のドラマに出てきた風景を見ながら宿に向かうことにした。
道道253は麓郷の丘陵地を回りながら富良野の市街地に降りていく道だ。ドラマで見た風景があちらこちらに見える。
「わっ、この風景、翔太兄さんがほたるのために派手な結婚式をした丘だ。」
「ここを、おんぼろスタウト(小型トラック)で五郎が走ってたんだ。」
そんなことを思い起こしながら、ゆっくりと風景を楽しみながら坂を下った。
空は青空なのにまた雨が降り出した。ちょっとでも降り出したらカッパを着るのが賢い選択とは思うが、青空の下ではその気にはなれない。それだけに、ちょっとマズイなあと思いながら走っていた。そろそろカッパを着た方がいいかなあと思って少し広めの路肩を探しているうちに雨はやんだ。なんとか、びしょ濡れにならずに「ハイランド富良野」に着くことができた。
宿泊費9500円の割にはりっぱなレストランで、ちょっと豪華な夕食メニュー。公共施設なので、格安なのだと思った。今日もまた気持ちのいい温泉のお湯に浸かり、北海道最後の夜を過ごした。
明日は先日局地的な豪雨に見舞われた苫小牧へ行くが、ニュースで見た苫小牧港への道が心配だ。早めに着けるようなコースを考えながら眠りに就いた。
*本日の走行 294㎞
*本日のピースサイン 12発
<9月13日>
とうとう北海道ツーリング最後の日になってしまった。午前中の富良野周辺の散策を短めにして、苫小牧港へ行くことにした。時間的には多少足を伸ばしてから苫小牧に向かってもいいが、苫小牧市街の道路状況がよく分からないのだ。
フェリー持ち込み用の荷物と、そうでない荷物とに分け、少し遅めの9時20分に「ハイランド富良野」を出た。
まずは、両親や妻に富良野のメロンをお土産に送ろうと、山辺に向かった。山辺にはメロン直売所が立ち並んでいる。
R38を南に向けて走っていると、「中西農園」の看板を見つけた。昨日の宿に予定していた「太陽の里キャンプ場」で数年前にキャンプをした時に立ち寄った店だ。その時、メロンを宅配で家に送ると、ジャガイモやトウキビをたくさんくださり、いただいたジャガイモとトウキビで晩ご飯を済ませたことがある。キャンプで食べたキタアカリのおいしかったこと。
バイクを止め、店に入った。すると、メロンを買う前に、店にいたおばあさんが、
「これ、食べな。」
「これ、持ってけ。」
と、店に並べられているメロンやトウキビを指さしてたてつづけに言う。ご自分が育てられた果物や野菜を食べてもらうことを楽しんでおられるような雰囲気だった。
「今、茹でたばかりのトウキビ、食べな。」
と、湯気の立つトウキビを1本僕に差し出した。たった今、朝ご飯を食べたばかりだったが、断りきれずに食べることにした。甘い。ものすごく甘く、本当においしいトウモロコシだ。
「メロン、もう終わっちゃったけど、少し残ってるから食べな。」
メロンは別腹だ。よく熟れたおいしいメロンも半玉食べた。
「今は、キタアカリがうまいよ。」
このおばあさんが育てたキタアカリのおいしさは僕もよく知っている。
もうこれ以上食べられないと思っても、
「もっと食べな。」
とトウキビを勧める中西のおばあさん。
「もうお腹がいっぱいで食べられないですよ。」
すると、
「じゃあ、持ってって、どこかで食べたら。」
と、茹でたてのトウキビを2本ラップに包んでくれた。僕は、
「じゃあ、これはお昼ご飯にするよ。」
と、タンクバッグに入れた。
お奨めのキタアカリ1箱を家に送り、
「また、北海道に来た時には寄るからね。」
と、店を出ようとしたら、
「ぜひ、来てくださいね。来た時に店のシャッターが閉まっていたら、私かうちの人のどちらかが死んだと思ってね。」
そう言って、見送ってくれた。そして、いつまでも手を振り続けてくれた。ご夫婦のどちらかが死ぬまで農園を続けるつもりだと思うと、やっぱりすごいと思った。僕は、今の仕事を何歳まで続けられるかを時々考えている。中西のおばあさんにはいつまでも長生きしてもらいたいものだ。
再び富良野市街に戻り、ラベンダー畑を見に行くことにした。もちろんとっくにラベンダーの時期は終わっていることは知っている。それでも、「富良野と言えばラベンダーでしょ」ということで行ってみることにしたのだ。
行き先は「彩香の里」。四季折々の花が育てられている富田ファームが有名だが、あまりにも観光化されているので好きではなくなってしまった。
「彩香の里」は、市街地の西側の丘にある。案内看板に従って進めば間違うことはない。駐車場には、キャンピングカーが1台とワンボックスワゴン車が1台。たったそれだけだった。ラベンダーはなくても、ラベンダー・ソフトクリームはあるはずだ。売店にいた店員は一人。一人で、お土産もアイスも何もかもやっているようだ。ソフトクリームがあるのを確かめて、ラベンダー畑へと歩いた。少し離れた花畑には色とりどりの花が咲いていたが、すぐ前のラベンダー畑には花も葉もない低木だけが見渡す限り並んでいる。想像どおりの景色だ。ちょうど数人の人たちがせっせと畑の世話をしていた。
9月の富良野は少し肌寒かった。それでも僕は売店に行ってラベンダー・ソフトクリームを買い、冷たいソフトクリームを食べながら何もないラベンダー畑を眺めた。季節外れでも、富良野と言えば五郎の家とラベンダーなのだ。
これで、今回の富良野のぶらぶら歩きは終わりだ。寂しいけれど苫小牧に戻らなければならない。道道135富良野美唄線で西に向かい、R452で夕張に出るコースを選んだ。
数年前に走ったR452は、自然の森や川のせせらぎを感じながら中高速コーナーを走るローカルな国道で、この道も僕の好きな道の一つだ。よくキタキツネにも出会うのどかな国道だが、雑誌などに紹介されてないせいか交通量はほとんど無いに等しい。ほとんど自分だけのパーソナル・ロード状態の道のようになる。
何もない道なので、R452に入ってすぐの三段滝の駐車場でトイレ休憩を済ませ、一応写真だけ撮ってすぐに走り出した。この滝は川底の岩が段状に削れているために小さな滝のようになっているだけで、めずらしいかもしれないが迫力はない。
次に向かったのが桂沢湖。ダム湖にかかった橋からは美しい景色が見られるが、なぜかパーキングからは藪が邪魔になって見られない。極端に交通量の少ないR452は、ここ桂沢で三笠方面へと向かう道道116と分岐するため、さらに交通量は減る。ほとんど何も走っていない道になる。だからパーソナル・ロード気分になれる。
パーキングで、中西農園のおばあさんにいただいたトウキビ2本と、あらかじめ買っておいた缶コーヒーで昼食にする。茹でたてのトウキビは冷めてしまったが、それでもやっぱりうまい。食後の缶コーヒーを飲んで、R452ナチュラル・パーソナルロードへと飛び出した。その間、通ったクルマは1台もなかった。もちろんバイクも0台だ。
おいしいトウキビでお腹を満たした僕は、森の中のコーナーが連続するワインディングを気持ちよく走るつもりだったが、イメージとは全く異なるまるで高速道路のようなバイパス道路を走っている。
「あれえ、ヘンだなあ。道、間違えた?」
そんなはずはない。R452の標識も出てるし、第一、間違えるほど多くの道はない。何も走っていない自然に満ちた素敵な国道を、無駄に新しい道に作り替えたのだ。やたらと新しい橋が出現する。それも、次から次へと。その一つ一つに名前がつけられていて、笑えてくる。「桂春橋」「桂夏橋」「桂秋橋」と続いているのだ。ばかばかしくなるくらいおかしい。僕は、夕張川の蛇行に沿って走る自然に包まれたR452が好きだった。ところが、今は高架のバイパス道路で、川の蛇行を無視して直線にしたためヘンな名前の新しい橋だらけの立派な道路だ。
R452には、僕が楽しみにしていた風景がある。シューパロ湖にかかる大夕張ダムの手前の風景だ。古びた鉄橋が遠くに映り、ノスタルジックな景色が広がっている。ところが、高架になったバイパスはシューパロ湖さえも素通りし、ダムの麓の集落で旧国道に合流する。ほとんどクルマは走ってないのになぜバイパス状の道路を作ったのかナゾにしか思えなかった。
旧道に合流した所に、古い列車が展示保存されていた。駐車場は水たまりだらけのダートだったが、先頭の古いラッセル車が見えたとたん、水たまりを突っ切って寄り道をした。新しい道のおかげで、時間にはずいぶん余裕ができた。展示されていたのは、夕張炭鉱が栄えていた頃の国鉄夕張線の車両だった。その近くには当時のバスも保存されていた。バス・フェチの僕は、ボンネット型からキャブオーバー型になったばかりの頃の三菱ふそうのバスだと分かった。僕が子どもの頃、豊田市駅周辺を走っていた名鉄バスの多くがこの型だったことを思い出した。バスから再び電車に戻り、先頭車両のラッセル車を間近に見た。温暖な愛知県で生まれ育った僕は、ラッセル車を生で見るのは初めてだ。旅の最後の最後に、ちょっとした感動を味わった。
夕張からはR274で追分から苫小牧に抜けるのがフェリーの出る苫小牧港へ行く最短の経路だが、少し遠回りをすればトリップ・メーターが2000㎞を超えそうな微妙な距離になっている。旅の始まりに走った道央道を走れば、1990㎞くらいになる。そうすれば、名古屋港から豊田まで40㎞くらいはあるので、2000㎞を達成できる。しかも、夕張からの高速道路にも僕のお気に入りの風景があるのだ。それは、千歳東ICから千歳JCTの間の広々とした大平野の景色だ。濃尾平野の端に住んでいても、濃尾平野を見ることなど絶対にできない。しかし、ここでは確かにそこが石狩平野の東の端だということが目で見て分かる。それだけで、僕にとってはすごい所なのだ。
R274との交差点のセイコーマートで晩ご飯のパック寿司を買った。フェリーの夕食は2000円もして高い。今夜は、パックの寿司と山辺でいただいたトウキビがあれば十分だ。そうして、夕張ICから千歳方面に向けて高速道路に入った。
高速道路に入ったのはいいが、ペースが速すぎる。僕はゆったりと風景を眺めたいのだが、「高速道路だから速く走らなければ損」みたいな雰囲気で誰もが走っている。流れに乗って走ってはいるものの、こんなに飛ばしていいのかと思う速さだ。速いとそれだけ早く旅が終わってしまう。大好きな石狩平野の風景も堪能することができない。かと行って、流れを乱すこともできず、あっという間に千歳JCTまで来てしまった。
苫小牧の手前の美沢PAで最後の休憩をとった。妻に、もうすぐフェリー・ターミナルに着くことを連絡すると、なんとなく僕の無事にほっとしているような声が聞こえた。
苫小牧東ICを出てフェリー・ターミナルに着いたのは午後4時少し前。大洗行きと仙台行きのバイクは多いが、名古屋行きは僕が2台目だった。手続きを終え、ターミナル・ビルの2階でコーヒーを飲んでいると、少しずつ少しずつバイクが増えてきた。それでも、名古屋行きは7、8台しかいない。
乗船が17時30分とのことだったので、5時にバイクの所に戻った。一人のおじさんがやたらと人に話しかけていたが、ほとんどのライダーは静かに乗船指示があるのを待っていた。
先発の大洗行きのフェリーの乗船が終わり、残されたバイクは仙台行きと名古屋行きの4、50台になった。待っている間、ずっと響き渡っていた「上のデッキ、上のデッキ」のアナウンスが耳から離れなくなっていた。そして、予定どおり17時30分に乗船の指示があった。
バイクを車両甲板に置くと、着替えなどのお泊まりセットだけを持って予約しておいたS寝台に向かった。
「あれっ、これがS寝台?」
大部屋のベッドにテレビがあるだけ。新日本海フェリーのツーリストSのように個室になっているかと思っていたが、これでは丸2日間くつろげない。翌日には仕事が待っている。まいったなあと思っていたら、特別客室に空きがあるとのアナウンスがあった。以前、妻と利用したことのあるツインルームだ。確か、一等客室が内側で、特別客室が海側のいい雰囲気の部屋だったように記憶している。
ツイン・ルームを一人で利用できるのかインフォメーションに行って尋ねると、変更可能だと言う。迷わず差額を払って個室に移ることにした。
やっぱり個室はいい。パンツ1枚になってリラックスして過ごせる。
出航前に風呂に入っておこうと思い、大風呂に行くと案外たくさんの人が入っていた。作戦失敗だ。行水ですませ、部屋に戻って寿司のパックとトウキビで夕食にした。
19時00分の出航を、デッキから見つめた。だんだん港が遠ざかっていく。なんとも寂しいものだ。その後は、BSテレビで寅さんをみていたが、次の番組が始まったあたりで寝てしまった。
元気なまま旅を終わらせられると思っていたが、実はやっぱり体は疲れていたのだと思う。ゆったりした個室で、ホテルと同じベッドでしっかりと旅の疲れを癒そうと思った。
*本日の走行 214㎞
*本日のピースサイン 56発
<9月14日>
今日は、明後日からの仕事に備えてフェリーの中でひたすら体を休める日だ。僕は、太平洋フェリーに乗ったときの朝食はカフェのモーニングセットと決めている。720円でサラダやヨーグルト、コーヒーまで付いているのだから、レストランの朝食よりずっと割安だと思う。8時00分オープンだが、8時に行くと並ばなければならないので10分前にはテーブルを確保するようにしている。そして、5分前にカウンターに並べばたいていは1番だ。結局、同じ事を考えた人がいたため、僕は4番札で待つことになったが、まったく問題はない。1番から4番はそれほど待ち時間は変わらない。8時ちょうどに来た人は10番札を持ち、僕が食べ終わってもまだ並んでいた。この5分前作戦はみごと成功した。
10時00分に仙台港に着くので、船は陸地に近づき、スマホが使えるようになった。次の作戦は、仙台で下船する人も仙台から乗る人もいない10時に風呂に入ることだ。それまで、メールや電話で家族や知人に元気で帰路に就いていることを知らせた。
10時00分、フェリーは仙台港に着岸した。急いで風呂に行くと、「12:00から」の表示が。昼のカフェは12時30分からだ。そこで、作戦変更。12時に風呂に行き、12時25分にカフェに行けば、すべてすんなりといくはずだ。
部屋でごろごろしながらテレビを観てお昼になるのを待った。そして12時。風呂に行ったら3人しかいなかった。気持ちよく湯船に浸かり、計画どおりその足でカフェに行った。12時にオープンしたレストランは「只今、満席です」の放送があったが、12時25分にカフェに行った僕は、きっちり1番札を手に入れた。カレーライスとたまごスープで660円。しかもカレーは想像してたよりもずっとおいしく、夜もカレーにしようかなあと思ったほどだった。
昼食を終え、13時30分からラウンジで映画を観て過ごした。「はじまりのとき」という邦画で、映画監督木下恵介のデビュー当時の実話を映画化したものだった。母と息子(恵介)との情愛が色濃く表現され、映画が終わったらすぐに、僕が元気に帰路に就いていることを母に伝えようと思った。結局、海を航行中だったため電波が届かず、母の顔を頭に浮かべるだけしかできなかった。
それからは、外のデッキに出てみたり、売店に行ったり、部屋で見るともなくテレビを見たり、暇で退屈な時間を過ごしていた。こういう過ごし方こそ、体を休めるのにはいいことなのだ。
次は晩ご飯の作戦だ。レストランは18時00分に、カフェは19時00分にオープンする。レストランはバイキング方式でステーキやらお寿司やらおいしいものがたくさん食べられるが、2000円は高い。なんだかもったいない気がする。そこで、18時からNHKのBSで「軍師勘兵衛」を観て、19時10分前にカフェに行く作戦に出た。
ツアーの団体客が乗船していたせいか、18時20分には「レストランは只今満席です」の放送が入った。テレビを観ながら「カフェもちょっとヤバいかも」と思った。それでも、オープン10分前に行って待っていたら、またもや1番札。おいしいカレーをもう一度食べようと思っていたが、やっぱり昼も夜も同じというのはヘンだと思い直し、月見そばとおにぎりにした。これも、思ったよりずっとおいしかった。本当のところ、高い差額を払ってツインルームを独り占めという贅沢をしているので、あまりお金を使いたくないという思いもあった。
食後はラウンジでピアノとエレクトーンのコンサートがあったので行ってきたが、つまらなかったので10分くらいで抜け出した。
部屋の戻ってスマホを見ると、電波がつながっていた。スーパーカブ仲間のT君に電話をすると、彼は北海道には行けないから矢作川の源流まで走り、そのまま作手(新城市)と茶臼山(愛知県豊根村)まで行ってきたと言う。スーパーカブで三河高原を走り回るのは、大型バイクで北海道を走り回るのに匹敵するくらい楽しいことかもしれない。自動二輪の免許を持たない彼は、
「カブで北海道を走れるかなあ。」
と言っていたので、
「北海道をカブでツーリングしている人を何人も見かけたよ。」
と話すと、
「定年になったら、いっしょに走ろう。」
と言っていた。定年は近いが、僕は北海道をカブで走るのは怖い。
電波が途絶えたので、ぶらぶらと風呂へ行き、ゆっくりとお湯に浸かった。バス・トイレ付きの部屋だが、やっぱり広い方が気持ちがいいし、癒やされる気がする。
フェリーで1日過ごすというのは、だいたいこんな感じだ。風呂上がりにコーヒーを飲みながら、今日1日を振り返り、メモ帳に鉛筆を走らせた。翌日の10時には名古屋港に着く。それにしても、往路のフェリーでは同乗のライダーたちと話をしながら北に向かったが、帰りは誰とも話をしていない。元々、僕は友達づくりが下手なのだと思う。
*本日の走行 0㎞
*本日のピースサイン 0発
<9月15日>
今日も、昨日と同じように5分前作戦でモーニング・セットを食べた。部屋に戻って下船の準備をしたが、なぜか落ち着かない。外は、北海道ではほとんど見ることができなかった青空が広がっている。Gパンにブーツ、インナーを外して夏仕様にしたブルゾンを羽織り、下船案内の放送を待っていた。両側に陸が見えるので伊勢湾もかなり奥まで入ってきていることが分かる。
9時10分、下船の案内があった。早い。9時30分くらいと思っていたが、「伊勢湾ランチ・クルーズ」にこのフェリーを使うため、早く入港するということをすっかり忘れていた。
指示に従って車両甲板に行くと、20台ほどのバイクの横には大型トレーラーの荷台部分が並べられていた。目の前でトラックと連結する。これはダイナミックな光景が見られると思ったが、案外あっけなく連結できるもので、トラックがバックしてきて「カチッ」と音がしたと思ったら、ドライバーが連結部分を確認してさっさと出ていった。あまりの簡単さに拍子抜けしたが、それでもすごいものを見たと思えた。
予定より30分早い9時30分には下船できた。心配だった伊勢湾岸名港中央ICまでの産業道路も迷うことなく走ることができた。高速に乗ってしまえば30分あまりで豊田松平ICに着く。伊勢湾岸道で、先に出た浜松ナンバー氏に追いついた。手を上げて挨拶をしながら追い抜くと、ミラー超しに手を振っているのが見えた。しばらくすると、フェリーで見かけたBMW氏が僕を抜いていった。ここでも、ピースサインで挨拶を交わす。船内では言葉を交わすことはなかったが、ライダー同士のつながりはあるものだ。
不思議なことに、暑くない。名古屋港に着いてすぐに、愛知の気温に体が順応しているのだ。人間の体の神秘さに感心しているうちに豊田松平ICに着いた。インターを出れば家までは5分ほどだ。
家に着くと、バイクの音を聞きつけて妻が出てきた。ヘルメットをしたまま、ハイタッチで「ただいま」の挨拶。
「すごい早いじゃん。」
時刻はまだ10時30分を回ったばかりだ。妻にはフェリーが早く着くことを言ってなかったので、びっくりさせてしまった。
荷物を下ろし、エアコンの効いた居間に入ると、一言、
「アイスコーヒー。」
「今すぐ、コーヒーを作れって?」
特別な時間から日常の時間に戻った。
*本日の走行 45㎞
*本日のピースサイン 5発
初めての大冒険はあっという間に終わってしまったような気がする。天候には恵まれなかったが、記録的集中豪雨の報道映像にあったような猛烈な雨に遭うこともなくソロツーリングを続けることができたのは幸いだったと思う。できることなら、あと1回くらいはキャンプをしたかったが、それでも天気が良くても悪くても楽しいのが北の大地北海道の旅だ。
毎年のように妻と2人、2台のバイクで北海道を走っているが、心のどこかで「男なら一人で走ってみろ!」という声が聞こえていたような気がしていた。こうして、北海道ソロツーリングの醍醐味、楽しさを十分味わうことができたが、僕が遊んでいる間もがんばって仕事をしている妻に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちが入り混じった思いを感じていた。来年は、うまく休みを合わせてまた2人で北の大地を走りたいと思う。
*ツーリング期間 2014年9月6日(土)~15日(日)
*使用車種 カワサキZRX1200ダエグ
*総走行距離 2034㎞
*総ピースサイン数 191発