父の強い要望で諏訪の御柱祭に行ってきた。僕自身はあまり興味はなかったが、今回の見物で、その荘厳さや豪快さ、そして歴史の深さに思いっきり感動してしまった。
<5月8日>
朝8時40分くらいに豊田の自宅を出た。すぐに走行中のトヨタ2000GTに出会った。20 年以上、博物館でしか見たことのないクルマに出会い、興奮してしまった。(*写真はトヨタ博物館展示車)
高速休日1000円ということで自宅のすぐ近くの豊田松平ICから東海環状道~中央道~長野自動車道を経て、一気に岡谷ICまで走った。GW後ということで高速道路はすいていて、中央道の木曽駒ケ岳や中央アルプスなどのすてきな景色を楽しみながらすいすい走ることができた。愛車VOXYは、僕たち夫婦と両親の4人が乗り、僕が幼稚園の頃に御柱祭に行った時のことを話題にしたりして、楽しい時を過ごすことができた。当初、離れて暮らしている弟夫婦もいっしょに行く予定だったが、都合が悪くなってしまい、広い車内に4人だけになってしまった。VOXYは、家族で乗るには必要にして十分なサイズで、高速走行も普通に走るにはとても快適なクルマだと思う。
岡谷ICを出ると、あらかじめ調べておいた諏訪湖の湖岸にある赤砂崎臨時駐車場に向かった。駐車場では、係の方が身障者マークを見て、出口に近いスペースに誘導してくださった。
足の悪い父とがいるので、タクシーを使って諏訪大社下社春宮に行った。社に入る前 に、社の下の「万治の石仏」を見物した。頭が異様に小さい割に強面の顔をした少々不格好な石仏だった。石仏の周りを3回回るとよいとのことで、両親は3回回っていた。父は、足が悪い割には元気がいい。
お昼を過ぎていたが、近くに食事ができる店もなさそうだったので、社の下の出店でやきそばを買い、河原で4人並んで食べた。こういうピクニックのようなことなどやったことがなかったので、なんだかこういうのもいいものだと思えた。
簡単な昼食を済ませ、小高い山の坂道を登って春宮の境内に入った。ぜまい境内は、す ごい人、人、人で溢れかえっていた。ちょうど、ご神木の御柱が入ってくるころなのか、警察の方は綱を張り、「ここから入らないように」とマイクでどなっていた。大勢の人で御柱はよく見えなかったが、巨木に乗っておんべ(はたきの大きいのみたいな物)を振りながら木挽き歌を歌っている人々の姿は 見えた。その豪快さに驚いてしまった。その後、その御柱を立てるのだが、警備の人に尋ねると「予定では2時からだけど、1時間以上遅れているから、いつ立てることになるのか分からない」とのことだった。時間はまだ1時を少し過ぎたくらいでした。父もずっと立って待つわけにもいかず、もう一方の秋宮まで歩くことにしました。実際には、建御柱(たておんばしら;御柱を立てる行事)が行われたのは5時過ぎだったとのことで、すぐに移動して正解だったと思 う。ただ、父は「秋宮はすぐそこだから」と言っていたが、あらかじめ地図を見ておいた僕の記憶では3~4㎞くらいはありそうな気がしていた。父の杖に合わせてゆっくり歩き、小1時間くらいかかって秋宮前の大社通りに着いた。父は、途中の御神酒の試飲で何杯もお酒を飲んでご機嫌だったが、足が悪いもとは心臓疾患によるもので、僕は心配で心配でたまらなかった。父に大丈夫かどうか聞いても「大丈夫、大丈夫。お祭りっていうのは、こういうもんだ」と、調子のいい答が返ってくるだけだった。
秋宮近くの大社通りに着くと、長持ちの行列に出会った。木挽き歌と独特の振り付けに 合わせ、長い丸太につり下げられた長持ちの箱が、丸太と擦れ合ってギシギシと音を立てる。「これが見たかったんだ」と言う父。確かに、見応えのある長持ちの行列だった。いさましい男たちに混じって、はっぴをまくって肩を出して木挽きに会わせて力強く踊る女の人たちがすごくかっこよく見えた。
「まだ、奴の行列もあるぞ。」
と、父は上機嫌。とても身障者手帳をいつも持参して歩く人とは思えないほど元気だ。
タクシーで赤砂崎に戻り、予約しておいた上諏訪温泉「すわ湖苑」に向かった。食事まで に時間があったので、まずは温泉につかり、体の疲れを癒した。お湯は僕には熱すぎ、露天風呂はさらに熱かった。父も、
「外のお湯は熱くて入れん。」
と言っていたが、気持ちよかったと喜んでいた。
部屋からは諏訪湖が一望でき、雰囲気のよい旅館だ。長野の豚しゃぶのおいしい晩ご飯を食べ、もう一度温泉につかった父は、9時には寝てしまった。母はそんな 父をすごく心配していたが、母も父に合わせて9時過ぎには眠ってしまった。僕たちも10時前には床に就き、ものすごく早い就寝時間になった。
<5月9日>
この日もいい天気になった。金曜日にはまとまった雨が降ったが、諏訪 の祭に合わせるように好天続きになった。
10時少し前にチェックアウトし、昨日と同じように赤砂の駐車場にクルマを置き、タクシーで下社秋宮の大社通りに行った。父は、大勢の人が御柱 を曳いていくところを見たかったと言う。大社通りに着いたのがちょうどいい時間だったのか、長持ちや奴の行列の前に待望の御柱が通った。
直径80㎝~1mくらいはありそうな大木を、木挽き歌に合わせて大勢のはっぴ姿の人た ちが曳いていきます。あらゆる年齢層の男女が声と手の振りに合わせて曳く姿は、なんと豪快で荘厳でしょう。父が見たかっただけでなく、おそらくこれを僕に見せたかったのでしょう。そして、御柱の後ろには、昨日と同じように長持ちや奴などの行列が延々と続いていた。観客の数も、それはそれは驚くほどの多さで、その誰もが僕たちと同じようにその行列に夢中になっていた。父はカメラを持って、実にうれしそうな顔で長持ち行列の前や後 ろを行ったり来たりしていた。父と母の、あふれんばかりのうれしそうな顔。そして、御柱祭の魅力に取り憑かれてしまった僕。本当に、来てよかったと思った。
ニュースで、土曜日に春宮の建御柱でワイヤーのうちの1本が切れ、バランスを崩して3人が落下し、うち2人が命を落としたとのことだった。僕たちが春宮で見た御柱だ。前の方に乗って木挽き歌を歌いながらおんべを振っていた人たちを見たが、あの人たちが亡くなってしまったかと思うと、心が痛む。御柱祭は、命がけのお祭りなのだ。
お昼は、大社通りで助六すしを買い、赤砂駐車場に戻って、湖畔で食べた。目の前に 、雪をかぶった八ヶ岳の先っぽだけが春霞の峰の遠くに見え、穏やかな湖と暖かな日差しとともに、気持ちのよいひとときを過ごした。
1時頃、岡谷の遠い親戚の家に寄らせてもらい、2時過ぎには長野自動車道岡谷ICから往路と同じように東海環状道豊田松平ICまで一気に走った。さすがに高齢の両親は疲れたのか、快適な車内で眠ったりして過ごしていたが、特に父はかなり無理をしたように思う。無理してでも、僕に諏訪大社の御柱祭を見せたかったのだろう。
帰りの高速道路もとてもすいていて、5時前には家に着くことができた。
「奥山の大木、里にくだりて神となる」
パンフレットに記された言葉だ。この言葉が、僕の頭から離れない。せいぜい江戸時代 以降の祭しか知らなかった僕は、古代日本の文化の源流がここにあるように思えて、大きなカルチャーショックを受けた。
次に御柱祭が行われるのは6年後だ。その時も、絶対に行こうと思えてきた。6年後には、父も米寿を迎える。母も80半ばになる。もう一度両親といっしょに御柱祭を見物したい。だから、両親にはずっと元気でいてほしいと願う。