ELEVEN HOUSE

北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2015.12 シュピーレン初1泊ドライブ・滋賀県湖東三山

2015-12-31 11:33:48 | キャンピングカーの部屋
<12月26日>
 キャンピングカー・シュピーレンでの初1泊ドライブは入院中の父の回復をお願いするお参りの旅ということで滋賀県の湖東三山を巡る旅にしました。
 東名三好ICから一気に湖東三山PAのスマート・インターまで走り、まずは百済寺(ひゃくさいじ)。庭園の美しさに感動し、さらに鎌倉時代建立の本堂の威厳に圧倒され、ここにたどり着いただけでものすごく御利益があるような気がしました。山門には大きなわらじが2つ。お参りのあとに父のお守り買おうとしたら、「健脚健康」と書かれたわらじのお守りを見つけました。車椅子の父が杖で歩けますようにという願いを込めてそのお守りを買いました。ついでに、長い坂道でへろへろになった僕用にも1つ買いました。
 三山2つ目は、金剛輪寺。駐車場にシュピーレンを止め、山門に入ろうとしたら、そこにあったのが「バイク地蔵」様。夫婦でバイクツーリングを楽しんでいる僕たちです。手を合わせないわけにはいきません。2人でしっかりと安全をお願いして門をくぐりました。長い坂道です。へろへろになった足で坂を登ると、脚力がほぼ限界に近づいた辺りに庭園が。百済時の庭園に勝るとも劣らない美しさ。ゆっくり眺めて本堂に向かうと、これがまた強烈な石段。7割くらい登ったところで「オレ、もうリタイア」と言ってはみたものの、ここまで登ってあきらめるのはもったいないと思い、「足よ、壊れろ」とばかりに石段を登り続けました。石段の参道の両側にはずらりと並ぶお地蔵様。ひっそりとしていてちょっと不気味。4つ年下の妻はこの程度の坂道と石段くらいならまだまだ平気そう。仕事柄歩くことがほとんどない僕は、数年後が心配になってきました。
 わおっ。目に飛び込んできたのは立派な本堂と三重の塔。ともに鎌倉時代の建造物そのもので、歴史の重みを感じます。ついでに、本堂脇にちょっとした駐車場も見つけてしまいましたが、足が棒状態を通り越して痛さが麻痺していた僕は、見なかったことにしました。ここ金剛輪寺もその威厳に圧倒されました。お参りの後、父の2つ目のわらじのお守りを買って石段と坂を下りました。
 時刻は1時近かったので、湖東三山PAのスマート・インター入り口交差点にあったドライブインで昼食をとりました。
 シュピーレンにも燃料を入れたかったのですが、インターから2つのお寺を回っている間にガソリンスタンドを一つも見ていません。R307を北に向かって走り、GSを探しましたがありません。燃料系はEになって点滅しています。3つ目の西明寺を通り越し、GSを探すと、西明寺から3㎞ほど走ったところにENEOSがありました。そのうれしかったこと。
 西明寺の山門をくぐると杖が置いてありました。また長い石段かと思い杖を手に登り始めました。すると、山門、庭園、少し歩いて本堂と、僕の足に優しい参道で拍子抜け。このお寺の特徴は十二天画像が祀られ、それぞれ頭の上に十二支の動物が乗っていました。父には父の干支のうさぎのお守りを買い、湖東三山三点セットが完成しました。ここの本堂もやはり鎌倉時代のもの。三山すべて鎌倉時代建造のお寺で、その威厳があって圧倒されました。
久しぶりに長い石段や坂道を歩き、僕の足はガクガク。長浜にあるJRVA指定の温泉の駐車場で車中泊し、ゆっくり温泉にも浸かろうと思い、湖東三山PAのスマート・インターから名神、北陸道を走って長浜ICで降りました。指定の温泉はすぐに分かりました。混み合った駐車場にシュピーレンを止め、フロントで手続きをとろうとしたら、
「土曜日は宿泊客のいっぱいなのでお断りしてるんです。」
 しかたがないので、道の駅で泊まることにしました。北に走ると道の駅「湖北みずどりステーション」があります。長浜の道の駅「近江母の里」で地のおいなりさんや山菜ご飯、卵焼きなどの晩ご飯を買い、琵琶湖に沈む真っ赤な夕日を見て、趣のある湖岸道路を湖北町に向けて走り、チェックしておいた道の駅「湖北みずどりステーション」でシュピーレンを止めました。トイレも近く、きれいな道の駅で、なかなかいい感じでした。今日の宿はここに決定です。
 まだ6時前だったので晩ご飯の前に温泉に入ろうということにしました。
 ネットで検索すると、長浜市街を横切って10㎞ほど東に「あねがわ温泉」があることが分かりました。ナビに従ってR365を関ヶ原方面に走ると大きな「ゆ」という看板がありました。
 大きな温泉施設でした。露天風呂はぬるめのお湯でしたが、首から上は12月の空気にさらされているため、ぬるさがちょうどよさに変わっていきました。今日はいつも以上にたくさん歩いたから、しっかり温泉に浸かって疲れを癒やしました。本当に気持ちのいいものです。
 最後に湯冷めしないようにもう一度熱めの内湯に入り、お決まりのコーヒー牛乳を飲み、クルマに戻りました。
 再び、湖北町の湖畔の道の駅「湖北みずどりステーション」に戻り、晩ご飯です。いよいよキャンピングカーの本領発揮です。テーブルを2人で囲み、献立は長浜で買ったもち米入りのお山菜いなりと山菜おこわ。テレビを見ながら晩ご飯・・・と思ったのですが、テレビの操作方法を忘れてしまい、「まあ、いいか」とテレビなしで食べました。食後はガスで湯を沸かし、コーヒータイムです。火を使うときのために換気扇も装備してあります。これで中毒死の心配はありません。その後、横になって地図を見たり、スマホをいじったり、くつろいだひとときを過ごしました。
 9時を回ったところで、シートをベッドにし、エアマットと厚手のシュラフにくるまりました。12月下旬というのに、全然寒くありません。隣のVOXYの親子3人の明るい声が聞こえてきます。もう片方の隣のジムニーはどうやら一人旅のようです。
 気持ちよすぎ~と思っていましたが、初めてのキャンカー泊に気持ちが高ぶっていたのか、あまり寝付きはよくありませんでした。それでも、歩き疲れていたせいか、いつの間にか夢の世界へと入っていました。


<12月27日>
 寝たのが早かったせいか、夜中の3時頃に一度目が覚めました。
「何、この音。」
 どうやら雨音で目が覚めたみたいです。小雨の中、トイレに行って、また眠りに就きました。
 朝7時。雨はやむ気配がありません。シュラフとマットを片付け、シートをCafeバージョンにしました。テーブルを囲んで、2人であさのコーヒー。暖かい夜でヒーターを使わずに寝ることができましたが、さすがに朝は寒く、FFヒーターを使いました。ヒーターの効きはよく、すぐに車内はぽかぽかになり、のんびりとした朝のひとときを楽しみました。
「天気予報、晴れ時々曇りって言ってなかった?」
「そうだよ。天気、いいはずなんだけど。」
 スマホで調べてみると、天気のいいのは太平洋側で、愛知県の天気予報ではいい天気。滋賀県は雨時々曇りでした。
道の駅がオープンするまでの時間も、暖かいクルマの中でごろごろしたりテーブルを囲んでおしゃべりしたり、これだけでもキャンピングカーにしてよかったとつくづく思いました。
 ぶらっと喫煙場所に行くと、熊本ナンバーの大型キャンピングカーのオーナーの方に出会いました。琵琶湖の野鳥を撮りに来たそうです。マイクロバスよりでかい車体の豪邸です。
「今、家内がご飯を炊いて味噌汁を作ってるから、ちょっと一服。」
僕のシュピーレン(ライトエースバン)では、そんなことはできません。できないことはないけれで、普通にできるのはせいぜいお湯を沸かせる程度です。「いいですね」とは答えたものの、旅に出てまで食事の支度とはなあ、なんて思ったりもしましたが、狭いながらもそのうちにポータブル・ガスコンロでも買ってそんなことをするかもしれません。
 道の駅が開店してすぐに食券の1番と2番で朝食です。僕は天ぷらうどんと山菜ごはんのセット。実は、味ご飯が大好きなのです。
 帰ったら餅つきをしようと思っているので、近江米の餅米を3升ほど買い、今日のお昼用のパンとおにぎりを調達し、クルマに戻りました。隣の家族連れVOXYが出発して行きました。反対隣の一人旅ジムニーはまだ睡眠中のようでした。
 豪邸で朝食をとっている大型キャンピングカーを横目に、まずは道の駅のすぐ隣の野鳥センターで琵琶湖の野鳥観察。望遠鏡を使うと結構いろいろな野鳥が見られておもしろいものでした。
 その後、R365で関ヶ原に向かいましたが、途中で浅井氏の資料館と小谷城に寄ってみました。小谷城は山そのものが城になっていて、まさしく不洛の城という様相を見せていましたが、それでも織田勢に滅ぼされています。
 岐阜県に入ったら、雨も上がっていました。小谷を出て次に向かったのが関ヶ原で合戦資料館です。東西両軍の動きをジオラマと映像で見て、小谷の資料館と併せて戦国の世に思いを馳せ、合戦資料館を後にしました。
 お昼を過ぎていたので、小高い山に登って石田三成の陣の駐車場で資料館のパンフレットを見ながら車内食です。
 大垣に向かう途中の池田温泉でつるつるしたいかにも温泉という気持ちのいいお湯に浸かり、東海環状道・大垣西ICから名神高速を箸って家に帰りました。
 「滋賀県っていいところだね。」
 家に着いて、奥さんがそう言っていました。僕たち夫婦のドライブやツーリングは岐阜か長野のどちらかが多く、あまり西に向かったことがありませんでした。湖西や奈良辺りもおもしろそうだなあと思いました。
 初めてのキャンカードライブはなかなかおもしろいものでした。それに加え、妻が言うように滋賀県がいいところだったように思います。
 これからシュピーレンでいっぱい「いいところ探し」をしたいと思いました。

 いよいよ今年も終わりです。クルマ関係では、27年間のリッターバイクからの引退とキャンピングカーの購入と、大きな2つのできごとがありました。新たにフェイスブックも始めました。入退院を繰り返している高齢の父がだんだん弱っていくのを見ているのはつらいものがありますが、まあまあいい1年だったの思います。
 来年もよろしくお願いいたします。
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2015.12 トヨタ・ライトエースバンでキャンカー・デビュー

2015-12-24 23:46:56 | キャンピングカーの部屋
 8年12万kmのVOXYの次のクルマがはるばる長野からやってきました。人生初の4ナンバー車のシュピーレンです。ベースはトヨタ・ライトエースバンGL4WD。それを長野のフロット・モビールでキャンピング・カーに架装し、昨日23日に納車されました。
 外から眺めて目につくのが、やはりオレンジ・メタリックのボディカラー。トヨタ86専用色のオレンジをまとったボディは、前後のScion(サイオン)エンブレムとリア・パネルとうまくマッチングし、さらにローダウン・サスでタイヤハウスの隙間が狭くなり、商用車らしさはかなり消されていて、むしろおしゃれな雰囲気さえ感じられました。ぱっと見、インドネシアのダイハツの工場で安く作ったトヨタライトエースバンには見えないのではないかと思えるほどの外観になっているように思いました。
 運転席周りはウッド調のパネルで高級感を出したつもりですが、どうしても商用車らしさから抜け出すことはできません。それでも、納得できる程度の運転席周りにはなったように思いました。
 荷室部分は、僕たち夫婦の居住空間です。天井のLEDライトは減光調節自由自在の優れもの。小型のシンクに小型のテレビ、小型のつり棚に小型の収納家具、そして小型のテーブル。コンパクトサイズのクルマなので、すべて小型です。それでも、テーブルを囲んで「コ」の字型に座って食事をしたりくつろいだり、そして大人2人が寝るのに十分な広さのベッドでごろごろしたり、狭いながらも楽しい空間になっています。走行充電式のサブ・バッテリーを搭載し、エンジンを切っても作動するFFヒーター(ファンヒーター)やオーディオ類も装備し、寒い冬でも眠くなったらどこでも眠ることができます。また、火気を使っても大丈夫なように換気扇をつけたり、夏対策として網戸をつけたり、さらに、父が車椅子生活をしているので、家族ドライブ用に車椅子のまま乗ることができるスロープと固定フックも装備しました。製造元の長野のフロット・モビールの社長さんにはずいぶん無理な注文もお願いしましたが、人気のハイエースより60cmも短い限られた空間を効率的に活用し、おしゃれな部屋に仕上げてくださいました。
 午後から、スペア・キーの注文にネッツ店に行ったり、入院している父の病院に行ったりしましたが、とにかく機動性抜群のキャンカーでした。ベース車のライトエースバンはそれなりの大きさには見えますが、実寸法ではヴィッツより3cmも狭く、わずか5cm長いだけの超コンパクト・サイズです。高さも2m以下なので地下駐にも止められます。
 走りは、リッターバイクから250ccバイクに乗り換えたくらいVOXYとの差があります。そもそも1.5Lの4ナンバーのバンにパワフルな走りを求めてはいないので、普通に走れればそれで十分です。僕が乗っていたバイクが110馬力でしたが、ライトエースは100馬力にも満たないローパワー(97馬力)ですから仕方がありません。乗り心地もバン用のサスから乗用車セッティングのローダウン・サスの換えましたが、ゴツゴツ感はかなりあります。タイヤも165R13から195/65-15にインチアップしました。その結果かどうかは分かりませんが、空荷時のとび跳ねるような感覚はまったくありません。サスペンションと65タイヤへの変更は正解だったと思います。今日の出勤で高速道路を走りましたが、高速安定性についてはとても安心感がありました。ちなみに、時速80kmから100kmへの加速は大変でした。登坂車線のある所では大変どころか加速さえせず、アクセルを踏み込んでも速度はほとんど変わりません。インターでの侵入や追い越し車線への進路変更には気を遣います。しかし、実際に高速道路を走ってみて、そんなものだと思えばどうってことはありませんでした。それでも、いつもの家から職場の大学までの距離がやたら長く感じました。
 昨日の話に戻ります。
 晩ご飯の後のコーヒーは、Cafe「シュピーレン」。エンジンを切ってもサブ・バッテリーで作動するFFヒーターの効き目は抜群で、ダイヤルを「弱」の位置で使用しても室内はぬくぬくです。換気扇を回してコールマンの瞬間湯沸かし器でお湯を沸かし、テレビを見ながらのんびりとコーヒーを飲みました。その後ベッドで横になると知しらず知らずのうちにうつらうつら。なんて気持ちのいいこと。食後のコーヒーがすっかりキャンカー・ドライブの予行練習になりました。
 今度の土日は琵琶湖方面に出かけることにしました。キャンカー車中泊デビューです。長浜辺りのRV協会(JRVA)指定の温泉の駐車場か、それとも湖畔の道の駅か、気が向いた所が「ホテル・シュピーレン」です。VOXYもいいクルマでしたが、シュピーレンと出会って夢が広がったような気がしています。
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2015.12 車庫証明の申請を自分でやった/キャンカー・デビューまであと3日

2015-12-20 00:07:25 | キャンピングカーの部屋
 クルマに乗るようになって40年以上になりますが、クルマを買う際の車庫証明はいつもディーラー任せでした。ところが、今回12万km近く走ったVOXYを買い換えるのに、初めて自分で警察署に出向き、車庫証明の申請をやってみました。
 次のクルマは長野市郊外にあるフロット・モビールという会社、コーチ・ビルダー的な会社で、1台1台手作りでクルマを製作する会社で作っているため、「長野」ナンバー以外は自分で車庫証明をとらなくてはならなくなったということです。つまり、必要にせまられて豊田警察署に出向き、自分で申請したということなのです。
 ガレージは父親名義なので、父の土地を使う承諾を得たという証明書、たしかにその場所が父親名義の場所だという証明書など、申請書類以外にも作成しなければならない書類があり、それらを揃えて警察署に行きました。警察署というのは、何も悪いことをしていなくてもどきどきする所で、何台ものパトカーが並んでいるのを見るだけでも緊張するものです。入ってすぐの所にいた警察官に申請窓口の場所を聞き、教えられたとおりに2階に上がると、分かりやすく矢印で示してありました。窓口の女性は、事務的な口調でしたが、親切に書類の不備の部分と、どのように修正すればいいのかを教えてくれたので、思ったよりすんなりと申請書類を出すことができました。正直、緊張した割にはスムーズにできたと思います。
 次のクルマは特装車のため、それに伴う改造書類もでき、車庫証明が届き次第改造審査(保安基準、強度等の個別検査らしい)を受け、車検が通る状態であることを確認し、その後車検を取って22日に愛知県西三河陸運事務所までトレーラーで運び、登録手続きを行い、「豊田」ナンバーを取得して22日の夜に納車できるという連絡がありました。納車の時は明るい場所で説明を受けたいと話すと、どこかで一晩寝て23日の朝に持って来てくれるという運びになりました。
 次のクルマは、フロット・モビールのシュピーレンというクルマです。ベース車はトヨタ・ライトエースバン4WD(ダイハツ・インドネシア工場製)ですから、見た目は小型のワンボックスのバンです。4ナンバー貨物車がベースなのでサスペンションも乗用車用に替えました。それに合わせて、タイヤも乗用車用のものにしました。12月ですから、スタッドレス・タイヤを履いての納車ですが、ミシュランX-Iceでホイールは13インチから15インチにアップしました。全長はコンパクト・カーなみの短さですが、バン(貨物車)ですから荷室部分は広大です。その荷室部分は、父用の車椅子はもちろん小型のバイクさえも積むことのできる空間になったり、「コ」の字型にテーブルを囲むことのできる小さな部屋になったり、ベッドルームになったりします。FFヒーターで夜はエンジンを切っても暖房が効き、夏は網戸と換気扇で熱気を抜くこともできます。つまり、シュピーレンは小型のキャンピングカーです。色は、ベース車が貨物車のためトラック用の白とシルバーしかなかったので、思い切ってトヨタ86専用色のオレンジ・メタリックに全塗装しました。前後のエンブレムもTOYOTAからトヨタ・アメリカのScion(サイオン)に替えて、電気工事店御用達のライトエースバンっぽくない感じになるようにしましたが、実車を見るまでは分かりません。
 車庫証明の申請も無事にでき、あとは23日の納車を楽しみに待つだけです。
 写真は、フロット・モビールのエアロパーツ付きのデモ車で、僕のクルマではありません。
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2015.12 父の米寿と弟夫婦の還暦のお祝い

2015-12-08 23:30:44 | いろいろ思う部屋
 日曜日に父の米寿と弟夫婦の還暦のお祝いをしました。
 17日に88歳の誕生日を迎える父は心臓に障害があり、家の中を歩く程度であまり外に出なくなりました。ドライブ好きの父だったのですが、今は出かけるのは通院だけと言っていいくらいです。先日の診察で「これ以上良くはならない。維持するだけで、年齢を考えたらだんだん悪くなっていくことになるだろう」と主治医に言われ、ますます元気をなくしていました。父はいつも、体調が良くなったら東北へ行きたい、○○へ行きたい、何々をしたいと言っています。それが生きる力になっているように思います。年齢的にも、この先だんだん弱っていくだけと悟ったのか、もうどこにも行けなくなってしまったと言って元気をなくしていました。
 今日は弟夫婦と孫もいっしょに近くのお寿司屋さんでお祝いの食事をしたところ、父はよほど楽しかったのか、なんだか顔色も良くなったように見えました。プレゼントしたハンチング帽子をすごく気に入ってくれて、ずっと被っていました。そして、来年の夏に父がずっと行きたいと言っていた青森の恐山に連れていってあげる約束もしました。僕が今注文しているクルマは、運転席の後ろはテーブルを「コの字」に囲んで食事ができるようになる特注品です。そして、疲れたら横になることもできるようにしました。また、スロープで車椅子のまま乗車でき、床には固定用フックも着けました。カップを洗ったりできるようミニ・シンクも着けました。製作に3か月ほどかかりますが、今月末にはできあがってきます。これなら、父をドライブに連れていってあげることもできます。
 父には、恐山へのドライブを生きる力にして、元気なまま長生きしてもらいたいと思っています。
 なんと言っても、父は僕にとって永遠の目標なのですから。

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2015.12 名神高速でタイヤバースト 死ぬかと思・・・わなかったよ

2015-12-02 23:48:42 | クルマの部屋
 高速走行中にタイヤがバーストした。
 仕事帰りの名神高速上りの一宮を越えた辺りの追い越し車線を走行中、突然ダートを走るような振動と異音。ただのパンクではないことはすぐに分かった。追い越すのをやめてすぐに走行車線に戻り、ハザードを点滅させ、徐々にペースを時速50kmまで落として非常駐車帯を探しながら走った。次から次へとやってくる後続車の多くは、僕のVOXYに近づく前に追い越し車線に入ってくれたため、思ったより怖い思いはしなくてすんだが、追い越し車線がやや数珠つなぎ状態になってしまい申し訳なさと配慮への感謝の気持ちでクルマを止められる場所を探した。1.5kmほど走って岩倉バスストップを見つけたときのうれしかったこと。ペースを極端に落としていたせいか1.5kmが倍の3kmくらいに感じられた。
 無人の、草ぼうぼうのバスストップにVOXYを止め、クルマから降りて右リアタイヤを見てびっくり。完全に裂けてた。スペアタイヤはたぶんエアが少ないと思い、JAFに連絡してそのことも伝えた。
 わずか15分ほどでJAFのサービスカーが到着した。そして、手際よく車載の緊急用タイヤにエアを入れ、バーストしたタイヤと交換してくれた。
 ロードサービス隊の人の話では、原因は分からないとのことだった。バーストの多くは、タイヤの摩耗か空気圧不足が原因とのことだったが、バイスとしたタイヤの溝は十分にあり、空気圧も他の3本に問題はなかったから、バーストしたタイヤも同じ圧だったと考えられることから、原因不明ということだそうだ。
 緊急用タイヤ装着のため、時速80kmを上限にゆっくりとVOXYを走らせながら、きっとバースト直前に小さな釘状のものを踏んでわずかずつ空気が抜けてきて徐々に空気圧が下がってきたのだろうと自分なりに原因を分析していた。
 それにしても、高速走行中にバーストした割には冷静でいられたものだと我ながら感心してる。まったくパニくることなく、安全に対処できたと思っている。毎回欠かさずにスカパーで観ていF1観戦でそういう場面をよく見ているからかもと思ったりもした。
 今になって思い出してみると、一歩間違えたらとんでもない大惨事を引き起こしていたかもしれないほどのとんでもない出来事だったんだよなあ。

<タイヤの異変に気づいてとっさに思ったこと>
 右リアがバーストしたとすれば、左フロントタイヤは浮いた状態に近いことになり、ハンドル、ブレーキともに不安定になるだろう。ブレーキを踏まないか、そっと踏むかでコントロールしないと横転の危険がある。そこで、ハンドルをしっかりとつかみ、わずかずつ左によせる。そして、100kmからの急減速でなく、ホイールがダメになっても構わないからアクセルから足を離すだけの減速にする。そして、制限速度は50km以上なので、速度は50kmにする。それ以下にすると、追突される危険がある。

<原因として考えられること>
①タイヤの劣化 ②タイヤの摩耗 ③粗悪品 ④空気圧不足
 この4つが考えられると思う。
①②については、新品から3年目であり、溝もしっかり残っているので問題は無かったと思う。長期在庫品だったらとも考えられるが、3年前の新製品であり、劣化のセンは無いだろう。
③については、タイヤのブランドは「ピレリ」で銘柄はF1に供給されているタイヤと同じ「PZero」(シリーズの中でもっともおとなしい仕様の「ロッソ」)ということで、粗悪品の可能性も低い。本国生産品かどうかはわからないが、たとえピレリの○国工場で生産されたものだったとしても品質管理はきちんとしていると信じたい。「P1」「P7」は○国の工場で生産されたものという話を聞いたことはあるが真偽のほどは分からない。ちなみに僕が冬にCクラスに装着しているスタッドレスタイヤはピレリの○国工場製のもので、かなり安かった。舗装路しか走ってないのでいいのか悪いのか知らない。ということで、ピレリ・ブランドを信じて、粗悪品ではないと信じることにする。
④の空気圧不足については、僕が帰りのクルマの中で考えたとおりだ。つまり、「バースト直前に小さな釘状のものを踏んでわずかずつ空気が抜けてきて徐々に空気圧が下がってきたのだろう」ということだ。これが原因だとすれば、タイヤバーストは、いつ、どこで起こるかわからない危険ということになる。防ぐのは困難であり、何が起こっても冷静な対応をする心の準備だけはしておかなければならないということになる。

<結論>
 くわばら、くわばら・・・。
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