ELEVEN HOUSE

北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2017.1 鬼岩温泉へ新年最初のドライブ

2017-01-14 11:31:53 | キャンピングカーの部屋
 この地方では松の内も明け、本格的に2017年が始まりました。
 年末年始のご挨拶につきましては、服喪中のため失礼させていただきました。昨年一年間、ありがとうございました。あらためまして、本年もよろしくお願いいたします。

 昨年は僕にとって父の死をはじめ、親友や先輩を亡くすなど、つらいことの多い一年でした。しかし、ブログを呼んでくださる皆さんやFace bookに「いいね」をくださる皆さんに支えていただき、乗り越えることができました。また、自分なりに、回数は減ったもののバイクツーリングやキャンカー旅、鉄道旅などで癒しを求めてきました。そうして、なんとか無事に一年を閉じ、新年を迎えることができました。
 今年は初詣も年賀状もない服喪中のお正月でした。しかし、それではせっかくのお正月休みがもったいないと思い、去年クルマの運転をやめた母を「正月に温泉でも行こうか」と年末に誘ってみました。すると、二つ返事で「うん、行こっ」と言ってくれたのです。そこで、1月2日から1泊2日で父との思い出の温泉、鬼岩温泉に行くことにしました。
 母は、前日の夕方から着替えなどをバッグに詰め、とても楽しみにしていました。なんだかそれが妙に嬉しく感じました。

<1月2日>>
 近場なので、遅めの11時に家を出て、県道11号で北に向かい、岐阜県恵那市明智町に行きました。市街地は大正時代の建物が多く、市街地全体が「大正村」と呼ばれています。
 ちょうどお昼時だったので、大正村駐車場でお昼ごはんにしました。キャンピングカー「シュピーレン」は、レストラン「シュピーレン」に変身です。妻の作ったおにぎり弁当を3人でテーブルを囲んで食べました。初めて迎えた父のいないお正月ですが、父の分もいっしょに楽しんでいるような気がしました。
 大正村の路地を3人で散策しました。高齢の母はいつになく足取りが軽く、とても元気です。それでも、散策を終えて明智城趾に向かう時、狭い山坂道に差し掛かった所で、山道を歩くのはちょっと危なそうだからやめることにしました。内心、「行く」と言ったらどうしようかと思いました。

 次に向かったのが恵那市岩村です。ここの城下町も江戸時代の名残がプンプンしていていい所です。その街並みを散策していると、旅番組でよく紹介されるカステラ屋さんを見つけました。長崎にカステラが伝わった時と同じ製法で作っている店です。もちろんお土産に買いました。

岩村からは一度R19に出て、土岐からR21を北に向かい、今日の宿「鬼岩温泉湯元館」に4時頃着きました。
 母はすぐに温泉に入りに行きました。僕たちは母がお風呂からあがってからにしました。ラジウム泉の気持ちのいいこと。しかも、神経、筋肉、関節にいいというので、歳を取って筋肉や関節が弱ってきている上に神経系に持病のある僕にとっては最高の効能です。
 晩御飯もかなり豪華で、飛騨牛の霜降りのしゃぶしゃぶなんて普段絶対に食べることのない料理に感激してしまいました。
 食後にもう一度温泉に浸かってきました。い~い気持ちです。母も気持ちよさそうに眠っています。久しぶりにたくさん歩いて疲れたかもしれません。
「おめでとう」の言えないお正月ですが、家族3人で楽しい新年を迎えられたような気がしました。

<1月3日>
 朝からラジウム泉ラドン温泉に入っていい気持ちです。
 母との温泉ドライブの2日目。部屋から外を見るとうっすらと霞がかかって谷間のひっそりした温泉街が普段の雑踏を忘れさせてくれるようでいい感じでした。

 朝湯を楽しんで、お正月メニューのおいしい朝ごはん。のんびりした朝を過ごしました。
 チェックアウトしてしばらくの間、鬼岩公園の麓を散策しました。部屋から見えていた赤い花は椿でした。咲き乱れるような咲き方をする花ではないと思っていたので、意外な感じがしましたが、鮮やかな花がいっぱいに咲いているのはとてもきれいでした。

 鬼岩公園を登りきると松野湖に出ます。散策路はありますが険し過ぎる登山道のような道なので、僕たちはクルマで上りました。
 松野湖は木々に囲まれた美しい人造湖です。桜の季節や新緑の季節は隠れた名所になりそうです。
 その後、鬼岩温泉のすぐ近くの道の駅「志野織部」で買い物をしました。母はお土産物を見るのが好きです。ついつい僕もどうでもいいようなものを買ってしまいました。
 鬼岩温泉から家までは高速を使えば一時間もかかりません。3日はUターンラッシュのピークです。こういう日はさっさと帰った方がいいのです。
 お昼には家に着きました。
 鬼岩温泉は父といっしょに行った最後のドライブの思い出の温泉です。去年父の四十九日の法要が終わって一段落した時に母と3人で行きました。鬼岩湯元館のフロントの方も僕たちを覚えていてくださいました。新緑の頃にまた行ってみようかなあと思います。
コメント (7)
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2016.12 阿蘇・熊本の旅

2017-01-05 23:32:14 | いろいろな旅の部屋
 服喪中のため、年賀状もおせちも初詣もないお正月を過ごしました。唯一行ったのが母と僕たち3人で近場の温泉で1泊したことくらいで、いつになく地味な年明けでした。そんな中、年末の熊本への旅行はとても印象に残る旅になりました。
<12月24日>
 やってきました、阿蘇小国(おぐに)へ。妻と二人での久しぶりの旅行です。
朝は5時起き、中部国際空港セントレアに着いたのが6時40分。出発ロビーは大にぎわいでした。手荷物検査を終えたのが7時50分で大急ぎで売店で味噌カツサンドを買って食べ、8時20分発のANA熊本行きに乗りました。
熊本でレンタカーのヴィッツを借り、まずは通潤橋に行きました。江戸末期に造られた石の橋は壮大で、凛々しくさえ見えました。
橋のたもとの道の駅でお昼ごはん。食べたのは地元の豚肉を使った塩豚丼。豚肉がたっぷり入ったお昼ごはんでした。
その後、高森から北へ阿蘇の東側を縦断しました。外輪山を登り、カルデラに降り、再び外輪山を登って阿蘇の北側に抜けるコースです。中岳の噴煙を北に見てカルデラを眺める景色に感動、西に見て感動、大草原を見て感動…。12月下旬にしては暖かく、空は青空、時おり見せる秋っぽい高くて澄んだ白い雲。いい感じです。

南小国から小国町に入り、杖立温泉「ひぜんや大自然」に着きました。
地の食材をふんだんに使ったおいしい晩御飯を食べると、熊本出身の教え子がFBを見て会いに来てくれました。
卒業生が社会に出て頑張っている姿を見るのは本当に嬉しいものです。
彼女と別れた後は、妻と外湯巡りです。遅いし眠いし…で、豊後の湯一つだけにしました。
帰ってから1階の展望ぶろに入って、肌つるつる。
妻と二人で、遺産の通潤橋を見て、阿蘇のこの世のものとは思えないような雄大な景色に感動し、頑張り屋の卒業生M野さんに会い、おいしい晩御飯を食べ、気持ちのいい温泉に浸かる。最高に幸せなクリスマスイブになりました。
さらに、途中でホンダモンキーのくまモン仕様も見ることができました。ちょっと欲が出て、欲しくなりました。でも、たぶん買いません。
あ~、満足満足。

<12月25日>
 朝の小国杖立温泉は至る所から湯けむりが上がっていて、何とも風情のある景色でした。
気持ちのいい温泉でひとっ風呂浴びて、温泉街を散策しました。
まずは蒸し場。温泉が吹き上げる湯気にセイロを乗せ、中に食材を入れて蒸す調理です。テレビでは見たことがありますが、体験するのは初めてです。で、卵を入れてやってみたところ、食べてみたら味が濃い。そして、いかにも温泉のある生活という経験ができたのも楽しい思い出になりました。
次は旧日田街道。昔の人たちは狭い山坂道を歩いて行き来したかと思うと、大変な時代だったんだなあと思ったりもしました。
小国はとても素敵な町でした。
小国を出て南に向かい、次の目的地は今回最大の楽しみだった大観望。
外輪山の大草原、眼下に広がる広大なカルデラ、そして正面には中岳から登る白い噴煙。その雄大な景色に、そこから離れられないくらいの感動を覚えました。
その後、外輪山の尾根を走るミルクロードで南に向かいました。外輪山の上はモコモコした草原が続き、ここでしか見ることのできない景色を楽しみました。
昨日は阿蘇を東側から、今朝は西側から眺めたので、仕上げは中央からと、南阿蘇村を高千穂方面にヴィッツを走らせていたら、残念ながら通行止めになっていました。周囲の家々は、瓦が落ちていたり、傾いていたり、震災の爪痕が生々しく残っていました。
南阿蘇鉄道のトロッコ列車の駅にも行ってみましたが、勿論運休。まだまだ復興には時間がかかりそうです。でもきっと、みんな頑張って必至に生きていることでしょう。それだけに、僕も自分のすべきことを頑張らなくちゃと思いました。何も失っていない僕たちこそ、一生懸命生きなくてはバチが当たります。
阿蘇を中央から攻めることをあきらめ、熊本市内に向かうことにしました。
さすがは県庁所在地の日曜日です。クルマも人もいっぱいでした。向かったのは水前寺公園。妻が行ってみたいと言っていた公園です。
偕楽園、兼六園、後楽園と言われていますが、なかなかどうして、水前寺公園も同等の美しさです。時間があったので、池を一回り散策しました。
続いて、市電に乗って熊本城に行ってみました。報道で見たとおりかなりの損傷で痛々しい姿を見せていました。勿論、中に入ることはできませんでした。それでも外から眺める人はたくさんいて、大勢の人に愛されていることが伝わってきました。
今日の宿は東横イン熊本駅前。駅近くの居酒屋で食事をすませ、旅残って二日間を振り返っています。

<12月26日>
 阿蘇、熊本旅行の最終日は南阿蘇村に行くことにしました。益城町と南阿蘇村を結ぶ俵山トンネルが開通したというニュースを見たからです。復興の証しです。
平日の熊本市街は名古屋とほとんど同じと思えるほどの混みようでした。市内を抜け隣町の益城町に入るのに1時間ほどかかりました。
益城町の道路は所々波うっていたり段差があったりしていますが、クルマを走らせるにはなんの支障もないほど良くなっていました。
途中から迂回路に入り、山坂道を走ることになっていましたが、観光道路のようにきれいな道で、景色を楽しみながら南阿蘇村に向かいました。峠付近からの眺めは思わずクルマを停めたくなるほどの美しさでした。峠と外輪山の間には雲海。すごすぎます。
素敵な迂回路から再び県道に入ると、いよいよ昨日開通したばかりの俵山トンネルです。
着実に復興が進んでいることがすごく嬉しく感じました。しかし、南阿蘇村の家々は瓦が落ちていたり、傾いていたり、災害がいかに大きなものだったかを物語っていました。
南阿蘇の真新しい道の駅にクルマを止めました。目の前には雄大で美しい阿蘇山がどっしりと構え、我を忘れて見いってしまいました。しかし、麓に広がる南阿蘇の集落はまだまだ復興半ばです。阿蘇の山懐の美しい町、南阿蘇が一日も早く復興することを願っています。
南阿蘇の美しい風景を目に焼きつけ、来た道を戻って空港へとクルマを走らせました。
レンタカーのヴィッツを返し、空港内のレストランで昼食にしました。阿蘇界隈を旅していて気になっていたのが「あか牛」です。迷わずあか牛の牛丼を注文しました。やっぱり、吉○家などの牛丼とは全然違いました。柔らかくて甘いのです。ついでに、水前寺公園で気になっていたいきなり団子も食べましたが、なんとなく大福餅のような感じでした。

食事をすませ、まだ時間があったので、売店をぶらぶらしました。ついつい、くまモングッズを買ってしまいます。くまモン、可愛過ぎ‼
帰りの飛行機は、なんとボンバルディアのプロペラ機。これのジェット版が三菱のMRJのライバル機で、70~80人乗りの小型旅客機では大きなシェアを占めている飛行機です。「え~、プロペラ機?」と思いましたが、想像以上に快適で、さすが小型旅客機トップメーカーのボンバルディアと思いました。MRJ導入はいつのことやら。
こうして、二泊三日の阿蘇熊本の旅が終わりました。

阿蘇の雄大な景色、小国の風情ある温泉街、賑やかな熊本の街、教え子の元気な姿、そして進む復興。本当に中身の濃い三日間になりました。
そういえば、あの大地震で被害のなかったのが小国町周辺だったそうです。阿蘇北側は地盤が強固だったからのようです。クルマを走らせていても小国辺りは道路が波うっていたり段差があったりしていませんでした。どんなに大きな地震でも地面がうねったりしなければ、古い建物でも傾いたりはしないということのようです。僕の家の辺りはどうなのだろうと思いました。

最後にクルマ好きの僕から一つ。三日間の足だったヴィッツの走りです。さすがはヨーロッパでヤリスの名で人気のクルマです。市街地での乗り心地、阿蘇の山坂道でのコーナリング、さらに静粛性に燃費と、すべてに満足できるクルマでした。ヨーロッパで鍛えられた足回りは、阿蘇のワィンディングで期待以上の走りを楽しませてくれました。

コメント (2)
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