年度末・年度始めの怒濤のような1か月が過ぎ、GW初日はなにが何でもリフレッシュのために使おうと決めていた。疲れる旅は御法度だ。とにかくのんびりゆったり疲れを取りことが今回の旅の目的だった。
目的地は正月のドライブでお世話になった飯田市の「天竜水神温泉よし乃亭」と決めていた。前回訪れてお気に入りの宿になっていた。
早朝から家を出るようなことはしない。朝から雨が降っていたが、なぜか「そんなことはどうでもいい」と思えた。愛車CLKはスポーティにもゴージャスにも走ることができる優れ物だ。清 水の舞台から飛び降りる気持ちで買って4年目。何一つ気に入らない点は見当たらない。ちょっとおバカなオート・ワイパーのスイッチを入れ、11時に豊田の自宅を出た。
高速道路の渋滞のニュースを耳に、ほとんどノンストップの快適速度でR153を長野県方面へと走る。雨に濡れた新緑が光って見える。1時間ほどで長野県根羽村「ネバーランド」に到着。根羽村特産を具材とした信州牛カレーと野菜カレーを注文した。とろとろに煮込んだ牛肉とカレー、そして妻の選んだ赤・黄・緑の野菜の色が鮮やかなカレーのどちらもうまい。特産品コーナーには野菜は漬け物に、果物はジャムに加工され、思わずたくさん買いたくなってしまう。しかし、家から1時間ほどで来られる所なので、いつでも買えると思い、今回は何も買わなかった。
2時には旅館付近までたどり着いてしまったので、飯田から天竜川に沿って南下し、天竜峡に行ってみた。大雨のせいか、濁流が勢いよく流れていてなかなか迫力がある。駐車場のわ きの「りんご足湯」の看板が目に入った。
「行こ、行こ、」
と、妻。
舟の形をした湯船(?)に足を入れると、なんだか体全体がほかほかしてくるような感じがした。実は、僕にとって足湯は初体験。靴下が濡れるのがイヤで敬遠していた。
再び飯田方面に戻り、3時すぎに天竜水神温泉よし乃亭にチェックイン。
まずは部屋でごろごろ。それから1階ロビーでコーヒー。お気に入りのカップに入れてくれる が、そのカップはお土産としていたたけるのだ。ちなみに、浴衣も女性だけは好きな柄を選ぶ ことができる。ただし、お土産にはならない。
のんびりと過ごした後は温泉に浸かる。ここの温泉の湯は、無職透明で匂いもないが、つるつる度が濃い。この濃いつるつる度が実に気持ちがいいのだ。露天風呂にも入ってみた。季節外れの寒波で気温も10℃以下だったが、首から上のひんやり感とお湯の温かいつるつる感がなんとも言えないくらいふんわかした気分にしてくれる。
晩ご飯もうまい。僕にしてはめずらしくすべて平らげてしまった。さすがに、満腹になりご飯だけは少し残してしまったが。信州牛のすきやきにナマズのお造り。前回は「ナマズ」にぎょっとしたが、今回はおいしくいただくことができた。次から次へとおいしい料理が出されるが、ど れもみんな僕の口に合うのだ。最後のデザートは生キャラメル・プリン。ありきたりの献立ではないところがまたいい。
部屋に戻ってごろごろした後、もう一度温泉に浸かった。やっぱりいい気持ちだ。
朝起きると、雨は上がっていたが、食事の時間にはまた降り始めた。
朝食後にまたまた温泉に入った。超のんびりドライブだから、10時チェックアウトぎりぎりまでテレビを観たりして過ごし、チェックアウト後もロビーでおいしいコーヒーを飲んだりして過ごした。天竜水神温泉よし乃亭の良さは、値段の割りに料理がよく、部屋もきれいで、従業員の方の対応もよく、お湯は気持ちよく、天気さえ良ければ天竜川を見下ろす景色もいいし、宿の雰囲気もいい。観光バスがばんばん入ってくる豪華すぎる旅館でもなければ、かと言って貧乏くささはもちろんない。だから、僕にとってはお薦めの宿でもあり、きっとまたぶらっと訪れると思う。
10時半を過ぎてから旅館を後にした。飯田市のすぎ北の喬木村に大藤があるとパンフレットで知り、行ってみた。昔ながらの1車線の狭い通りもCLKの小回りがきく独特のシステムがありがたい。マークX並みのサイズでヴィッツ並みの最小半径という取り回しの良さは運転が うまくなったような錯覚をするくらいの機動性だ。
藤はまだ少し早かった。垂れ下がった藤の花も、上から半分くらいまでは花が咲いていた が、その先はつぼみだった。それでも、長く垂れ下がるピンクがかった薄紫色の藤棚は柔らかい優しさを感じさせてくれる。
その後、いちご狩りに行ってみた。喬木村のいちごは粒が大きく、甘くてお いしい。1人1300円だが、お腹がいっぱいになっても、まだ食べたいと思えるくらいのおいしさだった。「もう食えねぇ」と思ったときにはお昼を回っていて、いちごが今日の昼食となってしまった。
次は、飯田に戻って猿庫の泉へ水汲みに行った。これは1月のドライブで地図を見て発見した泉で、20Lのポリタンクいっぱいに汲んできた。これでしばらくの間はおいしい水でコーヒーを煎れることができるのだ。場所は大平峠に向かう途中に ある。
その後、R153で一気に豊田までの約100㎞をほとんど止まることなく快 適な速度で走った。連休で渋滞覚悟で出かけたドライブだったが、「高速1000円」のおかげで一般道はすいすい走れることが分かった。
天候には恵まれず、雨のドライブになってしまったが、快適走行のCLKと素敵な宿のおかげで、まさにリフレッシュ・ドライブにふさわしい疲れ知らずの1泊2日のプチ旅になった。
怒濤のような年度末・年度始めからやや落ち着きを取り戻した先週末、豊田スタジアムへ名古屋グランパス対浦和レッズの試合を観に行きました。もちろん、ピクシー率いるグランパスの応援です。赤をチームカラーとするこの2チームの対戦は人気カードの一つで、毎試合3万人を超えるサポーターでスタジアムは埋め尽くされます。キックオフ1時間半前に入りましたが、ほぼ満員に近い状態で、4~5F席からの観戦になりました。ただ、豊田スタジアムの4~5F席はコート全体を見渡すことのできるなかなかいい席なのです。
試合が近づくと、両サポーター席が大きく揺れ動きます。グランパスとレッズの赤で埋め尽くされたスタンドは圧巻です。
これまでの対戦成績からはグランパスが優勢です。両チームとも今シーズンはいいスタート がきれていて、好ゲームが展開されるなかでグランパスが勝つというのが僕の予想でした。
ところが、試合が始まると、グランパスのパスはことごとくカットされてしまい、常にレッズが優勢のままで前半が終了してしまいました。それでも得点は0対1と、なんとか1点差でしのぎました。そして、後半はスピードのある杉本を投入して攻撃を立て直す・・・と思われましたがレッズ優位の展開は続いていました。日本を代表するキーパー楢崎の活躍で無失点ですみましたが、とうとう防戦一方のゲームになってしまいました。
作戦云々ではなく、レッズの方が明らかに強いという印象を受けた試合でした。グランパス はこの試合に負け、上位グループから一歩後退してしまいました。しかし、シーズンはまだ始まったばかりです。強いグランパスになる要素は十分にあります。次節は何がなんでも勝って、再び優勝争いの一角に入らなければずるずるといってしまいそうです。
それにしても、今年もレッズは強いね。悔しいけど・・・。
先月19日は卒業式、20日には釧路に飛び、21日は釧路市音別の伯父のお参りをし、22日に戻ってきました。北海道大好きな僕ですが、あわただしい3日間でした。
そして、翌日23日は普通の勤務で、24日が修了式でした。
実は、この段階で異動を予感していました。そうなると、下手なことは書けません。つい「M丘小での最後の・・・」という書き方をしてしまいそうだったからです。正式発表は30日だったので、口を閉ざさざるを得なかったのです。
25日は翌日の次年度の学校活動に関する会議資料の作成、26日は新年度の担任や分掌を決める会議と、午後からは僕の異動に関わる後任者との引き継ぎ、27日は学年末文書の処理でしたが、大規模校だけに膨大な量の文書処理、28日の土曜日も学校へ行って、4月の行事の企画書(入学式、PTA総会、給食開始、知能テスト、学級経営案、指導要領改訂に伴う教育課程の変更、家庭訪問等々)の作成とその合間を縫っての荷物整理と、こんな感じの学年末休業になっていました。さらに、自治区の副区長としての最後のおお仕事の「自治区総会」が29日で、学校での土曜日返上の忙しさのなかで準備を進めていました。そして、総会のすべてが順調にいったと同時に体全体の力が抜けたような感じがしました。
30日は僕が次の赴任校N部小学校へ出向き、教頭先生からいろいろなことを引き継ぎました。「いろいろなこと」というのは、実は引き継ぎ内容がよく分からなかったのです。それで、とりあえず4月1日の職員会で教頭が提案する内容と、4日の土曜日のPTA常任委員会の進行や教頭としての学校側の提案事項だけをしっかりと聞いておきました。その後、M丘小に戻り、後任の教務主任が困らないように当面の企画をすべてやっておきました。
そして、M丘小での最後の日。 お昼少し前に学校へ行き、ひたすら机の中、ロッカーの中、教務用ロッカーの整理・・・と思ったら、「入学式のしおり」を作っておかなければならないことに気づき、あせりながら作りました。そのため、異動のための整理は夕方になってやっと本格的に始めました。綱渡りのような学年末休業でした。31日の夜になっても異動できる状態になってないのですから。
9時半頃、やっとすべてが終わりました。終わったと同時に「これでM丘小の僕」はいなくなってしまうのだと実感しました。最後のコーヒーを飲み、帰ろうとすると、ある先生が近づいてきて「本当に先生にはいっぱいお世話になり・・・」と、身に余るようなお礼の言葉をかけてくれました。それを聞いて、職員室にいた他の先生方も来てくれました。廊下に出ると、会議室にいた先生までもが「声が聞こえたので」と言って出てきてくれて、遅くまで残って仕事をされていた全員の先生からほんとうにありがたい言葉をいっぱいかけてもらいました。あと数時間で僕は他の学校の先生になってしまいます。整理が終わった安堵感が、一気に悲しさに変わってしまいました。僕からもみんなにお礼を言い、6年間毎日当たり前のように通った学校を出ました。
クルマを運転してしばらくしたところで、涙が出て出て、止まらなくなってしまい、運転のしにくいこと。目を真っ赤にして家に帰りましたが、家に着いた時には「次の学校でも、こうしてみんなが信頼してくれる先生になれるよう頑張ろう」という気持ちになっていました。本当に、僕はM丘小が大好きでした。M丘小の子どもたちも、先生たちも、保護者の方たちも、地域の人たちも、みんな大好きでした。