ELEVEN HOUSE

北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2017.8 明日から北海道

2017-08-25 13:27:05 | ニンジャ650の部屋
 ただ今、お昼休みでお昼ごはんを食べてます。
 今日は2年ぶりにバイクで出勤しました。

 朝から妻と二人でバイクに大荷物をパッキング。今日は仕事が終わったらその足で敦賀のフェリーターミナルに向かいます。そして、新日本海フェリーに乗って明日の夜には苫小牧です。

 朝の東海環状道、瀬戸を過ぎたらなんだか北海道みたいだなあと思ったりして、仕事をしてても頭の中は北海道だったりして、・・・いえいえ、ちゃんと仕事をしていました。






 そしてお昼。いつもは妻の作るお弁当なのですが、今日は弁当箱を持ち帰ることができないためカップ麺とおにぎりです。写真では「カップヌードルカレー」に見えますが、よく見ると「コープヌードルカレー」なんです。なんと88円!。しかも製造元を見てみると日清食品です。中身は・・・多分同じような気がします。こんなところで節約、節約。
 おにぎりをタンクバッグに入れてたら、形が変わっていました。味は変わらないので問題なし。
 さて、もうひと仕事したら、川島パーキングで妻と合流して名神~北陸道で敦賀です。ちょっとドキドキしてきたぞ。
 なお、北海道ツーリング中はface bookにツーリングの記録を書き込もうと思っています。もしよかったら、ちょっとのぞいていただければうれしいです。
 face bookは、カテゴリー「著書・旅の本」の著者名と同じ名前で登録してあります。
 さあ、仕事、仕事。


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2017.8 もうすぐ北海道ツーリング

2017-08-22 17:16:52 | ニンジャ650の部屋
 今月26日から北海道ツーリングに出かけます。
 勤務先の大学では再試験追試験、採用試験に向けた特殊講義、教育実習事前指導など学期末の忙しい時期を送っています。そのため、遠距離通勤の僕は家にいる時間が短く、ツーリング直前にあわてないためにも少しずつ準備をすることにしました。しかも、それが楽しい~。


 先週末には、Ninjaにスマホホルダーを着けました。北海道ツーはキャンプツーリングを予定しているので、充電できる時に充電しておかないとスマホが使えなくなってしまいます。USBソケットにつないで走行充電ができるようにしました。スマホホルダー取り付けで留意したのはハンドルを左右いっぱいに切ったときにスマホがどこかに当たらないかということです。実際には、上下方向の調整さえすれば簡単に取り付け位置は決まりました。バイクにまたがってみるといい感じで着いています。ただ、僕は地図派なので、走りながらスマホを見ることはないと思います。






 土曜日からはバッグにキャンプ用具なども入れ始めています。
 僕のNinjaのサイドバッグの左バッグには着替え類、右バッグにはストーブなどの火気系とランタンなどの照明類、トップケースには椅子やテーブルと絶対に濡らしてはならないシュラフなど、防水バッグにはカッパと1日目の宿泊セットを入れています。
 妻のVTRのサイドバッグには、左バッグに着替え類、右バッグには缶詰やコーヒーなどの食事系、リアシートバッグにはテントとコッヘルなどの食器類を入れることにして、準備を進めています。


 土曜日の午後はバイクショップに行って2台のバイクのオイル交換と、ブレーキやタイヤのエア、チェーンの張りなどの基本点検をしてきました。ついでに、旧下山村までチョイのりツーリングで走行チェック。




 出発まであと3日。今はワクワクとドキドキが入り交じった心境です。ワクワクは、北の大地を地平線を見ながらのんびりと旅することの心地よさ。ドキドキは、このところ疲れ気味で体力持つかなあ。まあ、僕の場合はいくら体調が優れなくても遊んでいる時はいつも元気になってます。


 出発は、26日の午前0時30分発の新日本フェリー敦賀~苫小牧東港便です。前日の25日の金曜日はツーリングのパッキングをしてバイクで出勤し、仕事が終わったら、夕方に妻と高速のパーキングで合流して2台で敦賀に向かう予定です。仕事から帰るといつもヘロヘロなのに、仕事を終えてから各務原から敦賀までバイクで走るなんて・・・と思うのですが、たぶんこの日だけはヘロヘロにはならないと思います。遊んでいる時はいつも元気になれる僕ですから。
 来週の今頃は北の大地を走っています。
 みなさんより遅めの夏休みがもうすぐやってきます。

 なお、北海道ツーリング中はface bookにツーリングの記録を書き込もうと思っています。もしよかったら、ちょっとのぞいていただければうれしいです。
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2017.8 お盆でした~盆踊りとお墓参り~

2017-08-14 16:24:01 | いろいろ思う部屋
 

先週の土曜日は自治区の盆踊りでした。
 僕は朝8時から会場準備に出かけました。会場準備は例年のように現役員さんと来年度の役員が担当です。僕、来年順番が回ってくるのです。で、しぶしぶ会場の南公園に向かったのでした。


 南公園に集合すると、行事担当の現役員さんによる役割分担に従ってそれぞれ準備を始めました。
 県外への勤め人の僕は、自治区内に知ってる人なんてほとんどいません。それでも、役割分担で僕の仕事は小学生の描いたポスターの掲示と紙花の飾り付けだったのでちょっとほっとしました。


 前職が小学校教諭の僕にとっては、小学生の作品掲示はお手のものです。ただ、周りの人たちは僕が元小学生の先生だなんて知りません。ついてきぱきやり過ぎてしまい、ちょっと後悔しました。下手に目立って来年何かの委員の長にでもなったら大変なのです。ここは、目立ってはいけない場面なのです。めだたないようにこつこつと仕事をする。そんな人を演じなければならないのです。


 紙花の飾り付けは、実は無くてもいいと思いました。電球による照明だけで十分賑やか区なります。でも、母も含めて老人クラブの人たちが頑張って作った紙花です。その思いを感じながら叮嚀に取り付けていきました。こうして自分の役割を終えて一服しながらあらためて会場を見てみると、どの役割の人も頑張って働いていて概ね盆踊りの会場らしくなっていました。

 夜の7時に母と妻と僕の3人で盆踊りに行きました。僕と妻は約10年ぶりです。たぶん、前回役員を仰せつかった時以来だと思います。しかし、母は毎年行っています。しかも、抽選会ではいつも何かしらの賞品をいただいてくるから驚きです。母は運のいい人なのです。


 盆踊りは思ったよりたくさんの人で賑わっていました。意外と若い人も多く参加していて、活気も感じられました。先週の、東京渋谷の盆踊りのニュースを思い出しました。妻は、人混みが嫌いでほとんど隅の方にいました。母はと言うと、老人クラブのテントで老人仲間と談笑したり踊ったりして地域の盆踊りを満喫していました。僕は踊るのは好きではないけど人混みは嫌いではないので、夜店を覗いたりして過ごしていました。時々、豊田スタジアムで行われている名古屋グランパスの試合経過をチェックしながら。


 いよいよ抽選会です。
 なんと今年もまた当たりました。去年はお米をいただきましたが、今年は3等で賞品はみじん切りチョッパーでした。妻が餃子でも作ってくれそうです。




 本当はグランパスの試合を観に行きたいと思っていましたが、地元の盆踊りもなかなかいいものです。来年は主催者側での参加になります。大変だけど頑張るしかないわなあ~。

 そして翌日曜日。
 この日はまたまた朝8時から会場の後片付け。片付けでは時に役割分担もなく、僕はテントの撤収やら長椅子とパイプ椅子の運搬、夜店の片付けなど、次年度役員として現役員さんとともに作業を進めていきました。
 最初の仕事はテントの撤収でした。
 ふと気づくと、僕は「まだ机が残ってるから、前の広い所に出して畳みましょう」「それぞれの足の所に一人ずつ入ってください」「では下ろしましょう」などと口にしていました。まずいぞ、これは。目立たないようにひっそりと仕事をするという覚悟で準備と片付けに参加しているのに、いつの間にか指示を出しながら活動している・・・。明らかに職業病です。僕、グループの中でリーダーシップをとるようなよい子ではなかったのに、教員という仕事に就いたばかりにひっそりと仕事ができないようになってる・・・。
 そんなこんなですっかり南公園が元の児童公園に復元され、自治区の盆踊り行事の全てが終わりました。
 また、しばらくは目立たないようにひっそりと過ごそう。

 午後は、またまた母と妻と僕の3人で父のお墓参りに出かけました。
 普段は花が枯れないように造花を飾っていますが、お盆だけは父が帰ってくるので本物の花にして、3人でお墓参りです。一周忌の4月にお墓を建てたばかりなので、僕たち家族にとっては初めてのお墓参りです。真新しいちょっとおしゃれなお墓。久しぶりの父との再会で、父もこの世に残っている家族3人の元気な姿を見て安心したと思います。本当に会えたらもっといいのに。父に話したいことがいっぱいあるのです。



 夕方、知多市に住む弟家族がやってきました。そして、ご住職さんをお迎えし、お経をあげていただきました。その間、ずっと父のことを考えていました。
 そして、久しぶりに弟家族3人を加えた6人で晩ごはんを食べました。いつもは2人か3人でしかいっしょに食べていません。やっぱりたとえ6人でも大勢でおしゃべりしながら食べるのはいいものだと思いました。
 こうして僕のお盆の行事はほぼ終わりました。僕が土日の午前中に盆踊りの準備や片付けに参加している間に、御供えや花を買いに行ったり、お盆提灯の用意をしたり、仏壇の準備もお墓参りの準備も、ほとんどのことを奥さんがやってくれました。僕のブログですから僕の大変さばかりを書いていますが、本当は僕よりも妻の方が大変だったのです。
 再来週は北海道ツーリングです。再来週の今頃は北海道のどこかを2台のバイクで走っているはずです。北の大地で、奥さんにはいっぱいいっぱいいい思いをさせてあげようと思っています。
 ほとんど休む間もなく月曜日からまた普通に仕事をしています。今週は、教職特殊講義に再試験・追試験、教育実習指導など予定が詰まっています。頑張って仕事をして、再来週は北の大地だ。

 数年前まではお盆なんてどうでもいいと思っていました。父が他界した今は、お盆が特別な時期になっています。
 歳とったのかなあ・・・。


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2017.8 出張で上京

2017-08-11 15:55:01 | いろいろ思う部屋
 先週の金曜日から日曜日まで出張で東京へ行ってきました。
<8月4日>
 午前中の新幹線の中で早めのお昼を食べ、まずは古書店で資料収集です。新幹線の中でのお昼の駅弁は名古屋めし。名古屋コーチンのチキンライスに惹かれました。


 大塚のホテルにチェックインし、高田馬場~西早稲田界隈の古書店を散策し、戦前の国語教育、とりわけ綴り方の指導に関する古い文献を探しました。
 一度ホテルに戻って6時半くらいに晩御飯を食べに出かけました。今回、どうしても行ってみたかったのが葛飾柴又でした。僕たち夫婦はこのところBS放送でやっている寅さんシリーズにハマっています。「柴又に行ったよ」と、奥さんを羨ましがらせたいと思っていました。
 ところがところが・・・、柴又は遠かった。なんと千葉県との県境。僕のイメージでは浅草の近くだったのですが、駅の路線図を見てびっくり。JRで上野へ、上野で京成に乗り換えて成田方面へ。さらに1回乗り換えてやっとのことで柴又に着きました。


 駅前には寅さんとさくらの像。少し歩くと古い商店街。8時近い時間になるとひっそりしていて、ほとんどの店が閉まっていました。
 ありました、とらやが。めっちゃ嬉しかったね、見つけた時は。もちろん店舗は改装されていましたが、看板の文字は映画と同じ。しばらくの間、店と看板を見つめちゃいました。







 そのまま人気(ひとけ)のない商店街を歩き続けると、その先に帝釈天がありました。通りにはでっかいカエルがいたりして、ほんとにのどかな商店街でした。




 晩御飯を食べる店もなく、再び上野に戻りました。すでに9時を回っていましたが、普通の人が普通に歩いているのが首都東京。上野の中華料理店で焼きそばセットを食べ、大塚のホテルに戻ったのは10時過ぎになっていました。でも、感覚的には豊田の8時くらいなので、「遅くなっちゃった~」という感じはまったくありませんでした。
 それにしてもこの日はいつになくいっぱい歩きました。夜の柴又に大満足でした。


<8月5日>
 土曜日は朝から文京シビックセンターで行われた日本国語教育研究大会に参加しました。日本国語教育学会主催の国語の研究者と実践者の一大イベントで、僕は現場教師時代から20年以上参加しています。
 今年のキーワードは「深い学び」。基調提案や実践報告、シンポジウムに講演と、刺激をいっぱいいただきました。


 もう一つの参加目的は、研究者の先輩や仲間に会えること。兵庫と大阪で国語教育学を学んだ僕は地元の愛知や岐阜に研究者仲間がいません。
 会場でまず出会った人が、大阪国語教育研究会メンバーのAさんご夫妻でした。お二人とも高等教育がご専門の高校教師です。僕は初等教育が専門ですが、研究会を主宰されていた大阪教育大学のN先生の元でいっしょに勉強した仲間です。
 そして、その後でそのN先生にも出会いました。すでに退官されて今年で84才になられる学会の重鎮の先生です。僕がまだ20代だった頃に大阪国語教育研究会に参加するよう声をかけてくださった先生です。僕が現場教師をしながら研究者としての勉強に取り組むきっかけをつくってくださった先生で、N先生との出会いがなかったら、そしてN先生が研究の道に誘ってくださらなかったら、今の研究者としての僕はなかったと思います。
 そしてもう一人、福岡のH先生。大学院時代の先輩です。僕はもともと国語教師ではありませんでした。地元愛知県のA大学で経済学を学んだ社会科免許の教師でした。そんな畑違いの僕にすごく温かく接してくださった先輩です。教育学の基礎を学んでいない僕が落ち込んでいるといつも福岡弁で「いいっちゃ、いいっちゃ」と言って慰めてくれた思い出が蘇ってきました。
 学会での提案やシンポジウムから学ぶことはもちろんたくさんありますが、今までに出会った先輩の先生方や仲間たちから学ぶこともたくさんあります。そこに学会出席の価値があると思っています。




 それはそうと、会場のまん前のバス停に「大塚駅前行」の表示を見つけました。宿泊しているホテルは大塚駅のすぐ近くです。大好きなバスに乗って会場を後にしました。地下鉄と違って外が見えるっていいね。


<8月6日>
 学会2日目の会場は茗荷谷のK小学校でした。
 午前中は、授業参観と研究協議でした。僕が参観した授業は、金子みすゞの童謡詩を学習材にした「読むこと」と「話すこと、聞くこと」の授業で、2領域が見事に融合した授業で、しかも「書く」活動も取り入れられた、理想的と言ってもいいくらいの素敵な授業でした。子どもたちが生き生きと活動し、僕にとっては国語科教育関係の講義の引き出しがずいぶん増えたように思いました。研究協議での助言者は大阪国語教育研究会仲間のU先生。生真面目な人だと思っていましたが、ユーモアを交えたご指導に、僕もに見習わなくちゃと思いました。




 午後は、小学校低学年の音読指導の実践発表が二つ。
 一つ目の発表では???(そんな実践でいいの?肝心なところが曖昧になってるよ~)???という部分がありましたが、助言の先生の言葉でストーンと落ち着きました。さすがM先生、うまくフォローしたなあ。僕が助言者だったらすごく冷たいことを言ってしまいそう・・・。
 二つ目の発表はとても良い実践で、普段めったに発言しない僕も、支援の面での配慮の綿密さを高く評価する発言をしてしまいました。いい実践には必ず指導者の子どもに対する細やかな配慮があるものだということを参加されている現場の先生方に伝えたいという気持ちで話させていただきました。ん?助言者みたいだなあ。そんな、恐れ多い・・・。
 この二つの発表に対する助言者の先生は、これまた大阪の研究会仲間のM先生。とても温かい先生です。
 分科会終了後、U先生やM先生と研究について話をすることができ、僕自身にとってもすごくいい勉強になりました。
 帰りの丸ノ内線茗荷谷駅では元兵庫教育大学教授のH先生が声をかけてくださいました。本当に多くの仲間や先輩に支えられて、今の僕があるんだなあとつくづく思いました。




 名古屋へ戻る新幹線ではもちろん新幹線弁当です。これ、好きなんです。量はちょっと少なめだけど、バラエティーに富んだおかずが魅力です。
 収穫いっぱいの出張だったなあと思っています。後期からの授業に生かせそうな引き出しがずいぶん増えました。


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2017.7 NinjaとVTRで歴史探訪3(岐阜大垣墨俣城・藤吉郎の一夜城)

2017-08-01 17:49:36 | ニンジャ650の部屋
 このところハマっているのが戦国歴史探訪。今回は地元松平、徳川本拠地を抜け出し、とうとう岐阜大垣まで足を伸ばし、藤吉郎の一夜城と呼ばれている墨俣城址に行ってきました。
 秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、信長の命で夜の突貫大工事で短期間のうちに建てたというお城です。
 11時過ぎに妻とバイクで東海環状道豊田松平インターから岐阜羽島に向かいました。東海環状は豊田松平からは緑の中を走り抜けるさわやかな道です。暑さを忘れ、ほんのちょっぴり北海道に思いを馳せ、軽快にバイクを走らせました。

 小1時間走り、美濃加茂ハイウェイオアシスでお昼にしました。このクソ暑い時に二人とも熱い豚骨ラーメン。なぜかバイクツーリングにはこれがいいのです。

美濃関JCTから東海北陸道へ、一宮JCTから名神高速を乗り継ぎ、羽島インターで出ました。
 新幹線岐阜羽島駅の前を通り、渋滞ぎみの橋を渡り、長良川西岸の堤防道路を北に向かってしばらく走ると復元された天守閣(資料館)が見えました。

 入り口にバイクを停め、堀を渡ります。橋の名は「しゅっせばし」。藤吉郎が信長に認められ、天下統一に向かって走り続けるきっかけになったのがここ墨俣城の短期間の築城だったのです。

 いくつかの資料を見ながら上の階に昇り、最上階の5階から外を眺めてみると、信長がここにどうしても城を造りたかった理由がすぐに分かりました。
 北を見ると、岐阜城も大垣城も見えます。南東方向には尾張一帯の濃尾平野。織田家の本拠地です。西側は城下の墨俣の町。しかも長良川とその支流が天然の堀になっていて、戦国の世としてはとても優れた立地条件だったのです。
 大垣と言えば名水の町として知られています。名物の大垣ラムネで乾いた喉を潤しました。これがまたうっまい。




 それにしても、真夏の水郷地帯はあっつい。カワサキのタオルで流れ落ちる汗を拭き拭き、新しいのに汗のにおいののするヘルメットを被り、墨俣城趾を後にしました。
 都市部のバイパスにしては走りやすいR21で岐阜市街を抜け、岐阜各務原インターから東海北陸道、東海環状道を走って帰りました。もちろん、走っている時は快適です。快適すぎて眠くなってしまいました。あご紐であくびもできん。
 走行距離約240km。久しぶりの200km越えです。僕は遠距離通勤で毎日往復200km近い距離を走っています。今回のようにツーリングで同じような道(毎日、岐阜各務原インターを利用しています)、同じような距離を走ると通勤路でもずいぶん楽しいものだなあと思いました。明日からツーリング気分で通勤すれば、仕事も楽しくなる・・・ということはないわな。
 今週末は、一応大学で研究職として働いているので学会出席のため東京へ出張です。バイクに乗れません。裏の顔を駆使しなくてはなりません。でも、久しぶりの上京は楽しみです。再来週は自治区の盆踊りで、準備と片付けの仕事があります。またまた乗れない。それでも、26日からは遅めの夏休みをいただいていて、北海道ツーリングを予定しています。もちろん、フェリーも予約してあります。道北~道東をキャンプしながら夫婦で走ってきます。それを励みに、もうひと頑張りです。


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