29日、愛知県公立学校教頭の退職辞令をいただいてきました。
この3月末をもって公立学校教員を退職し、4月から私立大学の子ども発達学科の国語科教育担当の専任講師になることにしました。
36年に渡って勤めてきた小学校の先生を定年まで勤め上げることなく辞めることにしてしまいました。
あっさりと書いていますが、決心に至るまですごく迷いました。迷いに迷い、苦しいくらい迷いました。これまでの人生の中で一番迷ったと行ってもいいくらい迷いました。なんと言っても、教員という職業は中学生の頃からの夢で、それなりに頑張って努力し、夢を叶えたのですから。あれから30余年、このまま定年まで続けるのが一番の道と思いながらも、役職に就いて子どもと接する機会がめっきり減ってからは別の夢が生まれてきたのでした。
校務主任(第二教務)、教務主任時代は、教員研修を担当させていただいていました。初任者研修や、市の3年目研修、法にもとづいた5年経験者研修、10年経験者研修の校内研修、さらに教育実習などで、僕なりに勉強してきたことや経験してきたこと、実践してきたことなどを若い先生たちに伝えてきました。そうした先生たちが育っていく姿を見ているうちに、いつか教員養成の仕事に就きたいという夢が生まれてきたのです。
大学院時代、「児童の文章表現能力の発達」をテーマに、先行研究や現在行われている国語科教育などを調査し、そこから生まれてきた児童の作文や日記などの表現方法や表現技法を分析し、僕としての論を導き出してきました。大学院修士課程修了後も、小学校現場で実践的研究を続け、その成果を兵庫や大阪の大学の研究会で発表してきました。そこでも、大学の先生に指導を受けながら、自分を磨いてきたつもりです。
このブログ「イレブンハウス」では遊んでばかりのような生活みたいですが、決して遊んでばかりの生活をしているわけではありません。教員として精一杯努めてきたつもりですし、それに加え、自分のライフワークとして国語科教育の勉強も人一倍がんばってきたつもりです。
そして、昨年12月、ついに決心したのです。日本国語教育学会および全国大学国語教育学会会員として学会に参加するだけの「研究者の端くれ」から、端くれでない「研究者」の道を歩もうと。それまで、迷っている間に、いくつかの大学で僕のこれまでの論文を審査していただいていました。そして、ある大学から内定をいただきました。
小学校の先生から大学の先生へ。そのギャップは大きなものだと思います。4月から、国語科教育の研究者としての自分をさらに磨き、これから先生になろうという学生たちが子どもたちの心を理解してあげられる素敵な先生になれるよう努めていこうと思っています。
決心に至るまでには、いろいろな思いが頭を巡りました。
まずは、僕が最後に担任した6年4組の子どもたちから学んだことがあります。子どもたちが6年生になったとき、みんなで決めた級訓が「天空」でした。その意味は、「6年生は学校の中で一番高いところにいる。だけど、ぼくたちは、もっともっと高いところを目指していこう」ということだったのです。管理職になった時、この級訓が常に心のどこかにありました。僕にも、まだ目指すところがあるのではないかと。
次が、ある教育実習生から学んだことです。彼女は大学卒業後、小学校の先生になっています。彼女が実習生だった時に口にした言葉が「いつも『こうなれたらいいな』『こうなりたいな』という気持ちを持ち続けていました」ということでした。その後、話をする機会があったのですが、彼女は、○○高校に入れたらいいな、○○大学には入れたらいいな、彼氏ができるといいな、採用試験に受かるといいな、○才で結婚できるといいな等々、常に今の夢や希望を絶やすことなく持ち続けていたそうです。だから、いつも目標があり、その目標に向かって歩んでいたのです。希望だけでは叶いません。彼女はそれだけの努力をしていたに違いありません。役職に就いてからの僕も、また国語科教育の研究をやりたい、教員養成の仕事に就きたい、そんな思いを持ち続けていました。
そして、もうひとつ。僕が担任した子どもたちに言ってきたことが、「迷ったら、やれ」ということでした。学級委員を決める時、やろうかどうしようか迷ったら、それは「やってみよう」という気持ちがあるからなのだと。やる気がなかったら、迷うことさえないはずなのです。今回、僕は迷いに迷いました。子どもたちに言い続けてきた「迷ったら、やれ」を、自分に言い聞かせる時が「今」だと思いました。
そして最後は、12月の東北旅行です。宮城県女川町の「きぼうの鐘商店街」の人から3.11以降のいろいろな話を聞かせていただきました。そんな中で感じたのが、10あった全てを失ってしまった人たちが、2や3を目指して頑張っているということでした。僕も大きな地震は体験しましたが、10のうちの何一つ失ったものはありません。地面は大きく揺れましたが、10の生活全てがそのままです。旅をして強く思ったのは、「10ある人が12,13を目指さなくてどうする!」ということでした。
もうすぐ4月です。新しい生活が始まります。期待と不安の入り交じった不思議な気分から、だんだん「自分の力が大学で通用するのか」「私企業の厳しさに耐えられるのか」「小学校しか経験していない僕は、浮いてしまうのではないか」など、怖さに近い不安が大きくなってきました。それでも、自分で出した結論です。
長年過ごしたみよし市のみなさんには本当にお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
年賀状お年玉くじで3等が当たり、その賞品のベルギーワッフルが送られてきました。当選番号下4けたということで、なんと1万枚に1本という確率でしか当たらない貴重な「当たり」で す。僕たち夫婦が3等賞品の数多くの品々の中から選んだのがベルギーワッフル詰め合わせでした。
実は、本物を食べたのは2005年の愛知万博のベルギー・パビリオンの 中でした。確か「マネケン」というヘンな名前のブランド名だったことを覚えていて、それが3等賞品の中にあったのでした。
やっぱり、とってもおいしいワッフルでした。ベルギーの人はこんなおいしいお菓子を毎日食べている(?)かと思うとうらやましいくらいおいしかったです。詰め合わせですから、1日夫婦2人で2個ずつ食べても10日以上食べ続けら れます。たまらないなあ。
そして、もう一つ。春分の日に買い物に行った時、ものすごくめずらしい袋入りインスタントラーメンを見つけました。以前、ブログで親しくしていただいてい る方の記事で紹介されていたラーメン「キリンラーメン」で、それ以来すごく気になっていました。
ずいぶん昔、日清からチキンラーメンが発売され、その後大小食品メーカーが乱立したような記憶があります。子どもだった僕が好んで食べたのはマツナガ(だったと思う・・・)のトノサマラーメンでした。その頃だったと思います。6食 入りの徳用袋に入った「キリンラーメン」が発売されたのは。6食入りで、かなり格安な値段に設定されていたと思います。作っている会社が碧南市なので、おそらく愛知県とその周辺だけの地域限定商品だと思われます。
僕が見つけたのは、メグリア(トヨタ生協)豊田朝日店でした。ラーメン・コーナーの脇に山積みになっていたので、きっと普段は扱われていないと思いま す。見つけた時のうれしかったこと。迷わずかごに入れました。北海道出身の妻は、
「こんなの、おいしいの?」
と言っていましたが、僕にとってはおいしいかどうかの問題ではありません。イ ンスタントラーメン創世記の味を味わいたかったのです。
水曜日の晩ご飯はもちろんキリンラーメンでした。今の物と比べれば味も食感ももちろん劣りますが、なぜかすごくおいしく感じました。僕が古~いローバー・ミニやスーパー・カブに好んで乗っているのと共通した思いかもしれないなあと思いました。
また見つけたら買っちゃいそうです。
地域限定の湯巡り手形は有名な温泉地にはよくあるのですが、この昼神温泉(長野県南部の阿智村)の「物味湯産手形」ほどお得な湯巡り手形はこれまでに見たことも聞いたこともあり ません。
なんと、1050円で10か所の立ち寄り湯に入ることができるのです。しかも、1年間有効ですから、本当に10回くらい入ることができそうなのです。10回 入れば、1回あたり105円なのです。2回入れば元が引ける値段なので、これだけでもずいぶんお得な湯巡り手形と言えるのですが、さらに、さらに、これが昼神温泉だけでなく、昼神の9つの温泉をはじめ、飯田市・下伊那の5つ、上伊那(伊那、高遠、駒ヶ根など)の7つ、木曽(御嶽界隈)の7つ、さらに、大町や諏訪方面の5つの合計32の温泉という長野県南 部ほぼ全域で使うことができるのです。
それだけではありません。32の立ち寄り湯以外にも協賛している長野県南部の温泉には割引価格で入ることができます。さらに、温泉以外でも、お土産や食事、テーマパークにロープウェイなども割引価格だったり、コーヒーなどの サービスがあったりして、その数は約400。つまり、この手形1枚(1冊)で1年間、南信州を十分楽しむことができるのです。
先月、昼神温泉に行った時に、無料の温泉1か所に入り、協賛店での食事でコーヒーをサービスでいただきました。すでに、温泉1回分500円+コーヒー代390円で890円分のサービスを受けたことになります。あと160円分で元が 引けます。
今年は暇さえあれば「物味湯産手形」を持って、木曽、伊那、諏訪あたりをぶらぶらしそうです。近隣の愛知、岐阜、静岡、山梨の人はもとより、2回で 元が引けるのですから、関東、関西、信越の人にもお勧めの湯巡り手形かもしれません。
早いもので、中古(大古?)のクラシック・ミニを買ってからもう2年が過ぎました。僕のミニは99年式です。旧ミニとしては、最終モデルとして比較的新しいクルマですが、それでも新規登録から14年目になります。50年以上も前(1959年)に発売された超古いクルマですが、登録から14年経った今も、何の不具合もなく、いつも元気に走り回っています。
絶好調とは言え、消耗部品のいくつかは取り替えなければならないはずです。しっかり診ていただくためにも、旧ミニの専門店で車検を受けることにしました。
先月2日の土曜日に、岡崎の中部オリエンタル自動車さんにミニを持ち込みました。走って
特に異常は感じられないミニですが、通常の検査以外に、ホース類やパイプ類などに劣化が見られればあらかじめ交換しておいてもらえるようお願いしました。
そして16日、2週間ぶりのミニとのご対面。あらかじめこの日に取りに行くことを伝えておき、妻といっしょにVOXYに乗って中部オリエンタル自動車に行きま
した。
すぐに、僕のミニが目に入りました。妻はそのまま買い物に出かけました。他にもたくさんのミニが展示してあったり、点検や修理に入っていたりしましたが、僕のハワイアン・ブルーのミニがなぜかすごく輝いて見えました。2年前に買う時には、この色が今ひとつ気に入らなくて躊躇していたのに、不思議なものです。いつの間にか、お気に入りの色になっているのですから。
車検は、通常の検査項目に加え、足回りを中心に診てもらいました。4輪ともサスペンションの調整が必要でした。リア・ブレーキの交換の他、いくつかの不具合も見つかりましたが、年式の割にはとてもいい状態とのことでした。クーラントの交換等も行い、費用は全部で177,000
円でした。去年の秋にVOXY(5年目)の車検でしたが、その時は税金や自賠責の諸費用と通常の車検点検と整備で約11万円でした。14年モノのミニでは6万円あまりの支出高となりましたが、もちろん想定内です。基本点検の中には、今のクルマではあり得ない足回りのグリスアップはもとより、錆に弱いとされるミニですから、下部の防錆塗装も含まれています。若いメカニックの方の、
「丁寧に乗ってくれていて、ありがとうございます。」
の言葉に、中部オリエンタル自動車さんのミニに対する愛情の深さが感じられ、ここで買って
よかった、ここでメンテナンスを受けていてよかったと、あらためて思いました。
帰りは当然、遠回りをして帰りました。運転しているととても幸せな気分になれる不思議なクルマです。それに、同じミニに出会うだけでもうれしくなってしまうとっても不思議なクルマなのです。僕のローバーミニは、僕にとって大事な大事な実物大のおもちゃです。