17日(月)に、僕の大学の卒業式が行われました。僕にとっては、大学の先生になって初めて迎える卒業式でした。ずっと小学校に勤めていた僕は、卒業生を社会に送り出すという経験がありません。それに、僕の出身大学は大きな大学だったので、大講堂でざわざわした雰囲気の中でよく分からないまま式が終わり、学科ごとに階段教室になった大教室に行くよう指示されて、そこで学籍番号を呼ばれて卒業証書と教員免許状を配られ、そのまま高校時
代からの友達と大学を後にしたような記憶しかありません。それさえも定かではないのです。同じ学科だけでも卒業生は数100人ですから、本当に機械的に進められたような気がします。
ところが、僕が所属するT学院大学子ども発達学科の卒業生は60数人で、大半は知っている学生です。某国際会議場の大ホールでおごそかな雰囲気に包まれて式が行われました。ホールの半分は保護者席で、卒業生と同じくらいの人数の保護者の方がおみえになっていました。たまたま扉のところで出会った熊本出身の男の子に聞くと、
「お母さんが来てくれた。」
と、うれしそうに話していました。ホッケーのスポーツ奨学生として入学した子で、スポーツと勉強の両立は大変だったはず。にもかかわらず、がんばって小学校と幼稚園の両方の免許状を取得した子です。お母さんの喜びもひとしおだと思います。
学科代表で証書を受け取る子も答辞を読む子も、僕の授業を受けていた子です。2人ともとても明るい子で、すでに教員採用試験に合格し、来月から教壇に立つ子です。壇上に上がった後ろ姿からも、緊張ぶりが伝わってきました。
全体の式が終わったら、小会議室に学科ごとに分かれて、一人一人学科長先生から証書が手渡されました。中には、学科長から、
「ごめんな、4年間とうとう正しく名前を覚えられなくて。」
と声をかけられた学生もいました。彼女はにこっとして、
「もう、覚えてくれましたよね。」
と小声で答えながら証書を受け取ると、仲間たちがプッと吹き出すなど、和やかな学科卒業式になりました。先生から、一言ずつということで突然出番が回ってきた僕は、
「僕の信条は『迷ったらやれ』です。やってみようかなあという気持ちがあるから迷うのです。社会に出たら、自分の判断と責任で、前へ前へと進んでいく道を選んでほしい。」というような話をしました。真剣に聞いてくれる卒業生の頼もしいこと。ちょっとうるっときてしまいました。
午後からは、立食パーティー形式の謝恩会です。初等教育担当の僕は、小学校の先生になる子たちと、最後の最後にいっぱい話ができました。そして、小さな花束が教員全員に贈られました。僕のところに持ってきた子は、僕と同じ愛知県の三河地方出身のYさんでした。4月だったか5月だったか、僕の講義で苦手だったことができた時、思わず頭をなでていい子いい子をしながら褒めてしまい、「しまった、小学校の先生の時の癖が出ちゃった。いやな気持ちだったらごめん。」と言った覚えがあります。大学生でも、うれしそうにしていたのが印象に残っています。
予定のすべてが終わり、友達同士で帰る子やお母さんと一緒に帰る子、なんだかとっても温かい雰囲気に包まれていました。
家族や地域の人たち、そして先生に守られて育った学生たちは、4月からは誰も守ってくれません。自分の力で生きていかなければならなくなります。T学院大学卒業生としての誇りをもって、社会の荒波に立ち向かっていってほしいと願っています。4年生とはたった1年間のつきあいしかなかったけれど、卒業しても、ずっとずっと僕はあなたたちの先生ですという気持ちでいます。
いただいた小さな花束は、大好きなコーヒーを飲むときのバリスタのとなりに飾ってあります。
一段落ついたところで、水曜と木曜を年休にしました。「てっちゃん第2弾」です。明日の水曜日は用事を済ませてから川崎に行きます。予定では、木曜日の朝の特急「踊り子」に乗って小田原に行き、そこから箱根登山鉄道の一日乗車券を買って、電車とケーブルカーに乗ってぶらぶらするつもりです。
天気は悪そうですが、雨が降ってもきっと電車はおもしろいはず。