ELEVEN HOUSE

北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2014.3 大学の卒業式

2014-03-19 00:17:41 | いろいろ思う部屋

 17日(月)に、僕の大学の卒業式が行われました。僕にとっては、大学の先生になって初めて迎える卒業式でした。ずっと小学校に勤めていた僕は、卒業生を社会に送り出すという経験がありません。それに、僕の出身大学は大きな大学だったので、大講堂でざわざわした雰囲気の中でよく分からないまま式が終わり、学科ごとに階段教室になった大教室に行くよう指示されて、そこで学籍番号を呼ばれて卒業証書と教員免許状を配られ、そのまま高校時Dscf7529
代からの友達と大学を後にしたような記憶しかありません。それさえも定かではないのです。同じ学科だけでも卒業生は数100人ですから、本当に機械的に進められたような気がします。
 ところが、僕が所属するT学院大学子ども発達学科の卒業生は60数人で、大半は知っている学生です。某国際会議場の大ホールでおごそかな雰囲気に包まれて式が行われました。ホールの半分は保護者席で、卒業生と同じくらいの人数の保護者の方がおみえになっていました。たまたま扉のところで出会った熊本出身の男の子に聞くと、
「お母さんが来てくれた。」
と、うれしそうに話していました。ホッケーのスポーツ奨学生として入学した子で、スポーツと勉強の両立は大変だったはず。にもかかわらず、がんばって小学校と幼稚園の両方の免許状を取得した子です。お母さんの喜びもひとしおだと思います。
 学科代表で証書を受け取る子も答辞を読む子も、僕の授業を受けていた子です。2人ともとても明るい子で、すでに教員採用試験に合格し、来月から教壇に立つ子です。壇上に上がった後ろ姿からも、緊張ぶりが伝わってきました。
 全体の式が終わったら、小会議室に学科ごとに分かれて、一人一人学科長先生から証書が手渡されました。中には、学科長から、
「ごめんな、4年間とうとう正しく名前を覚えられなくて。」
と声をかけられた学生もいました。彼女はにこっとして、
「もう、覚えてくれましたよね。」
と小声で答えながら証書を受け取ると、仲間たちがプッと吹き出すなど、和やかな学科卒業式になりました。先生から、一言ずつということで突然出番が回ってきた僕は、
「僕の信条は『迷ったらやれ』です。やってみようかなあという気持ちがあるから迷うのです。社会に出たら、自分の判断と責任で、前へ前へと進んでいく道を選んでほしい。」というような話をしました。真剣に聞いてくれる卒業生の頼もしいこと。ちょっとうるっときてしまいました。
 午後からは、立食パーティー形式の謝恩会です。初等教育担当の僕は、小学校の先生になる子たちと、最後の最後にいっぱい話ができました。そして、小さな花束が教員全員に贈られました。僕のところに持ってきた子は、僕と同じ愛知県の三河地方出身のYさんでした。4月だったか5月だったか、僕の講義で苦手だったことができた時、思わず頭をなでていい子いい子をしながら褒めてしまい、「しまった、小学校の先生の時の癖が出ちゃった。いやな気持ちだったらごめん。」と言った覚えがあります。大学生でも、うれしそうにしていたのが印象に残っています。
 予定のすべてが終わり、友達同士で帰る子やお母さんと一緒に帰る子、なんだかとっても温かい雰囲気に包まれていました。
 家族や地域の人たち、そして先生に守られて育った学生たちは、4月からは誰も守ってくれません。自分の力で生きていかなければならなくなります。T学院大学卒業生としての誇りをもって、社会の荒波に立ち向かっていってほしいと願っています。4年生とはたった1年間のつきあいしかなかったけれど、卒業しても、ずっとずっと僕はあなたたちの先生ですという気持ちでいます。
 いただいた小さな花束は、大好きなコーヒーを飲むときのバリスタのとなりに飾ってあります。

 一段落ついたところで、水曜と木曜を年休にしました。「てっちゃん第2弾」です。明日の水曜日は用事を済ませてから川崎に行きます。予定では、木曜日の朝の特急「踊り子」に乗って小田原に行き、そこから箱根登山鉄道の一日乗車券を買って、電車とケーブルカーに乗ってぶらぶらするつもりです。
 天気は悪そうですが、雨が降ってもきっと電車はおもしろいはず。

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2014.3今年はFC岐阜(J2)がおもしろい

2014-03-08 00:43:31 | いろいろ思う部屋

 先週の土曜日にサッカーJ1が開幕しました。首を長くして待っていた僕は、さっそく開幕戦の名古屋グランパス対清水エスパルスの試合を見に豊田スタジアムに駆けつけました。もちろん、グランパスの応援です。
 ストイコビッチ監督が退団し、今年は西野監督が指揮をとります。ガンバ大阪をトップチームに導いた名将の一人です。気になるのは、DF陣のレギュラー4人のうち3人が欠けてしまったことです。センターバックの長身の増川(神戸へ移籍)、サイドバックの阿部(甲府へ移籍)と田中Dscf7518
隼磨(松本へ移籍)が抜け、残ったのは闘莉王だけ。さすがのGK楢崎も苦しくなると思います。ストイコビッチ監督のカリスマ性もグランパスの強さの一部だったようにも思います。不安材料だらけのスタートです。案の定、直前の練習試合のFC岐阜戦(豊田スタジアム)で負けてしまいました。岐阜と言えば、J2の中でも下位チームです。ますます不安が増してきました。
 そうして迎えたホーム豊田での清水エスパルス戦です。ところが、パスはよく通り、攻守の切り替えも速く、予想外にいい感じで試合が進んだのです。わずか4分で先制点を許したものの、Dscf7522
すぐに追いつき、さらに逆転し、前半を2対1で折り返しました。とても、1週間前にJ2最下位争いの常連FC岐阜に負けたチームとは思えない試合展開で、「やるときはやる!」という前監督の精神が息づいているなあと思い、応援にも熱が入ってきました。
 後半は、さらに追加点を重ね、確実に勝利をモノにする・・・と思っていたらDscf7523
、清水に2点取られて逆転負け。追いつかれてからのグランパスは前半とは打って変わって防戦一方の苦しい試合展開でした。もともと負けるかもしれないと思いながら応援していたものの、本当に負けてしまうと情けなく感じるものです。岐阜に負けたチームが、ほぼ同じメンバーで清水に勝てるワケがないと分かっていても、かすかな期待は持っていたのですから。
 そこで、J2です。今年のFC岐阜は絶対におもしろくなると思います。なんと言っても、監督はラモスです。ヴェルディ川﨑(現東京ヴェルディ)全盛期の頃、カズと共に大活躍した選手です。キーパーは川口です。今なお、日本一のキーパーは誰かと問われたら、名古屋の楢崎Dscf7526
か元磐田の川口でしょう。その川口がゴールを守るのです。さらに、元日本代表の三都主アレッサンドロも加わりました。清水、浦和、名古屋で常に主力選手として活躍した三都主です。この3人は、勝ち方を知っています。だからこそ、開幕直前の練習試合でJ1の名古屋に勝てたのだと思います。万年最下位争いのFC岐阜は、今年はひょっとしたら優勝争いに顔を出すかもしれません。当然のように開幕戦は讃岐に勝ちました。勝っても、「もっと練習が必要」というコメントのラモス監督です。
 僕は、豊田スタジアムのすぐ近くに住んでいますが、仕事は岐阜です。弱い名古屋グランパスも応援しますが、今年はFC岐阜に目が離せなくなりました。
 今日はJ1、明日はJ2の第2節です。名古屋はアウェーで大宮と、岐阜はホームで富山と戦います。
  勝てるかなあ、名古屋グランパス!
 開幕2連勝だ、FC岐阜!

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2014.2 鉄道一人旅・銚子電鉄(千葉県)

2014-03-02 00:01:04 | ローカル鉄道の部屋

 ついにクルマとバイクに飽き足らず、「鉄道オタク」デビューを果たしました。
 それは冗談として、テレビでよく旅番組を見ますが、そのたびに「電車っていいなあ」と思ってました。いつだったか、「鉄道・絶景の旅」で銚子電鉄で犬吠埼を旅する放送がありました。その時の車輌の紹介で、銚電の赤い電車は昭和30年代から40年代にかけて営団地下鉄丸ノ内線で使われていた車輌で、その後1輌編成仕様に改造され、今は銚子~外川間を往復しているということを知りました。数年前に、その当時の塗装に塗り替えられたということで、番組に出てきた映像を食い入るように見ていました。Dscf7466

 幼稚園の頃、父が買ってくれた絵本「のりもの」が大好きで、何回も何回も見ていた覚えがあります。その中で印象的だったのが、地下鉄丸ノ内線のお茶の水駅付近の絵でした。地下を通っている電車が、川を渡るのに一瞬だけ外の鉄橋を渡るのです。そこに描かれていた車輌が赤い車体に細い線の模様が入った白いラインの電車でした。地下鉄が外に出る絵も印象的でしたが、当時の名古屋の地下鉄は黄色一色だったため、赤に白ラインがとても新鮮に見えたのです。その車輌が今なお走っていると知り、いつか乗ってみたいと思い続けていたのでした。
 小学校の先生から大学の先生になってまもなく1年が過ぎようとしています。後期の定期試験が終わり、心を鬼にして成績をつけ、とりあえず一区切りつきました。自分自身の専門の国語科教育に関する研究はエンドレスで続きますが、なんとか大学の授業を未熟ながらも納Dscf7483
得できるような形で終えられ、慣れない仕事をなし終えた自分へのご褒美として、鉄道一人旅を考えたのでした。

 決行したのは、21日の土曜日です。前日の夕方に上京し、上野の安ホテルで前泊しました。荷物は極力少なくし、ディバッグ一つと、財布などを入れる小さなショルダーだけ。朝、山手線で東京駅に行き、地下の総武線のホームに向かいました。
 乗ったのは、銚子行き特急「しおさい」です。新幹線以外で特急に乗ったのは何年ぶりか分からないくらい久しぶりで、まだ座席に座っただけなのにわくわく感でいっぱいになっていました。9:40発なのに、8時半前にはホームに立っていたくらいなのですから、そうとうわくわくしていたのでしょう。
 地下を抜けると、スカイツリーが目に飛び込んできました。そんなことでも感動してしまいましたが、上野から東京までの山手線でも見ているし、そもそも600m以上の高さなのですから、どこからでも見えるのです。別に感動する場面ではないのに感動するのが、鉄道の旅Dscf7458
のおもしろさなのかもしれないと感じました。
 「千葉」・・・サッカーのジェフ千葉の本拠地です。強いはずなのにJ2。早くJ1に上がらなくちゃ。「佐倉」・・・マラソンの町だったっけ。「成東」・・・昔、セーブ王として鳴らした鈴木隆政(中日)の出た高校が成東高校だったような気がするなあ。そんなことを思いながら窓の外を眺めていました。眠くなってきても、「ここで眠ったらもったいない」と思い、眠気を我慢しました。千葉からは、市街地、林、田畑、時々工場という景色が続き、銚子に近づくとキャベツ畑が多く見られるようになりましDscf7462
た。僕の住む愛知の景色ととてもよく似ています。気候と大都市周辺という立地条件が似ているのかなあと思いました。
 11時25分、特急「しおさい」が銚子駅のホームに入りました。電車を降りると、ホームに大きな醤油樽が。銚子は醤油で有名な町なのです。
 そして、ついにあこがれの赤い電車「デハ1000系」に出会ったのです。一つとなりのホームに停まっていました。銚子電鉄の一日乗車券(620円と書いてありましたが、なぜか600円でした)を買い、デハ1002の前に立ちました。僕が幼稚園の時に絵本「のりもの」で見た地下鉄そのものです。たった1輌に改造されたとは言え、半世紀以上も前からあこがれていた旧地下鉄丸の内線の車輌の現物にやっと出会えたのです。前から後ろから写真を撮りました。車内は混んでいて座ることはできません。子どものように一番前に立って、前の窓から景色を眺めることにしました。
 時間さえあれば一つ一つの駅に降りて散策したかったのですが、帰りは14:17の特急Dscf7465
に乗らなければならないため、まずは一気に終点の外川まで行くことにしました。周りの人の多くは鉄道マニアと思われる人でした。若い女性の車掌さんが乗車券の車内販売に行ったり来たりしていました。ほとんどの駅が無人駅のため、地元の人が最寄りの駅で切符を買うことがないので、こうして車掌さんが乗車しているのだと思いました。路線の中で最も大きい駅と思われる犬吠駅で多くのお客さんが下車されました。そこから終点の外川までは1駅。全長6.4㎞の短い路線なので各駅停車でも20分足らずで終点まで行きます。
 外川駅に降り立った僕が、まず目にしたのが線路の端に置かれていた銚電カラーのデDscf7470
ハ800型の車輌でした。どうやら、1002型になる前まで走っていた電車のようです。調べてみると、僕が生まれるよりずっと前の昭和25年製造の電車でした。木製の車体でなんとも趣のあるデザインです。路面電車とはちょっと違う。それでいて、どことなく路面電車っぽい雰囲気。レトロな味がいい感じです。大きいと思っていた電車が、今見るととても小さいというのは、クルマと同じです。若い頃、デカくて立派に見えたクラウンも、実は小型の5ナンバーサイズで、キムタクのCMでおなじみの大衆車の代名詞のような現行カローラよりちょっと長い程度なのです。車幅はコンパクトカーのヴィッツとまったく同じサイズですから不思議なものです。目の前のかわいく見えるデハ800型も、きっと当時は立派に見えたことでしょう。
 上りの電車が出発するまで20分ほどありました。少し歩いてみることにしました。
 住宅の間の狭い下り坂を5分ほど歩くと、家々の隙間から海が見えました。太平洋ですDscf7472
。狭い路地、漁師たちの家、青い空、そして太平洋。僕がイメージしていた房総半島の景色と重なっていました。遠く海を眺めたところで、外川駅に引き返しました。僕が乗ってきた赤い電車デハ1002がそのままホームに停まっています。古い駅舎と赤い電車。思わずカメラに収めたくなりました。
 駅舎に入ると、昭和30年代に活躍した郵便配達仕様の三菱ビジョン(125㏄のスクーター)が展示してありました。古い鉄道グッズも展示されていましたが、クルマやバイクが好きな僕は三菱ビジョンに釘付けになってしまいました。銚子行きの発車時刻もせまっていたので、外川駅のスタンプを押して電車に乗り込みました。
 12:20発の銚子行きはとてもすいていました。次の目的地は、すぐ隣の犬吠駅です。ここまで来たら、犬吠埼に行き、犬吠にふさわしいお昼ご飯を食べようと思ったのです。
 電車はアナウンスもなく時間になったら発車しました。都市部と違って、発車するのに大騒ぎすることもなく、本当にのどかなものです。「駆け込み乗車は危険です。絶対におやめください」のアナウンスなど、まったく無意味なのですから。
 おそらく犬吠駅まで1㎞も離れていないでしょう。走り出してすぐに犬吠駅に着きましたDscf7480
。ホームの壁はとてもモダンで、駅舎も西洋のお城のようなデザインです。
 駅舎を出ると、案内ボランティアの方がたくさんみえました。犬吠埼までの道を尋ね、教えていただいたように歩きました。しばらくは県道を歩きますが、5分もすれば広い海が見渡せるようになります。犬吠埼口の交差点にさしかかると、目の前に白亜の灯台がでんと構えていました。2月下旬とは言え、ぽかぽかした陽気で、海を眺めながら歩くことがとても心地よく感じました。バイク・ツーリングを楽しんでいる人もいたりして、ちょっとした春を感じるひとときになりました。
 帰りの電車は13:31です。ここでは1時間ほど時間がありましたが、すでに10分くらい歩いて時間を費やしています。犬吠埼灯台に登ることも考えましたが、食事の時間のことを考えたり、灯台が入った景色の写真を撮りたかったり、あれこれ考えて登るのをやめました。やっぱり、灯台のある景色は素敵です。登ったら灯台のある景色になりません。特に、この日は思いっきり真っ青な空。真っ白な灯台がものすごく映えて見えたのです。
 犬吠埼の素敵な景色をしっかりと目に焼き付け、食事のできる所を探しました。交差点のDscf7479
近くにパックの焼きそばを売っている店があったので、公園で海を見ながら潮風をおかずにして焼きそばを食べようかと思いました。ところが、交差点へ行く途中の食堂の前で「名物さんが焼き」の張り紙が気になり、店の前に置かれていたメニューをしばらく見ていました。すると、店の人が出てきて、
「どうぞ、中に入ってください。」
と、声をかけてきたのです。もともと銚子の名物っぽいものを食べようという気持ちがあったので、店の人の勧めにしたがって中に入りました。もちろん、注文したのは「さんが焼き定食」。
 迷っていそうな人に声をかけるというのは、なかなかいい商売です。ここで食べようかなという気持ちがあるから迷うのであって、その気がなければ迷うこともなく素通りしてしまうのです。
 さて、その「さんが焼き」です。濃い灰色の直径10㎝くらいで厚さが7~8㎜のはんぺん状の食べ物でした。一口がじってみると、いわしを練ったような味と食感でした。かすかに魚のDscf7484
生臭さが残る素朴な味のはんぺんでした。店の人に「さんが」の意味を聞くと、「3つの香りで三香」だそうです。しそ・ねぎ・しょうがで味付けしていたので「さんが焼き」になったとのことでした。
 正直言って、僕の好みの味ではありませんでしたが、この地でしか食べられないものを食べることができ、満足して店を出ました。時計を見ると、すでに13時15分。電車の時間が13:31なので、少し早足で犬吠駅に戻りました。後ろを振り返ると、犬吠埼灯台と青い海。後ろ髪を引かれるような思いで駅に向かいました。
 お城のようなデザインの駅舎に入り、お土産を探しました。絶対に外せないのが「ぬれ煎餅」です。廃線の危機を救った煎餅で、銚子の名産の醤油がしみ込んだ煎餅です。なんと、銚子電鉄の工場で焼いているとのこと。帰宅後に食べましたが、濃い醤油味でなかなか美味。ネットでさらに注文してしまいました。それから、妻へのお土産のキーホルダーとハンカチを買って、レジに並びました。並んでいる時に見つけたのが「本銚子→銚子」の「上り銚子行き」Dscf7478
の切符でした。「本調子」「上り調子」ということで、友達にも自慢したくて4枚、さらに仕事で使えるマグネットを2つ加えて買ったのでした。ところが、家に帰って見てみると、自慢用の切符と仕事用のマグネットが袋に入ってなかったのです。どこでどうなったのか・・・、友達をうらやましがらせることができなくなってしまいました。
 その時は、赤い電車にも乗ったし、犬吠埼にも行ったし、めずらしいものも食べたし、お土産も買ったし、ということで意気揚々とホームに向かいました。
 やってきたのは、今回もデハ1000系でした。ロングシートの中程に座ると、周りは犬吠埼で見かけた人が大勢乗っていました。初老の男性や、電車好きのお父さんに連れられてきた子どもたちなど、電車の中はふんわりとした雰囲気に包まれているような感じがしました。
 銚電案内のボランティアさんも乗っていました。進行中に、沿線の建物や自然などの説明をしてくださいました。ボランティアのおばさんは、突然僕の所に来て、
「どこから来たの?」
と尋ねたのです。
「愛知県の豊田です。」
「クルマのトヨタの人?」
「トヨタじゃないです。他の仕事をしてます。」
「『観音』駅があるけど、名古屋にもありますよね。『大須観音』という駅Dscf7487
が。」
「名古屋の地下鉄ですね。帰りに通りますよ、そこ。」
 またしばらく説明をした後、再び僕の所に来て、
「もうすぐ写真スポットがありますよ。一番後ろで撮るといいですよ。紫陽花のトンネルになってますから。」
 そう勧められて後ろに行かないわけにはいきません。
「はい、今がシャッターチャンス。」
「ここも。トンネルになってますね。はい、写真。」
 そんな感じなので、車内でも注目を浴びているように思えてちょっと恥ずかしかったです。しかも、紫陽花のトンネルと言っても、2月だから紫陽花は咲いてないし、逆光で白っぽくしか写らないしで、いい写真にはなりませんでした。これが6月か7月だったらいい写真になるだろうと思いますが、そんな時には休みが取れません。
 そうこうしているうちに、次はコレに乗ってみたいと思えた緑色の2000系が停まっていたDscf7490
中ノ町駅を過ぎ、定刻通り13:47に終点の銚子駅に着きました。
 次の総武線の特急は14:17発です。ちょうど30分ありますが、実は30分というのはとても中途半端な時間だと思いました。どこへも行けないのです。「コーヒーでも」と思っても、喫茶店を探しているうちに時間がきてしまいます。だから、時間つぶしに銚子駅前のロータリーをぶらぶらしました。
 すでに電車は入線していたので、早めに乗り込み、荷物を座席に置いてから外に出て写真を何枚か撮りました。それくらいしか、やることが思いつかなかったのでした。
 14:17に銚子駅を出た特急「しおさい」の車窓から見える景色は、やはり、地元の愛知とDscf7469
よく似た景色だったので、僕は親近感と退屈さを同時に味わっていました。
 16:03に東京駅に着き、そのまま新幹線ホームに向かい、新大阪行きの「ひかり」に乗って帰りました。
 電車に乗るだけが目的の一人旅が思っていた以上に楽しく感じられ、帰りの新幹線の中では、次はどこへ行こうかと考えていました。今回と同じ房総の小湊鉄道にいすみ鉄道、神奈川の箱根登山鉄道のスイッチバックも興味深いし、探せば関東にはおもしろそうな鉄道がいくつもありそうです。
 僕が勤めている岐阜県にもいくつかのローカル鉄道があります。明知鉄道に長良川鉄道や樽見鉄道、愛知だったらJR飯田線もおもしろそうだし、浜松あたりでは天浜線(天竜浜名湖鉄道)も、よく旅番組で紹介されています。
 こんなことを考えている僕は、とうとう「鉄道オタク」の端くれの端くれになってしまったのでしょうか。実に愉快な一人旅になりました。

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