僕の「鉄ちゃん」第4弾はJR青梅線。前日に新幹線で品川へ、山手線で新宿、中央線で国分寺に行き、国分寺のビジネスホテルで前泊した。夕方の中央線の身動きが取れないくらいのラッシュにびっくりしたが、仕事を終えて郊外の家に帰る時間帯なので当然と言えば当然のこと。ここは首都東京なのだから。ホテル近くの中華料理店でラーメンと小チャーハンを食べ、スマホで青梅線沿線の見所をチェックして、早々に床に就いた。
<2月20日>
2月20日(金)の朝は、なぜか5時50分に目が覚めてしまった。いつもの起床時間だ。体のリズムがそうなってしまっていることがちょっと寂しい。休暇の日までも早起きはしたくなかったので、7時まで寝た。
8時にホテルを出て、喫茶店でモーニングを食べて、まずは青梅線始発駅の立川駅に向かった。
さすが東京、郊外の駅でもでかい。しかも、人人人であふれかえっている。みんなは仕事か学校だが、僕は遊び。立川駅の写真を撮り、ついでにバスフェチの僕はずらっと並ぶ路線バスの写真も撮った。
8:45発の青梅行きの電車に乗って、まずは青梅駅へ。9:16に青梅に着き、次の奥多摩行きが9:32発なので、駅構内をぶらぶらすることにした。
電車を降りると、「昭和レトロの町・青梅」の看板が目につく。青梅駅構内は、とにかくおもしろい。何がおもしろいって、わざわざ昭和レトロ風に作られているのだ。ホームに掲げられた駅の表示も、うす黒く垂れるように水垢がついていたり、錆で褐色になっていたりして古くさくなっているが、実は水垢も錆も描かれているのだ。実際には、水垢もついていなければ、錆てもいない。それどころか、待合室の外壁も板壁になっているだけでなく、古いポスターが剥がれたような糊の痕の絵まで描かれていて、その懲りようにはたまげてしまうほどだ。通路には、昭和の映画のポスターの絵や、おそ松くんやニャロメの絵。改札の内側は昭和の香りがぷんぷんするような雰囲気が人工的に作られている。ちび太やイヤミで育った昭和世代の僕は、うれしくてたまらなかった。
9:32発の奥多摩行きに乗って、まず目指したのが御嶽駅だ。青梅まで住宅地を西へ西へと向かってきた電車は、しだいに山の中へと入り、多摩川を眼下に見る山の中腹を這うようにして進む。トンネルあり、急カーブあり、鉄橋ありの、自然の地形に合わせて鉄道が敷かれているようで楽しくなる。
電車は御嶽駅に着いた。山しかない風景の中に、最新の通勤型200系電車がまったく似合わない。駅舎も、昭和どころか明治・大正・昭和初期の御殿を模したような建物だ。駅の出入り口に置かれている赤い円筒形のポストがよく似合っていた。
電車に乗っていた人のほとんどが御嶽駅の改札を出た。数組の熟年ハイカーのグループだ。真新しいリュックを背負ったハイカーたちは元気な声で話をしながら御嶽山ケーブル下行きのバスに乗っていった。なんだか、僕一人だけ取り残されたような感じだった。
駅前交差点を渡って急な階段を下りた所が御嶽渓谷だ。渓流に沿って細い散策路が整備されていた。まずは上流に向かって歩く。岩と岩で急流になっている所にラフティングの練習場があった。一人、ひたすら練習に励んでいる人がいた。流れに逆らわずに下ったかと思うと、すぐに波しぶきの中を上っていく。なかなかうまい。しばらくその様子を見た後、今度は下流に向かって歩いてみた。遠くにつり橋が見える。あのつり橋まで歩いてみよう。渓谷を跨ぐつり橋や、しぶきを上げて流れる水。朝の空気がすごくおいしい。つり橋に近づいたところで散策路から河原に降りてみた。大きな岩に腰を下ろして缶コーヒーを飲んでいると、なんだか山歩きっていいものだなあと思えてくる。
散策路から急な坂道を上り、つり橋のたもとに着いた。半分ほど渡ったところで渓谷の写真を撮ったが、ゆらゆらと揺れる橋からは撮りにくかった。うまく写っているかどうか。
再び散策路に戻り、御嶽駅に向かった。
小1時間の散策を終え、10:40発の奥多摩行きの電車に乗り、鳩ノ巣駅で途中下車した。
駅を出て奥多摩方向に歩くとすぐに「双龍の滝」の文字が見えた。「滝」と聞けば行くしかないと思い、矢印に従って急な階段状の道を下った。すると、幅30㎝ほどの細い滝があった。
「これが双龍の滝?」
ほかに滝らしいものもなく、双龍という名がついているのに1本しか見えない。岩を垂直に6~7m流れ落ちているので確かに滝なのだが、迫力はない。完全に名前負けしてるなあ。
再び階段を登って駅西に出た。そのまま鳩ノ巣渓谷に向かって歩いたら、工事のおじさんが、
「遊歩道、工事中だから行けないよ。行くんだったら、滝の方から回っていけば行けるけど。」
と教えてくれた。
「また、さっきの急な階段か・・・。」
結局、駅前の国道から谷を眺めるだけにした。眼下に小さく渓谷のつり橋が見える。あそこまで降りたら、駅に戻るのが大変だと思った。
11:21発の奥多摩行きに乗り、終着駅の奥多摩に向かう。ホームに入る最新の200系電車がますます似合わなくなっていた。新しいデザインもさることながら、4両編成というのが似合わない。深い山間の渓谷に沿って走るのだから、イメージとしてはたった1両の短い車両が似合うはずだ。奥多摩駅まで、きついカーブを長い車両が4両、きしむようにして走っていく。
終点の奥多摩駅に着いた。電車を降りてホームの一番前まで行くと、レールはそこで途切れていた。なぜか、終着駅に着くと、それを見たくなる。
奥多摩駅の駅舎はとても立派な建物だ。子どもの頃に見た昔の映画館を思い出す。生まれて初めて観た映画がディズニーの「101匹ワンちゃん大行進」だった。幼稚園から先生の引率でみんなで歩いて行った映画館が、こんな形をしていたような気がする。
駅下の交差点でまず目に付いたのが大きな杉の木だ。近くまで行ってみると、木の横の看板に「三本杉」と書かれていた。しかも、東京で一番高い杉の木だそうだ。確かにすごく高い木だが、これが長野だったら何番目になるだろうなどと、つまらないことを考えてしまった。
三本杉から民家の間の坂を下っていくと渓流に沿った遊歩道に出る。山肌を縫うように歩くと、下の方に新しいつり橋が見えた。ずいぶん低い所まで来たもので、橋の近くまで来ると、河原に下りることができた。こんなに澄んだ水は見たことがないと思うくらいきれいな水が流れている。山の緑が映って澄み切った緑色だ。川底の岩もはっきり見える。泳いでいる魚たちの姿もはっきり見える。遠く離れた駅近くの赤い橋が澄んだ水に映り、山の緑にひときわ映えて見える。オゾンたっぷりの空気を吸い、渓谷美を楽しむ。わざわざ奥多摩まで来て本当によかったと思う。
つり橋を渡ると散策路の地図があり、それを見ると右への道はロング・コースっぽい。左はショート・コースのようだ。お昼を過ぎ、おなかもすいていたし、帰りの電車の時間も気にかかる。なんと言っても、普段あまり歩かない生活をしているので、自分の体力も気にかかる。迷わず、左へと進路をとった。ショート・コースとは言え、遠くに見える赤い橋まで曲がりくねったアップダウンを繰り返す道を歩くことになる。僕にとっては、十分ロング・コースだ。
思ったとおり、遊歩道は登り坂になり、川の蛇行に合わせてくねくねとカーブが続いた。再び下り坂になり、その先に2つ目のつり橋があった。一人分の道幅のつり橋はよく揺れる。揺れる割には怖くはない。つり橋をわたると、また登り坂だ。まだお昼ご飯を食べてないのに、スマホの歩数計を見るとすでに普段の3日分くらい歩いている。ところが、まったく足の疲れは感じない。山道の登り坂も快調に歩くことができる。きっと、美しい自然とおいしい空気のおかげだろう。人が快適に過ごせるのは、エアコンの効いたコンクリートの箱の中ではなく、自然の中で過ごすことだとつくづく思えてくる。
愛宕山の麓の山道入り口を通り抜けると遠くに見えていた赤い橋のたもとに出た。わずか30分あまりの散策だったが、気持ちのいい汗をかいた。時刻は12時10分。橋から奥多摩温泉もえぎの湯まで約700m、温泉から奥多摩駅までが約800mだ。移動の時間は30分もかからないはずだ。青梅行きの電車が14:07発だから食事と温泉の両方を楽しむ時間はある。
赤い橋を渡り、駅下の交差点に出て、国道を東に向かって歩いて行いけば「もえぎの湯」だ。渓谷の上の方を歩いているので、眼下に多摩川上流の流れが見える。長いつり橋も見えた。この辺りはつり橋だらけだ。
「もえぎの湯」に着くと、まずはお昼ご飯だ。お昼ご飯はここだけの料理を楽しみたいと思う。しばらく食券販売機のメニューとにらめっこをした後、「川魚の塩焼き定食」を選んだ。多摩川上流の澄んだ水で育った魚ならおいしいに決まってる。
番号札を手に待つこと10数分、カウンターに取りに行くとおいしそうな定食が。
「ん?豆ご飯?それとも味ご飯?」
おいしそうな川魚の塩焼きよりも豆のようなものがいっぱい混ざった不思議なご飯が気になった。
「このご飯、なんですか。」
すると、店員さんは、
「むかごご飯といって、種イモのまわりにできる小さなイモを混ぜて炊いたご飯ですよ。」
席に戻って一口食べてみると、これがまたうまい。川魚の塩焼きも骨から身がポロッポロッと外れるように取れて食べやすいしおいしい。
「あれえ、レンコンの煮物にあんこがかけてある。」
醤油味と甘いあんこの組み合わせはちょっとヘンだが、口に合わないことはない。さしみこんにゃくもおいしいし、ちょっとピリッとした漬け物もおいしかった。
食器返却の時に、
「むかごご飯は、奥多摩でよく食べられているのですか。」
と尋ねると、
「群馬の方でもよくあるそうだから、ここの特産というわけではないんですよ。」
なんだか、いい意味での田舎っぽい料理を口にしているうちに、東京にいることさえ忘れかけていた。
お昼ご飯が終われば、次は温泉だ。
わあー、つるっつる。なんて気持ちがいいのだろう。温度もややぬるめで僕にはちょうどいいし、気持ちよ過ぎ。露天風呂にも行ってみようと外にでると、少し離れたところにあった。この季節に裸で外を歩くのはちょっと寒かったが、露天風呂に入ったらまたまたいい気持ち。帰りの電車が14:07発だから、1時半くらいまでお湯に浸かっていることにした。
体全体が温まり、暑いくらいだ。体を拭いても拭いても汗がわき出てきた。いつものように冷たいコーヒー牛乳を飲み、気温の低い外に出た。
汗がすうっと引いていくのがわかる。
なだらかな登り坂を10分ほど歩き、奥多摩駅に戻った。まだ15分くらい時間がある。お土産でも買おうと辺りを見回しても、土産物屋さんが見当たらない。うそだ、土産物屋がないわけがない。そう思って駅前周辺を歩いたが、やっぱり見当たらない。しかたがないので駅のとなりの奥多摩町観光課の観光案内所をのぞいてみた。ひっそりしていて入りにくかったが、そうっと、
「やってますか。」
と言って扉を開けた。
「どうぞ、どうぞ。」
と、大歓迎だ。やっぱり、駅周辺にはお土産を売っている店は今はもうないとのことだった。ただ、観光案内所には少しだがお土産らしいものも置いてあった。お菓子は「わさびチーズ・タルト」だけで、あとは長めの柄のしゃもじに「鹿肉カレー」と「わさびご飯の素」だけ。あまり時間もないので、「わさびチーズ・タルト」と「わさびご飯の素」を買った。
「このしゃもじも人気なんですよ。柄の長いのが使いやすいって。」
なるほど、それではしゃもじも、ということで買うことにした。すると観光課の職員さん、
「あれっ、これいくらだったっけ。どっか、書いてないですか。」
・・・(人気なんて、ウソだな。売れてないんだ、きっと。)
事務室の奥から、
「500円ですよ。」
の声。
とりあえず、これで奥さんへのお土産はできた。
14:07発の青梅行きの上り電車に乗り、青梅に向かった。よく歩いて、おいしいものを食べて、気持ちのいい温泉に浸かって・・・当然のように眠気を催した。ふわふわしているうちに青梅駅についた。
往路で青梅駅に着いた時は早かったので、おもしろそうな所はまだ開いてない時間だった。だから。駅構内の散策だけで奥多摩行きの電車に乗り込んだ。青梅は「昭和レトロの町」と言われている町だ。駅を出て昭和レトロを探すことにした。
駅の横の狭い道は「昭和小路」で、まさしく昭和の商店街。まだ僕が幼稚園に通っていたころの豊田市街の「銀座通り」の雰囲気とよく似ていた。そこを抜けると喫茶店の屋根に巨大な木のおもちゃのクルマが乗っていた。国道に出たところに「昭和レトロ商品博物館」があった。
なつかしいなんてものではないね、「昭和レトロ商品博物館」は。入ってすぐに目に飛び込んできたのが街角のたばこ屋。そして、紙芝居屋の自転車と、昭和30年代のスーパーカブ。基本的に、僕の趣味のバイクのスーパーカブと同じだ。僕のカブは98年式で今から17年前の古いカブだが平成に入ってからのもの。それよりさらに40年も前のカブと同じ形というのはやっぱりスーパーカブはすごい。文房具のコーナーもなつかしい。「この筆入れ、オレ持ってた」なんて心でつぶやいたりして眺めた。
次に行ったのが、すぐ隣の「赤塚不二夫記念館」だ。そう、あのバカボンの赤塚不二夫だ。イヤミにチビ太、ニャロメにウナギイヌ。おそ松クン世代の僕にはたまらない。天才バカボンの原画など一通り見学して、ロビー前の売店に着くと、欲しいものだらけだった。最初に買おうと思ったのがバカ田大学のキーホルダーだったが、地方の私立大学勤務の僕にはシャレにならないのだ。一流大学とは言えないものの学生たちの心の温かさは一流なのだ。だからそんなキーホルダーはいらないのだ。これでいいのだ。
バカボンの缶バッジとニャロメのカード-ケースなどを買ったところで奥さんのことを思い出した。4つ年下の妻もおそ松くん世代だ。ひみつのアッコちゃんのバッジも買い足した。
さらにネコのキャラクターがいっぱいの「昭和幻灯館」を見学し、青梅駅に戻った。街角には、昭和を連想させる看板やらオブジェなどがありレトロな雰囲気を醸し出していた。その割には、駅舎だけはごくごく普通の建物だった。
奥多摩で温泉に入ったら、なんとなく歩くのがおっくうになっていた。中央線~八高線~横浜線を乗り継いで新横浜から新幹線で帰ろうと思っていたが、ちょうど東京行きの中央線直通の快速電車があったので、楽な道を選んでしまった。
東京駅に着いたのが17:40頃。「品川名物貝づくし」弁当を買い、18:03発の新大阪行きのぞみで家路に就いた。
自然の中を歩く心地よさ、知らない町を歩くおもしろさ。ローカル鉄道ぶらぶら歩きのプチ旅には、大好きなバイクやクルマでは味わえない楽しさがいっぱいある。今度は、妻といっしょに歩こう。候補は、えちぜん鉄道(福井)、近江鉄道(滋賀)、長良川鉄道(岐阜)、樽見鉄道(岐阜)、明智鉄道(岐阜)あたりだろうか。岐阜だらけだ。
<2月20日>
2月20日(金)の朝は、なぜか5時50分に目が覚めてしまった。いつもの起床時間だ。体のリズムがそうなってしまっていることがちょっと寂しい。休暇の日までも早起きはしたくなかったので、7時まで寝た。
8時にホテルを出て、喫茶店でモーニングを食べて、まずは青梅線始発駅の立川駅に向かった。
さすが東京、郊外の駅でもでかい。しかも、人人人であふれかえっている。みんなは仕事か学校だが、僕は遊び。立川駅の写真を撮り、ついでにバスフェチの僕はずらっと並ぶ路線バスの写真も撮った。
8:45発の青梅行きの電車に乗って、まずは青梅駅へ。9:16に青梅に着き、次の奥多摩行きが9:32発なので、駅構内をぶらぶらすることにした。
電車を降りると、「昭和レトロの町・青梅」の看板が目につく。青梅駅構内は、とにかくおもしろい。何がおもしろいって、わざわざ昭和レトロ風に作られているのだ。ホームに掲げられた駅の表示も、うす黒く垂れるように水垢がついていたり、錆で褐色になっていたりして古くさくなっているが、実は水垢も錆も描かれているのだ。実際には、水垢もついていなければ、錆てもいない。それどころか、待合室の外壁も板壁になっているだけでなく、古いポスターが剥がれたような糊の痕の絵まで描かれていて、その懲りようにはたまげてしまうほどだ。通路には、昭和の映画のポスターの絵や、おそ松くんやニャロメの絵。改札の内側は昭和の香りがぷんぷんするような雰囲気が人工的に作られている。ちび太やイヤミで育った昭和世代の僕は、うれしくてたまらなかった。
9:32発の奥多摩行きに乗って、まず目指したのが御嶽駅だ。青梅まで住宅地を西へ西へと向かってきた電車は、しだいに山の中へと入り、多摩川を眼下に見る山の中腹を這うようにして進む。トンネルあり、急カーブあり、鉄橋ありの、自然の地形に合わせて鉄道が敷かれているようで楽しくなる。
電車は御嶽駅に着いた。山しかない風景の中に、最新の通勤型200系電車がまったく似合わない。駅舎も、昭和どころか明治・大正・昭和初期の御殿を模したような建物だ。駅の出入り口に置かれている赤い円筒形のポストがよく似合っていた。
電車に乗っていた人のほとんどが御嶽駅の改札を出た。数組の熟年ハイカーのグループだ。真新しいリュックを背負ったハイカーたちは元気な声で話をしながら御嶽山ケーブル下行きのバスに乗っていった。なんだか、僕一人だけ取り残されたような感じだった。
駅前交差点を渡って急な階段を下りた所が御嶽渓谷だ。渓流に沿って細い散策路が整備されていた。まずは上流に向かって歩く。岩と岩で急流になっている所にラフティングの練習場があった。一人、ひたすら練習に励んでいる人がいた。流れに逆らわずに下ったかと思うと、すぐに波しぶきの中を上っていく。なかなかうまい。しばらくその様子を見た後、今度は下流に向かって歩いてみた。遠くにつり橋が見える。あのつり橋まで歩いてみよう。渓谷を跨ぐつり橋や、しぶきを上げて流れる水。朝の空気がすごくおいしい。つり橋に近づいたところで散策路から河原に降りてみた。大きな岩に腰を下ろして缶コーヒーを飲んでいると、なんだか山歩きっていいものだなあと思えてくる。
散策路から急な坂道を上り、つり橋のたもとに着いた。半分ほど渡ったところで渓谷の写真を撮ったが、ゆらゆらと揺れる橋からは撮りにくかった。うまく写っているかどうか。
再び散策路に戻り、御嶽駅に向かった。
小1時間の散策を終え、10:40発の奥多摩行きの電車に乗り、鳩ノ巣駅で途中下車した。
駅を出て奥多摩方向に歩くとすぐに「双龍の滝」の文字が見えた。「滝」と聞けば行くしかないと思い、矢印に従って急な階段状の道を下った。すると、幅30㎝ほどの細い滝があった。
「これが双龍の滝?」
ほかに滝らしいものもなく、双龍という名がついているのに1本しか見えない。岩を垂直に6~7m流れ落ちているので確かに滝なのだが、迫力はない。完全に名前負けしてるなあ。
再び階段を登って駅西に出た。そのまま鳩ノ巣渓谷に向かって歩いたら、工事のおじさんが、
「遊歩道、工事中だから行けないよ。行くんだったら、滝の方から回っていけば行けるけど。」
と教えてくれた。
「また、さっきの急な階段か・・・。」
結局、駅前の国道から谷を眺めるだけにした。眼下に小さく渓谷のつり橋が見える。あそこまで降りたら、駅に戻るのが大変だと思った。
11:21発の奥多摩行きに乗り、終着駅の奥多摩に向かう。ホームに入る最新の200系電車がますます似合わなくなっていた。新しいデザインもさることながら、4両編成というのが似合わない。深い山間の渓谷に沿って走るのだから、イメージとしてはたった1両の短い車両が似合うはずだ。奥多摩駅まで、きついカーブを長い車両が4両、きしむようにして走っていく。
終点の奥多摩駅に着いた。電車を降りてホームの一番前まで行くと、レールはそこで途切れていた。なぜか、終着駅に着くと、それを見たくなる。
奥多摩駅の駅舎はとても立派な建物だ。子どもの頃に見た昔の映画館を思い出す。生まれて初めて観た映画がディズニーの「101匹ワンちゃん大行進」だった。幼稚園から先生の引率でみんなで歩いて行った映画館が、こんな形をしていたような気がする。
駅下の交差点でまず目に付いたのが大きな杉の木だ。近くまで行ってみると、木の横の看板に「三本杉」と書かれていた。しかも、東京で一番高い杉の木だそうだ。確かにすごく高い木だが、これが長野だったら何番目になるだろうなどと、つまらないことを考えてしまった。
三本杉から民家の間の坂を下っていくと渓流に沿った遊歩道に出る。山肌を縫うように歩くと、下の方に新しいつり橋が見えた。ずいぶん低い所まで来たもので、橋の近くまで来ると、河原に下りることができた。こんなに澄んだ水は見たことがないと思うくらいきれいな水が流れている。山の緑が映って澄み切った緑色だ。川底の岩もはっきり見える。泳いでいる魚たちの姿もはっきり見える。遠く離れた駅近くの赤い橋が澄んだ水に映り、山の緑にひときわ映えて見える。オゾンたっぷりの空気を吸い、渓谷美を楽しむ。わざわざ奥多摩まで来て本当によかったと思う。
つり橋を渡ると散策路の地図があり、それを見ると右への道はロング・コースっぽい。左はショート・コースのようだ。お昼を過ぎ、おなかもすいていたし、帰りの電車の時間も気にかかる。なんと言っても、普段あまり歩かない生活をしているので、自分の体力も気にかかる。迷わず、左へと進路をとった。ショート・コースとは言え、遠くに見える赤い橋まで曲がりくねったアップダウンを繰り返す道を歩くことになる。僕にとっては、十分ロング・コースだ。
思ったとおり、遊歩道は登り坂になり、川の蛇行に合わせてくねくねとカーブが続いた。再び下り坂になり、その先に2つ目のつり橋があった。一人分の道幅のつり橋はよく揺れる。揺れる割には怖くはない。つり橋をわたると、また登り坂だ。まだお昼ご飯を食べてないのに、スマホの歩数計を見るとすでに普段の3日分くらい歩いている。ところが、まったく足の疲れは感じない。山道の登り坂も快調に歩くことができる。きっと、美しい自然とおいしい空気のおかげだろう。人が快適に過ごせるのは、エアコンの効いたコンクリートの箱の中ではなく、自然の中で過ごすことだとつくづく思えてくる。
愛宕山の麓の山道入り口を通り抜けると遠くに見えていた赤い橋のたもとに出た。わずか30分あまりの散策だったが、気持ちのいい汗をかいた。時刻は12時10分。橋から奥多摩温泉もえぎの湯まで約700m、温泉から奥多摩駅までが約800mだ。移動の時間は30分もかからないはずだ。青梅行きの電車が14:07発だから食事と温泉の両方を楽しむ時間はある。
赤い橋を渡り、駅下の交差点に出て、国道を東に向かって歩いて行いけば「もえぎの湯」だ。渓谷の上の方を歩いているので、眼下に多摩川上流の流れが見える。長いつり橋も見えた。この辺りはつり橋だらけだ。
「もえぎの湯」に着くと、まずはお昼ご飯だ。お昼ご飯はここだけの料理を楽しみたいと思う。しばらく食券販売機のメニューとにらめっこをした後、「川魚の塩焼き定食」を選んだ。多摩川上流の澄んだ水で育った魚ならおいしいに決まってる。
番号札を手に待つこと10数分、カウンターに取りに行くとおいしそうな定食が。
「ん?豆ご飯?それとも味ご飯?」
おいしそうな川魚の塩焼きよりも豆のようなものがいっぱい混ざった不思議なご飯が気になった。
「このご飯、なんですか。」
すると、店員さんは、
「むかごご飯といって、種イモのまわりにできる小さなイモを混ぜて炊いたご飯ですよ。」
席に戻って一口食べてみると、これがまたうまい。川魚の塩焼きも骨から身がポロッポロッと外れるように取れて食べやすいしおいしい。
「あれえ、レンコンの煮物にあんこがかけてある。」
醤油味と甘いあんこの組み合わせはちょっとヘンだが、口に合わないことはない。さしみこんにゃくもおいしいし、ちょっとピリッとした漬け物もおいしかった。
食器返却の時に、
「むかごご飯は、奥多摩でよく食べられているのですか。」
と尋ねると、
「群馬の方でもよくあるそうだから、ここの特産というわけではないんですよ。」
なんだか、いい意味での田舎っぽい料理を口にしているうちに、東京にいることさえ忘れかけていた。
お昼ご飯が終われば、次は温泉だ。
わあー、つるっつる。なんて気持ちがいいのだろう。温度もややぬるめで僕にはちょうどいいし、気持ちよ過ぎ。露天風呂にも行ってみようと外にでると、少し離れたところにあった。この季節に裸で外を歩くのはちょっと寒かったが、露天風呂に入ったらまたまたいい気持ち。帰りの電車が14:07発だから、1時半くらいまでお湯に浸かっていることにした。
体全体が温まり、暑いくらいだ。体を拭いても拭いても汗がわき出てきた。いつものように冷たいコーヒー牛乳を飲み、気温の低い外に出た。
汗がすうっと引いていくのがわかる。
なだらかな登り坂を10分ほど歩き、奥多摩駅に戻った。まだ15分くらい時間がある。お土産でも買おうと辺りを見回しても、土産物屋さんが見当たらない。うそだ、土産物屋がないわけがない。そう思って駅前周辺を歩いたが、やっぱり見当たらない。しかたがないので駅のとなりの奥多摩町観光課の観光案内所をのぞいてみた。ひっそりしていて入りにくかったが、そうっと、
「やってますか。」
と言って扉を開けた。
「どうぞ、どうぞ。」
と、大歓迎だ。やっぱり、駅周辺にはお土産を売っている店は今はもうないとのことだった。ただ、観光案内所には少しだがお土産らしいものも置いてあった。お菓子は「わさびチーズ・タルト」だけで、あとは長めの柄のしゃもじに「鹿肉カレー」と「わさびご飯の素」だけ。あまり時間もないので、「わさびチーズ・タルト」と「わさびご飯の素」を買った。
「このしゃもじも人気なんですよ。柄の長いのが使いやすいって。」
なるほど、それではしゃもじも、ということで買うことにした。すると観光課の職員さん、
「あれっ、これいくらだったっけ。どっか、書いてないですか。」
・・・(人気なんて、ウソだな。売れてないんだ、きっと。)
事務室の奥から、
「500円ですよ。」
の声。
とりあえず、これで奥さんへのお土産はできた。
14:07発の青梅行きの上り電車に乗り、青梅に向かった。よく歩いて、おいしいものを食べて、気持ちのいい温泉に浸かって・・・当然のように眠気を催した。ふわふわしているうちに青梅駅についた。
往路で青梅駅に着いた時は早かったので、おもしろそうな所はまだ開いてない時間だった。だから。駅構内の散策だけで奥多摩行きの電車に乗り込んだ。青梅は「昭和レトロの町」と言われている町だ。駅を出て昭和レトロを探すことにした。
駅の横の狭い道は「昭和小路」で、まさしく昭和の商店街。まだ僕が幼稚園に通っていたころの豊田市街の「銀座通り」の雰囲気とよく似ていた。そこを抜けると喫茶店の屋根に巨大な木のおもちゃのクルマが乗っていた。国道に出たところに「昭和レトロ商品博物館」があった。
なつかしいなんてものではないね、「昭和レトロ商品博物館」は。入ってすぐに目に飛び込んできたのが街角のたばこ屋。そして、紙芝居屋の自転車と、昭和30年代のスーパーカブ。基本的に、僕の趣味のバイクのスーパーカブと同じだ。僕のカブは98年式で今から17年前の古いカブだが平成に入ってからのもの。それよりさらに40年も前のカブと同じ形というのはやっぱりスーパーカブはすごい。文房具のコーナーもなつかしい。「この筆入れ、オレ持ってた」なんて心でつぶやいたりして眺めた。
次に行ったのが、すぐ隣の「赤塚不二夫記念館」だ。そう、あのバカボンの赤塚不二夫だ。イヤミにチビ太、ニャロメにウナギイヌ。おそ松クン世代の僕にはたまらない。天才バカボンの原画など一通り見学して、ロビー前の売店に着くと、欲しいものだらけだった。最初に買おうと思ったのがバカ田大学のキーホルダーだったが、地方の私立大学勤務の僕にはシャレにならないのだ。一流大学とは言えないものの学生たちの心の温かさは一流なのだ。だからそんなキーホルダーはいらないのだ。これでいいのだ。
バカボンの缶バッジとニャロメのカード-ケースなどを買ったところで奥さんのことを思い出した。4つ年下の妻もおそ松くん世代だ。ひみつのアッコちゃんのバッジも買い足した。
さらにネコのキャラクターがいっぱいの「昭和幻灯館」を見学し、青梅駅に戻った。街角には、昭和を連想させる看板やらオブジェなどがありレトロな雰囲気を醸し出していた。その割には、駅舎だけはごくごく普通の建物だった。
奥多摩で温泉に入ったら、なんとなく歩くのがおっくうになっていた。中央線~八高線~横浜線を乗り継いで新横浜から新幹線で帰ろうと思っていたが、ちょうど東京行きの中央線直通の快速電車があったので、楽な道を選んでしまった。
東京駅に着いたのが17:40頃。「品川名物貝づくし」弁当を買い、18:03発の新大阪行きのぞみで家路に就いた。
自然の中を歩く心地よさ、知らない町を歩くおもしろさ。ローカル鉄道ぶらぶら歩きのプチ旅には、大好きなバイクやクルマでは味わえない楽しさがいっぱいある。今度は、妻といっしょに歩こう。候補は、えちぜん鉄道(福井)、近江鉄道(滋賀)、長良川鉄道(岐阜)、樽見鉄道(岐阜)、明智鉄道(岐阜)あたりだろうか。岐阜だらけだ。