ELEVEN HOUSE

北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2015.2 JR青梅線途中下車一人旅 ~奥多摩渓谷(東京)の旅~

2015-02-27 23:16:26 | ローカル鉄道の部屋
 僕の「鉄ちゃん」第4弾はJR青梅線。前日に新幹線で品川へ、山手線で新宿、中央線で国分寺に行き、国分寺のビジネスホテルで前泊した。夕方の中央線の身動きが取れないくらいのラッシュにびっくりしたが、仕事を終えて郊外の家に帰る時間帯なので当然と言えば当然のこと。ここは首都東京なのだから。ホテル近くの中華料理店でラーメンと小チャーハンを食べ、スマホで青梅線沿線の見所をチェックして、早々に床に就いた。
<2月20日>
 2月20日(金)の朝は、なぜか5時50分に目が覚めてしまった。いつもの起床時間だ。体のリズムがそうなってしまっていることがちょっと寂しい。休暇の日までも早起きはしたくなかったので、7時まで寝た。
 8時にホテルを出て、喫茶店でモーニングを食べて、まずは青梅線始発駅の立川駅に向かった。
 さすが東京、郊外の駅でもでかい。しかも、人人人であふれかえっている。みんなは仕事か学校だが、僕は遊び。立川駅の写真を撮り、ついでにバスフェチの僕はずらっと並ぶ路線バスの写真も撮った。
 8:45発の青梅行きの電車に乗って、まずは青梅駅へ。9:16に青梅に着き、次の奥多摩行きが9:32発なので、駅構内をぶらぶらすることにした。
 電車を降りると、「昭和レトロの町・青梅」の看板が目につく。青梅駅構内は、とにかくおもしろい。何がおもしろいって、わざわざ昭和レトロ風に作られているのだ。ホームに掲げられた駅の表示も、うす黒く垂れるように水垢がついていたり、錆で褐色になっていたりして古くさくなっているが、実は水垢も錆も描かれているのだ。実際には、水垢もついていなければ、錆てもいない。それどころか、待合室の外壁も板壁になっているだけでなく、古いポスターが剥がれたような糊の痕の絵まで描かれていて、その懲りようにはたまげてしまうほどだ。通路には、昭和の映画のポスターの絵や、おそ松くんやニャロメの絵。改札の内側は昭和の香りがぷんぷんするような雰囲気が人工的に作られている。ちび太やイヤミで育った昭和世代の僕は、うれしくてたまらなかった。
 9:32発の奥多摩行きに乗って、まず目指したのが御嶽駅だ。青梅まで住宅地を西へ西へと向かってきた電車は、しだいに山の中へと入り、多摩川を眼下に見る山の中腹を這うようにして進む。トンネルあり、急カーブあり、鉄橋ありの、自然の地形に合わせて鉄道が敷かれているようで楽しくなる。
 電車は御嶽駅に着いた。山しかない風景の中に、最新の通勤型200系電車がまったく似合わない。駅舎も、昭和どころか明治・大正・昭和初期の御殿を模したような建物だ。駅の出入り口に置かれている赤い円筒形のポストがよく似合っていた。
電車に乗っていた人のほとんどが御嶽駅の改札を出た。数組の熟年ハイカーのグループだ。真新しいリュックを背負ったハイカーたちは元気な声で話をしながら御嶽山ケーブル下行きのバスに乗っていった。なんだか、僕一人だけ取り残されたような感じだった。
 駅前交差点を渡って急な階段を下りた所が御嶽渓谷だ。渓流に沿って細い散策路が整備されていた。まずは上流に向かって歩く。岩と岩で急流になっている所にラフティングの練習場があった。一人、ひたすら練習に励んでいる人がいた。流れに逆らわずに下ったかと思うと、すぐに波しぶきの中を上っていく。なかなかうまい。しばらくその様子を見た後、今度は下流に向かって歩いてみた。遠くにつり橋が見える。あのつり橋まで歩いてみよう。渓谷を跨ぐつり橋や、しぶきを上げて流れる水。朝の空気がすごくおいしい。つり橋に近づいたところで散策路から河原に降りてみた。大きな岩に腰を下ろして缶コーヒーを飲んでいると、なんだか山歩きっていいものだなあと思えてくる。
 散策路から急な坂道を上り、つり橋のたもとに着いた。半分ほど渡ったところで渓谷の写真を撮ったが、ゆらゆらと揺れる橋からは撮りにくかった。うまく写っているかどうか。
 再び散策路に戻り、御嶽駅に向かった。
 小1時間の散策を終え、10:40発の奥多摩行きの電車に乗り、鳩ノ巣駅で途中下車した。
 駅を出て奥多摩方向に歩くとすぐに「双龍の滝」の文字が見えた。「滝」と聞けば行くしかないと思い、矢印に従って急な階段状の道を下った。すると、幅30㎝ほどの細い滝があった。
「これが双龍の滝?」
 ほかに滝らしいものもなく、双龍という名がついているのに1本しか見えない。岩を垂直に6~7m流れ落ちているので確かに滝なのだが、迫力はない。完全に名前負けしてるなあ。
 再び階段を登って駅西に出た。そのまま鳩ノ巣渓谷に向かって歩いたら、工事のおじさんが、
「遊歩道、工事中だから行けないよ。行くんだったら、滝の方から回っていけば行けるけど。」
と教えてくれた。
「また、さっきの急な階段か・・・。」
 結局、駅前の国道から谷を眺めるだけにした。眼下に小さく渓谷のつり橋が見える。あそこまで降りたら、駅に戻るのが大変だと思った。
 11:21発の奥多摩行きに乗り、終着駅の奥多摩に向かう。ホームに入る最新の200系電車がますます似合わなくなっていた。新しいデザインもさることながら、4両編成というのが似合わない。深い山間の渓谷に沿って走るのだから、イメージとしてはたった1両の短い車両が似合うはずだ。奥多摩駅まで、きついカーブを長い車両が4両、きしむようにして走っていく。
 終点の奥多摩駅に着いた。電車を降りてホームの一番前まで行くと、レールはそこで途切れていた。なぜか、終着駅に着くと、それを見たくなる。
 奥多摩駅の駅舎はとても立派な建物だ。子どもの頃に見た昔の映画館を思い出す。生まれて初めて観た映画がディズニーの「101匹ワンちゃん大行進」だった。幼稚園から先生の引率でみんなで歩いて行った映画館が、こんな形をしていたような気がする。
 駅下の交差点でまず目に付いたのが大きな杉の木だ。近くまで行ってみると、木の横の看板に「三本杉」と書かれていた。しかも、東京で一番高い杉の木だそうだ。確かにすごく高い木だが、これが長野だったら何番目になるだろうなどと、つまらないことを考えてしまった。
 三本杉から民家の間の坂を下っていくと渓流に沿った遊歩道に出る。山肌を縫うように歩くと、下の方に新しいつり橋が見えた。ずいぶん低い所まで来たもので、橋の近くまで来ると、河原に下りることができた。こんなに澄んだ水は見たことがないと思うくらいきれいな水が流れている。山の緑が映って澄み切った緑色だ。川底の岩もはっきり見える。泳いでいる魚たちの姿もはっきり見える。遠く離れた駅近くの赤い橋が澄んだ水に映り、山の緑にひときわ映えて見える。オゾンたっぷりの空気を吸い、渓谷美を楽しむ。わざわざ奥多摩まで来て本当によかったと思う。
 つり橋を渡ると散策路の地図があり、それを見ると右への道はロング・コースっぽい。左はショート・コースのようだ。お昼を過ぎ、おなかもすいていたし、帰りの電車の時間も気にかかる。なんと言っても、普段あまり歩かない生活をしているので、自分の体力も気にかかる。迷わず、左へと進路をとった。ショート・コースとは言え、遠くに見える赤い橋まで曲がりくねったアップダウンを繰り返す道を歩くことになる。僕にとっては、十分ロング・コースだ。
 思ったとおり、遊歩道は登り坂になり、川の蛇行に合わせてくねくねとカーブが続いた。再び下り坂になり、その先に2つ目のつり橋があった。一人分の道幅のつり橋はよく揺れる。揺れる割には怖くはない。つり橋をわたると、また登り坂だ。まだお昼ご飯を食べてないのに、スマホの歩数計を見るとすでに普段の3日分くらい歩いている。ところが、まったく足の疲れは感じない。山道の登り坂も快調に歩くことができる。きっと、美しい自然とおいしい空気のおかげだろう。人が快適に過ごせるのは、エアコンの効いたコンクリートの箱の中ではなく、自然の中で過ごすことだとつくづく思えてくる。
 愛宕山の麓の山道入り口を通り抜けると遠くに見えていた赤い橋のたもとに出た。わずか30分あまりの散策だったが、気持ちのいい汗をかいた。時刻は12時10分。橋から奥多摩温泉もえぎの湯まで約700m、温泉から奥多摩駅までが約800mだ。移動の時間は30分もかからないはずだ。青梅行きの電車が14:07発だから食事と温泉の両方を楽しむ時間はある。
 赤い橋を渡り、駅下の交差点に出て、国道を東に向かって歩いて行いけば「もえぎの湯」だ。渓谷の上の方を歩いているので、眼下に多摩川上流の流れが見える。長いつり橋も見えた。この辺りはつり橋だらけだ。
 「もえぎの湯」に着くと、まずはお昼ご飯だ。お昼ご飯はここだけの料理を楽しみたいと思う。しばらく食券販売機のメニューとにらめっこをした後、「川魚の塩焼き定食」を選んだ。多摩川上流の澄んだ水で育った魚ならおいしいに決まってる。
 番号札を手に待つこと10数分、カウンターに取りに行くとおいしそうな定食が。
「ん?豆ご飯?それとも味ご飯?」
 おいしそうな川魚の塩焼きよりも豆のようなものがいっぱい混ざった不思議なご飯が気になった。
「このご飯、なんですか。」
 すると、店員さんは、
「むかごご飯といって、種イモのまわりにできる小さなイモを混ぜて炊いたご飯ですよ。」
 席に戻って一口食べてみると、これがまたうまい。川魚の塩焼きも骨から身がポロッポロッと外れるように取れて食べやすいしおいしい。
「あれえ、レンコンの煮物にあんこがかけてある。」
 醤油味と甘いあんこの組み合わせはちょっとヘンだが、口に合わないことはない。さしみこんにゃくもおいしいし、ちょっとピリッとした漬け物もおいしかった。
 食器返却の時に、
「むかごご飯は、奥多摩でよく食べられているのですか。」
と尋ねると、
「群馬の方でもよくあるそうだから、ここの特産というわけではないんですよ。」
 なんだか、いい意味での田舎っぽい料理を口にしているうちに、東京にいることさえ忘れかけていた。
 お昼ご飯が終われば、次は温泉だ。
 わあー、つるっつる。なんて気持ちがいいのだろう。温度もややぬるめで僕にはちょうどいいし、気持ちよ過ぎ。露天風呂にも行ってみようと外にでると、少し離れたところにあった。この季節に裸で外を歩くのはちょっと寒かったが、露天風呂に入ったらまたまたいい気持ち。帰りの電車が14:07発だから、1時半くらいまでお湯に浸かっていることにした。
 体全体が温まり、暑いくらいだ。体を拭いても拭いても汗がわき出てきた。いつものように冷たいコーヒー牛乳を飲み、気温の低い外に出た。
 汗がすうっと引いていくのがわかる。
 なだらかな登り坂を10分ほど歩き、奥多摩駅に戻った。まだ15分くらい時間がある。お土産でも買おうと辺りを見回しても、土産物屋さんが見当たらない。うそだ、土産物屋がないわけがない。そう思って駅前周辺を歩いたが、やっぱり見当たらない。しかたがないので駅のとなりの奥多摩町観光課の観光案内所をのぞいてみた。ひっそりしていて入りにくかったが、そうっと、
「やってますか。」
と言って扉を開けた。
「どうぞ、どうぞ。」
と、大歓迎だ。やっぱり、駅周辺にはお土産を売っている店は今はもうないとのことだった。ただ、観光案内所には少しだがお土産らしいものも置いてあった。お菓子は「わさびチーズ・タルト」だけで、あとは長めの柄のしゃもじに「鹿肉カレー」と「わさびご飯の素」だけ。あまり時間もないので、「わさびチーズ・タルト」と「わさびご飯の素」を買った。
「このしゃもじも人気なんですよ。柄の長いのが使いやすいって。」
 なるほど、それではしゃもじも、ということで買うことにした。すると観光課の職員さん、
「あれっ、これいくらだったっけ。どっか、書いてないですか。」
 ・・・(人気なんて、ウソだな。売れてないんだ、きっと。)
 事務室の奥から、
「500円ですよ。」
の声。
 とりあえず、これで奥さんへのお土産はできた。
 14:07発の青梅行きの上り電車に乗り、青梅に向かった。よく歩いて、おいしいものを食べて、気持ちのいい温泉に浸かって・・・当然のように眠気を催した。ふわふわしているうちに青梅駅についた。
 往路で青梅駅に着いた時は早かったので、おもしろそうな所はまだ開いてない時間だった。だから。駅構内の散策だけで奥多摩行きの電車に乗り込んだ。青梅は「昭和レトロの町」と言われている町だ。駅を出て昭和レトロを探すことにした。
 駅の横の狭い道は「昭和小路」で、まさしく昭和の商店街。まだ僕が幼稚園に通っていたころの豊田市街の「銀座通り」の雰囲気とよく似ていた。そこを抜けると喫茶店の屋根に巨大な木のおもちゃのクルマが乗っていた。国道に出たところに「昭和レトロ商品博物館」があった。
 なつかしいなんてものではないね、「昭和レトロ商品博物館」は。入ってすぐに目に飛び込んできたのが街角のたばこ屋。そして、紙芝居屋の自転車と、昭和30年代のスーパーカブ。基本的に、僕の趣味のバイクのスーパーカブと同じだ。僕のカブは98年式で今から17年前の古いカブだが平成に入ってからのもの。それよりさらに40年も前のカブと同じ形というのはやっぱりスーパーカブはすごい。文房具のコーナーもなつかしい。「この筆入れ、オレ持ってた」なんて心でつぶやいたりして眺めた。
 次に行ったのが、すぐ隣の「赤塚不二夫記念館」だ。そう、あのバカボンの赤塚不二夫だ。イヤミにチビ太、ニャロメにウナギイヌ。おそ松クン世代の僕にはたまらない。天才バカボンの原画など一通り見学して、ロビー前の売店に着くと、欲しいものだらけだった。最初に買おうと思ったのがバカ田大学のキーホルダーだったが、地方の私立大学勤務の僕にはシャレにならないのだ。一流大学とは言えないものの学生たちの心の温かさは一流なのだ。だからそんなキーホルダーはいらないのだ。これでいいのだ。
 バカボンの缶バッジとニャロメのカード-ケースなどを買ったところで奥さんのことを思い出した。4つ年下の妻もおそ松くん世代だ。ひみつのアッコちゃんのバッジも買い足した。
 さらにネコのキャラクターがいっぱいの「昭和幻灯館」を見学し、青梅駅に戻った。街角には、昭和を連想させる看板やらオブジェなどがありレトロな雰囲気を醸し出していた。その割には、駅舎だけはごくごく普通の建物だった。
 奥多摩で温泉に入ったら、なんとなく歩くのがおっくうになっていた。中央線~八高線~横浜線を乗り継いで新横浜から新幹線で帰ろうと思っていたが、ちょうど東京行きの中央線直通の快速電車があったので、楽な道を選んでしまった。
 東京駅に着いたのが17:40頃。「品川名物貝づくし」弁当を買い、18:03発の新大阪行きのぞみで家路に就いた。
 自然の中を歩く心地よさ、知らない町を歩くおもしろさ。ローカル鉄道ぶらぶら歩きのプチ旅には、大好きなバイクやクルマでは味わえない楽しさがいっぱいある。今度は、妻といっしょに歩こう。候補は、えちぜん鉄道(福井)、近江鉄道(滋賀)、長良川鉄道(岐阜)、樽見鉄道(岐阜)、明智鉄道(岐阜)あたりだろうか。岐阜だらけだ。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014.2 今どきの若者は・・・昔の若者よりエライ!

2015-02-18 23:43:36 | いろいろ思う部屋
 僕の大学の子ども学科では、1月上旬に卒論提出がの締め切られ、先週、卒業研究発表会(卒論口述試験)も終わりました。4年生の学生はあわただしい年末年始を過ごし、今月に入ってやっとほっとできる日を迎えています。僕のゼミの学生もなんとか全員が期限までに提出でき、内容も子ども学の課題研究にふさわしい出来で、みんなよく頑張ったと感心しています。
 先日の昼休みに2人の男子ゼミ生に出会ったので、
「卒論もきちんと提出できたし、研究発表が終わったら、どこか行っておいでよ。社会人になったら、自分の時間なんてなくなっちゃうよ。」
と声をかけると、
「まだ決めてないけど、僕、東北に行ってみようと思ってます。」
と言ったのです。
「それはいい、冬の東北は。ぜひ、行っておいで。東北のどの辺りに行こうと思ってるの。」
 僕がそう言うと、彼は、
「東日本の被災地を自分の目で実際に見てきたい。できれば、ボランティアで何か手伝うことができれば。」
と言うのです。
 僕は、はっとしました。
 僕自身、一昨年とその前の年に2度ほど行ってきましたが、そこでどれだけ心を揺さぶられたことか。震災ですべてを失い10あったものが0になってしまったと言いながら、それでも1を目指して頑張ってるとおっしゃられた女川町の人の言葉や、全部失った俺たちが頑張ってる姿をもっと多くの人に見に来てもらいたいと言われた南三陸町の人の言葉など、忘れかけていたことが一瞬のうちに次から次へと思い出されました。
 てっきり、卒業を控えた学生たちが卒業記念の観光旅行を考えていると思った僕は、自分が恥ずかしくなりました。僕の学生時代なんて、自分のことしか考えていなかったように思えてきました。夢や希望もすべて自分のため。ところが、今の若者はそうではないのです。人の役に立つ自分でありたいという希望を胸に抱いているのです。
 去年3年生だった彼らを担当して2年が過ぎようとしています。素敵な大人になって巣立っていく僕のゼミの学生たちを、僕は誇りに思っています。また、こんな素敵な先輩たちの後ろ姿を見て過ごしている後輩たちも、きっと多くの影響を受けていることと思います。有名大学でもなく、一流大学でもない地方の一私立大学ですが、学生たちの心は一流です。
 「今どきの若者は・・・、俺たちが若者だった頃よりずっとエライ!」
 そして、自分のことしか考えずに学生時代を過ごした自分が、恥ずかしくなってきました。
卒業研究発表会が終わったということは、4年生を担当している僕も一段落です。明日と明後日(2月19,20日)は、入試関係の休日出勤の振替休日です。暖かい季節ならバイク・ツーリングですが、この時期のツーリングは軟弱な僕には厳しすぎます。そこで、半年ぶりに「鉄ちゃん」になって、JR青梅線で奥多摩に行ってみることにしました。もちろん、途中下車しながら東京の東京らしくない風景を楽しんでこようと思っています。19日に国分寺で前泊し、20日の朝から立川~奥多摩へとぶらぶらする計画を立てました。きっと、クルマやバイクでは味わえない新しい発見があると思います。
 こうして、学生対応から自分の研究へと気持ちを切り替え、2月下旬から1か月かけて論文を1本書き上げようと思っています。
 やっぱり、昔の若者は自分のことしか考えてないなあ。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道ツーリング2014道北道東・初めての一人旅(下)

2015-02-13 23:42:32 | 北海道ツーリング2014道北道東ソロツー
※昨年9月の「北海道ツーリング2014道北道東」のレポートです。かなりの大作なので、3回に分けて掲載しています。北海道の旅への興味と、お時間がおありの方は、もしよろしければ、(上)の季節外れの一面のひまわりや地平線まで伸びるまっすぐの道などから順にお読みいただければ幸いです。

<9月12日>
 この日は温泉街のお祭りらしい。旅館のすぐ前の神社の鳥居を白装束の男たちが行ったり来たりしていた。祭りの準備をしているらしい。
 せっかく阿寒湖にいるのだから、湖の写真も撮っていこうと思い、湖岸の空き地にバイクを止めると、
「今日はお祭りだから、そこにバイクを止めちゃだめ。」
と、法被を着たお年寄りに強い口調で言われた。
「写真を撮ったら、すぐ出ていくから。」
と答え、ほんとうに写真を1枚だけ撮って湖畔を後にした。
 阿寒まで来たら、オンネトーは外せない。
 オンネトーは、R241から少し南に入ったところにある、阿寒富士の麓にあるひっそりとした湖だ。美しいコバルト・ブルーの水がなんとも神秘的な湖で、ここも僕の大好きな場所の一つに数えられる。
 お気に入りの小さな駐車場の「オンネトー」の看板の近くにバイクを止めた。すると、老夫婦と息子さんらしい3人組がやってきて、カメラのシャッターを押してほしいとのこと。僕にも年老いた両親がいて、時々クルマで近場に連れていってあげるようにしている。それだけに、息子さんの気持ちはよく分かる。その後、三脚を出して何枚か自分を入れて写真を撮っていると、1台のレンタカーのマーチがやってきた。降りてきたのは女子大生らしい3人組だった。ここでもまた僕は写真係になってしまった。写真を撮りながら話を聞くと、千葉からやってきた仲良し3人組だそうだ。きっと、大学の4年生だろう。9月に夏休みを楽しめるのは大学生くらいだと思う。採用試験を終えて、ほっと一息ということでの北海道旅行だろうと想像した。僕が担当している4年生のゼミの学生たちの顔が頭に浮かぶ。
 美しいオンネトーで写真係を終えた僕は、再びR241に戻り、西に向かった。ここもまた、標津と同じように大農業地帯だ。とうもろこし畑が延々と続いていた。
 道の駅「足寄湖」でトイレ休憩をとった。オンネトーでは薄曇りの天気だったが、だんだんと青空が広がってきた。いい感じだ。次の目的地はナイタイ高原。最高の景色を拝めそうだ。
 上士幌からナイタイ高原方面へと向かった。いい天気だが、山のてっぺんにだけ雲がかかっている。大平原に青い空、遠くの山には白い雲、まさに絵になる風景だ。
 高原に近づくにつれて、丘の上が白くなっていることが気になってきた。きっと、ナイタイ高原は霧に包まれているのだろう。予想は的中してきた。高原に向かう坂の途中の牧場辺りから霧がかかっていた。その霧は坂を登るにつれて濃くなっていく。ここでは霧だが、きっと下界からは雲なのだろう。
 「あと4㎞」の案内看板のあたりで雨も降り出し、とうとう今日もカッパを着ることになった。今回のツーリングでは、北海道に来てカッパを着なかった日は一度もない。
 霧は、駐車場に入る時にはどこが入り口か分からないほどになっていた。ここが雲の中でなければびっくりするくらいの素敵な風景が広がっているはずだ。ところが、今は真白な世界。どうしてここだけと思いながら、ここに来たら絶対に牛乳を飲まなくてはということで売店に向かって歩いた。大好物のコロッケがあったので、牛乳とコロッケでおやつにした。売店にいたW600の大阪氏は、初めて来たけど何も見えないと残念がっていた。一瞬、霧が薄くなったので写真を撮ったが、あまりきれいには写っていなかった。
 何も見えないナイタイ高原を後にし、4㎞地点を過ぎると、来た時の反対でちゃんと雲から抜け出した。抜け出したところで、一面に広がっている大牧場と、のんびり歩く牛たちの写真を撮り、カッパを脱いで丘を下った。
 ここ上士幌は広大な畑の中を碁盤の目のように直線路が作られている。その直線も、10㎞以上も続いていてその先はまるで雲まで続いているように見える。こんなダイナミックな景色は国内ではおそらく北海道でしか見ることはできないだろう。しかも、今回はそれを何度も見ている。
 道の駅「うりまく」でお昼にした。
「何、オショロコマそばって。」
 店に入ると「オショロコマそば」の文字が目立っていた。店の人に聞いてみると、然別湖のイワナのことを鹿追町では「オショロコマ」と呼ぶそうだ。ナイタイ高原でコロッケを食べているので、お昼はその「オショロコマそば」だけにした。
 名前が変わっているだけで、普通においしいそばだった。そばを食べながら地図を見ていると、鹿追からR38に清水市街を通らずに行けるショートカット・コースを見つけた。
 ショートカット・コースの道道133~道道75は、丘陵地を走る快適な道だった。あまりの気持ちよさに、ちょっと得した気分になれた。
 新得でR38に入り、狩勝峠に向かった。狩勝峠は、20年くらい前に初めて北海道をバイクで走った時の思い出の峠だ。そのときは西から東に向かって走ったが、峠から見た十勝平野に思いっきり感動してしまったことを今でも覚えている。僕にとっては、北海道が大好きになったきっかけの峠とも言える。
 この峠も、ナイタイ高原と同じように雲の中だった。霧で視界は悪かったが、それでも路肩にバイクを止め、十勝平野を眺めてみた。もちろん真っ白な景色で何も見えなかったが、その風景を目に浮かべることはできた。
 峠を下り、南富良野で道道253に入り、麓郷に向かった。ドラマ「北の国から」の大ファンの僕は、富良野に来たら麓郷は外せない。
 麓郷の森の駐車場にバイクを止めた。さあ、五郎の家を見に行こう。そう思った矢先、雨がポツリポツリと落ちてきた。とりあえず傘を持って五郎の家まで歩き、入館券を買った。ところが、入館券を受け取ったところで突然の大雨。急にドバーッという感じで降り出したため、傘も差さずに大急ぎでチケット売り場から最も近い売店に飛び込んだ。
 本格的な雨は一向にやみそうもない。また今日もキャンプは無理か。心の中で、北海道最終日の今日こそ富良野山辺の「太陽の里キャンプ場」でキャンプをしようと思っていただけに、ちょっとつらい雨だった。それでも、そのうちにやむだろうと、傘を差して五郎の家に行き、中を見学した。ドラマのセットがそのまま残された五郎の家は、「ここがほたると純が寝ていた2階の部屋で・・・、それからここが・・・」というようにドラマを反芻しながらキョロキョロしていた。壁にはドラマ・シ-ンの写真が掲げられている。
 五郎の家から外に出るときも、激しい雨は降り続いていた。雨宿りをしようと園内のカフェに入り、「風」の文字の入ったTシャツを自分へのお土産として買い、ブルーベリーソースのソフトクリームを食べた。ついにキャンプをあきらめ、宿泊のできる日帰り温泉施設の「ハイランド富良野」に電話をして予約を入れた。こういうときは、はっきりと記憶している宿泊施設でないと大変なことになるということを紋別の宿探しで学習している。
 空が明るくなってきたので、もうすぐやむだろう。結局、30分程度の大雨だったが、地面はべたべたでどろどろ。やっぱりキャンプは無理だろう。今回のツーリング最後の夜なので、キャンプをあきらめたとは言っても、未練は残る。予定していた5泊のうちに初日の1回しかキャンプをしていないのだから。カッパを着なかった日は1日もなかったので、しかたがないのかもしれない。
 まだ富良野をぶらぶらする時間はあるので、麓郷界隈のドラマに出てきた風景を見ながら宿に向かうことにした。
 道道253は麓郷の丘陵地を回りながら富良野の市街地に降りていく道だ。ドラマで見た風景があちらこちらに見える。
「わっ、この風景、翔太兄さんがほたるのために派手な結婚式をした丘だ。」
「ここを、おんぼろスタウト(小型トラック)で五郎が走ってたんだ。」
 そんなことを思い起こしながら、ゆっくりと風景を楽しみながら坂を下った。
 空は青空なのにまた雨が降り出した。ちょっとでも降り出したらカッパを着るのが賢い選択とは思うが、青空の下ではその気にはなれない。それだけに、ちょっとマズイなあと思いながら走っていた。そろそろカッパを着た方がいいかなあと思って少し広めの路肩を探しているうちに雨はやんだ。なんとか、びしょ濡れにならずに「ハイランド富良野」に着くことができた。
 宿泊費9500円の割にはりっぱなレストランで、ちょっと豪華な夕食メニュー。公共施設なので、格安なのだと思った。今日もまた気持ちのいい温泉のお湯に浸かり、北海道最後の夜を過ごした。
 明日は先日局地的な豪雨に見舞われた苫小牧へ行くが、ニュースで見た苫小牧港への道が心配だ。早めに着けるようなコースを考えながら眠りに就いた。

*本日の走行      294㎞
*本日のピースサイン   12発


<9月13日>
 とうとう北海道ツーリング最後の日になってしまった。午前中の富良野周辺の散策を短めにして、苫小牧港へ行くことにした。時間的には多少足を伸ばしてから苫小牧に向かってもいいが、苫小牧市街の道路状況がよく分からないのだ。
 フェリー持ち込み用の荷物と、そうでない荷物とに分け、少し遅めの9時20分に「ハイランド富良野」を出た。
 まずは、両親や妻に富良野のメロンをお土産に送ろうと、山辺に向かった。山辺にはメロン直売所が立ち並んでいる。
 R38を南に向けて走っていると、「中西農園」の看板を見つけた。昨日の宿に予定していた「太陽の里キャンプ場」で数年前にキャンプをした時に立ち寄った店だ。その時、メロンを宅配で家に送ると、ジャガイモやトウキビをたくさんくださり、いただいたジャガイモとトウキビで晩ご飯を済ませたことがある。キャンプで食べたキタアカリのおいしかったこと。
 バイクを止め、店に入った。すると、メロンを買う前に、店にいたおばあさんが、
「これ、食べな。」
「これ、持ってけ。」
と、店に並べられているメロンやトウキビを指さしてたてつづけに言う。ご自分が育てられた果物や野菜を食べてもらうことを楽しんでおられるような雰囲気だった。
「今、茹でたばかりのトウキビ、食べな。」
と、湯気の立つトウキビを1本僕に差し出した。たった今、朝ご飯を食べたばかりだったが、断りきれずに食べることにした。甘い。ものすごく甘く、本当においしいトウモロコシだ。
「メロン、もう終わっちゃったけど、少し残ってるから食べな。」
 メロンは別腹だ。よく熟れたおいしいメロンも半玉食べた。
「今は、キタアカリがうまいよ。」
 このおばあさんが育てたキタアカリのおいしさは僕もよく知っている。
 もうこれ以上食べられないと思っても、
「もっと食べな。」
とトウキビを勧める中西のおばあさん。
「もうお腹がいっぱいで食べられないですよ。」
 すると、
「じゃあ、持ってって、どこかで食べたら。」
と、茹でたてのトウキビを2本ラップに包んでくれた。僕は、
「じゃあ、これはお昼ご飯にするよ。」
と、タンクバッグに入れた。
 お奨めのキタアカリ1箱を家に送り、
「また、北海道に来た時には寄るからね。」
と、店を出ようとしたら、
「ぜひ、来てくださいね。来た時に店のシャッターが閉まっていたら、私かうちの人のどちらかが死んだと思ってね。」
 そう言って、見送ってくれた。そして、いつまでも手を振り続けてくれた。ご夫婦のどちらかが死ぬまで農園を続けるつもりだと思うと、やっぱりすごいと思った。僕は、今の仕事を何歳まで続けられるかを時々考えている。中西のおばあさんにはいつまでも長生きしてもらいたいものだ。
 再び富良野市街に戻り、ラベンダー畑を見に行くことにした。もちろんとっくにラベンダーの時期は終わっていることは知っている。それでも、「富良野と言えばラベンダーでしょ」ということで行ってみることにしたのだ。
 行き先は「彩香の里」。四季折々の花が育てられている富田ファームが有名だが、あまりにも観光化されているので好きではなくなってしまった。
 「彩香の里」は、市街地の西側の丘にある。案内看板に従って進めば間違うことはない。駐車場には、キャンピングカーが1台とワンボックスワゴン車が1台。たったそれだけだった。ラベンダーはなくても、ラベンダー・ソフトクリームはあるはずだ。売店にいた店員は一人。一人で、お土産もアイスも何もかもやっているようだ。ソフトクリームがあるのを確かめて、ラベンダー畑へと歩いた。少し離れた花畑には色とりどりの花が咲いていたが、すぐ前のラベンダー畑には花も葉もない低木だけが見渡す限り並んでいる。想像どおりの景色だ。ちょうど数人の人たちがせっせと畑の世話をしていた。
 9月の富良野は少し肌寒かった。それでも僕は売店に行ってラベンダー・ソフトクリームを買い、冷たいソフトクリームを食べながら何もないラベンダー畑を眺めた。季節外れでも、富良野と言えば五郎の家とラベンダーなのだ。
 これで、今回の富良野のぶらぶら歩きは終わりだ。寂しいけれど苫小牧に戻らなければならない。道道135富良野美唄線で西に向かい、R452で夕張に出るコースを選んだ。
 数年前に走ったR452は、自然の森や川のせせらぎを感じながら中高速コーナーを走るローカルな国道で、この道も僕の好きな道の一つだ。よくキタキツネにも出会うのどかな国道だが、雑誌などに紹介されてないせいか交通量はほとんど無いに等しい。ほとんど自分だけのパーソナル・ロード状態の道のようになる。
 何もない道なので、R452に入ってすぐの三段滝の駐車場でトイレ休憩を済ませ、一応写真だけ撮ってすぐに走り出した。この滝は川底の岩が段状に削れているために小さな滝のようになっているだけで、めずらしいかもしれないが迫力はない。
 次に向かったのが桂沢湖。ダム湖にかかった橋からは美しい景色が見られるが、なぜかパーキングからは藪が邪魔になって見られない。極端に交通量の少ないR452は、ここ桂沢で三笠方面へと向かう道道116と分岐するため、さらに交通量は減る。ほとんど何も走っていない道になる。だからパーソナル・ロード気分になれる。
 パーキングで、中西農園のおばあさんにいただいたトウキビ2本と、あらかじめ買っておいた缶コーヒーで昼食にする。茹でたてのトウキビは冷めてしまったが、それでもやっぱりうまい。食後の缶コーヒーを飲んで、R452ナチュラル・パーソナルロードへと飛び出した。その間、通ったクルマは1台もなかった。もちろんバイクも0台だ。
 おいしいトウキビでお腹を満たした僕は、森の中のコーナーが連続するワインディングを気持ちよく走るつもりだったが、イメージとは全く異なるまるで高速道路のようなバイパス道路を走っている。
「あれえ、ヘンだなあ。道、間違えた?」
 そんなはずはない。R452の標識も出てるし、第一、間違えるほど多くの道はない。何も走っていない自然に満ちた素敵な国道を、無駄に新しい道に作り替えたのだ。やたらと新しい橋が出現する。それも、次から次へと。その一つ一つに名前がつけられていて、笑えてくる。「桂春橋」「桂夏橋」「桂秋橋」と続いているのだ。ばかばかしくなるくらいおかしい。僕は、夕張川の蛇行に沿って走る自然に包まれたR452が好きだった。ところが、今は高架のバイパス道路で、川の蛇行を無視して直線にしたためヘンな名前の新しい橋だらけの立派な道路だ。
 R452には、僕が楽しみにしていた風景がある。シューパロ湖にかかる大夕張ダムの手前の風景だ。古びた鉄橋が遠くに映り、ノスタルジックな景色が広がっている。ところが、高架になったバイパスはシューパロ湖さえも素通りし、ダムの麓の集落で旧国道に合流する。ほとんどクルマは走ってないのになぜバイパス状の道路を作ったのかナゾにしか思えなかった。
 旧道に合流した所に、古い列車が展示保存されていた。駐車場は水たまりだらけのダートだったが、先頭の古いラッセル車が見えたとたん、水たまりを突っ切って寄り道をした。新しい道のおかげで、時間にはずいぶん余裕ができた。展示されていたのは、夕張炭鉱が栄えていた頃の国鉄夕張線の車両だった。その近くには当時のバスも保存されていた。バス・フェチの僕は、ボンネット型からキャブオーバー型になったばかりの頃の三菱ふそうのバスだと分かった。僕が子どもの頃、豊田市駅周辺を走っていた名鉄バスの多くがこの型だったことを思い出した。バスから再び電車に戻り、先頭車両のラッセル車を間近に見た。温暖な愛知県で生まれ育った僕は、ラッセル車を生で見るのは初めてだ。旅の最後の最後に、ちょっとした感動を味わった。
 夕張からはR274で追分から苫小牧に抜けるのがフェリーの出る苫小牧港へ行く最短の経路だが、少し遠回りをすればトリップ・メーターが2000㎞を超えそうな微妙な距離になっている。旅の始まりに走った道央道を走れば、1990㎞くらいになる。そうすれば、名古屋港から豊田まで40㎞くらいはあるので、2000㎞を達成できる。しかも、夕張からの高速道路にも僕のお気に入りの風景があるのだ。それは、千歳東ICから千歳JCTの間の広々とした大平野の景色だ。濃尾平野の端に住んでいても、濃尾平野を見ることなど絶対にできない。しかし、ここでは確かにそこが石狩平野の東の端だということが目で見て分かる。それだけで、僕にとってはすごい所なのだ。
 R274との交差点のセイコーマートで晩ご飯のパック寿司を買った。フェリーの夕食は2000円もして高い。今夜は、パックの寿司と山辺でいただいたトウキビがあれば十分だ。そうして、夕張ICから千歳方面に向けて高速道路に入った。
 高速道路に入ったのはいいが、ペースが速すぎる。僕はゆったりと風景を眺めたいのだが、「高速道路だから速く走らなければ損」みたいな雰囲気で誰もが走っている。流れに乗って走ってはいるものの、こんなに飛ばしていいのかと思う速さだ。速いとそれだけ早く旅が終わってしまう。大好きな石狩平野の風景も堪能することができない。かと行って、流れを乱すこともできず、あっという間に千歳JCTまで来てしまった。
 苫小牧の手前の美沢PAで最後の休憩をとった。妻に、もうすぐフェリー・ターミナルに着くことを連絡すると、なんとなく僕の無事にほっとしているような声が聞こえた。
 苫小牧東ICを出てフェリー・ターミナルに着いたのは午後4時少し前。大洗行きと仙台行きのバイクは多いが、名古屋行きは僕が2台目だった。手続きを終え、ターミナル・ビルの2階でコーヒーを飲んでいると、少しずつ少しずつバイクが増えてきた。それでも、名古屋行きは7、8台しかいない。
 乗船が17時30分とのことだったので、5時にバイクの所に戻った。一人のおじさんがやたらと人に話しかけていたが、ほとんどのライダーは静かに乗船指示があるのを待っていた。
 先発の大洗行きのフェリーの乗船が終わり、残されたバイクは仙台行きと名古屋行きの4、50台になった。待っている間、ずっと響き渡っていた「上のデッキ、上のデッキ」のアナウンスが耳から離れなくなっていた。そして、予定どおり17時30分に乗船の指示があった。
 バイクを車両甲板に置くと、着替えなどのお泊まりセットだけを持って予約しておいたS寝台に向かった。
「あれっ、これがS寝台?」
 大部屋のベッドにテレビがあるだけ。新日本海フェリーのツーリストSのように個室になっているかと思っていたが、これでは丸2日間くつろげない。翌日には仕事が待っている。まいったなあと思っていたら、特別客室に空きがあるとのアナウンスがあった。以前、妻と利用したことのあるツインルームだ。確か、一等客室が内側で、特別客室が海側のいい雰囲気の部屋だったように記憶している。
 ツイン・ルームを一人で利用できるのかインフォメーションに行って尋ねると、変更可能だと言う。迷わず差額を払って個室に移ることにした。
 やっぱり個室はいい。パンツ1枚になってリラックスして過ごせる。
 出航前に風呂に入っておこうと思い、大風呂に行くと案外たくさんの人が入っていた。作戦失敗だ。行水ですませ、部屋に戻って寿司のパックとトウキビで夕食にした。
 19時00分の出航を、デッキから見つめた。だんだん港が遠ざかっていく。なんとも寂しいものだ。その後は、BSテレビで寅さんをみていたが、次の番組が始まったあたりで寝てしまった。
 元気なまま旅を終わらせられると思っていたが、実はやっぱり体は疲れていたのだと思う。ゆったりした個室で、ホテルと同じベッドでしっかりと旅の疲れを癒そうと思った。

*本日の走行      214㎞
*本日のピースサイン   56発


<9月14日>
 今日は、明後日からの仕事に備えてフェリーの中でひたすら体を休める日だ。僕は、太平洋フェリーに乗ったときの朝食はカフェのモーニングセットと決めている。720円でサラダやヨーグルト、コーヒーまで付いているのだから、レストランの朝食よりずっと割安だと思う。8時00分オープンだが、8時に行くと並ばなければならないので10分前にはテーブルを確保するようにしている。そして、5分前にカウンターに並べばたいていは1番だ。結局、同じ事を考えた人がいたため、僕は4番札で待つことになったが、まったく問題はない。1番から4番はそれほど待ち時間は変わらない。8時ちょうどに来た人は10番札を持ち、僕が食べ終わってもまだ並んでいた。この5分前作戦はみごと成功した。
 10時00分に仙台港に着くので、船は陸地に近づき、スマホが使えるようになった。次の作戦は、仙台で下船する人も仙台から乗る人もいない10時に風呂に入ることだ。それまで、メールや電話で家族や知人に元気で帰路に就いていることを知らせた。
 10時00分、フェリーは仙台港に着岸した。急いで風呂に行くと、「12:00から」の表示が。昼のカフェは12時30分からだ。そこで、作戦変更。12時に風呂に行き、12時25分にカフェに行けば、すべてすんなりといくはずだ。
 部屋でごろごろしながらテレビを観てお昼になるのを待った。そして12時。風呂に行ったら3人しかいなかった。気持ちよく湯船に浸かり、計画どおりその足でカフェに行った。12時にオープンしたレストランは「只今、満席です」の放送があったが、12時25分にカフェに行った僕は、きっちり1番札を手に入れた。カレーライスとたまごスープで660円。しかもカレーは想像してたよりもずっとおいしく、夜もカレーにしようかなあと思ったほどだった。
 昼食を終え、13時30分からラウンジで映画を観て過ごした。「はじまりのとき」という邦画で、映画監督木下恵介のデビュー当時の実話を映画化したものだった。母と息子(恵介)との情愛が色濃く表現され、映画が終わったらすぐに、僕が元気に帰路に就いていることを母に伝えようと思った。結局、海を航行中だったため電波が届かず、母の顔を頭に浮かべるだけしかできなかった。
 それからは、外のデッキに出てみたり、売店に行ったり、部屋で見るともなくテレビを見たり、暇で退屈な時間を過ごしていた。こういう過ごし方こそ、体を休めるのにはいいことなのだ。
 次は晩ご飯の作戦だ。レストランは18時00分に、カフェは19時00分にオープンする。レストランはバイキング方式でステーキやらお寿司やらおいしいものがたくさん食べられるが、2000円は高い。なんだかもったいない気がする。そこで、18時からNHKのBSで「軍師勘兵衛」を観て、19時10分前にカフェに行く作戦に出た。
 ツアーの団体客が乗船していたせいか、18時20分には「レストランは只今満席です」の放送が入った。テレビを観ながら「カフェもちょっとヤバいかも」と思った。それでも、オープン10分前に行って待っていたら、またもや1番札。おいしいカレーをもう一度食べようと思っていたが、やっぱり昼も夜も同じというのはヘンだと思い直し、月見そばとおにぎりにした。これも、思ったよりずっとおいしかった。本当のところ、高い差額を払ってツインルームを独り占めという贅沢をしているので、あまりお金を使いたくないという思いもあった。
 食後はラウンジでピアノとエレクトーンのコンサートがあったので行ってきたが、つまらなかったので10分くらいで抜け出した。
 部屋の戻ってスマホを見ると、電波がつながっていた。スーパーカブ仲間のT君に電話をすると、彼は北海道には行けないから矢作川の源流まで走り、そのまま作手(新城市)と茶臼山(愛知県豊根村)まで行ってきたと言う。スーパーカブで三河高原を走り回るのは、大型バイクで北海道を走り回るのに匹敵するくらい楽しいことかもしれない。自動二輪の免許を持たない彼は、
「カブで北海道を走れるかなあ。」
と言っていたので、
「北海道をカブでツーリングしている人を何人も見かけたよ。」
と話すと、
「定年になったら、いっしょに走ろう。」
と言っていた。定年は近いが、僕は北海道をカブで走るのは怖い。
 電波が途絶えたので、ぶらぶらと風呂へ行き、ゆっくりとお湯に浸かった。バス・トイレ付きの部屋だが、やっぱり広い方が気持ちがいいし、癒やされる気がする。
 フェリーで1日過ごすというのは、だいたいこんな感じだ。風呂上がりにコーヒーを飲みながら、今日1日を振り返り、メモ帳に鉛筆を走らせた。翌日の10時には名古屋港に着く。それにしても、往路のフェリーでは同乗のライダーたちと話をしながら北に向かったが、帰りは誰とも話をしていない。元々、僕は友達づくりが下手なのだと思う。

*本日の走行        0㎞
*本日のピースサイン    0発


<9月15日>
 今日も、昨日と同じように5分前作戦でモーニング・セットを食べた。部屋に戻って下船の準備をしたが、なぜか落ち着かない。外は、北海道ではほとんど見ることができなかった青空が広がっている。Gパンにブーツ、インナーを外して夏仕様にしたブルゾンを羽織り、下船案内の放送を待っていた。両側に陸が見えるので伊勢湾もかなり奥まで入ってきていることが分かる。
 9時10分、下船の案内があった。早い。9時30分くらいと思っていたが、「伊勢湾ランチ・クルーズ」にこのフェリーを使うため、早く入港するということをすっかり忘れていた。
 指示に従って車両甲板に行くと、20台ほどのバイクの横には大型トレーラーの荷台部分が並べられていた。目の前でトラックと連結する。これはダイナミックな光景が見られると思ったが、案外あっけなく連結できるもので、トラックがバックしてきて「カチッ」と音がしたと思ったら、ドライバーが連結部分を確認してさっさと出ていった。あまりの簡単さに拍子抜けしたが、それでもすごいものを見たと思えた。
 予定より30分早い9時30分には下船できた。心配だった伊勢湾岸名港中央ICまでの産業道路も迷うことなく走ることができた。高速に乗ってしまえば30分あまりで豊田松平ICに着く。伊勢湾岸道で、先に出た浜松ナンバー氏に追いついた。手を上げて挨拶をしながら追い抜くと、ミラー超しに手を振っているのが見えた。しばらくすると、フェリーで見かけたBMW氏が僕を抜いていった。ここでも、ピースサインで挨拶を交わす。船内では言葉を交わすことはなかったが、ライダー同士のつながりはあるものだ。
 不思議なことに、暑くない。名古屋港に着いてすぐに、愛知の気温に体が順応しているのだ。人間の体の神秘さに感心しているうちに豊田松平ICに着いた。インターを出れば家までは5分ほどだ。
 家に着くと、バイクの音を聞きつけて妻が出てきた。ヘルメットをしたまま、ハイタッチで「ただいま」の挨拶。
「すごい早いじゃん。」
 時刻はまだ10時30分を回ったばかりだ。妻にはフェリーが早く着くことを言ってなかったので、びっくりさせてしまった。
 荷物を下ろし、エアコンの効いた居間に入ると、一言、
「アイスコーヒー。」
「今すぐ、コーヒーを作れって?」
 特別な時間から日常の時間に戻った。

*本日の走行       45㎞
*本日のピースサイン    5発


 初めての大冒険はあっという間に終わってしまったような気がする。天候には恵まれなかったが、記録的集中豪雨の報道映像にあったような猛烈な雨に遭うこともなくソロツーリングを続けることができたのは幸いだったと思う。できることなら、あと1回くらいはキャンプをしたかったが、それでも天気が良くても悪くても楽しいのが北の大地北海道の旅だ。
 毎年のように妻と2人、2台のバイクで北海道を走っているが、心のどこかで「男なら一人で走ってみろ!」という声が聞こえていたような気がしていた。こうして、北海道ソロツーリングの醍醐味、楽しさを十分味わうことができたが、僕が遊んでいる間もがんばって仕事をしている妻に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちが入り混じった思いを感じていた。来年は、うまく休みを合わせてまた2人で北の大地を走りたいと思う。


*ツーリング期間  2014年9月6日(土)~15日(日)
*使用車種   カワサキZRX1200ダエグ
*総走行距離           2034㎞
*総ピースサイン数         191発
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道ツーリング2014道北道東・初めての一人旅(中)

2015-02-05 23:26:17 | 北海道ツーリング2014道北道東ソロツー
※昨年9月の「北海道ツーリング2014道北道東」のレポートです。かなりの大作なので、3回に分けて掲載します。もしよろしければ、前回の(上)からお読みいただければ幸いです。

<9月10日>
紋別セントラルの朝食バイキング(1000円)はおいしいものがたくさんあって、朝から食べ過ぎてしまった。特にジャガイモの「キタアカリ」とトウキビ(トウモロコシ)のせいろ蒸しは最高だ。
 9時にホテルを出て、近くのカニのはさみの巨大モニュメントを見に行った。
「なんじゃ、コレ。」
 たしかに、おもしろい。カニの町の象徴として作られたと思うが、よく思いついたものだ。
 今日の天気は、予報では曇り時々雨。道南は大雨の予報になっていたが、道東は大丈夫そうだ。それでも、いつでもカッパが出せるようにして次の目的地サロマ湖に向かった。そこで思いついた今日のテーマは「道東の湖巡り」だ。
 大農業地帯と思えるような見渡す限りの農地の間を南に進む。
 左手にサロマ湖が見えるようになった。ほとんど海みたいなものだが、雰囲気はやっぱりオホーツク沿いの湖。やたら広いがひっそりしていてすごく穏やかだ。
道の駅「サロマ湖」で駐車場に入らず、坂を登ってホテルの駐車場にバイクを止めさせてもらった。わずかな高台だが、海のように見えていたサロマ湖がここからだとちゃんと湖に見える。ホテル関係者でも宿泊客でもないので、ちょっと眺めて写真を撮り、すぐに下の道の駅の駐車場に移動した。
 トイレから戻ると、隣に止まった神戸ナンバーのブガッティ氏が、
「キムアネップから見るサロマ湖がすごくきれいですよ。」
と、教えてくれた。それなら、と言うことで、キムアネップに行ってみることにした。
 相変わらず海と見間違えそうなサロマ湖畔のR238を走ると、「キムアネップ」の案内標識があった。標識に従って左折し、狭い道を東に向かった。
 キムアネップ岬の駐車場に着くと、「サンゴ草の生息地」という看板が目についた。見てみると、赤い絨毯のような湿原が広がっていた。咲き終わり頃のハマナスの赤い花、プチ・トマトのようなハマナスの赤い実、そしてサンゴ草の赤。オホーツク沿岸の白色ばかりの世界を走っていた僕には、すごく鮮やかで新鮮に映った。
 2つ目の湖は能取湖だ。ちょうどR238は能取湖の周遊道路のようになっていて、こうして走っているだけで訪れたことになる。
 続いて3つ目の網走湖。これまでの2つの湖とは違い、海から離れている。まわりの緑に合わせて水の色も緑色だが、天気が悪いため、くすんだような緑色だった。今回は、前回見た美しい青い湖は見られなかった。それでも、網走市街からR39に入り、呼人浦辺りからの景色は美しい自然に包まれたとても素敵な景色だった。
 素敵な景色と言えば、呼人浦のすぐ先にあるメルヘンの丘だ。僕のお気に入りポイントの一つで、道東に来たら絶対に外せないポイントになっている。広い畑に木が並んでいるだけの景色だが、なんともほんわりとした優しい景色がそこにあるような気がしてならない。
 天気が悪く、空の色が白一色だった。それで、一列に並んだ木がくっきりとシルエットのように見え、とても幻想的な景色になっていた。
 時刻は11時50分。メルヘンの丘の少し先にある道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」でしじみラーメンを食べることにした。以前のツーリングで食べた網走湖のしじみは大きめでとてもおいしかった。
 道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」の駐車場にバイクを止め、中に入ると、なんと運の悪いことにラーメン・コーナーだけ臨時休業の札が掛かっていた。他に北海道らしい食べ物はないかとぶらぶらしていたが、「さくらぶた丼」くらいしか見当たらない。ぶた丼はあまり好きではないが、ほかの普通のメニューよりはいい。
 さくらぶた丼でお腹はいっぱいになった。付いていたしじみの味噌汁がうまかった。
 外に出ると、また雨が降り出していた。カッパを着てR39バイパスとR39で美幌に向かった。今日4つ目の湖はクッチャロ湖だ。クッチャロ湖は美幌峠から眺めるのが最も美しいと思う。美幌でR243に入り、峠へと向かう。内地の峠道と違い、緩やかな傾斜のほぼまっすぐな登り坂で、雄大な景色の中を自分の一番気持ちいい速さで走り続けられる道だ。9月に入って、観光客もめっきり減り、広大な景色がまるで自分のためにあるような気分になってくる。峠に近づくと、辺りは西洋の高原の雰囲気の景色に変わる。その雰囲気を楽しむためのパーキングがないことがとても残念だが、雰囲気を味わいながら走るのもいいものだ。
 美幌峠の駐車場にバイクを止め、まずは揚げいもを購入。JAF会員は300円の揚げいもが250円になる。わずか50円だが、すごく得した気分になる。
 坂道を少し歩くと、眼下にクッチャロ湖。見えた瞬間、やっぱり、
「わあ~。」
と、声が出てしまった。きれいすぎるのだ。湖を見下ろせる岩に腰掛け、揚げいもを食べながらクッチャロ湖を眺める。僕にとっては大好きなひとときだ。この3日間、大好きなことをいっぱいしている。
 駐車場に戻ると、昨日のグロム125の大分氏が、僕のバイクの隣にバイクを止めて待っていた。僕と同じように美幌からこの峠に登ってきたそうだ。僕のバイクを見つけて、待っていてくれたのだった。彼にとっては、初めての北海道ツーリングだ。素敵な兵庫の友達とも出会い、いい思い出がどんどん増えていっているようだった。
「いっしょに写真、撮りませんか。」
 彼の言葉に、いつも持ち歩いている小型の三脚を取り出し、それぞれのカメラでグロムとダエグをバックに写真を撮った。僕は何度も北海道ツーリングをしているが、ツーリング先で出会った人といっしょに写真を撮るのは何年ぶりだろう。これも、ソロツーリングだからこその経験かもしれない。夫婦で走っていると、あまり声をかけられることもないのだ。
 宗谷岬で出会ったエストレアの奈良氏、グロムの大分氏、そして昨日の兵庫加東氏と、ソロで走っていると素敵なライダーたちとの出会いがあり、寂しい旅になりそうなどという不安はいつの間にか消えていた。
 美幌峠を後にした僕は、今日最後の5つ目の湖の摩周湖を目指した。これまでのツーリングはお盆の時期だったのでいつも混雑を避けて裏摩周からの展望を楽しんでいた。今日は9月の平日。観光バスも少なそうなので正攻法で第1、第3展望台から眺めてみようと思った。
 弟子屈市街から入る摩周に向かう道道52は初めて走る道だ。そういえば、今回のツーリングで初めて走る道を走るのは初めてだ。なんだかヘンな言い方だが、毎年北海道を走っていると主要道路や観光地の道路はほとんど走破してしまっている。だから、僕の「北海道ツーリング」は「思い出の道」を走るツーリングになっていた。道道52はしだいにぐんぐん登って行く坂道になっていった。摩周湖第1駐車場の看板を見つけた。かなり狭い駐車場だ。これでは観光シーズンに大混雑するのは当たり前。ここに観光バスが何台も入ってくるのだから、やっぱりこれまでお盆の時期に来たときに裏摩周へ行ったのは正解だったとつくどく感じた。
 駐車料金100円を払って階段を上がると、ここでも、
「わあっ。」
と、声が出そうになった。雨は小康状態で傘は必要なかったが、天気は悪い。そのせいかかすかに周囲に霧がかかっていたが、密やかにたたずむ摩周湖のイメージそのものの風景になっていた。よく、霧で湖が見えないと言われているが、僕はこれで4連勝だ。4回来て、霧で湖が見えなかったことは一度もない。今日のような悪天候でもちゃんと見えたというのは、かなり運がいいと思う。
 第3展望台に向かう途中、遠く左側に見える硫黄山の白い山肌が妙に美しかった。どこかでバイクを止めて写真を撮ろうとしたら、急に霧の中に突入した。これが有名な「霧の摩周湖」なのだと思っているうちに第3展望台にさしかかった。もちろんパスした。すぐ先が見えないのに摩周湖が見えるわけがない。
 坂を下る途中に霧の晴れ間があったので、ちょっと路肩が広くなっていた所でバイクを止め、硫黄山の遠景の写真を撮った。
 急カーブの連続する坂道を下り、R391に入った。すぐに川湯方面に左折すると、摩周湖から美しく見えた硫黄山に着く。近くで見ると大迫力だ。遠くから白く見えた山肌からは硫黄臭の水蒸気が立ちのぼっている。摩周湖の駐車場と共通チケットなので、半券を係のおじさんに渡してバイクを止めた。
 いつの間にか、雨は上がっていた。水蒸気の近くまで歩くと、白い岩肌が部分的に黄色くなっていて、そこからもうもうと濃い硫黄のにおいのする水蒸気が吹き出ている。
「地球は生きている。」
 まさにそれが実感できる場所だ。その先にも、無数に湯気が立ちのぼり、とても壮観な風景だ。
 ここに来たら絶対に食べなくてはならないのがゆで卵だ。硫黄の湯気で茹でた卵の殻は黒っぽい色になり、食べると黄身が濃い味になっているような気がするのだ。もちろん今回も売店に行き、1袋5個入りを買った。400円は安いとは思うが、この5つをどこで食べようかとちょっとだけ悩んでしまった。とりあえず駐車場で1個を頬張った。やっぱりうまい。
 今日の目的地は5つの湖と硫黄山ですべて終了だ。今夜の宿は、知床ウトロの民宿旅館「酋長の家」に決めている。道東に来た時は必ず泊まるお気に入りの宿だ。初めて訪れたのは30年くらい前のこと。数年に1度しか行くことはないが、女将さんはずっと僕たち夫婦のことを覚えてくれている。しかも、本物のアイヌの元酋長の奥さんで、毎回アイヌの話をいっぱいしてくれる。
 時間に余裕があれば藻琴山展望台からもう一度クッチャロ湖を眺めてみたかったが、時計の針はもうすぐ4時をさしていた。このまま一気にウトロに向かうことにした。
 小清水と斜里との間のR344の直線は圧巻だ。林の間を10㎞近くも一直線に伸びている。しかも、アップダウンを繰り返すからよけいにおもしろい。下り坂の終わり頃に加速して、そのまま一気に上る。そんなイメージの道だ。もちろん、そんなことはせずに、一定の速度で上ったり下ったりするが、それがおもしろくてたまらなかった。
 R334は斜里から東へ知床半島方面へと向きを変える。半島の北側の根元辺りの国道は、いくつかの集落を畑と林でつないでいる。それを通り過ぎると、左手にオホーツク海が見えるようになる。昨日は白い波の荒々しいオホーツクしか見ていなかったが、今はおだやかな海になっていた。
 17時30分頃、「酋長の家」に到着。出迎えてくれた宿の人たちの中に女将さんの姿はなかった。
 まずは温泉。熱いが気持ちのいいお湯だ。そして、夕食では毛がになどの知床の海の幸を楽しみ、部屋に戻ってくつろいだ。そのうちにいつの間にか眠ってしまい、目を覚ました11時過ぎにもう一度温泉に入り、床に就いた。一日中バイクで走ると、本当によく眠れるものだ。

*本日の走行      313㎞
*本日のピースサイン   22発


<9月11日>
 朝のニュースで、道内各地で記録的豪雨による大きな被害が出ていることを知った。特に白老や苫小牧の被害は大きかったようだ。帰りのフェリー乗り場までの道路は大丈夫なのか心配になった。幸いなことに、今朝のウトロは青空が広がっていた。それでも、天気予報では曇りのち雨。晴れているうちに知床峠に行かなくはいけないと思った。
 「酋長の家」は、これまでに何度も訪れているが、女将さんの姿が見られなかったのは初めてのこと。出発前にご主人と話をしていると、奥さんが体調を崩されて入院しているとのことだった。お年を召されておられるだけに心配になった。元気になって、またアイヌの話を聞かせてほしいものだ。
 9時にウトロを出て、知床横断道路で知床峠を目指した。やっぱり青空はいい。最高の雰囲気でワインディングを駆け上る。くっきりと見える羅臼岳が美しい。ただ、峠の方向に薄雲がかかっているのが気に掛かる。それでも、峠を登り切るまではいい天気の中で走り続けることができた。
 峠の碑の前にバイクを止め、写真を撮った。しかし、峠から見る景色は、羅臼岳も国後も白く霞んでいた。碑の前に戻ると、品川ナンバーのBMWが入ってきた。言葉遣いがとても丁寧で、礼儀正しい人だ。しばらく品川氏とツーリング談義を交わした後、羅臼方面へと峠を下った。羅臼側の峠道はコーナーが続く下り坂。時折うっすらと霧がかかっていたので、慎重にバイクを走らせた。
 それにしても寒い。陽が照っているのに寒い。きっと高度のせいだと思い、麓に降りれば寒くはないだろうと思っていたが、高度が下がってもやっぱり寒い。9月の道東は、もう秋なのだ。
 羅臼では、まだ行ったことのなかった「北の国から」の純の番屋に行ってみることにした。そこは、小さな、それでいてちょっとおしゃれな食堂になっていた。建物の前で写真だけ撮って、R335で標津方面へとバイクを進めた。
 野付半島に行ってみたかった。おそらく野付半島にしか見られない両側が海になっている道の風景を、また見たくなったのだ。
 今日の目的は、地平線の見える3つの丘(開陽台、多和平、900草原牧場)を制覇することだ。その前に、大好きな知床峠と野付半島を見ておこうと、なんとも贅沢な計画を立てていた。
 R335を走ると、ドライブイン風の「国後がもっとも近くに見える店」で休憩していたが、閉店していた。今まで、お盆の時期でもお客さんがいっぱい入って繁盛してたことは記憶にない。しかたがないので、トイレ休憩を取らずに野付半島に行くことにした。それにしても、やっぱり寒い。15㎞くらい海に突き出ている細い半島は、さえぎるものが何もないのでよけいに寒く感じる。ひたすら野付湾とオホーツク海の間をただただ走る。そうして、バイクで行ける先っぽのパーキングにバイクを止めた。トイレ休憩を取らずに走った上にこの寒さだ。バイクを止めるとすぐにトイレに・・・と思ったが、トイレらしい建物がない。あるのはタンク・ローリーのタンクだけ。まいったなあと思いながら大きなタンクに近づくと、扉が2つ付いている。
「ん?なんだ、これ。」
「トイレじゃん!」
 駐車場に置かれてあったタンク・ローリーのタンクがトイレになっていた。2つの扉は、男子トイレと女子トイレの扉だった。用を足している時は、おもしろくてたまらなかった。タンクのトイレと岬の灯台の写真を撮って半島道路を引き返した。
 標津からR244を7~8㎞ほど走ったところで左折し、道道975に入った。しばらくすると、森の中のアップダウンを繰り返す直線道路になる。これまで地平線までまっすぐ伸びる道を何度も走っているが、北海道の直線道路はどこも美しい。だから、北海道はただ走っているだけでも感動の連続になる。
 一つ目の地平線の見える丘は開陽台だ。もっともメジャーな「地球が丸く見える丘」なのだが、季節外れのためか観光バスは1台もいなかった。ライダーに人気の丘だが、バイクも6~7台だけだった。そのほとんどが、僕と同じカワサキのバイクだ。なんだかうれしくなる。隣に止まっていたW400氏と雨情報を交換し、三脚を持って丘の上に登った。
 ちょうどお昼だったので、ここで昼食にしようと思ったが、喫茶コーナーしかなかった。そこで、ホットドッグ1本といももち1つを食べたが、お腹いっぱいにはならなかった。どこかで何か食べればいいと思い、雲のかかった地平線の写真を撮って丘を下った。
 開陽台を出て、再び麓の道道を走ると、景色は森から一変して大農業地帯になった。前後左右どこを見ても畑、畑、畑。その中に直線の道が直角に交わいながらいくつもいくつもある。同じような道ばかりなので、間違えないように地図で道道150、道道885を確かめながらR243との交差点を目指した。ところが、道道885が工事のため通行止めになっていた。迂回路が示されていたが、道道505を南に10㎞、道道13で東に8㎞となっていた。迂回コースの距離も半端ではない。その迂回路を走っていると、「斜里まで40㎞」の標識があった。
「この先ずっと行くと斜里・・・。まずいかも。」
 そう思っているとちゃんと「摩周・中標津線」という標識もあった。よかったと思ったものの、また斜里方面の標識。
「ひょっとして、逆に向かって走っているのでは。」
と、不安がよぎった。地図では間違ってはいないはずだが、斜里に向かっているとしたら大変なことになる。今朝出発したのが斜里町ウトロなのだから「ふりだしに戻る」になってしまう。
「このまま斜里に出たら、シャリにならないなあ。」
と、ヘルメットの中でつぶやいた自分に笑ってしまった。
 たぶんこの道、と地図を見ながらいくつかのまっすぐに伸びる道を走ると、無事にR243に出ることができた。地図を読むことには多少の自信はあるが、この時ばかりは不安が頭をもたげていた。
 胸をなで下ろし、R243を西に向かった。そして、次の目的地の「多和平」へ行く道道1040へとバイクを進めた。
 多和平への道は道道を外れても案内標識がしっかりしていて、とても分かりやすい。
 これで、地平線の見える丘の2つ目をゲット。羊の写真と、地平線の写真を撮って駐車場に戻ると、GB500TTに乗るおじさんがいた。この人も言葉遣いが丁寧で礼儀正しい人だった。なんでも、28年前に買ったGBを大事に大事に乗り続けているそうだ。
 相変わらず寒い。防寒のためカッパを着て多和平を出た。青空がいつの間にか曇り空になり、日が当たらなくなって寒さが増してきたのだ。
 再びR243に戻り、弟子屈市街に入った。次の目的地「900草原牧場」は、地図で見ても分かりづらい。一度行ったことはあるが、どこをどう走ったのか、よく覚えていない。案の定、摩周駅周辺の道路をうろうろするはめになった。それでも、うろうろしているうちにR53に出て、小さな「900草原」の看板も見つけた。見つけたものの、やっぱりよく分からず、今回もまたどこをどう走ったのか分からないまま狭い道を通ってなんとか900草原牧場に着くことができた。
 これで今日の目的地の3つの丘を制覇したことになる。最後の「丘から見た地平線」の写真を撮り、売店に入った。すると、エゾシカバーガーの文字が目に飛び込んできた。お昼ご飯の続きということで、それを食べることにした。うまいバーガーだったが、特にエゾシカの味というのは感じられなかった。おいしくてめずらしい食べ物を食べたということで満足し、売店を出た。まずいことに、雨がパラつき出していた。
 ここに来るまで、このペースだと今日の宿は「オンネトー国設キャンプ場」かなあと思っていたが、ちょっとあやしくなってきた。そう思っているうちに、雨は本降りになった。
 900草原を出て阿寒に向かうR241を走っているうちにますます雨足は激しくなり、急カーブの続く峠道で、今回のツーリングで初めて「怖い」と思った。まだ午後4時なのに辺りはすっかり暗くなり、路面は雨水が川のように流れていた。カーブはきついし、前を走るティーダのペースは速い。ティーダのテールランプだけが頼りなので離されるわけにはいかない。ついていくのが精一杯だった。それなのに、僕とティーダを平気で抜いていったタンデムのBMWがいた。この雨の中でもその気になれば速いペースで走れるものだと思ったが、恐がりの僕はバイクの性能よりも怖さの方が上回っていた。もちろん、BMWに合わせてペースを上げるようなことはしなかった。そして、この時点でキャンプをするのもあきらめた。
「峠を下った阿寒湖温泉にでも泊まるか。」
 やっとのことで阿寒湖温泉に着いたが、観光案内所とか旅館案内所のようなものが見当たらない。900草原を探していた時の摩周駅周辺と同じように、今度は温泉街をうろうろした。土砂降りの雨のなかでのうろうろなので、早く宿を決めたかった。そこで思いついたのが、「山水荘」だ。これまで2度ほど飛び込みで泊まったことがある小さな旅館だ。うろうろしている時に、山水荘は見つけてある。ただ、空いているかどうか。
 宿の前にバイクを止め、玄関の扉を開けて不安ながら部屋が空いているかどうか聞いてみた。
「いらっしゃい。はいはい。大雨で高速が通行止めになってキャンセルがあったから空いてますよ。」
とのことだった。そのときのうれしかったこと。山水荘は、今までの2回の宿泊で、部屋は古いがお湯はいいし、食事も値段の割にはなかなかいいし、案外いい印象のある旅館だ。
 まずは阿寒湖温泉のお湯に浸かり、冷えた体を温めた。いい気持ちだ。
 素朴でおいしい晩ご飯を食べ、部屋に戻ってNHKのニュースを見た。
「なんだ、これ。」
 苫小牧市街の映像に驚いた。町の人が膝まで水に浸かりながら歩いている。しかも、帰りに通る予定の苫小牧港に向かう道路の映像だ。朝のニュースで豪雨のニュースは見たが、まさかここまで大変なことになっているとは・・・。しばらくして、閉鎖されていた高速道路が開通したとのテロップが入った。スマホを見ると、「大丈夫?」のメールが3通。安心メールを返し、妻には、
「阿寒と苫小牧は、うち(豊田)から四国くらいの距離だから、心配しないで。」
と、電話も入れた。

 それからは、部屋でごろごろして過ごした。もちろん、寝る前にもう一度気持ちのいい温泉に入った。
*本日の走行      284㎞
*本日のピースサイン   26発

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする