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北海道ツーリング2014道北道東・初めての一人旅(上)

2015-01-28 23:09:40 | 北海道ツーリング2014道北道東ソロツー
※昨年9月の「北海道ツーリング2014道北道東」のレポートがようやく完成しました。かなりの大作なので、3回に分けて掲載します。

 2014年9月7日。僕にとって忘れられない日になった。同日午後8時40分、初めて、一人で北の大地・北海道にバイクで上陸し。大袈裟だが「記念すべき日」となったのだ。
 夏と言えば北海道。これが僕たち夫婦の合い言葉のようなもので、一昨年までは毎年お盆休みを利用して2人で北海道を旅していた。回数で言えばもう17、8回になると思う。ところが、去年僕が転職したため、2人の休みが合わなくなってしまった。そこで、去年も今年も2台のレンタルバイクで2泊3日の弾丸ツーリングを決行してきた。
 今年は僕だけ9月に1週間の休暇を取ることが出来た。1週間休みが取れれば、どうしてもまた北海道に行きたくなる。妻が仕事に出ている時に僕だけ愉快な思いをしていては妻に申し訳ないと思ったが、妻は快く「行っておいでよ」と言ってくれた。こうして、たった一人の北海道ツーリングに出かけることが決まった。そして、多少後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、行きと帰りのフェリーの予約をした。

<9月6日>
 一人で一週間放浪の旅をするのは初めてのこと。予定した日が近づくにつれて楽しみに加えて不安も感じてきた。2人で走っているとき、実は後ろを走る妻がすごく心の支えになっていたんだなあと思えてきた。今回は僕一人だけ。わくわく感プラス不安のなかで6日土曜日の夕方、愛車カワサキZRX1200ダエグにキャンプ用具をパッキングし、北海道・苫小牧東港行きのフェリーの出る敦賀港を目指した。
 暑い。とにかく暑い。
 名神高速養老SAでトイレ休憩をとった。バイクは3台しかいない。たまたま空いていた赤白のCB400SBの隣にダエグを止めた。赤白ボルドールは妻のCBと同じ。なんだかいつもの夫婦ツーリングのワンショットのように見えた。
 養老SAを出ると、小雨が降り出した。天気予報では雨は降らないはずだったのでカッパを着ようかどうか迷ったが、今までに「迷ったら着る」を学習してきたので、次の伊吹PAで念のためカッパを着ることにした。暑すぎるが仕方がない。
 伊吹PAを出てすぐ、突然のように土砂降りの雨。「迷ったら着る」は、大正解だった。米原JCTから北陸道に入った頃には辺りも暗くなり、雨の夜の高速の走りにくいこと。降るはずのない土砂降りに見舞われ、スタートラインに着く前から、何か良からぬことが起こるのではないかというイヤな気持ちを感じた。
 18時30分頃、敦賀港に着いた。ブーツの中は雨水でずぶ濡れ。駐車場にはすでに2台のバイクが止まっていた。そこへまた1台。四国からやってきたというが、僕と同じように「まさか、土砂降りになるなんて」となぜか明るい顔でつぶやいていた。彼は乗船手続きを終えると、
「僕、温泉に行ってきます」と言って、雨の中をまたバイクにまたがって出かけていった。新日本海フェリー苫小牧行きの出港は午前1時。まだ6時間以上もある。
 まずは晩ご飯。ロビーの隅のカフェっぽいカウンターでラーメンと鮭イクラのミニ丼セットを注文した。それなりにうまい。ただ、一人だけで黙々と食べているのはちょっと空しい気もした。
 その後、加古川からやってきたという人や、スーパーカブのライダーと出会ったが、出会ったからといって時間がつぶせるわけでもない。ただ一人で、ロビーのベンチに寝転がるが、そう簡単に眠れはしない。妻にメールをしたり、外を眺めたり、そしてまた寝転がったり、まったりとした時を過ごしていた。
 20時30分、埠頭にフェリー「すずらん」が入ってきた。たくさんのバイクが出てきた。
 うれしいことに、雨は小降りになった。予定どおり、11時30分に乗船した。妻はいつもフェリーにバイクを積むのがイヤと言うが、確かに緊張するものだ。しかも、その緊張を他のライダーたちに悟られないようにバイクを停めるのも、ちょっとしたテクニックの一つだ。
 指定された「ツーリストS寝台」に荷物を置くと、すぐに風呂へ向かった。みんなが荷物の整理をしている時間に入ってしまうのがこつだ。当然、一番だと思ったら、加古川のライダー氏が入っていた。しゃべりながらお湯に浸かった。だんだん人が増え始めた頃、風呂から上がり、部屋に戻った。
 「ツーリストS寝台」は寝台席だが、3畳くらいの小さな個室になっていて、思ったより快適だった。ちょっとしたシングル・ルームのようで、着替えもしやすいしテレビもあるし、荷物も置けるし、なかなか気に入った。
*本日の走行      156㎞
*本日のピースサイン    5発


<9月7日>
 6時30分頃に目覚めたが、早起きする必要もないので、8時まで寝た。朝食も、レストランは高いからカフェが開く9時30分まで我慢しようと思ったが、根性のない僕は我慢しきれずにレストランに入ってしまった。
 焼き魚一切れで300円、目玉焼きとキタアカリ・ポテトサラダと味噌汁にご飯で950円。もったいなかったが、我慢の足らない僕なので仕方がない。
 10時頃にコーヒーでも飲もうかと思ってカフェに向かっていたら、同じ新日本海フェリーの敦賀行きとすれ違うとのアナウンスがあったのでデッキに出た。四国ライダー氏と加古川ライダー氏がいた。
 同型のフェリーを見た後、2人と分かれてカフェに向かうと、ロビーでビンゴゲームが始まるところだった。アテンダントの方に誘われて参加したら、なんと1等賞になってしまった。目立つことの苦手な僕は、司会者の所に行って賞品を受け取るときに、どんなリアクションがいいのか困ってしまった。賞品は1000円の金券が2枚。ただし、フェリーの中でしか使えない。しかも、当日限り。
 そうだ、コーヒーを飲みに行こうとしてたのだ。デッキにまだあの2人がいるかもしれないと思いデッキに出ると、男同士2人でで仲良く語り合っていた。さっそく2人を誘ってカフェに行った。もちろん、このときばかりはビンゴゲーム一等賞で太っ腹になっている僕のおごりだ。
 そうこうしているうちにお昼になった。カップ麺でも食べようかと思っていたが、ちょっとばかりリッチな気分になっていたので、レストランでカレーライスを食べた。太っ腹になっている割にはしょぼい。手元にある1000円の金券は晩ご飯で使おう。
 お腹がいっぱいになると眠くなるものだ。食って寝るだけのフェリー生活だが、仕事に追われている身としてはこうしただらだらした生活もうれしい。部屋に戻ってベッドで横になる。しかし、体をあまり動かしてないせいか、眠いのに眠れない。
 再び、デッキへ行った。すると、四国氏が北海道の地図を広げているのが目に入った。四国氏と、これから行こうとしている道北の話をした。
 ふと、今のうちに風呂に入っておこうと思いついた。フェリー「すずらん」には、なんと露天風呂まである。午後3時頃の風呂はすいていていい。露天風呂から海を眺めていると、案外近い所に陸地が見えた。どうやら津軽半島らしい。断崖になった先っぽが竜飛岬だろうと勝手に想像した。海から見る半島は普通なら見られない絶景だ。絶景を海から眺めながらの露天風呂。このままずっとお湯に浸かっていたいと思えるほどいい気持ちだった。
 風呂上がりに、カフェでアイス・コーヒーを飲みながら北海道の地図を広げた。苫小牧から北に向かうと、美深町辺りで300㎞。明日のキャンプは美深かなあ、それとももう少し先の天塩川温泉キャンプ場もいいかもしれない。それとも、もっと足を伸ばしてクッチャロ湖のキャンプ場も楽しそう。その前に、妻の生まれた町の美唄にも寄っていきたいし、そうなるとクッチャロ湖は無理かもしれない。1杯のコーヒーと1枚の地図で、仮想ツーリングを楽しんでいた。
 18時、レストランのオープンを待って、加古川氏と食事に行った。僕には1000円の金券がある。ご飯のおかずは、北海道ビーフシチューに生ハムサラダ、肉じゃがにデザートの杏仁豆腐。これで1920円は高いが、払ったのは920円。ラーメンが720円だから、920円でこれだけ贅沢できれば安いものだ。
 19時を回ると、だんだんドキドキしてきた。予定では20時30分着なので、あと1時間もすれば車両甲板に行くよう指示が出るだろう。一人で北海道の地に足を踏み入れるのは初めてだからか、なぜか緊張して落ち着かない。20時を過ぎても、アナウンスがない。自分を落ち着かせるため、20時10分にタバコを1本。ちょうど吸い終わったところで、車両甲板に行くようアナウンスがあった。
 フェリーは定刻通り20時30分に苫小牧東港に着き、40分には端のバイクから順に外に出た。耳に入る「気をつけて~」の挨拶。そしていよいよ僕の番。バイクを少しバックさせ、クラッチをそっとつなぐ。周りの人の「気をつけて~」の声に、左手を上げて答える。
 街灯のない夜の苫小牧の道は分かりづらいが、「苫小牧市街」と書かれた方に向かえば大丈夫。僕はどうやら国道から外れて走ったようだが、JR苫小牧駅前の「東横イン」を予約しておいたので、道に迷うことなくホテルに着いた。
 チェックインと同時にウエルカムコーヒーのサービス。部屋に入ったのは午後9時30分だった。電話で、無事に着いたことを妻に報告した。
 これで、いよいよ大冒険のスタートラインに着いたのだ。

*本日の走行       28㎞
*本日のピースサイン    0発


<9月8日>
 6時には目が覚め、北の大地放浪の旅のスタートの日を迎えた。フェリーの中では寝てばかりいたから、目覚めはいい。僕にしてはめずらしく8時前に「東横イン苫小牧駅前」を出た。まずは北を目指そう。フェリーに乗っている時からそう考えていた。
 さすがにR36の苫小牧市街は通勤ラッシュで混んでいた。しかし、道央道苫小牧東ICに入ったら、とてもいいペースだ。毎朝通勤で名神高速を走っているが、名神もこれくらいすいていてくれたらどれだけ楽になるか。そんなことを思いながら夕張ICを出た。そして、10数年ぶりに「黄色いハンカチ公園」に行ってみた。
 入場料520円を払い、公園に入ると、なつかしい昭和の店並みが残っていた。その先の黄色いハンカチの竿を見ていると、僕より少し上くらいのおじさんに声をかけられた。なんでも、会社を定年退職し、一人でレンタカーを借りて旅しているとのこと。埼玉の人だそうだが、昭和の建物がなつかしいと言う。豊田で生まれ育った僕も同じようになつかしさを感じていた。あの頃はどこもみなこんな感じだったのだろう。
 次に向かったのが、「夕張と言えば炭鉱」ということで石炭博物館に行ってみた。残念なことに、今日は月曜日。公共施設の多くがお休みの日。ちょっとだけ夕張市街の映画看板の通りまで戻り、夕張の空気を思いっきり吸って、道道36を岩見沢に向けてバイクを進めた。道道36は、北海道にはめずらしく、急カーブの連続する坂道のワインディング。この峠道を楽しみながら岩見沢に向かった。峠を下れば、また畑、牧場、時々集落が続く典型的な北海道の風景が広がる。
 岩見沢でR30に入り、しばらく北に向かって走り、三笠ICから道央道に入った。高架になっているので見晴らしがいい。しかも三笠から北にはまるでテレビで見たスイスのような風景を見ながら走るのだから気分がいい。
 わずか1区間の美唄ICで降りると、インター出口から市街地とは反対の東へと進路をとった。美唄市我路は妻の生まれ故郷で、数年前まで叔父が住んでいた。今はもう亡くなり、叔父の家も廃墟となり、かつて集落があった地は自然に戻ろうとしていた。石炭で栄えていた頃の名残こそ感じられるが、ほとんどゴースト・タウンと化していた。当然のように、叔父の家も背の高い雑草に覆われていて、道と藪と家の敷地の区別はつかないくらいになっていた。それでも、妻が幼児時代に過ごした町。わずかに残る集落と、集落から見た叔父の家の方向の写真を撮り、留守番をしている妻に送った。
 美唄市我路を後にし、美唄市街地のあるR12沿いの通りに出た。R12は、国道として日本一長い直線のある道だ。市街地を含めて20㎞以上もまっすぐな道が続く。この通りのどこかにツーリング・マップルで紹介されているとりめしのおいしい「しらかば食堂」があるはずだ。スピード違反の取り締まりに気をつけ、ペースを落として「しらかば食堂」を探しながら走った。
「あった。」
 思ったより地味な店だ。
 お昼時で、しかも人気の店とあって、店内はほぼ満員だったが、席はあった。普通のおばさんたちが忙しそうに働いている。席に着くと、迷わず「とりめし定食」を注文した。やや濃い目のとりめしは実にうまい。美唄名物としてツーリング・マップルに紹介されているだけのことはある。なぜ鶏が美唄なのかは定かではないが、あまりにもおいしかったので数量限定で残り少なくなっていた持ち帰りパックを1パック買って店を出た。うれしいことに量が多いので、今晩と明日の朝食の2食分になりそうだ。
 しらかば食堂を出て、しばらく直線国道を楽しんだ後、奈井江砂川ICから再び道央道に入った。休憩は先月の2泊3日宗谷岬弾丸ツーリングでも利用した比布大雪PAに決めた。北海道の高速道路はどこもハイペースだ。少しペースを落としたいと思っていたところへ、先頭がパトカーになり、F1のセーフティカー・ラン状態になった。ここでは、70㎞~80㎞の制限速度が、のんびりとした気持ちのいい速度に感じられた。
 予定どおり比布大雪PAでピットイン。缶コーヒーで一休みし、話し相手もやることもないのですぐに走り出した。
 まずいことに、走り出してすぐに雨が降り出した。雨脚はだんだん激しくなってくるが、PAもバス停も見当たらない。危ないが路肩にバイクを停めてカッパを着た。片側一車線の高速道路の路肩は結構怖いものだ。
 しばらく土砂降りは続いたが、士別剣淵ICを出た辺りで雨は小降りになった。士別のホクレンで給油し、赤い旗を110円で買った。これで正真正銘のホッカイダーの仲間入りした気分になった。
 士別市の市街地の信号は本当にイヤミだ。目の前が赤信号の時はその先の信号は見渡す限り青信号なのだ。きっと何らかの安全対策でそうなっているだろうとは思うが、なんだかすべての信号で止まらなければならないような気がするのだ。
 止まったり走ったりを繰り返しているうちにいつの間にか雨が上がっていた。もともと北の空はそれほど暗くはなかったのであまり天気の心配はしてなかった。ここまで雨に降られたことが不思議に思えるような天気だったのだから。
 名寄でR40を外れ、道道252で智恵文に向かった。9月とは言え、ひょっとしたらまだひまわりが咲いているかもしれない。そうは思ったもののひまわり畑の看板だけが目立っていて、案の定ひまわりの季節は終わっていた。
 仕方がないからR40に戻ろうとした矢先、まだ一画だけひまわりが咲いている畑があった。バイクを停めて畑を眺めると、見る角度によってはひまわりが辺り一面咲き誇っているようにも見える。しかも、ひまわりの黄色と雨上がりの空の色の組み合わせがとても素敵に見えた。明らかに夏とは違う柔らかな空の色と、あざやかな黄色がうまくとけ合うとは思ってもみなかった。
 R40は2週間前に妻と二人、2台のバイクで走った道だ。今日は一人だが、道北の一般道を走る楽しさを僕だけまた味わっている。
 16時30分、美深町の「びふかアイランド」キャンプ場に着いた。うまくいけばクッチャロ湖とも思ったが、暗くなるとテントを立てたり、晩ご飯の準備をしたりするのがやりづらくなる。たいした晩ご飯を作ることもないが。
 すでにテントでくつろいでいた静岡のBMW氏の「ここ、いいですよ」の言葉で、彼のテントの近くに立てさせてもらい、バイクの話をしながら今日の家を建てた。彼は敷地内の美深温泉へ、ぼくは晩ご飯の準備にとりかかった。
 実は、僕は袋ラーメンを鍋のまま食べるのにあこがれていた。一人でロング・ツーリングをしたことのない僕は、ソロツーリングをしている人たちのワイルドさがうらやましかったのだ。
 チキンラーメンを沸かした湯の中に入れ、1分間煮たら鍋のまま食べる。ワイルドだなあと一人悦に入っていた。紙の茶碗に美唄のとりめしを半分。あとはサンマの蒲焼きの缶詰とインスタント・コーヒー。これが今晩のメニューだ。結構豪華に思えたが、鍋で食べるラーメンは器すなわち鍋の縁が熱くてスープが飲めない。しかも、麺を入れたらすぐにふにゃふにゃになった。ぷちぷちちぎれるチキンラーメンになってしまったが、それでもうまいと思えた。明日の晩もこれにしよう。
 鍋を洗い、銀マットとシュラフで寝床を作り、僕も温泉へ。2週間前もここの温泉に入ったし、それまでにも何度か入っている。いつもながら適度なつるつる感が気持ちいい。
 今夜は十五夜。雲がかかっていて見えなかったが、どこからか「あっ、見えた」の声が聞こえた。
 あった。雲の切れ目から真ん丸の月が光っていた。

*本日の走行      350㎞
*本日のピースサイン    8発


<9月9日>
 昨晩は何もやることもなく、9時30分頃には消灯してシュラフの中にもぐっ。ところが、なかなか眠れず、11時過ぎにたばこを一本、その後しばらくは意識がなかったが2時にまた目が覚め、ペットボトルのお茶を飲んだ。またしばらくは眠っていたようだが、4時頃トイレに起きた。すると、となりの静岡氏がたばこを吸っていた。
「早いですね。」
と、声をかけると、
「7時半には寝たから。」
と言う。ソロライダーはみんな同じなんだなあと思った。
 本格的に起きたのは5時50分。仕事に行く時の起床時間だ。どうやら体のサイクルがそうなっているらしい。
 スープとコーヒー用にお湯を沸かし、昨日の美唄のとりめしの半分を主食にして朝ご飯の出来上がりだ。食事を終え、早起きの静岡氏を見送り、ツーリング・マップルで今日のコースを考えた。
 出発の準備をし、夜露で濡れたテントが乾くのを待ち、最後にテントを撤収してパッキング。今のところ天気はいいが、今日の予報は曇りのち雨。大型のリア・バッグにレインカバーを被せて「びふかアイランド」キャンプ場を出た。
 いつもは10時くらいまでだらだらしているのだが、ソロツーリングの初回のキャンプは8時30分発。僕にしては早すぎる出発だ。
 R40を北に向かい、音威子府でR275に入って浜頓別方面に向かった。空は、薄日の差した曇り空。いつまでもってくれるのかと思っていたら、R275に入ってすぐポツポツと降り出した。午前中はなんとか大丈夫だろうと思っていたが、道の駅「ピンネシリ」の手前で本降りになってしまった。すぐさまバイクを止めてカッパを着た。
 先月のツーリングで気になったのが寿公園の自衛隊機だ。前回は妻といっしょだったのでトイレ休憩だけだったが、今回は一人旅だ。しっかり見ていこうと操縦席を覗いてみると、なんと廃機となった本物だった。看板にはマッハ2で飛べる性能を有しているとのこと。僕の勤務する岐阜各務原には航空自衛隊の基地がある。毎日のように飛んでいる三角い形のジェット戦闘機のすごさを感じた。
 寿公園からクッチャロ湖は近い。雨はまだ降り続いていた。クッチャロ湖に着いてバイクを湖岸に止めると、一羽の白鳥が湖を見つめているのが見えた。近づいて写真を撮ろうとしたら逃げられた。その後、傘を差してトイレに行った。クッチャロ湖のピットインの目的は、駐車場のトイレに入ること。いつ来ても、ここのトイレで聴く「白鳥の湖」のメロディには心を癒やされる。
 さあ宗谷を目指して出発というところで突然の豪雨。数人いたライダーたちはキャンプ場の炊飯場に避難した。僕もカッパ姿のまま、土砂降りが収まるのを待った。一人旅は僕だけだった。みんなはそれぞれのグループで楽しそうにおしゃべりしているが、僕は無言。なんとなく居心地が悪かった。
 10数分ほどで小降りになったので、クッチャロ湖を出発した。R238に出てほんの2㎞ほど走ったところで右折して農道に入った。これが農道エサヌカ線につながる道だ。しばらくして直角に左折すると地平線の見える10数㎞の直線路の農道エサヌカ線、と思った矢先、左折したら目の前に大きなエゾシカが2頭。いきなりのエゾシカにびっくり。
 農道エサヌカ線は、オホーツク海に沿って走る大平原の中の一本道だ。走っても走っても前に見えるのは地平線。空は灰色。道がまるで灰色の空まで続いているように見える。北に進むにつれてしだいに風が強くなってきた。右手にオホーツクが見える所では、暴風と言ってもいいくらいの強い横風が吹いていて、バイクをまっすぐ走らせるのもつらいほどだ。雨は横から降ってくる。シールドを拭くときと、ピースサインを出すときは片手運転になる。気合いを入れて走らないと、シールドも拭けないし、ピースサインも出せない。もちろん、僕は気合いを入れてピースサインを出して走った。ほとんど、修行に近い気分だった。
 猿払でR238に入ったが、雨と強風はますますひどくなってきた。横風に振られながら走り続ける。こうして最北端の岬宗谷岬はたどり着いたときは今までにないくらい感動した。一人旅だから、よけいにそう感じたのかもしれない。
 感慨にふけっていると、奈良ナンバーのエストレアが僕の隣に止まった。奈良氏は僕を見ると、
「こんにちは。死ぬかと思いましたよ。」
そう言って、僕に声をかけてきた。大型バイクでもかなり振られたので、単発250のバイクではまさしく苦行だったと思う。
 お昼も近かったので、二人で「最北端」の店へ行き、3週間前と同じホタテ・ラーメンを食べた。とにかく、ここのスープはものすごくうまいのだ。
 奈良氏と別れ、1時少し前に岬のパーキングを出て宗谷丘陵に登った。雨降りの強風でちょっとした覚悟が必要だったが、決めた以上はやるのが男。
 丘陵の牧場では、暴風雨の中でも牛たちは平然と歩いていたが、やはり不安なのかミーティング状態に集っていた。集まっていた牛をバックに写真を撮ろうとしたが、三脚が風にあおられて立てられない。しかたがないので、ヘルメットも脱がずにこの世の風景とは思えないもこもことした不思議な丘の写真を撮りまくった。
 丘陵からR238のオホーツク側に降りるとき、オホーツクの海は大荒れに荒れていた。海の青さどころか、大波の白さしか見られない。雨と風の中を、歯を食いしばって元来た道を戻った。こうなったら走るしかないのだ。
 猿払のエネオスで給油した後、帰路も来たときと同じ農道エサヌカ線を選んだ。風が強いのは国道も同じだろう。どのみち強い風にあおられながら走るのだから、距離は短く、大型車は少なく、視界が良すぎて取り締まりもないだろうし、なんと言っても交通量も少なすぎるくらい少ないエサヌカ線を走った方がいいと思ったのだ。
 今後のおおまかな予定は道東をうろうろするつもりなので、浜頓別から先もR238でオホーツク海沿いにひたすら南に向かった。
 雨は降ったりやんだりになってきたが、強い風は収まらなかった。オホーツクの荒波ばかりがやたらと目立っていた。これではキャンプは無理だろう。早めに今夜の宿を決めることにした。次の道の駅「マリーンランド岡島」でどの辺りに泊まるか決めることにした。
 2時30分頃、道の駅「マリーンランド岡島」に着いた。2時間以上、強風の中を走りっぱなしだったので、さすがに疲れた。興部辺りかなあ。それとも紋別まで行こうかなあ。興部なら約80㎞、紋別なら約100㎞だ。
 そこへ、軒下で地図を眺めている僕に気づいた若者が2人やってきた。
「どうかしましたか。」
「この天気じゃ、キャンプできないから、どこか宿を探さないと。」
そう答えると、
「そうですよねえ。」
と言って建物の中に入っていった。バイクを見ると兵庫と大分。どんな組み合わせなのだろう。
 幸い、紋別のセントラル・ホテルが空いていたのですぐに決めた。これで今日の宿は大丈夫とほっとしていると、さっきの兵庫の若者がやってきて、
「どこか、探しましょうか。」
と、声をかけてくれた。紋別のホテルが取れたことを話すと、まるで自分のことのようにほっとした顔をしている。なんて優しい若者なのだろうと感心してしまった。大学に勤務する僕は、毎日、若い人たちと接しているが、担当する教育学・保育学の授業を通して、こういう素敵な心を育てていくことが大切なのだと心から思えた。
「兵庫なんですね。僕、学生時代は兵庫にいたんですよ。」
と話すと、兵庫氏は、
「加東市って分かりますか。」
「僕がいたのも今の加東市だったんですよ。その頃は加東郡滝野町で、隣の社町の大学に通っていて。社にある大学って言ったら、どこの大学か分かっちゃうけどね。で、今は滝野も社も加東市ですよね。」
 兵庫氏は、
「わあ、加東を知ってる人に出会ったの、初めてです!」
 聞けば、その若者は加東市在住とのこと。脇にいた大分氏も、いっしょに僕の宿探しを心配してくれていた。僕は、2人の若者の優しさに完全にしびれてしまった。
 彼ら二人が道の駅を出たあと、たばこを1本吸って僕も出発した。しばらくすると、彼らに追いついた。大分氏のバイクは発売されたばかりのホンダグロム125.兵庫氏は大分氏の小型バイクのペースに合わせて走っていたのだった。後発の僕が追いつくのは当然のことだが、兵庫氏も本当は僕と同じようなペースで走りたいはず。友達思いの本当にいいヤツなんだ。
 道の駅「おこっぺ」でトイレ休憩をしていると、大分氏のグロムが駐車場に入ってきた。彼と少し話をしたが、いっしょに走っていた兵庫氏とはフェリーの中で知り合い、友達になったと言う。大分氏の北海道初ツーリングはいい思い出でいっぱいになっていくことと思う。兵庫氏は、今日中に網走まで走ると言って、今しがた分かれたばかりだそうだ。今まで小型バイクのペースに合わせて走っていたから、ハイペースで時間を取り戻しているに違いない。事故だけはするなよと心からそう思った。
 夕方になって紋別市街に入ったが、まずいことに予約した「セントラル・ホテル」を「プリンス・ホテル」と勘違いをしていた。「紋別プリンス」には、以前お世話になったことがあるので、うろ覚えのなかでも迷わずたどり着くことができた。ところが、僕が予約したのは「紋別セントラル」で、今いる場所は「紋別プリンス」の駐車場。
「ガーン。ここじゃない!」
 その後、紋別市街をうろうろし、「セントラル・ホテル」の看板を見つけ、着いたのは18時30分。
 朝から強風にあおられ、無意識のうちにずっと体に力が入っていたせいか、部屋に入ったとたんぐったりしてしまった。
「ふー。やっと着いた。」
 それでも、なんだかおもしろくてたまらない。大好きな北海道を一日中走り続けていたのだから。
 晩ご飯はホテルのレストランで豪勢に「帆立づくし御膳」。ホタテのさしみにフライ、酢の物にバター炒め、さらにホタテ鍋にホタテの味噌汁。味噌汁はおかわり可ということだったので、おかわりまでしてしまった。これでたったの1580円。これはお得な夕食だと思った。
 本日の走行、これはすごい。昨日とまったく同じで350.2㎞。100m単位まで同じだった。ホテルを間違えて紋別市街をうろうろしたおかげで、「すごい」が一つ増えた。

*本日の走行      350㎞
*本日のピースサイン   57発
コメント (4)
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明けましておめでとうございます

2015-01-01 01:31:55 | いろいろ思う部屋
明けましておめでとうございます。
gooブログに引っ越して初めてのお正月を迎えました。
本年もよろしくお願いいたします。
そして、皆様の幸せがずっと続きますように・・・。
コメント (12)
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