僕はコーヒーが大好きで、一日に何杯も飲みます。ただ、コーヒーを煎れるのはめんどうなので、もっぱらインスタント・コーヒーを飲んでいます。
家で飲むのは、ネスカフェ・バリスタで煎れたコーヒーです。去年のクリスマスに妻をビックリ させようと思ってプレゼントの意味も込めてネットで買いました。毎年、12月に入ると、妻が何を欲しがっているのかをチェックするのですが、なかなか気づいてあげられないのです。去年の12月は、ネスカフェ・バリスタのCMになると、「あれ、いいね」と妻が言っていたので、すぐに決まりました。僕も妻も、家でよく コーヒーを飲むからです。買ってからかれこれ半年になりますが、今ではなくてはならない大事なマシンになっています。
バリスタは、市販のインスタント・コーヒー「ゴールド・ブレンド」を、コーヒーメーカーで煎れたような本格的な味で飲むことができるマシンです。つまり、スー パーなどで簡単に手に入り、豆を切らすなんてことはほとんどありません。準備も、エコ・パックで簡単に入れ、あとはその都度水タンクに水を入れるだけです。とっても手軽なのです。そして、コーヒーが飲みたくなったら、ボタン一つで機械が動きだします。しかもその時の音が本格的なのです。ブッシ ューッ、ガリガリガリッと、いかにも豆を挽いている感じの音です。もちろん豆など挽いていないのですが、いい感じなのです。
出来上がりの特徴は、泡が浮かんでいることです。僕は、あらかじめコーヒーカップにクリープを入れておくようにしています。後からだと、クリープが泡 の上に乗ってしまってかきまぜにくいのです。
飲んでみると、気持~ちちょっと薄いかなあ、ちょっとぬるいかなあという感じはあります。しかし、それは好みの問題という程度で、味としては明らかにインスタントで飲むよりははるかにおいしいです。もちろん、本格コーヒーと比べると、味も香りも劣ります。なんと言っても、もとはインスタント・コーヒーの「ゴ ールド・ブレンド」なのですから。
そして、もう一つ。僕は赤いバリスタを選びましたが、これがなんだかとってもかわいらしい形をしているのです。なんとなく、赤いマントをまとったペンギン に見えてきます。食卓に置いてあるのを見るだけで幸せな気分になる形です。
本格コーヒーを望んでいる人以外のコーヒー好きな人には、僕としてはお薦めです。お薦めポイントは、手軽さとおもしろさと、ほんのちょっぴり味の良さです。
GW後半から始まった5月。楽しみとしては、4日~5日に行ったバイク・ツーリング。学校では、19日の運動会。記念日として、13日の母の日と、16日の結婚記念日がありました。大きな出来事としては21日の金環日食。大変だったのは自動車税の納税でした。
久しぶりの泊まりのツーリングは新緑とせせらぎの岐阜県ひるがの~荘川方面に行ってきました。「カテゴリー」「ちょいブラリ旅ツーリングの部屋」の記事に書いたように、とにかく楽 しい旅になりました。
母の日には、自分の母と妻のお母さんに、それぞれ雨傘にもなる日傘と扇子をセットにしてプレゼントしました。夏も近いので、季節に合った物をと思って選びました。
結婚記念日には、定時で帰って食事の準備をして妻の帰りを待ち、ちょっとしたサプライズということにしました。テーブルに黄色のガーベラを一輪、そして焼肉の準備をしました。野菜の切り方はずいぶんヘンなことになっていました。妻は「きっとダンナが何か企てているはず」と思っていたそうで、「サプライズ」というより「やっぱり」という反応でした。僕が晩ご飯の準備をするのは、お盆休みの北海道ツーリングでのキャンプと、結婚記念日だけです。
19日の運動会は天気がよすぎて、終わったときにはへろへろになっていました。PTAを担当しているので、前日も終了後も役員さんたちといっしょに準備や片付けをしてたのですが、体力が違います。みんなすごく積極的で協力的で「次、この重いテントを運びましょう。」「・・・もう、体がついていかない~」って感じで、うれしいやらありがたいやら苦しいやら。
運動会は、多くの方々のおかげで、すごく盛り上がりました。子どもたちの満足そうな顔、顔、顔で、僕のへろへろもずいぶんやわらぎました。
運動会翌日の日曜日はぐったりしていました。膝はがくがく、足はだるだる、腰はいてぇ~わ、で「動けましぇ~~~ん!」の日でした。そこで思いついたのが温泉でした。ローバーミニを駆って元同僚の友人T先生と土岐まで国道を使わずに三河山中をショートカットし、日帰り温泉「バーデンパークSOGI(曾木)」へ行きました。山また山のくねくね道はクラシック・ミニの得意な道なのです。「バーデンパーク曾木」も、ブログの「カテゴリー」の「日帰り温泉の部屋」に紹介してあるように、ぬるめでヌルヌル度の大きいお湯で、足や腰の疲れがすうっと取れていくような気持ちがしました。
21日は代休日でしたが早起きしました。金環日食の日です。7時過ぎに偏光レンズ越しに太陽を見るとオレンジの部分日食がくっきりと見えました。いいぞ、この調子と重いながら、両親と妻と4人で見ているうちに大きな雲が。結局、一瞬だけ雲の切れ間からうっすらと金環日食の輪が見えた程度で、雲が去ったのはその後の部分日食になってからでした。18年 後に北海道で見ることに決めました。
クルマ・バカの僕にとって大変だったのが自動車税です。クルマ3台とバイク3台分の税金は12万円あまりです。もちろん、納税は国民の義務ですから、ちゃんと納めました。ただ、クルマは3台とも2L以下(1台は1.5L 以下)だし、バイクも自動二輪(4000円)が2台と原付2種(1200円)が1台ですから、べらぼうな額というほどではありません。・・・が、財布には厳しかったです。
明日は、リーグ戦不調のグランパスの応援に行きます。セレッソ大阪に 勝てるといいんだけど、ちょっと心配です。そして、今日親戚でご不幸があったとの連絡が入り、土曜日がお通夜で日曜日にお葬式とのことでした。この週末は2日間とも知多へ往復です。
素敵なこと、楽しいこと、うれしいこと、おめでたいこと、感動すること、そして苦しいこと、つらいこと、悲しいこと、本当にいろいろありました。ただ、はっきり言えることは、充実した人生を送っているんだなあと思えることです。
そんなこんなで、大変な5月もあと1週間で終わります。暑くもなく、寒くもなく、いい季節でした。蒸し暑~い愛知の夏が、すぐそこまできています。
<5月4日>
週間天気予報は雨。ずっと心配し、天気がよくなるよう念じてきたが、念じればなんとかな るもので、前日の予報で傘のマークは消え、当日は朝からとてもいい天気になった。
妻のCB400ボルドールが車検に出してあったので、まずは行きつけの バイクショップ「トーカイオート」の開店時間に合わせて、9時40分頃、僕のZRX1200ダエグの後席に妻を乗せて出発した。10時に店に着き、荷物を2台のバイクに載せ替え、車検終了の手続きを終えて本当の出発となった。
妻のバイクは、今回、僕と同じカラー・ツーリングスクリーンに付け替えた。色は、ボルドールのカラーに合わせて赤にしたところ、これが見事に車体のカラーにコーディネートされ、バッチリ決まっていた。妻も大満足で、信号のたびに、
「これ、いい。気に入った。マフラーもかっこよくなってるし、普通のCBと全然違 う。」
と、大満足の様子だった。
いつもは東海環状道・松平ICから入るが、今回はショップに近い豊田東ICから入った。GW後半の中日であり、おそらく中央道へ分岐する土岐JCTで渋滞するだろうと予想していたら、やっぱり瀬戸品野IC付近から渋滞が始まった。でも、なにか雰囲気が違っていた。警察官が所々に立っていたり、パトカーが走っていたりしていた。電光表示を見たら、事故渋滞と表示されていた。GWの自然渋滞に加え、トンネルでの追突事故もあり、ずいぶん走りにくかったが、土岐JCTを超えたら快適な高速走行ができるようになった。追突事故はともかく、想定内の渋滞だったので、ほとんど時間的なロスはなかった。
GWの高速道路は流れが悪くなるため、今回は美濃加茂で降り、R41~R256の山越えコースで郡上に出て、そこからR156で長良川に沿ってひるがの高原へと向かうことにしていた。
予定通りに美濃加茂ICを出てR41で北に向かおうとしたら、バイパスを出た所から激しい渋滞に遭ってしまった。R41はよく利用する道だが、美濃加茂市内で渋滞に遭ったことなど一度もなかった。対向車線を救急車が走って行った。遠くでパトカーの音も聞こえる。どうやらここでも事故渋滞のようだ。おまけに、雨がパラつき始めてきたからたまらない。
「これはちょっとマズイかも。」
ちょうど雨が降り出した所がコンビニの前だった。妻が、
「合羽、着る?」
と聞くので、迷ったら着るの原則に従って、コンビニにバイクを停め、合羽姿になった。
その間、クルマはほとんど動いていない。
「引き返して、高速で美濃関ICまで行って、R156でひるがのに行こう。」
そう、妻に言うと、妻も賛成した。10㎞ほど戻ることになるが、対向車線は渋滞していな い。
再び美濃加茂ICから東海環状道に入って、さらに西に向かった。ペースは快調すぎるくらい快調で、引き返したのは大正解だと思った。東海環状道の高速走行は実に気持ちがいい。美濃加茂でのロスタイムがあるので、美濃関JCTから東海北陸道に入り、美並まで高速道路を走った。
「ぎふ大和~高鷲・渋滞」の表示は出てたものの、美並までは気持ちのいい走りができた。
美並ICを出てR156に入ると、清流長良川を横目で見たり、ローカル鉄道の長良川鉄道の線路を横目で見たり、とてもいい雰囲気だ。たまに対向車線のライダーとピースサインを交わすこともできる。
ちょうどお昼頃になったので、国道と線路の間のパーキングにバイクを停め、折り畳み椅子を出して妻の手作りおにぎりでお昼ご飯にした。狭いパーキングで道路とも近いので、通るクルマの人が僕たちのほうを見ていくのが分かる。ちょっと恥ずかしいが、外で食べるおにぎりの味は格別だ。大きく手を振って通り過ぎるツーリング・ライダーもいた。
おなかもいっぱいになり、再びR156を北に向かって走っ た。
郡上八幡が近づくと、清流長良川もごつごつした岩の多い男っぽい清流になる。さわやかでありながら強い男のイメージだ。水の街・郡上八幡の人気の一端はこのイメージにあるのかもしれない。
郡上八幡から大和まで、男っぽい清流を眺めながら走った。天気も回復してきて空気がすがすがしい。
大和から右に折れ、県道318号に入ると、すぐに道の駅「古今伝授の里やまと」がある。バイクの脇に座り、明るい緑の新しい芽に覆われた桜の木を見ながら食後のコーヒーを飲んだ。桜の季節もいいが、ツーリングには新緑の季節がいい。
県道318号は、別名「やまびこロード」と称され、高原の雰囲気に包まれた素敵な道だ。白鳥インター入口の手前で右に進むと県道316号となるが、「やまびこロード」は続く。わずかに、高速道路と並行して走る部分があるが、気の毒にも北に向かうクルマは長い列になっていた。渋滞する高速道路の横の県道を気持ちのいいペースで進むと、なんだか小さな優越感が感じられる。
道の駅「白鳥ふれあいパーク」で小休止し、さらに県道316号を北に進んだ。ダム湖の横の坂道を一気に登り、高原の景色を楽しみながら高速コーナーとタイトなコーナーが適度に組み合わされた素敵なワインディングをリーンウィズで駆け抜けていく。すると、急に開けた場所が現れた。明野高原だ。ちょっとしたリゾート地のような雰囲気だ。旧高鷲村に入ると、 「やまびこロード」から「ひるがの高原線」と名を変え、タイトなコーナーはなくなって緩やかなコーナーが続く林の中の道になる。ひるがの高原に近づくと、牧場も広がっていたりして、高原の雰囲気を満喫できる。さわやかな空気、さわやかな新緑、さわやかな高原の景色。「やまびこロード」「ひるがの高原線」こそ、今回のツーリングのハイライトだったかもしれない。
牧歌の里の横を通り抜け、高速道路のガードをくぐってしばらく走ると、R156に合流する。ひるがの高原スキー場や、その周辺の民宿やお土産屋さんなど、少しだけ観光地っぽい通りを抜けると、国道が高原道路のような雰囲気の道になる。
ひるがの高原を過ぎ、旧荘川村に入った辺りの閉鎖されたドライブインの駐車場にバイクを停めた。郡上大和から素敵な道を飽きることなく走り続けたため、少し休憩をとることにした。閉鎖されたドライブインの駐車場というのはほとんど人がいないので、2人だけの大きな自由空間となる。かなり北まで走ったので、桜もまだ美しく咲いていた。川のせせらぎも聞こえ るし、ウグイスのきれいな鳴き声も聞こえる。ひるがの~荘川の自然の心地よさを満喫しながら、この日の宿の荘川「オハヨーサンホテル」に向かった。ヘンな名前のリゾートホテルだが、僕たちはこれまでに2度お世話になっているお気に入りのホテルだ。前の2回はコテージに泊まったが、1回目はFRのスポーツカー、2回目は両親と1BOX車で訪れた。今回はバイク・ツーリングだが、国道を外れて荘川のせせらぎを聞きながら走るのは、手段がなんであってもいい気持ちだ。リトル奥入瀬のような小川に沿った林の道を10分ほど走り、ホテルに着いた。
ネット予約の時に、「古い部屋ですが料理は同じでリーズナブルです」という部屋しか空いてなかったので、その分安いからいいやと思って予約をした。実際に部屋に入ってみたら、普段から安い部屋しか泊まってないせいか、古くても十分満足できる部屋だった。
夕食までに時間があったので、まずはお風呂に入ることにした。
温泉ではないが、天然水を湧かしているということで、ちょっとだけ温泉っぽい感じもして、肌を触るとキュッキュッという肌触りだった。やっぱりバイクを降りた後のお風呂はいい気持ちだ。
お風呂の後は夕食だが、これがまたうまい。飛騨牛ステーキは厚くて柔らかくてジューシーで肉の甘みがたっぷりで、安い焼肉屋の牛肉とは雲泥の差だった。山菜のてんぷらは食べ放題で、たらの芽のてんぷらをいくつも食べた。お椀に入った十割蕎麦も食べ放題になっていて、もちろんおかわりをした。他にも、山の幸満載の料理で、部屋が古いとは言えこれで GW価格で12000円はお値打ちだ。このお値打ち価格も、僕たちがこのヘンな名前のホテルのリピーターになっている理由の一つになっている。
久しぶりのツーリングで、疲れたのだろうか、食事会場から戻ってテレビを観ながらくつろいでいるうちに熟睡状態になっていた。8時前だったか、もう一度お風呂に入ろうかなあと思っているあたりから記憶が消えていた。
*本日の走行 204㎞
*本日のピースサイン 10発
<5月5日>
夜中の2時頃にトイレに行きたくなって目が覚めた。僕がトイレに行く音で妻も目を覚ましてしまった。なぜか喉が渇いていたので、確かCCレモンがあったはずと探し始めたら、
「私が前部飲んじゃった。」
と、妻。僕が寝ている間に一人でお風呂に行き、お風呂上がりに空っぽにしてしまったと言う。しかたが無いので、残っていたお茶を飲み、またベッドに入った。
6時30分のアラームの音で目が覚めたが、もう少しだけ寝ていたいと思って7時にアラームをセットし直した。
かれこれ11時間も寝ていたことになる。2日分も寝たようなものだ。さすがにたっぷり寝 た後の二度寝からの目覚めは気持ちがいい。妻がカーテンを開けると、外の朝日の当たった新緑が思いっきり美しく見えた。
バイキングの朝食も、おいしそうなおかずを少しずつ取ったつもりが、ずいぶんな量になってしまった。それでも、おいしいからぺろっと平らげた。晩ご飯から朝ご飯まで、僕は寝ることしかやっていない。よく食べられるものだと自分でも感心した。
ロビーで朝のコーヒーを楽しみ、9時30分頃に「オハヨーサンホテル」を出た。
まずは、R158を戻り、R156との分岐交差点近くのガソリンスタンドに向かった。以前はいくらでもスタンドはあったのだが、最近は閉鎖されたスタンドが多く、見つけたときに燃料を入れておかないとひやひやしながら走ることになる。
燃料を満タンにし、R158でやたら目立っていた巨大水車と三連水車のある「そばの里」へ行った。初めてではないが、山あいにそびえる巨大水車は不自然だがなぜか風景によく溶 け込んでいる。
R158もツーリング気分が高まる素敵なワインディングだ。山の景色が美しく、行き交うライダーも多い。めっきり減ったライダー同士のピースサインも、ここでは北海道並みとはいかないまでも、かなり多くのライダーと交わすことができる。道の駅「桜の郷荘川」でトイレ休憩を取り、飛騨清見方面へとバイクを走らせる。いい天気だ。初夏らしいさわやかな暑さも感じられる。一枚薄着にしたのは正解だった。
道の駅「ななもり清見」を過ぎた所で県道73号「せせらぎ街道」に入り、南に向かった。しばらくは集落の中の道だが、川上川沿いの道になると様相は一気に変わり、高原のワインディングとなる。適度なコーナーが続く道でバイク乗りなら誰もが楽しいと感じる道だ。おのずとペースは上がってくるが、僕たちは安全運転の範疇で楽しんだ。あまりにも危険な走りをするライダーもいて、時には怖いとさえ感じることもあった。それでも、交通量は少なく、自分たちにとって最も気持ちのいいペースが維持できる。のんびりとツーリングを楽しんでいるライダーもいたが、ハイ・ペース走行を楽しんでいるライダーが多い。そんな時は手で合図を出して先に行かせるようにして、僕と妻のちょうどいいペースで僕たちなりに楽しくバイクを走らせた。もちろん、決して遅いペースではない。
林の中の直線部分でバイクを止めた。走り抜けてしまうのはもったいないような初夏の 林だ。近くでせせらぎが聞こえる。そして、うぐいすの鳴き声。オゾンたっぷりのおいしい空気を思いっきり吸い込むと、まるで森林浴でも楽しんでいるような気分になった。
再びバイクを走らせ、ピースサインをいっぱい交わしながら人気の道「せせらぎ街道」の走りを楽しんだ。中には、こちらからのピースサインに慌てたような動きをしてピースを返してくれたライダーもいたが、それがまたうれしかった。かと思えば、大袈裟な動きで返してくれる人もいて、やっぱりピースサインを交わしながらのツーリングは本当に楽しいものだなあと思った。
お昼頃、道の駅「パスカル清見」に着いた。クルマも多いが、バイクもたくさん止まっている。壮観とも思えるくらいずら~と並んでいた。もちろん、レストランは満席だが、もともとレストランで食べようとは考えてなかった。あらかじめ、妻とは、どこかでおいしそうなものを探して景色と空気のいい所で食べようと決めていた。道の駅の中をぶらぶら歩きながら、手作りパン と朴葉寿司を買い、バイクのところに戻った。
のんびりツーリング派の僕たちは、せせらぎ街道のハイペース走行にも飽きてきた。二人で地図を見て、少し戻った所からR257で郡上方面に向かい、郡上の手前の馬瀬から県道で美濃加茂に出るコースを選んだ。途中一車線部分があると記されていたが、バイクだから難なく通れるだろう。
R257に入ってすぐのトンネルを抜けた所に誰もいないパーキングがあった。そこにバイクを止め、二人だけの昼食にした。空気はおいしいし、すぐ前の林も、その先の山々も陽の光を浴びて明るく輝いている。折り畳み椅子を出し、道の駅で買った朴葉寿司を食べた。小振りに見えたが、押し寿司のようにぎゅっと握ってあるので思いの外おなかにずしんとくる。手 作りパンを食べる前に朴葉寿司だけでおなかがいっぱいになってしまった。
「やっぱりバイクっていいね。」
と、妻。クルマも好きだが、空気を感じながら走るバイクには、バイク乗りにしか分からない大きな魅力がいっぱい詰まっている。
R257は行き交うクルマもバイクも少ない。山と山の間、林と林の間を自然の優しさを感じながらのんびりと走ることができる。長いトンネルを2つ抜けると、馬瀬川沿いの一車線路になった。たまにクルマとすれ違うこともあったが、バイクなら難なくクリアーできる。林の道を抜けると、道幅も一車線半となり、さらに進むと二車線に広がって、のどかな集落をいくつか通り過ぎる。村の集会所のような所や、ゲートボール場には元気で明るいお年寄りたちの姿があった。
いくつかの集落を過ぎ、「県道431号・金山方面」の標識に従って進むと、再び林の中の道に入った。そして、坂を下ると道幅も広くなり、適度なコーナーの続くワインディングとなる。ほとんど集落もなくなり、新緑の景色の中を走る素敵な道だ。おのずとペースも上がってくる。
道の駅「馬瀬美輝の里」は、この道を走るのが二度目だったからか、意外とハイペースで走ったからか分からないが、思ったよりずっと近かったように感じた。
「あれっ、県道に入ってすぐじゃん。」
思わず、メットの中でつぶやいた。たぶん、単に地図を見誤っただけだろう。
バイクを降りると、暑ささえ感じられた。初夏の気候だ。店の中に入り、両親へのお土産でも探そうと歩いているうちに目に付いたのがアイスクリームだ。僕はバニラ、妻はブルーベ リーのアイスクリームを買い、風通しの良いベンチに座って食べた。
すぐ隣のベンチには中年ライダー4人組が大声で話しているが、聞こえてくる声は一人だけ。オタク系なのか、なにやら大きな声でバイクについての講釈やら自慢話をしているようだ。あとの3人はにこやかに聞いているように見えたが、内心はどうなんだろうと思いながら僕たちはひたすら冷たくておいしいアイスを食べていた。大声で話すおじさんのようなタイプの苦手な僕だから、きっと「こいつ、連れてこなければよかった」なんて思ってるかもしれないなあ。もっとも、僕は教員という職業とは裏腹に集団行動はあまり好きではないので、ツーリングはだいたいソロか2人。まあ、休憩の時というのは、こんなようなことを考えていることが多い。
バイクに戻ると、道を隔てた駐車場に元祖ハチロクが止めてあった。白と黒の人気のツートンのトレノだ。僕たちがブルゾンを着たりメットを被ったりして準備をしていると、トレノは出ていった。
馬瀬川に沿ってしばらく走るとダム湖畔の道になる。コーナーの続く走り屋好みの道だ。一般道でなければ、ほとんど地方のサーキットのような道で、ハチロク乗りにはたまらない道だろう。もちろん、ライダーにとっても、楽しくてたまらない道だ。ダム湖畔で86トレノに追いついた。僕たちはのんびりと初夏のツーリングを楽しむ走りしかしていないので、トレノ氏も決してハイスピードで走ることを楽しんでいるわけではなさそうだ。FR特有の気持ちよくコーナーを立ち上がる感覚の心地よいコーナリングは、タイヤをきしませなくても十分楽しめる。スムーズで感じのいい走りをしているように見えた。そのトレノの後ろを新緑に包まれた湖の景色も楽しみながらリーンウィズでバイクを走らせた。トレノは湖畔のパーキングに入っていった。
行き交うバイクとは相変わらずピースサインを交わしながら走っている。心の中で数を数えているが、あと18発で90。昨日の10発を加えると、なんと、100発になる。最近にはないくらいたくさんの人とピースサインを交わしていることになる。
岩屋ダム付近の「金山巨石群」の看板の文字が気にかかったが、バイクを止められそうな場所がなかったので通過した。
2つ目ののダムを通り過ぎ、R256に入った。ピースサイン100発まであと11発。そこに、また気になる案内標識があった。「4つの滝」と記された案内標識だ。こちらも、高速道路が混む前に帰りたかったのでパスしたが、いつか駐車スペースなどの情報をネットで集め、愛車のローバーミニで来てみようと思った。「金山巨石群」も「4つの滝」も、なんとなく見てみたい気がする。
旧金山町(現下呂市)に入って道の駅「飛騨金山ぬく森の里温泉」で休憩をとった。以前 、2人で日帰りツーリングでこの温泉に来たことがある。今回は、馬瀬で買いそびれた両親へのお土産の漬物を買うだけにし、あとは缶コーヒーでコーナリング続きで疲れた体を休めた。
R41に入ってからは、ただひたすら家路を急いだ。ピースサイン100発まであと7発。微妙な数だが達成できそうな気はしてきた。
昨夜は2日分くらい寝たせいか、まったく眠くならない。中山七里など飛騨川の渓谷美などを見ながら走るR41は何度走っても気持ちがいい。睡魔対策の休憩を予定していた七宗町の道の駅の手前で、後続の妻に「パスするよ」のサインを出した。そして、「OK」のサインをミラーで確認して走り続けた。美濃加茂ICの手前でついに100発目のピースサインを交わした。ガッツポーズをしたい衝動にかられたが、恥ずかしいからやめた。ただ、きっと顔はうれしさでニヤけていたと思う。
美濃加茂市街に入って途中の信号交差点で多少の渋滞はあったものの、ほぼ順調に進み、美濃加茂ICから東海環状道に入った。GW終盤で、夕方から土岐JCT辺りで流れが悪くなるという予想だったが、インターに入ったのがまだ3時頃だったため、交通量は少なかった。土岐JCTから二車線となり、緑の山々を背景に、とても愛知県とは思えないような原生林が広がっている中の一本道を時速100㎞程度の快適なスピードで気持ちよく走った。せと赤津PAでも、妻に通過の合図を出し、休むことなく走り続けた。さすがに、豊田に入るとおしりも痛くなり、トイレにも行きたくなってきた。
鞍ケ池PAで最後の休憩をとった。かれこれ2時間くらいバイクにまたがっていたことになる。ここまで来れば、もう家に着いたようなもの。妻と缶コーヒーで早めの乾杯をした。
「もうすぐ4時半か。じゃあ、4時半に家に着くなあ。」
そう言いながらヘルメットを被り、グローブをはめた。
豊田松平ICまでは鞍ケ池PAからわずか2㎞足らずだ。その間に、追い越し車線を走り 抜けていくライダーと最後のピースサインを交わした。
豊田松平ICから豊田市街よりに少し走った所に僕の家はある。本当に4時半に家に着いた。
バイクを止め、ヘルメットを脱いだ妻が、
「本当にすっごーく楽しかった。」
と、僕に言った。
僕も、バイクに乗っててよかったと、しみじみと思った。この満足感は、クルマでは絶対に味わえない、バイク乗りだけが知る独特の感動だ+。
いい季節、いい景色、いい道、そして101人のライダーたちとのピースサイン。しばらくの間、地図を見返して余韻を楽しんでいた。
GWの4日~5日に奥美濃・飛騨方面へバイク・ツーリングに出かけました。その2日間に、古いクルマをたくさん見かけて、楽しくなってきまし た。
豊田市内で旧ミニを見かけたのをかわぎりに東海環状道で1台、東海北陸道でも1台と、全部で3台も出会いました。僕も旧ミニのオーナーですから、その楽しさと大変さはよく分かります。もちろん、楽しさの方がずっと上回っていて、走っていておもしろくてたまりません。今回はバイクで出かけましたが、 旧ミニでのドライブもバイク・ツーリングに匹敵するくらい楽しいものです。
東海環状道では、ケンメリ・スカイラインHTに出会いました。GTR仕様に改造されていました。僕が2代目マークⅡハードトップGSLに乗っていた頃に大人気だったクルマです。僕は、父がトヨタに勤めていたため、「いいなあ、 ケンメリ」と心のどこかで思いながらマークⅡに乗っていたような気がします。もちろん、当時の僕は、愛車マークⅡはお気に入りの自慢のクルマでした。
岐阜県の高鷲と荘川の境あたりで俗称ワーゲンバスを見ました。坂道をギーギーきしむ音を立てて登っていました。1950~60年代のクルマだと思いますが、がんばって走っていました。確か、VWビートルがベースの空冷リア・ドライブ車だったと思います。なんとものどかなスタイルのクルマで、見ていてほのぼのとし た気分になってきます。
荘川村(高山市荘川)で若き日の千葉真一がCMで「足のいいヤツ」と言って人気を博したFRのカリーナも見ました。ローダウン・サスに扁平タイヤで、当時の若者仕様になっていました。セリカと同じエンジン、同じ足回りで、 外見はオーソドックスなセダンということで、硬派の走り屋やクルマ好きに人気がありました。
馬瀬のダム湖畔のワインディングで、元祖86トレノを見ました。道の駅にいて、しばらくしたらコーナーの続く道を楽しむため(?)、駐車場を出て行きました。カローラ・レビンに比べ、スプリンター・トレノはリトラクタブル・ヘッドライトとなり、よりスポーティな意匠となっていました。パンダと呼ばれた白と黒のツートンは今見ても個性的でいい感じでした。オーナーさんはきっと、今話題の新しいハチロクなど、「あれはハチロクではない」なんて思ってるかもしれません。僕が旧ミニこそ本物の「ミニ」で、今のBM Wのミニはまったく別物と思っているように。
美濃加茂ではテントウムシのスバル360が走っていました。ちっちゃくて、丸っこくて、ひょこひょこ走っていて、本当にかわいいクルマです。ホンダN360が出るまで、日本の道路を制覇していました。軽と言えばスバル360というくらいよく目にしたクルマです。軽自動車の創世記を飾ったスバルも、とうとうサンバーを最後に軽自動車の生産から撤退してしまいました。ちょっと寂しいです。今のスバルの軽は、ダイハツのスバル車なのですか ら。
スバルのすぐ後に、ポルシェ356スパイダーが走って行きました。空冷水並対向の寝見ボボボボボ~という独特のエンジン音をたて、交差点を曲がっていきました。初代2Lの5ナンバー911が出る前のポルシェです。その911も、今では超ド級のスーパースポーツカーです。356は車体の割にタイヤが細く、なんとなく不安定な感じで曲がっていきました。昔のスポーツカーって、そんな感じだったなあとなつかしく思いまし た。
ポルシェと言えば、スポーツカーの頂点です。そこでライバルとなるのがフェラーリでしょう。ちょっとスポーツカーとしての種類は違いますが、究極の高級スポーツカーという展では最高のライバルかもしれません。東海北陸道で、フェラーリ・テスタロッサを見ました。30年くらい前のスーパーカー・ブームでは、ランボルギ-ニ・カウンタックと人気を二分していたクルマです。もはや、ブームは去り、あのペタッとしたデザインにもノスタルジックな感じがしてきます。サイドのスレッドなど、大迫力です。あの頃を知る人は、誰もがあこがれたことでしょ う。
ホンダNSXも見ました。「フェラーリにできて、ホンダにできないワケがない」みたいな意気込みが感じられた和製スーパーカーです。20年以上前に発売されたスポーツカーですが、テスタロッサ同様に今でも十分通用するデザインだと思います。「ホンダ」というだけで、フェラーリよりなんだか安心感が感じられます。今も、ほんのちょっとだけ欲しいなと思っています。
スーパーカーたちはともかく、古いノスタルジックな雰囲気のクルマたちが元気に走る姿を見ると、なんだか得をしたような気がします。自動車博物館にでも行かないと見られないクルマが実際にナンバーを付けて走っているのですから。カリーナ・セダンなど、普通のクルマだったクルマは、あまり博物館でも見ることができません。
僕もローバーミニのオーナーの端くれです。1959年(昭和34年)に発売されたミニですから、その外見は旧車のにおいはぷんぷんしています。端くれというのは、僕のは1999年式で、キャブはインジェクションになり、よく効くクーラーが装備され、しかもAT。旧車マニアにとっては邪道のような旧ミニです。それでも、十分かわいいヤツです。運転していると幸せな気分になってきます。2001年に生産が終了する前の最終モデルですから、旧車と言っても、おそろしく古いわけではありません。きちんと走行前の暖気と、定期的なオイル交換さえやっていれば、今のクルマと同じように普通に走らせることができる旧ミニです。大事に大事に 乗って、いつまでも楽しく乗り続けたいと思っています。
2日間のツーリングで何台かの旧車に出会い、そんなことを思いました。
なお、画像はネットで公開されているものですが、ミニカーの写真は僕の1/43スケールのミニカー・コレクションの接写写真です。最後の青いミニはコレクションの中で唯一の1/1スケールのナンバー登録のミニカーで実動するもの(つまり、本物のクルマ)です。
僕が子どもの頃、ドライブ好きな父は、よく当時の愛車パブリカUP700・カローラKE10でいろんな所に連れて行ってくれた。その父も、今はもう80を過ぎ、心臓疾患を患い、身障者手帳をもつ老人だ。それでも、今もなお自分で愛車ゴルフⅣを駆り、時々ドライブに出かけているくらい元気で常々ありがたいと思っている。耳も少し遠くなり、心配は心配だが、好きな ことをさせてあげたいという思いで、見送っている。
いつだったか、晩ご飯を食べている時、
「よく、奈良井に行くけど、そんなにいい所か。」
と、言ったことがある。中山道R19は僕の大好きな道の一つで、その途中の宿場町の奈良井はお気に入りの場所だ。だから、諏訪や松本方面へのドライブやツーリングでよく立ち寄っている。
父を奈良井に連れて行ってあげたいと思うものの、身障者の父は長く歩くことができない。宿場町の散策など、到底無理なことだ。そこで、登場するのが車椅子。インターネットで、安くて、軽くて、丈夫な車椅子を探し、取り寄せた。
<4月28日>
GWの初日の4月28日、VOXYの3列目シートを跳ね上げたカーゴ・スペース部分に、車椅子と折り畳み椅子を積み込み、9時40分頃に豊田の自宅を出た。
家からすぐの東海環状道豊田松平ICから入り、渋滞状況を見て場合によっては瀬戸品野から土岐か瑞浪まで下道を走るつもりだったが、一向に混み合う様子がない。渋滞覚悟の土岐JCも、ペースを落とすことなくスムーズに超えられ、ドライブ気分の高まる中央道へとすんなりと入ることができた。屏風山PAでトイレ休憩をとり、快適なペースで走り続けた。
中津川ICからは僕のお気に入りのR19。まずは中津川市街地を抜けた辺りにある元越ドライブインでトイレ休憩をとった。高齢者とともに行くドライブでは、ひんぱんに休憩をとる必要があるのだ。母は、すぐに何かを買おうと店内をぶらぶら歩き出す。旅行に行く機会がめっきり減り、お土産を見るのが楽しみなのだろう。
元越の次は、道の駅「賤母」にクルマを停めた。父が「道の駅で止まって」と言うので、わずか10㎞あまりでの休憩だ。中部の道の駅スタンプ・ノートのスタンプを増やしたい父は、R 19の道の駅のスタンプがほとんど無いので、この先はほぼ各駅停車で進むことにした。
母はやっぱり、ここでもお土産を買っている。
道の駅「大桑」でスタンプ休憩をとった後、大桑村須原宿近くの運動公園駐車場でお弁当にした。豊田よりかなり北で標高も高い中山道は、春の花が道の周りの至る所に咲き乱れていた。須原の運動公園も薄いピンクや濃いピンクの花々に囲まれて、暖かな春の日差しを受け、いい雰囲気のピクニック気分になった。芝生に折り畳み椅子を出し、妻が作ったおにぎりを4人でほおばると、家族みんなが健康で過ごしていることの幸せを心の底から感じられた。
おいしい空気を吸い、きれいな花々の景色をおかずにしておにぎりを食べ、お腹も満たされた。
須原を出て、上松で国道沿いの小野ノ滝を右手に見て、寝覚ノ床を通過し、道の駅「木曽福島」「日義木曽駒高原」と各駅停車して、中山道R19を北に向かった。木曽川は大きな岩がいっぱいで、愛知で見るおだやかな木曽川とはまったく違う男性的な顔をしている。その周りの赤やピンクの花が、力強さと優しさのバランスを保ち、車窓からは、春と新緑とのいい季節が感じられ、心から「来てよかったなあ」と思えてきた。
そんなことを思っているうちに、鳥居峠を越え、今回のドライブの目的地「奈良井宿」に着 いた。
いよいよ車椅子の登場だ。車椅子初体験の父はなんだかうきうきした表情で、押す僕は初体験に緊張気味、母は押したがっているような顔で、妻はそれぞれの顔を見ながら、「お母さんに押させてあげたら」などと、気を遣っている様子。高齢で身障者の父は、約1㎞の昔の面影をはっきりと残した宿場町の街道を散策するなど、とっくにあきらめていたようだが、車椅子があり介助者がいれば大丈夫だ。
車椅子を押し始めてすぐの踏切で、自在に動く前輪が横を向いてレールの隙間にはまってしまった。危ない危ない。こうなると、前にも後ろにも動かないのだ。力いっぱいハンドルを押し下げ、てこの原理で前部を上げて脱出した。これが、自走式の介助者なしだったら大変なことだ。それに、線路を越えたゆるやかな下りの坂でさえ、ブレーキで進むのを押さえながら進まなくてはならなかったり、わずかな傾斜でも片方の手に力がかかったりするのだ。簡単そうで、案外大変だということが分かった。
宿場町の街道は古い旅籠や店が並び、まるで江戸時代にタイムスリップしたような雰 囲気が漂っている。しかも、奈良井は木曽路の山の中にあり、歩いているとその先に山が見え、後ろを振り返ってもやっぱい木曽の山がくっきりと見える。ここ奈良井は、木曽の山々を背景に、江戸時代の宿場町の風情そのままの街並みが続き、とてもいい雰囲気を醸し出しているのだ。
父も、「これは楽ちん」と言いながら、宿場町の風情を楽しんでくれているようだ。
1㎞ほど歩いて宿場町の北の端のJR奈良井駅手前で折り返し、途中の喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ。4月末の中山道とは思えないような暑い日になり、妻は、
「お母さん、ずっと歩いてるけど大丈夫かなあ。」
と、母の体を心配してくれていた。母も若い頃はスポーツに興じていたとは言え、もう82歳と高齢だ。さっさと見て歩くのではなく、こうしてのんびりと休憩をとりながら散策した方がい いのだ。
初めての介助式の車椅子体験で、側溝のふたの隙間と、わずかな傾斜が要注意ということを知った。駐車場に戻る南向きの復路になると、車椅子の操作も慣れたもので、トレッドとホイールベースの短さによる走行特性もつかめてきた。そうなると、押すのも案外簡単だ。
南の端の土産物屋さんで、またまた母は買い物だ。なぜか、木曽檜のしゃもじを買っていた。父も、この時は車椅子から降り、店内の狭い通路を土産物を見ながら自力で歩いていた。長い距離でなければゆっくり歩くことはできるが、壁や手摺りにつかまりながら歩いていることが多い。
帰りの踏切は、車輪がはまることなくばっちり通り抜けることができた。
1時間もいれば十分な宿場町を2時間近くかけて散策したため、宿泊予定の安曇野まで行く時間が気がかりになってきた。そこで、これまで各駅停車だった道の駅はすべて通過し、快速電車になって塩尻を目指した。
塩尻市街地が近づくにつてれて、ぶどう畑が広がり、もっと近づくとりんご畑が広がってくる。国道の両側には「ぶどう園」「りんご園」の看板が目立ち、秋になるとかなりの賑わいを 見せることになるだろう。それにしても、市街地近くになっても、市街地に入っても、一向に混雑してこない。渋滞覚悟のGWのドライブだったが、いい意味での拍子抜けだ。
塩尻ICから長野道に入っても、高速道路の流れはよく、4時頃には豊科ICを出ることができた。道の駅の各駅停車やのんびり過ごした奈良井のロス・タイムを取り戻そうという思いも、なんの工夫もなく取り戻すことができた。
インターからは、カーナビに従って西に向かった。県道495号線を走ると、なつかしい日本の原風景という感じの安曇野の景色が広がってくる。天気はいいけれど、うっすらともやがかかっていて中央アルプスの山並みは霞んでいる。
なつかしいと思ったのは、実はこの道は去年の夏にソロ・ツーリングで走っている道だった。今日の宿泊宿の「ほりでーゆ四季の郷」は、日帰り温泉施設を併設していて、去年の夏に入った温泉だ。すごく気持ちがよかったという印象があり、それで今回予約することにしたのだった。
アルプスあずみの公園を過ぎ、烏川渓谷まで来ると、道幅が狭くなってくる。川に沿って走った先に「ほりでーゆ四季の郷」はある。
駐車場は、日帰り温泉の利用客でいっぱいだった。車椅子の父がいるので身障者用駐車スペースに停めようとしたが、あいにくいっぱいだった。従業員の方が、駐車スペースでない空いた場所に置くように言ってくださったので、入り口に近い場所に停めることができ、父は車椅子なしで歩いてロビーに入ることができた。
チェックインの時、大きく「リニューアル・オープン4月28日」と書かれた横断幕が目に飛び込んできた。4月28日と言えば今日だ。フロントの人は、
「昨日まで、閉まってたんですよ。」
と言って、リニューアル・オープン記念のくじ引き券をたくさんくださった。
3階の部屋からは、アルプスの山々が展望できたが、うっすらと霞んでいた。僕たち夫婦 は部屋でのんびり過ごすことにしたが、両親はすぐに温泉に入りに行った。
温泉は、1階の日帰り温泉と、3階の宿泊者専用温泉の2か所で、両親はあまり歩けないので、3階のお風呂に行くことにした。
夕食の7時までには、まだ2時間近くもあった。のんびりとお湯に浸かっていた両親が部屋の戻ったのは、なんと6時近かった。どうやら、また売店を見てきたようだ。
僕たちも、晩ご飯前にお風呂に入ることにした。1階のお風呂には露天風呂もあるので、日帰り客で混んでいるのを覚悟の上で1階まで行った。
妻と入り口で別れ、脱衣場に入ると、なにやらもものしい雰囲気。従業員の方が走って中と外を行ったり来たり。服を着たまま中をのぞいてみると、老人が倒れていて、バスタオルがかけられていた。意識はあるようだが、まったく動いていない。お客さんたちは、そこを避けるようにして温泉を楽しんでいるようだったが、やっぱり気になるのかちらちら見ていた。3階の宿泊客専用のお風呂に行こうかとも思ったが、広いお風呂なので、入ることにした。
体を洗い、お湯に浸かると、やや熱めのお湯が気持ちよく、温泉独特のぬめぬめ感はないものの、肌をさわるとキュッキュッという感じがした。しばらくすると救急隊の方たちが来て、倒れている老人に水を飲ませながら丁寧に運んで行った。
内湯の中はなんだか落ち着かない雰囲気が残っていたので、僕は露天風呂に出てみることにした。すると、こちらはややぬるめで、僕好みのお湯だ。晩ご飯まで十分な時間があったので、ゆっくりのんびり露天風呂を楽しむことにした。
僕がお風呂から上がると、妻がロビーから「こっち、こっち」と手招きしていた。救急車はまだ玄関の外にいた。
「何があったの。」
「お年寄りが倒れてて・・・。」
と、見たことを妻に話した。
部屋に戻ったのが7時少し前。ちょうど食事の時間だ。
両親と4人で、1階の大広間へと急いだ。
料理は地のものをふんだんに使った献立で、やや薄味の味付けは、僕たちの口にも高 齢者の口にも合い、おいしくいただくことができた。普段は小食の母も、いつもの倍以上とも思えるほど口にしていた。僕でさえ多めかなあと思える量のおいしい料理だったが、両親もたくさん食べ、すごく喜んでもらえたように思えた。
1時間半くらい、おいしい料理を食べ続けた僕たちは、部屋に戻ってすぐにごろんと横になった。両親は元気いっぱいで、またまたお風呂に入りに行きました。のぼせて倒れた老人を見たので、ちょっと心配だったが、父は心臓に持病があることを十分自覚しているので大丈夫だろう。僕たちも、寝る前にもう一度温泉に入ったが、2回目は3階の部屋の近くの宿泊者専用のお風呂にした。
なんとなく、お湯が重いというのか、体がダルい感じがした。1階のお風呂でお年寄りが倒れていたのも、このせいかもしれない。きっと、効き過ぎるくらいの効能があるのだろう。ただ、このダルさは、心地よいダルさで、眠りに就くときには寝るのにちょうどいいダルさだた。寝付きの悪い僕でもすぐに眠ってしまった。
<4月29日>
朝、両親がごそごそと動きだしている音で目が覚めた。まだ6時前だというのに、また温泉に入りに行ったようだ。
8時過ぎに朝食を食べ、9時過ぎにチェックアウトした。チェックインの時にいただいたリニューアルオープン記念のくじを引き、当たった割引券を使って売店に向かった。母と僕たち夫婦はいくつかのお土産を買ったが、父はあまり土産物には興味がないのか、それとも体がダルいのか、すぐにロビーに腰掛けていた。そこで、ロビー横の喫茶コーナーでコーヒータイムをとり、ゆったりとした朝を過ごした。
「ほりでぃーゆ四季の郷」を出て、去年僕が見た大きな道組神のある所に向かった。両 親は道祖神を見るのは何十年ぶりかで、もうどんなだったかさえ忘れていたそうだ。昨日の霞も薄らぎ、中央アルプスの山並みが美しい。雪を被った山も見える。安曇野のゆったりした風景と美しい山並みと道祖神を楽しんだあとは穂高神社だ。歳をとると神社仏閣が好きになるという。両親とのドライブでは、必ず神社かお寺をコースに入れることにしている。
穂高神社は思ったより多くの人で賑わっていた。境内も広く、周辺にいくつもの道祖神が あるということで、身障者用駐車スペースにクルマを停めさせてもらって車椅子で参拝することにした。
本殿と、長寿と書かれた祠でお参りをし、境内の周りにあるいくつもの道祖神を見て回った。すっかり車椅子を押すのも手慣れてきた。
神社を出て周辺の道祖神巡りをすることにしたが、手にしていたガイドマ ップの縮尺があいまいなため、近いと思っていた道祖神も案外遠く、クルマで回ることにした。しかし、すでにお昼も近くなっていたので、車窓から2つの道祖神をながめただけで、豊科ICに向かうことにした。
インター手前のコンビニでお昼ご飯のパンやおにぎりなどを買い、インターに入った。GWでサービスエリアのレストランは超満員だろうと予想したからだ。
長野道・豊科ICから入ってすぐの梓川SAを通り過ぎる時、駐車場がいっぱいになって いた。お弁当を買っておいたのは正解だったような気がした。
岡谷JCから中央道に入り、最初のパーキングの辰野PAにクルマを停め、クルマの中でお昼ご飯にした。パーキングにコンビニがあったので、あらかじめ買っておく必要はなかったかもしれないが、どこのPAにもコンビニがあるとは限らない。
その後は、ひたすら中央道を豊田に向かってクルマを走らせるだけだ。中央道は、やや高い所を走るので、すごく景色がいい。右側の山にはきれいな花が咲き、左にはいくつかの集落が遠望でき、まったく飽きることのない高速道路だ。恵那山トンネルや土岐JCの手前から多少は渋滞があるかと思っていたが、帰り道も混むことがなく、それどころか順調すぎるく らい順調に走ることができた。神坂PAでトイレ休憩をとったほかは、ノンストップで、しかも快適なペースで東海環状道・豊田松平ICまで走り続けることができ、予定よりずいぶん早い4時頃には家に着くことができた。
初めて車椅子を積んでドライブに出かけたが、これなら心臓に不安をかかえる父も「○○散策」の旅に出られる。ただ、小さな段差や溝のふたの隙間は車輪がはまりやすいし、狭い道の路側帯を歩くのもすぐ脇をクルマが通って怖いと感じることもあった。母が押したがっていたが、結局一度も押させてあげなかった。ある程度体力がないと介助は難しいことも知ることができた。老老介護という言葉を耳にするが、なかなかできるものではないことを実感するドライブだった。
まだまだ父は元気で、いろんな所に行きたがっている。今後も、たまにはこうして車椅子 で景色のいい所や雰囲気のいい町並みを両親といっしょに歩いて楽しみたいと思う。