相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

多摩川三十三観音霊場である「三栄山大正寺」

2024-04-22 17:25:49 | 寺院
調布市調布ヶ丘に布多天神社の別当寺(栄法寺)を務めていた新義真言宗豊山派寺院の「三栄山大正寺」はある。創建は大正4年(1915)。「廣福山栄法寺」(上布田)、「紫雲山寶性寺」(下布田)、「三栄山不動院」(布団小島分の上布田宿境)の3ヶ寺が合併し「三栄山大正寺」とした。本尊は大日如来。調布駅北口前を走る都道119号(球甲州街道)布田の布多天神社参道に面して右に重厚な「山門」が構えられている。境内正面に入り母屋づくりの「本堂」(栄法寺より移設)、左に「観音堂」(不動院より移設)、「恵比寿堂」がある。現本堂前に大正4年次乙卯3月19日銘の三寺の碑がある。横たわれた涅槃物、佛足跡がある。明治4年3月、栄法寺で布田郷学校が開校さた。当寺の観音堂は多摩川三十三観音霊場8番札所、また調布七福神の恵比寿神であり、多摩八十八ヶ所霊場5番札所でもある
。(2404)

 
 
 
 
 
 
 

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松前意仙が刻んだ像がある「飛田給薬師堂」

2024-04-22 10:26:55 | 寺院
調布市飛田給に「飛田給薬師堂」なるお堂がある。本尊は元仙台藩士の「松前意仙」が諸国を遍歴した末に、ここを生涯の地と定めて庵を結び、医業の傍ら仏道に志して人々を救済するため自ら「石の薬師尊」を刻んだものである。 尊像完成の後、傍らに掘った穴に入って鉦を叩き乍ら、お経を唱えて 元禄5年(1702)に入定(死去)した。薬師本尊開眼の貞享3(1686)年から300年にあたる、昭和61年9月12日に意仙の遺徳を伝えるため、飛田給自治会薬師尊奉賛会が建立した。堂内には調布市指定有形民俗文化財(昭和49年指定)「飛田給石造瑠璃光薬師如来立像」が安置されている。(2404)
 
 
 
 


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今最も目にする紫色の花「ツルニチニチソウ」

2024-04-22 08:52:26 | 
今、公園や路肩、個人の庭の花壇のでよく見かけるのが紫色をした花の「ツルニチニチソウ」(蔓日々草)である。この花は南ヨーロッパ 原産キョウチクトウ科ツルニチニチソウ属の常緑蔓性植物の庭木、多年草である。 白と青の花もあるようだがあまり見かけない。花は春から初夏にかけ茎の葉腋に青や白色の花を咲かせる。ビンカ属はつる性の多年草または亜低木に分類され、日本では「ツルニチニチソウ」と小型の「ヒメツルニチニチソウ」の2種がある。蔓性でどこか「クレマチス」のようでもあるが、茎が地表を這い、節から根を下ろして広がることから「グラウンドカバー」や「コンテナ」、吊り鉢の縁から垂らすなど、長いつるを生かして多様に利用される「ガーデニング」素材のようである。(2404)
 
 
 




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浅草寺の本坊で国の名勝庭園がある「伝法院」

2024-04-22 07:26:25 | 寺院
台東区浅草、雷門から仲見世通りの西側に「浅草寺」の「本坊」である「伝法院」はある。「大玄関」、「客殿」、使者の間(安永6年=1777再建)、大台所、大書院、住職の間(安永6年以降の再建)などの建造物と江戸時代初期築庭の「廻遊式庭園」がある。寛永年間(1624~44)に小堀遠州により作庭された。当院は江戸江戸時代初期の頃は「観音院」や「智楽院」と呼ばれていたが浅草寺中興四世の宣存僧正の坊号をとって、元禄3年(1690)頃より「伝法院」となった。客殿には阿弥陀三尊像が奉安され、その左右には徳川歴代将軍、そして浅草寺歴代住職の位牌が安置されている。庭園のメイン「大池泉」は北東部と南西部の池に大きく分かれ、2つの池は細い流れで繋がれており庭園全景は国の名勝庭園に指定されている。通常は非公開だが是非一度は入場してみたいものである。(2404)
 
 
 

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