熊本市中央区下通に浄土宗の寺院「祥雲山西岸寺」(大光明院)は鎮座している。寺伝によれば安貞2年(1228)鎮西上人聖光房弁長の開創。別説では肥後国誌では慶長年間(1596~1615)に往生院三世寂誉上人が開創とある。寂誉の跡を継いだ泰岩が寺を中興。西岸寺の由来記によればこの泰岩は石田三成に仕えた戦国武将・島清興が、実は関ヶ原の戦いでは討死することなく鎌倉光明寺で出家した後身といわれる。本尊は阿弥陀如来。庫裡、書院はあるようだが、かつてあった「山門」(細川家の九曜紋が施された扁額は、細川重賢が山号「祥雲山」を揮毫)、「本堂」(「山王」の額は細川忠興が揮毫)は熊本震災で被害を受け今はない。境内には育児地蔵尊(子育て地蔵)、泰岩和尚之塔がある。当寺は森鷗外「阿部一族」に肥後熊本藩主細川忠利の死に際し、殉死を願って許された橋谷市蔵重次という武士の殉死場所として現れる。(2403)
熊本市の中心市街地でデパートやホテルなどの高層のビルに囲まれた中央区上通町に緑あふれる都会のオアシス的存在と空間を有す「カトリック手取教会」はある。この教会は明治22年(1889)創立、パリ外国宣教会ジャン・マリー・コール神父の熊本宣教から始まった。現在地に1894年コール神父によって「教会御聖堂」献堂と「司祭館」が建設された。現在の教会堂は昭和3年(1928)は鉄川与助氏の手で完成された。昭和25年(1950)F・ハンター神父が着任して、これまでのパリ外国宣教会の司牧から聖コロンバン外国宣教会の司牧へと引き継がれた。平成17年ゅ2005)聖コロンバン会から現体制へ引き継がれた。教会精神「あいさつは心の扉を開く鍵」。二階建て聖堂は「ロマネスク様式」の白亜のコンクリート製の教会である。聖堂の中に一歩足を踏み入れればそこには外の騒々しさとは別世界の荘厳な雰囲気に包まれた祈りの場がある。(2403)
熊本市下通に芸事に生きた女性・永田イネが眠るお寺として知られている曹洞宗寺院「慈雲山泰巌寺」は鎮座している。旧仲間町の南端、西の町人町鍛冶屋町と交差する角にあり、東隣は「西岸寺」がある。本尊は釈迦如来。「国誌」によるともとは豊前にあり、創立年代不明、開山は賢宗林とある。寺伝によると「細川忠興」(三斎)が織田信長菩提のため丹後に泰巌寺を建て、豊前入国の時小倉に移し、さらに肥後入国時に八代に移した。その時小倉泰巌寺はなくなり残った末寺の安養寺を不岩が熊本に移し八代泰巌寺末寺とした。「山門」(寺号標)より入山すると正面に入り母屋造り風の「本堂」がある。(2403)