相模大野のまちの魅力を伝えるため、平成16年から始められた模大野のクリスマス大イベント「第11回クリスマスゴスペルライブ」(Xmas Gospel Live)が昨夜(12/25)18:00~相模大野ボーノ広場でが開催された。開始前とライブ中にひらひらと雪が降ってくるという、まさしく「ホワイトクリスマス」となった中、開始前にも関わらず既に100人以上の人が集まり幾重にも列ができいた。ライブ主催者は元サーカスのメンバー「嶋田トオル」プロデュースによる「嶋田トオル with COMODO CHOIR(コモド クワイア)」である。今年で11回を迎えるこのライブには50名~60名による生声の大迫力ゴスペルライブ、今年から新たに20名近くの可愛らしい子どもたちのゴスペルライブも加わり会場は雪が舞う夜空に20曲近いクリスマスソングが響き渡った。華やかな歌声にのせて、心の底から歌う楽しさに観客の手拍子も加わり大いに盛り上がった予定の1時間を越えるライブであった。(1412)
横浜市神奈川区高島台(京急本線神奈川駅と第二京浜青木橋交差点の側の高台)にこんもりと樹木に覆われた曹洞宗の寺院「青木山本覚寺」はある。嘉禄2年(1226)年千光国師栄西禅師が創建の古寺。ご本尊は地蔵菩薩像。ここはもと青木城跡であり、また江戸末期(安政6年=1859)アメリカ領事館として米国公使ハリスの宿所に当てられた。その名残碑として石段上の山門右手に「史跡アメリカ領事館跡」の碑と「開港史跡」が建てられている。開港当初、イギリスは「浄瀧寺」、フランスは「慶雲寺」、オランダは「長延寺」と外国領事館はみな神奈川の地域内の寺院があてられた。また宣教師の宿舎として「成仏寺」が使われた。古びた山門と鉄筋コンクリートの本堂が対照的な本覚寺、見晴らしのいい高台の閑静な檀家寺であった。(1110)
江東区清澄に都指定名勝としてオアシス的存在となっている「清澄庭園」(昭和7年7月24日開園)はある。明治13年(1880)三菱の創始者岩崎弥太郎が「深川親睦園」として開園、庭園面積約8万㎡に隅田川の水を引いた大泉水、築山、枯山水を主体にし園内の各所に全国の名石を配した明治を代表する「回遊式林泉庭園」である。園内の樹木数は4,224本、主な植物はクロマツ、ツツジ類、アジサイ、ハナショウブ、カンヒザクラが見事に配列されて四季の移ろいを堪能できる。見どころも多く中心に池を有する中島にはツツジとサツキの植えられた「つつじ山」、石を配置した「磯渡り」、園内に無数に置かれた名石はやはり目を惹く。池には人に慣れた多数のカメや鯉が鳥がいて餌をあげたりと楽しめる。池周りには数寄屋造りの建物「涼亭」、大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿「大正記念館」が建ち、泉水に木々の緑が映え、訪れた日ならではの美しい表情を創り出していた。(1112)
渋谷区渋谷(渋谷城跡)に「金王八幡宮」(堀川天皇の御代、寛治6年=1092)は鎮座する。渋谷重光の創建。祭神は応神天皇である。御鎮座920年、社殿造営400年の歴史ある八幡宮である。社名にある金王は重家の嫡男常光がこの神社に祈願して金剛夜叉明王の化身として生まれたことに起因する。大鳥居を潜ると境内には頼朝が金王丸の誠忠を偲び名付け植えたという「金王桜」、慶長7年建立の「社殿」、「神門」、「神楽殿」、「金王丸影堂」、「参集殿」等が建ち並ぶ。ここ八幡宮は江戸時代「徳川将軍」の信仰を得ていたことや、「春日局」によって社殿と神門が造営されたとある。総漆塗りの朱色の「社殿」は江戸時代初期の建築様式を留める都内でも代表的な建造物で艶やかである。(1111)
目黒区碑文谷にかつての碑文谷村の鎮守として知られる「碑文谷八幡宮」(別名は碑文谷八幡神社)はある。創建は鎌倉時代で、主祭神は誉田別尊(応神天皇)である。一の鳥居から二の鳥居ある参道を進むと正面に社殿(延宝2年に造替、明治5年に再建、同20年に改築)が建ち並ぶ。ケヤキ、クス、シイなどの大樹が茂る境内は広く居心地がよく心落ち着く。神仏分離令が出るまでは「円融寺」の子院である神宮院が置かれていた。また神社には畠山重忠の家臣榛沢六郎という人物を祀った稲荷社と「碑文谷」の名の起こりともいわれている「碑文石」と勝海舟直筆の「八幡大神」が保存されている。碑文谷八幡が一年のうちで最もはなやぐのは春で立会川緑道から一の鳥居から二の鳥居までの参道はソメイヨシノの桜の花で溢れ見事な「花のトンネル」が造られるとか。桜の時期今一度訪れねばならない。(1211)