東京都三鷹市下連雀に黄檗宗寺院「霊泉山禅林寺」はある。江戸時代初期の明暦の大火により移住させられてきた神田連雀町の町民が浄土真宗本願寺派の寺院として創建したことが興りである。本尊は釈迦木坐像。江戸期には幕府が割り当で現寺域から三鷹駅北側まで広大な所有していた。元禄13年(1770)の台風で倒壊、黄檗宗の賢洲元養が再興し元禄13年12月現在の「霊泉山禅林寺」に改称。当寺は三鷹駅の南方、三鷹市域のほぼ中央に位置し明治初年の「神仏分離令」で独立した「八幡大神社」の隣に鎮座している。構えられた「寺号標=寺門」の先に白い二層の「山門」がある。山門を抜けた境内左手に昭和3年建立「本堂」、右に「方丈」、「禅林寺資料館」、「弁天堂」、「聖観音像」、「宣豊禅師銅像」、「三鷹市戦殁者慰霊塔」、「明暦大火慰霊塔」、「森鴎外遺言碑」がある。方丈裏の墓地には「太宰治」と「森鴎外」の眠る墓がある。(1811)










