★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

救済としての「にごりえ」

2011-03-04 00:04:59 | 文学


今井正の「にごりえ」はあんまり好きではないが、子ども時代のお力がよいのでときどき観る。大学院の演習で挑戦したものの、あまり納得いかなかった「にごりえ」論であるが、死ぬまでに書きたいと思っている。大正期から昭和初期の、日本でのドイツ観念論関係の文献を全く分からないまま読み続けた結果、23歳にしてほとんど呆けかけていた私に、初志を想い出させてくれたのが、独歩の「窮死」や一葉の「にごりえ」なので、ほんとうに感謝しているのである。高峰秀子は「五重塔」を読んで生き返った心地がしたとどこかで書いていたが、私の方は、……「九段坂の最寄にけちなめし屋がある。春の末の夕暮れに一人の男が大儀そうに敷居をまたげた。」とか「おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又素通りで二葉やへ行く氣だらう、押かけて行つて引ずつて來るからさう思ひな、ほんとにお湯なら歸りに屹度よつてお呉れよ、嘘つ吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立つて馴染らしき突かけ下駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり……」といった言葉で何度も精神的に蘇生した記憶がある。たぶん半分嘘だけど……。とまれ、学生に言いたいのは、宗教でなくとも、我々を救うものはあるということです。思うに私が好きな作品、「春さきの風」、「犬」、「にごりえ」、「窮死」、「楕円幻想」(←ちょっと違うかw)などが悲惨な結末を持つものであるように、またイエスの物語が磔や最後の審判で終わるように(←違うかw)、正義や自己防衛では救いは訪れないものだ。たぶん先進国ではもうそうなのだと思う。

右にあるのは、以前、日本舞踊をやっている妹が勧めてくれたCD。栄芝と近藤等則のコラボ(笑)。これで救われる人もいるのであろうか。