
今年の流行語大賞の最有力候補はたぶん「大丈夫」と「直ちに健康に影響のあるものではない」だな……。
被災者が得たい情報は、大丈夫かどうかではない。十分既に、大丈夫じゃないからだ。ましてや政府や保安院(原子力安全委員会はどこ行った?)を信用したいわけではない。そんなものはもともとないし、信用するべきでもない。問題は、どう大丈夫かそうでないかという可能性の幅なのである。可能性の幅を検討しアナウンスすることは、某官庁や某専門家の言ったことをそのまま復唱するわけにはいかず、言う方もそれを解釈する我々も勉強していなければならないから、確かに困難な道であるが、今回のような疑心暗鬼の連鎖をさけるためにはやっぱり必要である気がする。頻繁に行われる記者会見が、2ちゃんねる実況板やツイッターに対する燃料投下みたいな役割をしてしまっている──というより、会見そのものが実況板と化しているのはどうもね……。必要なのは、政府に対する信用の回復や信用の全面否定ではなくて、自分たちで自分たちを何とかするための懐疑的な視点である。といっても、所謂リテラシー能力とそれはちょっとちがうような気がするんだよなあ。リテラシーを強調する人って、だいたい予言者じみた言い方が好きだからなあ。権力をクサすにしても、おれはあいつよりもすごい、という言い方になりがちである。そんな状態では、我々は永遠に、予言と可能性を区別できる人間に成熟しないのではあるまいか。

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今日の月。
赤い月などを象徴表現として使うのも、もう止めた方がいいかもな……幼稚な文学的発想がこの国ではまだまだ強力だから……