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まだ少数精鋭だけ辛うじてがんばっている四年生の花束
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宮台真司と山本直樹の対談「性表現と都条例を考える」(http://www.ohtabooks.com/eroticsf/blog/f68miyadai_yamamoto.pdf)を読みながら、「ブルガリアン・ポリフォニーⅠ」を聴く。ときどき聴くけど、すばらしい音楽であるっ。まさに法悦の境地に連れ去られる。
対談の方は、例の、東京都青少年健全育成条例改正案に対するものである。
宮台氏の相変わらずの瞬発力はすごいなあと思う。宮台氏が言うように、性表現をきちんと規制すりゃ健全な(笑)青少年が育つという発想自体が、あまりにも、頭の悪い学級委員長的な幼稚さであって、……「お前がまずは思春期からやり直せよ(笑)」ですますべきレベルである。私も宮台氏の言うように、本気で性表現を規制すりゃ世の中よくなると考えているのはたぶんごく一部であると思う。大学でもどこでもそうだが、一部の声のでかい×タレは逆恨みすると何するか分からないので、「はいはい」という感じでその場は従っておき、自然的生長的事態の推移によって本質が現れてくるのをまつというのが、我々のよくある身の処し方である。これはある種の弁証法みたいなもん(笑)である。宮台氏はギリシャ的インテリだから、とりあえずその悠長な弁証法ではなく、言説の対置によって流れを速めたい、というクチであろう。それはよくわかる。ただ、こういう時の宮台氏は嬉々としすぎてて、こういう低レベルな条例の存在がないところでは、もしかしたら氏は退屈で死んでしまうのではないか、と思う。私は、かかる事情も日本のインテリではよくある自然的な何かではないかと思っている。
山本直樹の作品は、「レッド」しか読んだことないのでよく知らない。性表現の問題は昨年書いた中勘助の論文で自分なりに考えてみた。そのとき思ったのは、例えば、谷崎や永井荷風をすごいと思うのはいいとして、戦後の大江健三郎「性的人間」や宮谷一彦「性触記」などの作品をきちんと分析しておかないと、日本人は性表現に淫するとろくなことにならないぜ、という上の条例にある固定観念にきちんと反論できないのではないかということである。確かに雑な「子どもを守れ」スローガンに対して、成長には葛藤が必要なので「子どもを揉め」(←宮台氏w)と言うだけでは……。ボケに対するツッコミに過ぎないような気がするのである。