★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

尾道を行く5──千光寺篇1

2011-03-05 23:31:38 | 文学

ここが火事になったら、文学者の碑だけが残ってそれはそれで悲惨な感じだ。


山口玄洞……地元の名士ですね。文学者ではない


ここらあたりの松はどういう根性をしているのだろう……


怒られた気分です。


丁寧な作りです。


山口誓子。千光寺の鐘を聞いての句。厳しい。


柳原白蓮。千光寺の鐘に父母の声を聞く。


鏡石。上の松並の根性で岩の中に入り込んでしまった鏡。人間業ではない(←本当に人間業ではないが……)たしか、この山は古代文明のピラミッドであるという説があった。



近世・近代文学の世界から突然こういう世界に移ると本当にSFのようである。真ん中の物体なぞ、映画の「エイ×アン」にでてくるある物に似ている。私は人間だけの世界の方がいいです……


足早に通り抜ける

(つづく)

尾道を行く4──「文学のこみち」篇4

2011-03-05 17:55:47 | 文学

急に道が険しくなってきました。立ちはだかる障碍。嬉しいいやな予感です。近代文学の予感である。


はい、「暗夜行路」きました。長すぎて何が書いてあるのか分かりません。右下方を見ると……


志賀のプチブルっぷりとは対照的な転落人生の専門家林芙美子登場。

近づいてみたが足場が悪い。後ろに転落しそうになりつつ斜にシャッターを切る。さすが林芙美子にとって最高最悪の思い出がつまった尾道。上に志賀、下に林という格差、滑り落ちそうな足場──意図的な「文学のこみち」のつくり、まことにお疲れ様です。

……「貴女お一人ですか・・・」事務員の人たちは、みすぼらしい私の姿をジロジロ注視ていた。「え、そうです。知人が酒屋をしていまして、新聞を見せてくれたんです。是非、乗せて頂きたいのですが・・・国では皆心配してますから。」「大阪からどちらです」「尾道です」・・・・・・ツルツルした富久娘のレッテルの裏に、私の東京の住所と姓名と年齢と、行き先を書いたのを渡してくれた。これは面白くなってきたものだ。何年ぶりに尾道へ行くことだろう。あああの海、尾の家、尾の人、お父さんやお母さんは、借金が山ほどあるんだから、どんなことがあっても尾道へは行かぬように、といっていたけれど、・・・・(「放浪記」)

ここらへんをちゃんと彫った方がいいと思うよ。

すると、上をロープウェイが通り過ぎていった。

ああ全世界はお父さんとお母さんでいっぱいなのだ。お父さんとお母さんの愛情が、唯一のものであるということを、私たちは生活にかまけて忘れておりました。白い前垂れをかけたまま、竹藪や、小川や洋館の横を通って、だらだらと丘を降りると、蒸気船のような工場の音がした。おお尾道の海。私は海近いような錯覚を起こして子供のように丘を駆け下りていった。・・・・・・・(「放浪記」)

危ないので駆け下りるのは止めた。


緒方洪庵……尾道の道が狭いと言っている。


更に転落人生だ……


巖谷小波「大屋根はみな寺にして風薫かおる」……だから風速を書けというとるのに。


昇り調子は信用できない。


あれ?今来た道を、もう一回行くの?騙されんぞ。

わたくしのひねくれた心

(つづく)

尾道を行く3──「文学のこみち」篇3

2011-03-05 17:25:31 | 文学

いきなり徳富蘇峰(笑)「海色山光信に美なるかな……維新の偉業を振起して来たる」……これで済んでいた時代はよかった……


前田曙山……たしか硯友社の人だったか……こんなところに居たとは。


尾道を通りかかった子規の句「のどかさに小山つづきに塔ふたつ」……はいはい写生写生


物外和尚。「あれは伊予こちらは備後春の風」……風速を書け。


この松の生き様には文学を感じる


十返舎一九「日のかげは青海原を照らしつゝ 光る孔雀くじゃくの尾の道の沖」
これはよい歌だと思う


金田一京助「かげともの……(以下略)」最初の句だけ好き。


また硯友社、江見水陰「覚えきれぬ島々の名や夏がすみ」……まず覚えようとする君がすごい

(つづく)

尾道を行く2──「文学のこみち」篇2

2011-03-05 17:13:13 | 文学

はじめに一覧を見せるのは現代の病だな……

文学のこみちと千光寺の関係やいかに……文学と宗教……大問題だっ



恋人を「犬」と認識している場合は困るだろう……


もうわかったよ


いきなり下り坂……文学が様々な意味で「下降」であることをよく分かってらっしゃる。

(つづく)

尾道を行く1──「文学のこみち」篇1

2011-03-05 16:48:08 | 文学
福山から電車に乗って尾道に行く。目的は断じて文学踏査(遊び)である。


駅に着いたのである。「文学のこみち」への道順は知っていたが、観光案内で丁寧に教えていただき、「ふんふん」と頷く。こういう行為は旅では一種の安心を得るので有効であるっ。案内もいただく。


千光寺山をめざす。

(女賀信太郎「千光寺の山」)

ロープウェイで山の頂上まで行く。このチケットはちょっと現実とは色が違う。



二手に分かれた「文学のこみち」を歩くつもりなのである。が、山の展望台に妙な三人が……



……?目的地を間違えたか?


合ってた。


ベンチに座ってから歩くか……左端に気になる文字が……


……横文字にすなっ

展望台に上がると「恋人たちの聖地」の気分を味わえるかも知れない。


下を向くと


ハートをつくるな、ハートを


神さま……


展望台は激しくつまらなくなったので降りるっ


風強し

岡山を行く

2011-03-05 09:26:42 | 文学
昨日は、岡山で仕事だったが、すぐ終わったので、尾道に向かうことにする。その前に岡山を少しまわってみた。



岡山駅をはじめて正面から見た。石像には背を向けられたっ。


吉備文学館に到着。

岡山は文学者の生産地として有名である。木山捷平が岡山出身だとは知らんかった。

「杉山の松」

杉山をとほりて
杉山の中に
一本松を見出でたり。

あたりの杉に交つて
あたりの杉のやうに
まつすぐに立つてゐるその姿

その姿がどうもをかしかりけり。

……『ショスタコーヴィチの証言』にこんなことが書いてあった。ゴーゴリの「鼻」をみんなおもしろおかしいと言うけども、実際に鼻がとれた人の身になって考えてみればよい、おかしくも何ともない、と。私もそう思う。上の木山の詩にユーモアを感じるというのも私は完全に感覚がおかしいと思う。そういう人は杉の側に立っているのではなかろうか。ちなみにこの詩は確か『メクラとチンバ』に所収されていたのではなかったか。

てくてく歩いて岡山駅に戻り、時間が余ったので、デジタルミュージアムに寄り、「黄金の都 シカン」展をみる。

シカン文化の時期は日本の平安時代ぐらいであろうか。

福山に到着。



駅の形というのはどこも同じだねえ……