★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

【傑作】ジュラシック・プラネット 恐竜の惑星【……の理由を考え中】

2011-03-18 23:39:10 | 映画
 

朝、田島正樹氏のユーモア論を読んでいたらなんだか疲れてしまったので、先日やけくそでかりてきた「ジュラシック・プラネット 恐竜の惑星」という映画をみた。惑星とか恐竜とか巨鳥とか、巨大何とかいう題名に弱い人もいるだろうが、私は高級な文学をやっているのでそんなことはない。むしろ大好きだ。

というわけで観てみたのだが、これはひどい。いま、よいところを一生懸命考えている最中である。一番よかったのはたぶんDVDの箱の絵。

あらすじは以下の通り。自分で書く気も起こらないので、ここのページからコピーペースト。(http://d.hatena.ne.jp/mash1966/20070911/p2)

「21世紀後半、外宇宙探査中の宇宙船に救難信号が! 科学班と宇宙軍の小隊が降り立つと、そこは何故か地球の中世の街並みそのままの世界。しかし肝心の宇宙人は見当たらず、代わりにいたのはラプターそっくりの凶暴な怪物の群れだった!」

てっきりその宇宙人が遺伝子操作で恐竜に変わってしまったとか、しかもその遺伝子操作は人間の仕業だったとか、あまりに陳腐な結末を期待してしまったのであるが、それでさえなかった。

しかし……、あ、いま面白いところを思いついたぞ。

……えっと忘れたわ。

ヒロインは、アリーマイラブの主演女優をふくよかにした感じの人でした。誰だろう?まあいいや。

右の写真は、朝のアンテナと鳥。映画とは全く関係ない。あ、鳥類は恐竜の子孫だ。素晴らしい偶然だっ。

結論:案の定、日本の原発事故の後始末をめぐって世界が「やっぱり日本だった、だめじゃん」と言い始めた矢先に、これを観れば、西洋もたいしたことないぞと思える。

パヌルー化

2011-03-18 01:57:10 | 文学


大災害が起きたときの人間を描いたのものとしてよく想い出すのが、カミュの『ペスト』である。ペストによって外部から孤絶してしまったアルジェリアの街の話である。そういえば、神の罰だ、と説教するパヌルーという神父が出てくる。これに対する批判者も出てくる。この話は寓話だと言われていて、確かにそんな気持ちで読まないと不安になってしまう小説である。私の興味は、このような小説を寓話として理解することによって陥る我々の「パヌルー化」である。どうも今回の大震災は大きすぎて、被害の地域が孤絶している感じがしない。いや確かに孤絶しているであろう地域は沢山あるのだが、たくさんありすぎて、かつ、震災の影響が大きく拡散していくことで〈閉じられていない〉印象が強い。だから私は、そのような感想を持ったのかも知れない。