★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

死んだ眼と不自然で活きた関西弁

2011-03-11 04:29:56 | 漫画など


「レッド」第一巻をちょっと読み直す。連合赤軍をモデルにした話である。確かに、今も昔も我々はこういう顔つき目つきをしている、と感じさせる絵である。眼自体は死んでいるのに、とりあえずの表情はあるという顔なのである。これは彼らのイデオロギーが硬直していたからではないと思う。

左は若尾文子や岸田今日子が出演している「卍」。観直してみた。関西圏に住んでいる癖に、いまだ周りが外国語を話していると感じてしまう私は、関西弁をまだ漫才の言語と認識してしまうせいか、この映画をみはじめると笑いが止まらない。なにかおかしくしてしょうがないのである。聞くところによると、この映画の関西弁は全体的にかなり不自然であり、例えば若尾文子は本当はもっと関西弁が上手いはずなのに、どうかんがえても無理に不自然にしゃべってるとしか思えないそうだ。加之、岸田今日子は何をやっても観てる側がなんだか妙な気分になってくる女優さんだからな。しかし、だからといって「よしいっそのこと非現実の話にしよう」と考えがちな我々の精神は問題だ。ファンタジーが非現実性の面白さを求めなくなり、リアリズム以上にリアリズムにこだわるようになるのは、最近のSFをみればわかる。

「人間失格」を関西弁で言い換えてみようと思ったが、自信がなくてやめた……。