★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

捕縛化

2023-03-05 01:57:19 | 文学


そういえばスイートピーの花よりも、畑一面に作っている豌豆の花の方がうつくしい。同じく鉢植のガーベラの花よりも、田圃路に咲いているたんぽぽの花の方がうつくしい。一つは愛され一つは棄てられている。しかし選んで棄てたものとは思われない、無意識に棄てているのである。選ばれ拾われ愛せられるのも遠いことではなかろう。

――窪田空穂「花」


この「無意識」というのは、言葉によって捕縛されたわれわれのべつのところからやってくるものである。

大正期のプロレタリア文学の評論を読んでると、有島武郎の「宣言一つ」というのはなんだか問題からの逃避のようにもみえる。小説の時みたいな覚悟を決めているかんじが逆にないようにみえるのである。しかし、一般には?、この評論は、その生活をしらぬものが決して見えない、プロレタリアートのみる「世界」の存在を示したことで、さすがの「意識」の所産と思われているのではないだろうか。有島のことだ、このことを言うことで、プロレタリアートとの違いを、プロレタリアートもブルジョアジーも恣意的に引きながら言い訳をする時代が始まったことを意志していないはずがない。白樺派は、アナキズム的だが、幸徳秋水みたいな身に自分を追い込まない方策をも発明した。それにしても宮島資夫というのはなんで出家したんだろう。。。転向問題はそれを深刻に考えたがる人が考えているよりもいつも容易なので、それほど問題にしなくてもよい気はするんだが、気にはなる。わたくしが思うに、有島みたいな人間がいやになったのではないかと思うのである。

我々は、常に個人の区別をしながら物事を運んでいるわけではないが、いざ自分の処世がからむと自己を形成する。遠く小学校時代に、自分の変化する欲望と身体よりも、自己を言語で輪郭化し武装することをおぼえた我々は、つねに危機的な状態に置かれていたからに違いないのだ。第二次性徴でまた言語が役に立たなくなるが、それにしては言語的な研鑽の方が常に行われたのだし、愛着もあるのだ(思春期の頭の悪い乗り越え方の一つである「相対主義」もその一種である。「大人」のせいにするみたいなやつね。。。)言語的なものというのは視覚的イメージもその一種である。これの発達で我々は容易に言語的に自分を縛るようになってしまった。いまや、国家がスローガンを掲げる必要もない。勝手に人民は自分を縛り上げるわけなのだ。

そんなオートマティクな捕縛化のなかでは、「一人も取り残さ(れ)ない」というSDGsの理念は、個人の捕縛化を一層進める恐れがある。そもそも、この理念を言われて喜んでいるのはいままで道徳的に攻撃されてしまいがちな人間の方で、弱者の方じゃない。また巧妙な仲間はずれが始まったなと思うだけだ。そのぐらいの身体的な意識はみんな働いているものなのである。本質的に「いじめ」の問題なのに、人間社会のシステムや政策の問題になっている欺瞞は、みんなが気付いていながら、体が動かない捕縛化のために次々に見逃されてゆく。言語で体が動かなくなると、人間「嘘」をつく意識が希薄になる。

例えば、いじめ論でときどき「いじめる人は軽い気持ちなんです」といじめられた当事者やいじめた当事者が語ることがあるが、よくわからんが、たぶん嘘だ。「軽い気持ち」という言葉通りのものは存在しない。嫌悪感とか腹立ったとかむかついたとかは「軽い気持ち」ではない。十分攻撃的になる意識的理由なのである。というか、換言すれば、何を考えても「軽い気持ち」のやつっているんだよ。そういう人間が「軽い気持ち」といったら、「面白そうだから」とか「いじめたら楽しそうだから」とか「たたきつぶしたかったから」などの意味であることがあるだけである。そして、こういう軽さはいじめられた側だけでなく、我々がいろいろな局面で体験する意識の側面であって、わたしなんかだと物事に熱中しているときの躁的なかんじに当てはまっているような気がする。

「最近**だなあ」と言うと「昔からそうだった」と返されて話が終わってしまうことってよくあるが、これも同様の例であって、きわめてよくない。本当に昔からかというと、大概そうではないし、「最近**だよな」が文字通りの意味でないことも多いのだ。

勉強できる人ってなんか意地悪だよね、みたいな言説がでてくることには個々の異なった理由がある。大概は、ある特定の個人のことを言っているにすぎない。自分が意地悪いことに気づかないタチの人が言っていることも当然多い。また、教育現場で勉強ができることと人がいいみたいなものが対立概念になりがちなのは、相手が子どもだからというのが大きいわけである。そりゃ成績がよい子どもはいい気になって調子に乗る。勉強ができない子は善意で挽回を図る。だからといって、それは人間の本質的な対立ではない。しかし、こういうことは現場の言語的環境がそれを忘れさせる。そもそも教員と子どもの巨大な差異は身体的なものではなく、言語的なものだ。だから、基本的に、子どもに対する定義づけ(と同時に教員に対する定義づけ)みたいなものが武器として使用されるわけである。

しかし、言語的な能力が我々の自意識の安定を支えている限り、それを下げれば現実が見えるかといえばまったくそうではなさそうだ。いわゆる「教員の質が下がる」というのは、かかる抽象的な言い方でないといってはいけないレベルの現実を示している。正確な理解に不安感がつきまとっているから教科なんか教えられるわけがないし、子どもを常に善意で誤解する、自分を守るための嘘をつく、自信がないから偉ぶる、同僚をいじめる、こういうことが、――教員自らの不安感のために起こるということなのである。量的にそういうくだらない世界が増える証拠でもあるのか、といわれりゃそんなもんはない。しかし我々の欲望と身体に照らせば、かならず量的な増大をともなうな、と感じられる。

言語的能力がさがるというのは、具体的には、言語に依存するようになるということなのである。よく殺人容疑者が「誰でもよかった」と言っている。これが文字通りの意味なのか想像もつかない(「誰でもよかった」というのは「**を*したい」よりもある意味殺意の大きさを感じさせないところがあり、どうも言い訳の一つではないかとも思われる――)が、似たような言い方で「どんな子どもでも受け入れる」と言う教師がいる。私の経験だと、こういうことを「言」う人は結構残忍な人が多い。そりゃそうだよな、もはや個体差が気にならねえんだから。言語に依存する典型的な事例である。「一人もとりのこさ(れ)ない」理念は、大概の人にとって広いおおらかな心の状態を導かない。悪意と乱暴な言葉と行為にさらされて葛藤に耐えることを示している。我慢しすぎて、つい弱いものいじめに走るのが一番高い可能性であるのは言うまでもなし。

このような「文字通りとってしまう問題」は、一種の症状?として発達障害論でもいろいろと言われているが、――例えば、その一種なのかも知れないが、自分に言われた批判をすべて自分ではなく他人への蔑視に積極的に使うみたいな現象もある。わたしはこういうのは発達障害の問題とは思えない。メタ認知みたいなもので解決できるとも思えない。メタ認知的なものはむしろ自分と他人を等し並みに相対化しがちなのであって、あたかも自分の問題が他人と同じくスルー出来るみたいな感覚を起こさせ、上のような現象となりかねないのではないだろうか。なにか「メタ」みたいな考え方が間違っている気がする。私の経験の範囲内だとそんな気がするのである。「メタ認知」っていうのは、文章の読解の不能、自分のミス、人間関係のトラブルの再考にもつながるけれども、それはたいがい逃避でもあるからその羞恥心から自分に再着陸すべきものだ。が、再着陸だけは絶対にないということがあり得るのである。そこで生じるのが自分には絶対に回帰しない批判である。これは、自分をあまりに世界と区別し相対化したために起こっているのではなろうか。この症状が進むと自分の行ったことでも自分が行っていないような気がし始める。嘘つきのはじまりである。

たしかに、こういう嘘つきは、答えをただアウトプットするだけの勉強によって支えられているのかもしれない。答えが自分とは関係なくてもよいのだから。しかもそれを我々は嘘と感じない。他人がそう言っていたから自分も言うだけだからだ。しかしこれが自分の責任なしに言うこと自体が「嘘」の一種であることが分かるようになるために大学での勉強があるのである。出来もしないくせに「一人もとりのこさ(れ)ない」ようにガンバル、と言ってしまうことも「嘘」である。最悪なのは教育現場に出てく学生がほとんどこういう嘘をつきながら卒業していってるケースが増えてきたことである。卒業論文をみているとそういう嘘が顕著で、つまりはっきりしてないのに「ということが分かった」とか「と考える」みたいな口調で下手するとさいご「これからガンバル」とか書いている。これが嘘つきとみなされないのは「学校」だけだ。(いや、そうでもないから困るんだが)とりあえず、少しでも成長したことが目的化している組織のなかでの話だ。論文の指導要領化というか、なんというか。自分に命令しているくせに、命令を聞く気がない。――本当は、命令が嘘だと自分の欲望と身体が知っているからである。

当たり前であるが、現場というのは、そういう嘘としての勇気の持ち方が案外重要で、そうじゃないと気が狂ってしまうというのがあると思う。しかし、ある種の人間は、いや、誰でもそういう嘘を信じちゃうんだわな、いつのまにか。先生がお山の大将だからというより、実践的な行動につきものの性格だ。これに知の冷や水をかけるのが大学などの役割である。協働とか、ましてや大学自体の教育機関の下部組織化・附属化など、上のような人間の本性をわきまえない狂った意見である。

学校経験のある人間を何割か教員養成学部に、というはなしが一部で話題になっていたが、――小学校教師の家に生まれ、教師のなかの人間関係やら教員の出世欲みたいな話題に触れる機会があったわたくしからすると、あーぁという感じもする話でもある。暴露でも何でもなく、教師のなかには一定数、大学で教えたいという希望を「野心」のように持っている人間がいて、別にだめだとはいわんが、そういう人間が現場でどういう人間であるのか、どんな風に思われがちなのか、例えば附属学校の経験者がどのように思われがちなのか、――そんなくだらない人間的情景を無視してはいけない話なのである。よく大学で、実践家はつい学問ではなく昔話をしてしまうからだめ、みたいな批判があるが、わたくしはそうは思わない。昔話や体験談だって考える契機や学問的な契機として面白けりゃ意義があるに決まっているからである。論文ではない業績が人間そのものにある場合だってあるに違いない(むろん、学問をしていないということは、上記の言語への依存に陥っている可能性が高いわけだからたぶん。。)めんどうなのはそこだけじゃなくて、実践家が大学に対して持たされてしまった複雑感情の問題である。これは非常に厄介な問題で、これを「知的コンプレックス」みたいに言語的に矮小化してはならない。大学が長年にわたって、権力と一緒になって現実に対して、下らぬ「言語的」改革に手を貸してきたみたいに思われているところは無論あって、大学は面従腹背してきたつもりがそうはみえていないのだ。だから、生身の人間が乗り込まざるを得ない、感情的にはそんな感じなのであろう。――この一点取ってみても、事態は簡単ではないことは明らかだ。

我々の世界は、容易な言語への依存で、抑圧された欲望と身体をもてあまし、平たく言うなら、感情的にかなりこじれた社会を形成している。

追記)

言語への依存ということで思い出すのが、野球である。
今日は佐々木朗希投手が、日本人最速165キロをだした。また中日は相手になんかの記録を捧げてんのか、とわたくしの言語への依存が呟く。わたくしの脳裏には、カープの前田2000本安打の歓声が聞こえたし、ネットでみた、私が生まれた頃、江夏にノーヒットノーラン+自分でさよならホームランをやられたドラゴンズの姿も想起されたからである。

そしてわたくしはその依存を一生懸命解くのである。――そういえば、たしか岸信介が安保の時に「デモ隊よりも後楽園の客のほうがおおいだろ」とかいってたと思うが、それは巨人ファンという日本の高度成長を支えた羊人民たちのことであって、金田の完全試合の時になんか暴動起こして審判を半殺しにしかけた中日球場のファンのことではない。

完全性への労働

2023-03-04 23:49:01 | 文学


手はいと小さきに、弾き鳴らし給へる音、さらに心もとなからず、いとかしこく心得給ひて弾き給ふ。片時に、調べは弾き給ひつ。次に、 また、曲の物一つ教へ奉り給ふに、いと同じく弾き取り給ふに、尚侍のおとど、さべきにて、かくおはすると見奉り給ひて、ゆかしくなむとて弾き立て給ひ、掻き合はせ給へるほどに、涙の落ちつつのたまふ、「昔、四つにて習はし給ひしに、心には入れながら、ほどもなくて、乳母の膝に居ながら、手どもは弾き取りて、音をよく弾き伝へることは、七つよりなむ、『大人の琴の音になりぬ』とのたまひし。これは、大人だに、琴の音をかくうるはしうは弾き立つることは、えせぬものを」と聞こえ給ふ。大将、かくおはするを、本意はかなひぬべかめりと、うれしうおぼえ給ふこと限りなし。

物語の必然として、やはり琴の天才だった「いぬ宮」であった。もはや教育が必要ではないようにおもわれるがそうでもない。このあとも疲れないようにレッスンは続くのであった。シモーヌ・ヴェイユは『根をもつこと』で、民衆に霊感を吹き込む方法はプラトン以来まったく手つかずの状態なんだと言っているが、ほんとは、琴の才能だって霊感の一つなのである。この存在によって、政治やら何やらのことではなく、琴の伝承そのものために親は子のために労働する。天のなす才能は無限定なる物と限定や制約が完全に構成されている、我々がそれ服従する労働も故に完全である、というわけだ。ヴェイユは、雷もむかしは神と地上を結ぶ完全な完結性の表象だったと確か言っていた。

思うに、地震などの自然災害もわれわれに労働を強いる完全性を示すように、我々には感じられているのかもしれない。我々が理由なしに労働しているのはそういう出来事からの「復興」のときだけだ。しかし、そんなおおざっぱな精神では、我々は地震の時に、原子力発電所からいかに身を守るのか、自衛隊はどのように活動するのかという具体的なことを計画する地点にいつまでもたどり着けない。

我々は、だから人生でもなるべく「復興」すら避けようとしている。第二次性徴期の「自然」のごたごたですらそうなのだ。「ドラえもん」というのは、のびた、スネオ、ジャイアンという「3バカ」でも普通に生きられる、「自然」災害以前の小学校の世界を愛でている。第二次性徴をむかえた3バカの世界、受験や職業差別で根性がねじ曲がってゆく3バカにとって、ドラえもんが出すものは非常にやばいものとならざるを得ない。考えただけでも怖ろしいとおもわれるね。だから、いつまでたっても「ドラえもん」は終わらないし、最近は、かれらが「3バカ」であることもやめている模様である。

かく思うわたくしは、――うちの庭に来ている雀たち、かわいいふりしてやってることは集団押し入り強盗無銭飲食であることに気付いた。

囚人墓を訪ねる(香川の地蔵30)

2023-03-03 17:14:46 | 神社仏閣


詰田川。これは雨の時には水位上昇が心配だ。。



。。。。

わたくしの田舎にも近くに刑場や火葬場、牢屋などがあった。関所があったから、関所破りをした人間が逃げたところをどうした、みたいな場所もあったであろう。上の段地区なんて、山城の工夫なのか、関所破りで罪人が迷うようになにかわからんが、曲がりくねっており、待ち伏せして罪人を切り捨てたり捕縛する仕組みである。藤沢周平の小説なんかだとわが八沢地区はちゃんばらの舞台だ。

われわれの先祖たちは、罪人たちと死体と共存してきた。



案内板に曰く、

宝暦年間、役人が囚人を連れて刑場へ向かう途中宝蔵院渡し(高徳線鉄橋付近)を渡り対岸に着いた時囚人が逃げ出したので、役人が追いかけて切り捨てた。これを知った村人が囚人を哀れんで、お地蔵さんを建てて供養したものと伝えられている。

と。いまでも新開西地区の十五軒の人々が盆供養するという。

 

宝暦十一年辛巳 木太村 三界万㚑 念仏講中 十一月□日 
世話人 好太郎 与助 弥右衛門 恒次郎

流れ論

2023-03-02 23:00:28 | 文学


大将、院に参り給へるに、「古き所、めづらかなるさまに、楼など造るべかなるは、いかなることあるぞ。男ども、『いとをかし』などとこそ言ふめれ」とのたまはすれば、「なんでふことも侍らず。 いぬ宮の、静かなる所に侍れば、かしこにて習ひ給ふべきなり。 尚侍、 『今は、 やうやう身篤しく侍るに、この手伝へとどめむこと、今は、誰にかは』と侍るを、昔のやうにも侍らざめれば、仲忠、朝廷に暇賜はりて、心静かにてものし待らむ」と奏し給へば、いと御気色よろしくて、「げに、さるべきことなり。それこそは、いと便なきことにはあなれ

仲忠はいぬ宮への秘琴伝授を思い立つ。ここには仲忠と朱雀院の対話があるが、そこには、殿上の男たちや尚侍の言葉が含まれている。これは言葉の連結かいなか?それを決めるのは「物語」の大きな流れである。

教員の研修とか何やらには、やたら連携連携と煩わしいが、大きい思想がないのに、いろんな人間の知恵にその都度頼ろうとしてもうまく行かないのは当然で、それが認められないから当為だけをがなり立てることになる。難しい具体的な問題があるときほど、やたら連携が叫ばれるのは、連携をしても大概うまくいかず、にもかかわらず、誰かが頑張った実績だけは発生する。責任転嫁の言い換えとしての連携による虚の業績は、むかしは「全体主義」といっていたあれである。そこにはその実「全体」がないのだ。経済政策的な全体主義は、ただの大量動員である。文化的核みたいなものが存在していないと本当の「全体」は現れない。それはまだ「流れ」みたいに言った方が誤解を生まないような気もする。

教員採用で、なにゆえ採用に落ちた人間が講師になって大量に赴任しているのか。落ちた人間が将来的に有能であるという確証は持てないけれどもまあそこそこである、という前提はいつも、いつまでも通用するのか。通用するわけがない。それこそ、人間の多様性を本当は見ることをしたがらない教育界の弱点が能く現れた政策である。――というより、我々は教育で何を教えるかという、内容的な目標を失っているのであろう。当然、人間の文化を教えているのであるから、それこそ教える量はそこそこでよいが、かならず網羅的でなければならない。ここに、個人の好みや要求みたいな文化的にみれば極めて「部分」的な観点が目的化しすぎて「全体」が分からなくなったのである。だから小市民的要求というのはいつも駄目なのだ。

本当に教員が足りないのかどうかはしらない。が、仮にそうだとして、それを改善するのに給与も確かに問題だが、精神的な自由が保障されていない職場にまともな頭脳がわざわざいくであろうか。もっとも、その精神的な自由がどのようなものか多くの優秀な頭脳にも分からなくなっていることは問題である。精神的な自由は、その実、個人の欲望みたいなものを撥ね付ける自由=文化的持続性の保持を前提にするものだ。外圧が同調圧力となって襲う日本の「自由」はどちらかというと伝統への束縛という側面を持つのである。ピラミッドの中を調べる研究ってなんか役にたつのかよ、文学研究に比べてえ(酔)ピラミッドは市民的趣味として確立しているからイイのかもしれんが、あれはアフリカのお墓で我々のじゃない。

確かに、べつにアフリカでもインドでもどこでもいいのだが、――我々につながっていることが必要だ。わたくしはその意味で、どこだかに行って天から受けた琴の天才となって帰ってくる人間から描き始める宇津保物語がわりと好きである。一方、地上的・宮中的に輝く、源氏物語は、一貫した流麗なテンションのわりにきちんと巻ごとの統一性もあって、すごく言い方がわるいんだけど、頭の悪い女房にもわかったんじゃないかと思うのだ。あの単位ならなんとか理解出来る。日記文学がむかしから流行ってんのも日ごとに別れてるからだ。その点、宇津保は話がずっとひとつなのでわかりにくい。血のつながりと求婚物語と立坊争いでとにかく話を持たせようとし、最後に琴がやっぱり回帰してくる。色好みのとっかえひっかえの非連続的連続性でおしてゆく源氏のほうがなんとなくわかりやすい。宇津保物語から好色一代男は出てこないけど源氏からは出てくる。源氏への憧れが私小説的な更級日記みたいなものとなり、物語は心理的に隘路に陥り「夜半の寝覚」はなんだかうまくいかないという。。源氏物語は一種の「作家の誕生」だったんだろうと思う。それは「流れ」の止揚であり、滅びのはじまりである。

うちの庭の雑草のほうが光源氏よりも繁殖力が強いといへよう。わたくしは雑草の味方でいたいのであろう。雑草は生の「流れ」のうちにある。

むかしピアノの先生に、次のメロディーに会いに行くようにいまのメロデイーを弾くんだと言っていたが、そういうことはいろんな場面に見出される。

佐助痛くはなかったかと春琴が云ったいいえ痛いことはござりませなんだお師匠様の大難に比べましたらこれしきのことが何でござりましょうあの晩曲者が忍び入り辛き目をおさせ申したのを知らずに睡っておりましたのは返す返すも私の不調法毎夜お次の間に寝させて戴くのはこう云う時の用心でござりますのにこのような大事を惹き起しお師匠様を苦しめて自分が無事でおりましては何としても心が済まず罰が当ってくれたらよいと存じましてなにとぞわたくしにも災難をお授け下さりませこうしていては申訳の道が立ちませぬと御霊様に祈願をかけ朝夕拝んでおりました効があって有難や望みが叶い今朝起きましたらこの通り両眼が潰れておりました定めし神様も私の志を憐れみ願いを聞き届けて下すったのでござりましょうお師匠様お師匠様私にはお師匠様のお変りなされたお姿は見えませぬ今も見えておりますのは三十年来眼の底に沁みついたあのなつかしいお顔ばかりでござりますなにとぞ今まで通りお心置きのうお側に使って下さりませ俄盲目の悲しさには立ち居も儘ならずご用を勤めますのにもたどたどしゅうござりましょうがせめて御身の周りのお世話だけは人手を借りとうござりませぬと、春琴の顔のありかと思われる仄白い円光の射して来る方へ盲いた眼を向けるとよくも決心してくれました嬉しゅう思うぞえ、私は誰の恨みを受けてこのような目に遭うたのか知れぬがほんとうの心を打ち明けるなら今の姿を外の人には見られてもお前にだけは見られとうないそれをようこそ察してくれました。あ、あり難うござりますそのお言葉を伺いました嬉しさは両眼を失うたぐらいには換えられませぬお師匠様や私を悲嘆に暮れさせ不仕合わせな目に遭わせようとした奴はどこの何者か存じませぬがお師匠様のお顔を変えて私を困らしてやると云うなら私はそれを見ないばかりでござります私さえ目しいになりましたらお師匠様のご災難は無かったのも同然、せっかくの悪企みも水の泡になり定めし其奴は案に相違していることでござりましょうほんに私は不仕合わせどころかこの上もなく仕合わせでござります卑怯な奴の裏を掻き鼻をあかしてやったかと思えば胸がすくようでござります佐助もう何も云やんなと盲人の師弟相擁して泣いた

例えば、「春琴抄」は句点の省略で先の文にはみ出して読まれてしまうので、読者にとってその文章は行きつ戻りつ波のように進んで行く。この語りは春琴でも佐助でも語り手の者でもない。ここでジェンダー的な分割は難しい。大江も句点を読点に変えたりする。明治時代では句読点の扱いは試行錯誤でいろいろあったしね。。

泣きたい時代におけるボケとツッコミ

2023-03-01 23:53:40 | 文学


御膳一口含め奉り給へば、食き給ひつ。喜びて、脇息に尻かけて、掻き抱き上げ給へば、心知らひたる人ぞ、抱きつきて侍る。
おとど、 弓走り引きて、うち声作り給ふ。大徳たち近う候へど、加持高うもせさせ給はず。「弱き人は、それに惑ひ給ふものぞ」とて、みそかに読ませ給ふ。真言院の律師一人、いちはやく読む、いと尊し。おとど、「かかる折には、人多くな候ひそ騒がし」とて、御湯度々参りて、弦打ちしつつ、声作り居給へるに、寅の時ばかりに、いかいかと泣く。


以前、近所の赤ん坊は確かに「いかいか」と泣いていた。昔の人は正しい。

赤ん坊はなぜ泣くのか。まったくおぼえていないのであるが、どうみても人生最大の試練をくぐり抜けた後なのだ。母親の苦しみが、赤ん坊に乗り移らないはずはない。母親だって泣きたいところだ。しかし人間の意識がそうでない態度をとらせているだけだ。牛や亀でも出産の時に泣いている。

ピンチの時には人間も本当は泣いている。ピンチでないときには静かにしている。例えば、春になると、うちの庭では朝たくさんの雀が楽しそうに食事しているので、わたくし邪魔しないように静かに食べるのだ。

粕谷一希氏がどこかで言ってたが、昭和時代の人たちが走り書きやノートという表題を好むのは不安の時代以降だったから、と。そんなもんかなとはおもうが。。「不安の時代」は、欺瞞的なのだ。本当は不安どころではない。恐怖で泣きそうなのである。当時の若者達に「不安」だと言わせていた権力者たちの罪は重い。中野重治の「芸術に関する走り書き的覚え書」というのは、題名にもう覚え書きですらない感じが出ているが、中野だって泣きそうだったのである。この泣きそうなかんじは、日本浪曼派によく似ている。

全世界のプロレタリアート団結せよ→「プロレタリア独裁」の体のリンチ、は案外よくある過程に見える。しかし、いつも我々は「→」のプロセスが分からない。というか、プロセスは大概わからなくて、人々は物語をつくる。当時、そのプロセスは戦争となって顕れているようにみえたのかもしれないが、考えてみると、その「戦争」は、まだ物語的であった。それは、「帝国主義的戦争から革命へ」みたいな大系を背景にした物語があったし、「全体主義」と「民主主義」の戦いというのもあった。そういう物語にいじめられた体験から戦後急激に自分の絶対化に走る輩もいたが、これはほぼ病気であるから無視してよい。自分を世の中の一部としてなんとか抵抗する人々は、空を眺めてなにか雲のようなものに縋ろうとする。

そういう雲が断片的な走り書きになってあらわれるのである。それは、呆けてもいるし、ボケてもいるが、同時に自分に批判的であり、ツッコんでもいるのである。

学生の会話や出し物などから、ボケとツッコミすらなくなってきている。これは、極点にすごくアナーキーな病者や頭の悪い権力があるからだ。それらから身を守るため、安定を求めて多くの人々は批判もボケもない物語に走るのである。しかし、それだけでは、到底やっていけないのがよのなかである。卒業する学生達に言いたいのは、そういうことだ。三島由紀夫も言うように、我々は自分のことだけを考えているほどには強くない。何かのために行動するときに強くなる。そのうちに、自分に対しても適度にボケたりツッコんだり出来るようになるはずである。