★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

法と対面

2023-03-18 23:00:20 | 思想


子曰、導之以政、斉之以刑、民免而無恥、導之以徳、斉之以礼、有恥且格。

法の支配によって恥知らずが増えるというのは、たしかにいまの日本をあらわしているようではある。法の抜け道ばかり探している政治家が法の支配を言い立てる。これは当然の現象である。大学生の頃、「ビバリーヒルズ高校白書」というのがテレビでやっていて、ドナ・マーティンという女の子が校則違反か何かで退学?になりそうなのを学生がデモをして助けるみたいな話があった。そのときに主人公の男の子が「校則は破られるためにある」とか言っていたのをおぼえている。詭弁のようにもおもえるが、校則はそれが存在するために殊更に破られてしまう、みたいな意味であれば分かる気がするわけである。このドラマ、最初から、我が儘放題に育ってそれゆえ病みつつある若者たちが、規範とともにどう生きてゆくかみたいなのがテーマだったと思う。思春期の悩みみたいなテーマじゃなくて、欲望と失敗と規範との関係を描いていたところが面白かった。だから人気が出たんだと思う。

日本の場合は、その規範がもっと外在的であるという特徴がありそうだ。だからありがたくもあり、本当は信じてもいない。法律や規範がマレビト的に機能する。たぶん私の周囲の学生だけではないと思うけど、コロナ禍で対面でのかかわりが減ったら、男女の集団的な断絶がみえるようになった。女子と男子に別れてしまって、これだとジェンダー的なトラブルも多くなるし、特に女子が男子をバカにするみたいな現象がおきがちにみえる。こんな小学生的な分裂が起きるのは不思議であるが、「大人の対面の付き合い」が、ジェンダー的な硬直化を進めると同時に中和していたと言わざるをえない。対面での付き合いがないと、これまたジェンダー論の新たな倫理みたいなものも外在的に働くことがない気がする。

大谷やヌートバーへの騒ぎをみていると、かれらもやはり一種のまれびとで、もっというと正月や盆に帰ってくる我々ではない何者かであって、案の定、大谷は人間じゃなくて未来のアンドロイドみたいなことを誰かが言っていた。はじめはイケメンでかわいいからだと思っていたがそうじゃない。王や力道山がそうであったようなものであろう。

川の夢

2023-03-17 23:37:57 | 文学


その夜かの女は何年か振りで川の夢を見る。
 一面の大雪原である。多少の起伏はある。降雪のやんだあとの曇天で、しかもまたその後に来る降雪を孕んだ曇天である。一面に拡く重い地上の大雪原の面積と同じ広さの曇天の面積である。曇天の面にむらがある。地上の大雪原の面にも鉛色めいたかげりと漂雪白の一面とが大きいスケールのむらをなしてゐる。


――岡本かの子「川」


短歌と怪獣

2023-03-16 23:56:36 | 文学


僕はお金が話したままをそっくりここに書こうと思う。頃日僕の書く物の総ては、神聖なる評論壇が、「上手な落語のようだ」と云う紋切形の一言で褒めてくれることになっているが、若し今度も同じマンション・オノレエルを頂戴したら、それをそっくりお金にお祝儀に遣れば好いことになる。


――鷗外「心中」


文学やなにやらが、他のジャンルとどのような関係にあるのかはいつもの研究のテーマである。上の「上手な落語のようだ」が紋切り型であるゆえんである。

そういうテーマが重要な理由のひとつは、作家の営為が、たいがい三つぐらいのジャンルを往還しながらのものであるからである。大きい思想家だと、それは学問のジャンルの同時進行や往還となるが、そこまでいかなくても個人はいつも複数のことを行っている。

今日は、「ゴジラ」の原作者である香山滋の全集を眺めていたのだが、彼はよく知られているように短歌出身の作家であり、晩年に短歌集まで出版し、短歌の世界に帰りたいとも言っていた。香山は、白秋門下の筏井嘉一の周辺にいた。筏井は白秋から離れモダニズム短歌に進んだ。このあたりはほとんど勉強したことがないのだが。。。

数たのむ敵 B29わが屋根のうえ行きたり憎さも憎し

空爆に群衆ひしめくときのまも蝶蛾やさしくうまれつつあり

短かる若さうばいてあだいくさ十年けみしつわれ老けにけり
みんなみの山の奥蟹取り果ててかいなく死にし友やいくたり
北溟のとぼしき海藻漁りつくしかいなく死にし友やいくたり


最後の3首は敗戦の時のものであった。わたしは必ずしも、彼の戦時中の歌が紋切り型で罪がないとは思わないし、小動物にたいする関心が怪獣に繋がるともおもわないが、――むしろ、「われ老けにけり」という感慨の方は重要だと思う。この無駄に老けた世代の活躍には注目すべきだ。第二の青春世代よりも重要だ。この世代の罪とふんばりを無視するから、アプレが若い者の記憶として単純化されたのである。

禁欲性と大きさ

2023-03-15 23:33:06 | 思想


学而時習之。不亦説乎。有朋自遠方来。不亦楽乎。人不知而不慍。不亦君子乎。


学んだり復習したりすることが楽しいというのは禁欲的な態度で、楽しいというのは保証されていないのだが、禁欲的であるために楽しいと言わなければならない。友は近くにおらず遠方からくる。むろんいつも学んでいる人間には簡単には遊び友達というもの自体がいないものである。そして真の友とはそこらにいる奴ではなく、遠くからくる人間、やってこないかも知れないレベルの人間である。これも学ぶことの喜びなみに希少なことである。人が自分を知らないからといって不満であってはならぬ。確かにそういう気持ちは普通あるが、それを抱かないことこそが教養人(君子)というものである。これもあり得なさそうな希少な可能性で自分を支えてこそ、我々がまともでいられるということを示していると思う。

これはしかし、われわれにとって、自らに我慢を強いるためにこそ、楽しさとか教養人であるみたいな矜持を必要とするようなきついやり方であって、どうもなんというか、現実、それだけでなんとかなるものではない。人には、虚栄心やサボり心だけではなく、好みというものがあるからである。

わたしは中学生の頃から村上春樹がなぜか何回読んでも好きになれず、いろいろ理由はあるんだろうが、今日気付いたのは、なんか単純に本の装幀が好きじゃないんじゃないかという気がしてきた。憎さあまって袈裟までも、ではないような気がする。こういうことすら好みの問題であって、村上春樹を読むのは楽しいではないか?と説教されても、そうですか、としかいいようのないものである。

どうも文字ばかりの小さい本や画面だと、この「好み」の問題は、なにか漠然としたものになってしまう。もう少し「好悪」の密度が博く目の前にあったほうがよい。わたくしはつい、村上春樹の文字に対して装幀の大きさに負けたのかも知れない。さっき、マンディアルグの「レオノール・フィニーの仮面」を生田耕作の訳で読んだ。こういう大きい本で絵がついているのは楽しいな。なんか文庫本やスマホは小さいところが似てて、われわれの意識を小さくしている気がする。源氏の時代、巻物は、スマホよりは大きかったはずだ。大きい流れるような字でかかれた源氏物語は、まるで、歌の部分なんか、自分に対して読まれているようだったにちがいない。

患己不知人也

2023-03-14 19:16:22 | 思想


子曰、不患人之不己知、患己不知人也。

木曽町の水無神社には、中山道から逸れて駒ヶ岳にむかって歩いて行くと参道に行き着く。で北方向に伸びる参道を歩いて境内に至って駒ヶ岳の方を振り返るとすごく壮大にみえるわけで、水無神社がなぜあそこにあるのかは、街道からそれてそこに行き着く行程のすばらしさからも決まったのではないかと思っている。

こういうことは、いろんな神社を巡った結果、なんとなく感じられたことではあるが、別に神社と駒ヶ岳が教えてくれたわけでもない。だからといって、私が知ろうとすれば知れるわけではない。ほんとはどうだか分からないからである。

それはともかく、人は大概、外に通じる道(街道)と、外ではあるが人間界ではないところの外への道の、分岐点に立っている。これは、形而上と形而下の話ではなく、どちらかと形而下の話である。わたくしの実家は偶然だろうがそういうところにある。

「南京の基督」はすごく構成がリズミカルで、芥川龍之介の創作の運動神経の良さが現れているが、結局舞台が私娼窟であることで現実以上のものを原理的に呼びつけてしまう。こういう構造が気に入ってしまえば、世の中は私娼窟だといいつづけなければならなくなる。そもそもキリスト教がそういうところがあるが、芥川龍之介は身を以てそういうことを書き続けた。

 金花はその男を一目見ると、それが今夜彼女の部屋へ、泊りに来た男だと云ふ事がわかつた。が、唯一つ彼と違ふ事には、丁度三日月のやうな光の環が、この外国人の頭の上、一尺ばかりの空に懸つてゐた。その時又金花の眼の前には、何だか湯気の立つ大皿が一つ、まるで卓から湧いたやうに、突然旨さうな料理を運んで来た。彼女はすぐに箸を挙げて、皿の中の珍味を挾まうとしたが、ふと彼女の後にゐる外国人の事を思ひ出して、肩越しに彼を見返りながら、
「あなたも此処へいらつしやいませんか。」と、遠慮がましい声をかけた。
「まあ、お前だけお食べ。それを食べるとお前の病気が、今夜の内によくなるから。」
 円光を頂いた外国人は、やはり水煙管を啣へた儘、無限の愛を含んだ微笑を洩らした。


いったい、この外国人が基督であると言えるかどうか、といえば、言える場合もあるのだ。外国人は、相手の金花をなんとも思っていないのであろうが、彼女の方は基督だと思った。相手の外国人に恋をしていたからである。「不患人之不己知、患己不知人也」(人に知られないことは恥ずべきことではなく、人を知らないことを恥じるべき)とは、こういう場合には疑えない真実となる。そうでない場合は、勉強の強制である。

ケンさん死す

2023-03-13 23:01:28 | 文学


子曰、誦詩三百、授之以政不達。使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲。

今日は、3日に大江健三郎がなくなっていたことが報道された。ついに我々は大江後の世界に突入した。わたくしは物心ついたら既に三島が死んでいて、二十年間生きた結果、今度は安部公房や中上が死に、――近代文学もついにおわったか、いやまだケンさんがいるとおもって三十年生きた。で、ついにケンさんもいなくなった。世の中は、どんなに人との関係性が重要でもヒーローも必要である。ケンさんはヒーローであった。

「小説の主脳は人情なり」。「人情とはいかなるものをいふや。曰く、人情とは人間の情欲にして、所謂百八煩悩こ是れなり」、これを実現しただけではない。政治と文学の統一に於いて実現したのである。三島の場合は古今集や能の世界にほんとに片思いに惚れていた。で、この世からおさらばして古典的死を以て古典の世界の仲間入りを果たした。――とても面倒だ。コンポん的に、「心中」の文学に自ら参入した太宰と一緒で虚実を飲み込み苦悩する死に方だ。んで、しかしながら、大江の場合はあまりに現実の煩悩がすごすぎて、憲法九条にも情欲を感じてしまうのである。安部公房はえーと、政治から撤退し箱の中から看護婦か女優を覗く。

大江だけが政治文学と切り離せない「小説神髄」を本質的に飲み込んだ。

大江の「九条の会」的な「いいこちゃんぶり」を好きなひともいて、よくわからんが、「新しい人よ目覚めよ」なんか、は文学キライとかいうてた人をも感激させるものであった。どうして感激したのかはしらん。障碍者の息子とともに文学をした。たぶん、この関係性にすら情欲があった。同世代の谷川俊太郎に、たしかシダと性行為みたいな詩があったけど、やっぱおれは自涜で天皇陛下がつい現れちゃう大江の方が、酒飲んでるときも読めると思う。大江健三郎はあれなんだよ自涜後のシーンを

おれの体のなかの晴れわたった夏の真夏の海で黙りこんだ幸福な裸の大群衆が静かに海水浴しているのがわかった

とか書く(「セヴンティーン」)男だ。普通にお笑いの作家である。大江のおもしろさは、通俗性というか幼児性というかなんというかを排除しては語れない。純文学は通俗小説でなければならないみたいな理屈はむかしからあり、みんなわりとできないんだが、結局、大江みたいなあり方があるのだ。「小説神髄」的な仕掛けをマジメに信奉しつつ壮大なボケをかますやり方である。しかし、これは大衆的というより政治的ボケである。上の論語のように、詩を三百も知っていながら、政治をやらせてだめ、外交官として応対もできない、それで詩を多く知っていてもなんか意味あるの?という嫌みを、――少年の自慰行為としてのテロ文学で黙らせるのが大江健三郎である。

そういえば、このまえ大江健三郎の故郷に寄ってみた。彼の文体は意図的にぐにゃぐにゃにつくりかえられたものだと思うが、山を人工的に這ってゆくアスファルトの道路みたいなものだ。反自然的な自然。この人の表現する意図された閉鎖性は、実際の物理的な閉鎖性を知っている人間のやることである。彼の育ったところはそういう所だった。一方、わが木曽は、藤村の言うように、山の中だけれども、街道や川に貫かれたチューブのようなものでちょっと違う。大江のやらかす閉鎖性はなんか妙な開放感があって不思議だけども、やっぱ戦後の開放感なんだろうか。。しかし、木曽は相変わらず、戦後も殺人事件とか江戸のちゃんばらの舞台でほんとに『夜明け前』かというね。。。。いま思いついたんだが、大江のえがく閉鎖性のどことなくただよう楽観的なところは、四国の山国から出発しているところが関係あるんじゃないだろうか。四国はちょっとがんばると他の藩にゆかなくても島から出られるからな。信州だとどこに行こうと他国にいかんきゃならん。

誰か(柄谷だったか?)、大江はいまだにファックスに驚き、電子レンジで被爆するみたいなこという人だと言ってた気がするが、だからそこが彼の良さだって。おれもファックスの文字が電話線の中をもがきながら這っていったり、電子レンジで日本人全員被爆とかそういう妄想するからな。――それはわたしの妄想であった。わたくしは、木曽的にチューブの中を這っており、外の世界の殲滅をゆめみる田舎者であった。

あの人とあの人って同じような傾向にあるよなと思っていたら、ほんとに統一戦線を結成し、お互いの問題を平凡にしていってしまうのはよくあることであるが、まあ昔からである。しかし、ケンさんは、その平凡さにも天皇にも好きな女にも平等に情欲を働かすおかしな人であった。だから、他人に合わせて本当に平凡にはならなかった。そのかわり、その平凡さを手放すこともなかった。九条は平凡な理念である。それは「意図的」に「不断に」それを「愛」する人によって輝く。平和主義、いやそれへの愛も「百八煩悩」の一つなのである。

むかしテレビで大江は、若者は希望を持つんじゃなくて、明るい希望なんだと思い込むべきだ、みたいなことを言っていた。それと九条の件は同じ事なのである。その思い込みも我々の煩悩だということだ。

グループワークなどでおしゃべりをする活動での効果として、話を正確に聞けなかった場合への指導が難しくなるというのがある。口頭での簡単な連絡事項が伝わらなくなっているのはそのせいもあるかもしれない。文字でも伝わらんが。解釈の主体は必ずしも解釈者にあるわけじゃないという平凡な真理が分からなくなったのは、平凡さに対する情欲をわたくしたちが失ったからだ。しかし、下(「セブンティーン」)のように、それは激しく平凡で愚かな情欲である。これらの言葉に解釈が必要であろうか。我々は、こういうものに、仮に非凡であってもくだらない言葉をかけられるのか。

ああ、生きているあいだいつもオルガスムだったらどんなに幸福だろう、ああ、ああ、ああ、いつもいつもオルガズムだったら

方便としての道徳

2023-03-12 23:44:05 | 思想


子曰、弟子入則孝、出則悌、謹而信。汎愛衆而親仁、行有余力、則以学文。

よく言われてることなんだろうが、論語って、あれやってから次はこうで余力あったらあれをするみたいな順番をつけてるように思える。上だったら、孝→悌→信→愛→仁→文みたいな順番である。それが儒教道徳の親孝行が先じゃ兄弟は後じゃみたいなあれにつながって、果ては「教育勅語」の、天皇翼賛を文章そのもので表現するみたいなところまで繋がっている。しかし、論語を道徳としてとるなら、まずはむしろもっとばらばらに読むべきなのかもしれない。

とはいえ、論語の言い方は、例えば学校管理とか学級運営みたいな方法論としてみれば分かる気がする。子どもが意識を集中すべき観点の順番をつけていってコントロールするやり方だ。だから、上の場合だったら、人間道徳を涵養してから余力があったら古典を学べといっている――道徳みたいに捉えるだめで、いかに古典を学ぶ状態に移行させるのかといえば、まずは人間的に落ち着かせてからだ、ということになる。それは「余力」をつくりだすための方便なのである。実際、小学校の教育は、一見道徳にみえることがとにかくおとなしく座っている状態をつくりだすことである場合がある。これを「単に」、フーコーがいったように軍隊式「規律訓練」だからこわいと言ってるだけでは、現状を変革することはできない。我々が成熟するのに使う方法は、それだけみると邪悪なものにみえるが、それを取っ払えばいいというものでもないのだ。問題は、精神の自由をつねに追求出来ているかだとおもう。

だから、一応成熟した人間に対しては、規則を叩きこむのを最初にするんじゃなくて自由にしたほうがよいわけである。新任教員には研修や準備期間はないのかという議論があるが、一応あれなんだよ、そういうクソ研修がないことが教員の世界の自由を示していた時代や地域もあるわけで、自分で考えてやっていいよ、みたいなところがないと教育はきついにきまっている。かなり研究と似てんだから。自由というのが野放図すぎると感じられるのであれば、我々は物事を「常に」達成出来ず、精神が何かにむかって漸進するだけであるといってもよいかもしれない。我々はファシズムや軍国主義を達成したことはないのだ。

教育分野では意図的に過去の教育は軍隊みたいな一斉教育で画一的だったというデマが流されて、しかもそれを現場の教員が信じこみ、自分のやってることがよほど反抗を許さない指示中心の教育になってることに気付かない風土ができあがっている。自由のための方法論の追求ではなく、道徳としての理念に我々の精神を一致させようとすることが、てっとりばやい「指示」の多用に繋がるのである。ジェンダーや脳の多様性や発達の多様性が知られてきたことはいいことだという側面がある一方、それで人間の精神の自由がもたらされるほど人間はうまいこと出来ていないのは自明ではないか。むしろ、画一的表現のバリエーションが増えただけみたいな現状によく耐えられるものである。いや、むしろ、耐えてしまうのが我々なので、それを批評によっていつも、現実が本当はどうなっているのか示す必要があるわけである。

教育は研究に近いのである。これに対立するのが「部活」である。教員の世界にやたら「先輩教員」みたいな概念が導入されたのもある時期だと思われる。教員の世界が部活化したのである。「部活」は、それ自体を運営することが自明であって、伝統と作法が道徳化する。

かくれんぼ

2023-03-11 23:25:28 | 文学


小ぐまさんは、その音を聞いてゐるうちに、すつかり、かくれんぼをしてゐるといふことを忘れてしまひました。そして、そつと、机の下から這ひ出して行きました。そして、机の上を見ました。
 けれども、その机の上には、真白なナフキンがかぶさつてゐるので、小ぐまさんにも、又、このお話を書いてゐる私にさへも分らないのです。
 すると、そのナフキンの下から、小さな声がしました。それは、
「私は、お月様です。」と聞えました。
 小ぐまさんは、それを聞いて大変よろこんで申しました。
「ナフキンの下にいらつしやるお月様、どうぞ、よく光つて、このくらいお部屋を明るくして下さい。」と申しました。
 すると、ナフキンが、ピクピク動いたと思ふと、ナフキンの下から光がさして、お部屋が明るくなりました。


――村山壽子「かくれんぼ」


中上健次の都はるみ関係の文章とか対談を大体よんだけど、中上が都はるみのすごいところを一生懸命遠慮がちに共有しようとしているのに、柄谷とか三田とかどうしようもなくノリが悪くてだめだな。二人の反応はとくに学校で習ったことを答える受験生みたいなかんじだ。率直さというのは大事だ。それは小説的知性というべきものではなく、知性そのものなのである。蓮實重彦氏がむかし小林秀雄は人を褒める段になると急にだめになってみたいなことを言ってたような気がするが、いまその志賀直哉論を読み直してみると、トーンとしてただ褒めているのとも違う。これに対して、柄谷氏の方がトーンとして中上を褒めている気がする。だから、柄谷氏は三田氏なんかの対談でもトーンでやってしまったりできたわけだ。

このトーンというものは、むかしプロレタリア文学で問題になっていた、外在批評に近いものがある。内在批評に対するものとし重宝がられ、たとえば青野季吉氏の批評なんかでも、レーニンのトルストイ論が参照された。その場合、使われる「反映」というものは、個人の作品のなかになぜだか個人ではなくその時代の矛盾とかが現れ出てしまっているもので、その反映自体は、なんかものすごいものであった。トルストイやレーニンの意図とは関係なく働くものである。これに対して、その「反映」を指摘してしまう「外在批評」はトーンである。

肉と音楽

2023-03-10 23:04:59 | 思想


昼間は異分野種研究者研究会で神谷之康氏の「再現性の科学:脳科学は実世界で役に立つか」というスライド資料をつかって勉強。Σ記号とか∫記号とかを久しぶりに見たが、要するに、文字に文脈によっていかなる意味が宿るのかみたいなことをテキストの空白性や虚構性が現前してくることにある種怯えながらうじうじ考えている我々の業界に対して、再現性に漸進して不正を許さぬようにガンバル精神はいわば「主体的」なのだ。なるほど、いまの世の中の「主体性」への要求とサイエンスの隆盛はどこかしら関係があるのかもしれん。

その後、「華まる」さんで優秀な物理学者の送別会があり、焼き鳥がなかなか美味であった。そこで思い出したのは、論語の次のせりふである。

子在齊聞韶。三月不知肉味。曰、不圖爲樂之至於斯也。

宇津保物語で天下からの何モノかみたいな扱いになっていた音楽は、礼楽のセットで学問と礼儀、つまり政治を構成するものとともにあった。しかしこの世ならぬものでなくなったわけではないと思う。それは三月のあいだ、肉の味を忘れさせるような怖ろしい麻薬的な効果を持つものであった。思うに、詩人や官僚たちが酒を飲んで唸っているのが知識人たちのあれであって、現在のわれわれがそうであるように、肉の味と学問の味には似たところがあるのだ。しかし音楽はそれとも違う何者なのかである。そして、いまでもしばしばその音楽が政治とダイレクトに結びつく。音楽は肉のように対象でも学問のように主体でもなく、閾を超える暴力だからである。それが政治と結びつくのかもしれない。

そういえば、このまえちょっとまともに都はるみを聴いてみたんだが、なんだこりゃすごいじゃないか。引退コンサートの映像も聴いたが、ある意味、都はるみの音楽テクニックのパッションそのものが都はるみの演歌歌手としての肉体や態度を超えてしまっている気がした。こういう元気よすぎてなにか不自然で崩壊を予感させるのは、全盛期のカラヤンや戦時中のフルトヴェングラーや、デビュー二年目ぐらいの松田聖子ぐらいからしか感じたことがない。

音楽は単に暴力的なのではなく、音楽自体が演奏行為を超えて主体的なのである。このことを感じるのは、批評家だと宮台真司ぐらいにしか感じない。氏には崩壊寸前の感じがあり、対して言葉は人を行動に駆り立てるのである。

東京都立大のキャンパスで同大教授の宮台真司さん(64)が襲撃された事件で、警視庁が容疑者の男を容疑者死亡のまま書類送検したことを受け、宮台さんは9日、インターネット上のビデオ映像で「推認」と断った上で「(容疑者は)知識人や学者を憎んでいた可能性がある」と述べた。
 動機解明に至らないまま捜査終結となったが、宮台さんは、容疑者の自宅の物置から見つかった「知識人やマスコミが威張り散らし、人を踏みつけにしているのが戦後の社会」などと記されたメモ帳について言及。自身が被害を受けたことについて「(自分の言葉の)何かが彼の心に刺さり、『こいつにしよう』と思った可能性がある」と分析した。


――宮台さん「知識人憎んだ可能性」(https://www.saitama-np.co.jp/articles/17808/postDetail)


最近のデータは消去して宮台氏襲撃の犯人は亡くなったらしい。知識人――大学の先生一般に対する反感から宮台氏を狙うことに距離があって、そこが本人的にも重要だったのかもしれないのである。それこそ推認、というより推測であるが、宮台氏の襲撃犯は宮台氏の言葉に自分の似姿を見た可能性だってあるのだ。講壇哲学でもっとエラそうなやつは他にいる訳だし、なにより「作家は行動する」的な?言葉遣いの宮台氏を狙うのは、意味ありげで絶妙な選択に思えるからである。

狐・わら人形・よーいどん

2023-03-09 23:12:02 | 思想


子曰、三人行、必有我師焉。択其善者而従之、其不善者而改之

三人が孔子を含めて三人である解釈に従えば、のこった他人のなかに必ず師がいるからこれに従い、よくないものはこれをあらためるべき(自分をかな?その悪い奴をかな?)である、ということになるのかもしれない。近い範囲で異様にガンバル孔子であった。普通は、このクソ田舎はロクなやつはおらんな出て行ってやる、みたいなことを思いがちである。(大概そういう人間は、一生そう思っている)しかし孔子は、師は側にいるし、悪い奴も側にいるというのだ。立派だと思う。

しかしまあ、もしかしたら今ほど人間が多くないので、我々は昔「群衆の孤独」どころか、動物との関係性を結び精一杯だったのかもしれない。やはり、現在の我々が犬猫ぐらいで思考停止するのに対し、昔の人たちは実にいろいろなものと関係性を持っているからだ。特に狐はほぼ人間――ではなく、狐は何らかの姿で恐らく狐をみる目で人間をみており、人間は狐を人間と見ることがあるという不思議さを表現するために、「化け」みたいな観念で処理したような気がするんだが、不思議さは解消されずに、大量の物語が作り出されることになった。

昔、一匹の白狐が蛻庵という坊さんに化けて、興禅寺へやってきた。
 和尚さんは、すぐ狐と見破ったが、わけありそうな狐を、そのまま使ってやることにした。蛻庵は、かげひなたなくよく働き、和尚さんにすっかり気に入られてしまった。
 ある日、飛騨の高山にある安国寺に用事ができたので、和尚さんは自分の代わりに蛻庵を使いに出すことにした。
 蛻庵は、ありがたく承り、地蔵峠、西野峠、長峯峠を越え、飛騨の日和田村に着いた。
 そこで猟師の家に泊めてもらうことにした。先を急いできた蛻庵である。それに、大事なお役目を抱えた心の疲れで、夕食のあと蛻庵は、囲炉裏のはたでついうとうとっとしてしまった。
 猟師もまた、囲炉裏のはたで鉄砲を磨いているところだったが、ふとのぞいた銃口の先に見たものは、坊さんではない、坊さんの衣を着た狐だった。
「この狐、よくもおらをだましおって」
猟師は、ねらいをさだめ「パン」と撃った。
蛻庵は、突然のことに悲鳴も上げず、みるみる一匹の白狐にかわった。
猟師は、なんなく大狐をしとめたわいと、狐に近寄りひきおこして見ると、首になにやらかけている。包の油紙を開き中を見ると、それは飛騨の安国寺宛、木曽は興禅寺桂岳和尚からの手紙だった。
 こんなことがあってから、日和田村に疫病が流行り出した。次から次へと村の人が死んでいく。
 そのうち、これは狐を撃ち殺した祟りではないかと噂がたった。
 そこで、村の人達は相談のうえ、興禅寺に出かけ、何もかも和尚さんに話し、狐の供養をしてもらうことにした。
 和尚さんは蛻庵の霊をねんごろに弔い、境内に稲荷神社を建て祀った。
 それから、日和田村の疫病はおさまり、この時から、日和田村の人達は興禅寺の檀家になったという。


――「興禅寺の狐2」http://minsyuku-matsuo.sakura.ne.jp/kisomonogatari/kisomatinomukasibanasi.html


我が田舎にある興禅寺には、義仲の墓の近くに稲荷神社があって狐が祀られているし、代官屋敷付近にも木乃伊が祀られている。仄聞したところでは、『落合郷土史』には、人間に化けた狐と義仲と一緒に討ち死にし、妻と子どもの狐がながく義仲とともに死んだ狐を弔った話が載っているそうである。これは擬人化ではない。ちゃんと狐は撃たなくちゃならない害獣だ。しかも人間のようにみえるのである。誰かが言っていた気がするが、「ごんぎつね」だって、害獣としての狐と狐に化かされる文化の範疇にある。だから人間と狐は対話出来ない。いまははじめから擬人法とやらで、ごんと対話できるような気がするから撃っちまうこともない様に思われるがそれは勘違いである。害獣であり化かしてくる相手には撃っちまうのが我々であって、いわばわれわれは、敵国を狐のように見ているのであった。

今日は、韓国とどこかが野球をやっていて、韓国が負けたので一部が盛りあがっていたが、――野球とかサッカーの国際試合があったときに、勤務時間内にその話題で盛り上がれるかどうかみたいなのが職場内での力関係みたいなものにつながっている場面て確実にあるように思われる。急に空間を隔てた筋肉に感応して筋肉になってしまう人間がいる。それはたぶん男に多く、兵十がいきなりぶっ放すのと似ている。

そういえば、今日、「わら人形論法」について調べようと思って、「わら人形」とグーグルに打ち込んだら、アマゾンの藁人形注文の頁に壮大にとんだでござる。五寸釘と軍手までついてくるセットがあって、さすが資本主義に魂売ると呪いも加速しとんな、と思ってよく見たら、「ワラ人形 丑の時参り の劇や 地獄少女 呪術廻戦 のコスプレに」とあった。まったく、本気で呪おうとしている人に失礼極まりない商売である。――しかしまあ、何も恨みが無いところに、わら人形を媒介に呪う人にシンクロしてしまったりする我々の社会とは一体何であろうか。

しかも、おれのグーグルの音声認識は、何故「有意水準」を何回も「よーいどん」と認識するのであるか。

遅れてきた成熟

2023-03-08 23:45:04 | 思想


子曰、「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」


漠然と考えていたのであるが、あらためて読んでみると、随分遅い発達にもみえる。現代人なんか「吾三而志于学。」である。「三十而立」とは、たしかに、学を志した人間は現代でもだいたい三十歳ぐらいにならないと学者あるいは「師」としての活動をするための準備は出来ないから――独り立ち出来なかったとも言いうるかもしれない(食べるための労働はずっと年少から行っていたはずだ)。すると、十五歳に学問をやろうとしたというのは、たとえば中学ぐらいにわたくしが文学や音楽を志したのと一緒であり、つまりこの学というのはもともと主体的な学問の謂で、学校教育のことではないのであろう。孔子がエライのは四十以降である。四十で不惑というのがすごい。――いや、そうでもないか、たいがい四十ぐらいで確かに迷いはなくなってくるものだ、そして傍から見ているとおかしくなってくるのである。五十の天命を知るというのはもう限界が見えて来るという意味で主観的にはあたっているが、それが「天命」であると自覚されるというのは一握りにしか許されない思い上がりであって、人文系でもその一握りはたぶん国に数人と言ったところだ。しかし主観的にそう思っている人ははずっと多い。だからこの五十の状態も主観と客観のどちらとも言い切れぬ。たしかに、この頃まではまだもろもろの欲望が我々の目を曇らせる。

いまちゃんと注釈をみていないからなんともいえないが、「六十而耳順」というのが、考えてみるとすごくて、孔子は、六十歳になるまで人の言うことを素直に聞けなかったのだ。遅い、遅すぎる。いや、そうともいえないかもしれない。現代人など、小学生の頃から友達の意見が聞けてよかったですとか嘘をつき続けることをコミュニケーション能力とか言っている。かえって六十歳になってここまで成熟したのは奇蹟なのかもしれない。大概の人は六十歳になったらほとんど人の言うことをきかなくなるばかりか、下手すると実際によく聞こえなくなってくるからだ。「十而従心所欲、不踰矩」というのもけっこうすごい。すなわち、孔子は、七十歳になるまで心に欲することを行うといつも規則とか常識を越えてしまう不良だったのである。

思うに、不惑の段階のすぎてからコミュ力がついたり不良でなくなるようなすごくゆっくり成長する性悪のせいか、孔子は自分の人生を十年ごとに区切って説明出来たりするのだ。修行というのはたいがい十五年はかかるから、十五から三十のジャンプは仕方がないが、このひと、十五まではどういう人間だったのであろう。父親が農民で母親が宗教者であったというが、いわばいまでいう「宗教二世」なのである。いまの宗教とは違うだろうが、大して違わない側面だってあるに違いない。我々現代人のひとつの特徴は、親の狂気をスプリングボードにして、更なる高みに登ることができずに、せいぜいいきなり「六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」の境地に達しがちということだ。

われわれの学問は、孔子のものといっしょで、政治的、というより、政治に関わる「意味」を形成することを大きな特徴としている。ずっと人文学はそれゆえ人間的な復興にかかわったし革命に携わったのである。それ以外は、わたくしの先祖のような職人である。

そのまたおくのそらのおくつきはやっぱりきいろくて

2023-03-07 23:26:51 | 思想


太宰問於子貢曰、夫子聖者與、何其多能也、子貢曰、固天縦之將聖、又多能也、子聞之曰、太宰知我乎、吾少也賤、故多能鄙事、君子多乎哉、不多也、牢曰、子云、吾不試故藝

確かに貧乏だと多くのことをしなければならず、多能になるということはあるかもしれん。我々の世界がコミュニケーション能力とか言うてるのも、その実、かなり細々した雑事の能力である。現代人は雑事に追われるようになった。なにか到達点が見えない雑事である。上の記述だけだと、鄙事というのが、どの程度それ自体で完結性をみることができたのかわからない。例えば、種を植えて収穫することだって鄙事の一種だろうが、これは完結しているし、家の前を掃除することだって完結している。鶏を育てることだってそうだろう。しかし、われわれのやってる事務仕事とか、ボタンを押す仕事とはなんであろうか。どちらかというと、公共性に直結してはいるが、その帰結がどうなるかはしらぬという意味で、君子の仕事に近くなっているかも知れない。むろん我々は君子ではない。

のみならず、われわれは君子以上に情報の海に溺れているから、脳みそのレベルで雑事にかまけるようになったのである。こういう状態では、一所に集中するために目的意識で縛られることを望む輩が出てくるのも当然である。しかし、当然ではあるが、それが成功するとは限らない。

そういえば、今日のロケット打ち上げ失敗のニュースをうけて、知り合いの物理学者から「ロケットにメーテルの絵を描いときゃ絶対成功する」というメールが来たので秒で破棄した。あるいは、ロケット打ち上げの専門家たちだって、本気でロケットを打ち上げて国威発揚、いやいつでも俺らも撃てるぜと言う脅し、いや国際競争に打ち勝とうとしている人間がどれだけいるか、わたくしはやや疑問である。メーテルならまだロマンティックな興奮でなんとかなりそうだが、「オネアミスの翼」みたいな、揚がることが目的化したあやふやな動機では人は一生懸命にならないのではないだろうか。ロケット打ち上げはまた不能だったらしいので、ちょっくら近くの神社いって砲弾の形の日露戦争の時のあれを拝んできたわたくしほど集中力に欠けているとは思わないが、わたくしは同時代性というものはあると思う。同業者でこの言葉を使うやつはだいたいまずい人だけれども。

というか――、どうしてもわたくしは小さい頃?かどうかわすれたが「ロケットばびゅーん」という歌を強要された悪夢のおかげで、ロケットを飛ばそうとする作品や現実の人間は幼稚園レベルだと脊髄反射しているだけである。膨大な金をかけやがって――だいたい、論語の言葉以上に、ロケットって「役に立つ」のか?決して下ネタで言っているのではない。

御供なる左衛門尉なる者に太刀を抜かせて聞き給ふ

2023-03-06 08:27:21 | 文学


宵少し過ぐるほどに、源中納言、狩の装ひにて、馬にておはして、南の山の隙垣外におはして、御座敷かせておはす。尚侍の殿かの木のうつほに置き給うし南風・波斯風を、我弾き給ひ、細緒をいぬ宮、竜角を大将に奉り給ひて、曲の物ただ一つを、同じ声にて弾き給ふ。 世に知らぬまで、空に高う響く。 よろづの鼓・楽の物の笛・異弾き物、一人して掻き合はせたる音して、響き上る。おもしろきに、聞く人、空に浮かむやうなり。 星ども騒ぎて、神鳴らむずるやうにて閃き騒ぐ。かつは、いかにせむとおぼえ給へど、聞きし給ふべく、はたあらず。御供なる左衛門尉なる者に太刀を抜かせて聞き給ふ。さまざまにおもしろき声々のあはれなる音、同じ声にて、命延び、世の栄えを見給ふやうなり。わりなくても、かくて聞かざらましかば、いかにくちをしからましとおぼえ給ふ。左衛門尉は、天を仰ぎて聞き居たり。
 夜いたう更けぬれば、七日の月、今は入るべきに、光、たちまちに明らかになりて、かの楼の上と思しきにあたりて輝く。 神遥かに鳴りゆきて、月の巡りに、星集まるめり。 世になう香ばしき風、吹きはしたり。少し寝入りたる人々、目覚めて、異ごとおぼえず、空に向かひて見聞く。楼の巡りは、まして、さまざまに、めづらしう香ばしき香、満ちたり。三所ながら、大将おはする渡殿にて弾き給ふなり。下を見下ろし給へば、月の光に、前栽の露、玉を敷きたるやうなり。響き澄み、音高きことすぐれたる琴なれば、尚侍のおとど、忍びて、音の限りも、え掻き鳴らし給はず。 色々の雲、月の巡りに立ち舞ひて、琴の声高く鳴る時は、月・星・雲も騒がしくて、静かに鳴る折は、のどかなり。聞き給ふに、飽くべき世なう、暁までも聞かむと思すに、夜中多く過ぐるほどに弾きやみ給ひぬ。


このあと、いぬ宮への秘琴伝授完了の場面、――内侍に密かに入れ替わったいぬ宮の演奏がまったくきれめなく違和感がなかったというフィナーレがあるのだが、文の調子の高さはここらが一番のような気がする。物語は、最後、いぬ宮の琴に感動した人々が和歌を詠んでおわるが、なんとなくその歌が琴の崇高さに比べて人為的で平板な感じがする。この物語は空を見上げたまま呆然としている人々の様子が強くあって、これはたぶん「もののあはれ」と違うもんである。しかし、これがないともののあはれはただのあはれになってしまうのかもしれない。すなわち、モノに即するというのは、たぶん、届かないモノへの絶望や崇拝を導いてしまう。これは、琴の演奏が、言語を介さない(説明できないのではなく、そもそも介していない)領域であることから始まっていると思われる。我々の肉体がそのまま自然や天に感応してなにかを奏でている。実際、楽器を少しやってみたことのあるひとはわかるが、音楽は言語を介して体が動いているうちは巧くならない。初見演奏なんかはその典型で、楽譜はほとんど草や月のようなものであって、勝手に体が動く人間だけが可能なのだ。言葉とはこういう事態に対して非常に弱い。

この前「小説神髄」を雑に再読したが、――わたくしの雑な読み方のせいか、ずいぶん乱暴なことを言っているように思った。我々はこの乱暴さになれ過ぎた。竹取の最後にでてくる地面から浮いている月の軍隊への恐怖、かぐや姫の罪への疑惑、内侍の琴が大地と星と雲を揺るがすさまに、刀を抜きかけて震えている、これが我々の現在に続く姿ではなかろうか。しかもそれを忘れがちにもののあはれに沈んで行く、ここまでも一緒である。それは生殖をもとにした政治に過ぎないが、天と恐怖への関係においてもののあはれである。

琴の音

2023-03-05 18:01:12 | 文学


今は、長雨がちなり。静やかに降りて暮らす日、時鳥かすかに鳴き渡り、月ほのかに見えたり。 三所ながら静かに弾き合はせ給へる、いとおもしろし。 こなたかなたの人は、泉殿に出でて聞く。殿の人々のなかに、もとよく琴習ひたる、あまたあり。いづれと聞き分き奉らず。今、手の限りを尽くして弾きとどめたる、折につけつつ、琴を替へて弾き給ふ、静かなる音、高う響き出で、土の下まで響く音す。 あはれに心すごきこと限りなし。

宇津保物語でいぬ宮が生まれながらにして琴の天才だった場面、分かっていても泣けるというか笑える――というか、日本の自然が素晴らしい。琴の音は「土の下まで響く」のである。これは我々の社会を根こそぎ揺るがす音であって、だから「あはれに心すごきこと限りなし」なのである。

「國譲」の巻――誰の子どもが皇太子になるか、自分の子がならなかったらいっそ死にますみたいなうめき声の争いの場面が異様に長いのは、これは一種の青筋立てたボケだからであろう、「楼の上」のいぬ宮ちゃんの琴の話になって一気に空気が澄み渡る。宮中は一部人間であることをやめて琴の音みたいになりたいひとたちで溢れかえっていたのだ。

マスコミによくでてくる研究者の特徴ってなんだろうと考えたことがあるが、「研究者」であって文学者とか哲学者とはちがってることは確かだ。小説家とか詩人でもマスコミに乗ると「研究者」っぽくなる。結局、琴の音についてのコメントを流通させる人間と、琴の音を生み出す人間の違いなのである。研究者でも学者の時代は、学問は一種の琴の音であってコメントではなかった。この前、老人は集団自決すべきと言った研究者がだめなのは彼がいかにも「研究者」だからであって、自決が琴の音ではないからである。

「こいつあ旨え、しかし狸が作蔵の褌をとって何にするだろう」
「大方睾丸でもつつむ気だろう」
 アハハハハと皆一度に笑う。余も吹き出しそうになったので職人はちょっと髪剃を顔からはずす。
「面白え、あとを読みねえ」と源さん大に乗気になる。
「俗人は拙が作蔵を婆化したように云う奴でげすが、そりゃちと無理でげしょう。作蔵君は婆化されよう、婆化されようとして源兵衛村をのそのそしているのでげす。その婆化されようと云う作蔵君の御注文に応じて拙がちょっと婆化して上げたまでの事でげす。すべて狸一派のやり口は今日開業医の用いておりやす催眠術でげして、昔からこの手でだいぶ大方の諸君子をごまかしたものでげす。西洋の狸から直伝に輸入致した術を催眠法とか唱え、これを応用する連中を先生などと崇めるのは全く西洋心酔の結果で拙などはひそかに慨嘆の至に堪えんくらいのものでげす。何も日本固有の奇術が現に伝っているのに、一も西洋二も西洋と騒がんでもの事でげしょう。今の日本人はちと狸を軽蔑し過ぎるように思われやすからちょっと全国の狸共に代って拙から諸君に反省を希望して置きやしょう」


――漱石「琴のそら音」