右手に月石、左手に黒曜石、口の中に真珠を持って生まれてきた宿命を背負った少年カリュドウが、養母の女魔道師エイリャと幼なじみの少女フィンを、城砦都市エズキウムを護る世界一の魔道師と呼ばれる魔道師長アンジストに目の前で殺され、書物やお札を通じて呪いをかける「夜の写本師」として修行を積み、アンジストへの復讐を図る呪術・魔術系ファンタジー小説。
読み味としては、最初はゲド戦記の雰囲気に思えたのですが、次第にハリー・ポッター風に収斂して行って終わるという印象を、私は持ちました。中盤の第4部でカリュドウが背負った過去の女魔道師たちの非業の死と怨念を「月の書」に吸い込まれて体感していく展開は、ハリー・ポッターの「ペンシーブ」(松岡訳では「憂いの篩」でしたっけ)を思い起こさせますし、相手を殺して自らの魔力を強めていく魔道師長のイメージはやはりヴォルデモートですしね。
女魔道師を殺し続けるアンジストの支配の下女性差別意識の強いエズキウムの街という設定で、実力のある同僚ヴェルネを配し、終盤で「あたしたちは魔道師にはならない。あなたが言うように、闇に侵されるようなことはしない。けれど、魔法を無効化し、魔道師と対等になることができる。この意味わかる?女は男のもつものをもたないけれど、女にしかもてないものをもって男と対等になることができる。それと同じ。互いに虐げもしないし、侵しもしない。否定もしない。その土壌から、理解しようと手をさしのべること、尊びあうこと、助けあうことが生まれると思う。あたしたち、きっと変わるわ」(282ページ)と高らかに宣言させています。アンジストに対抗する女の力、女の魔術を強調していることも含めて、フェミニズム的な側面を読み取ることもできますが、ヴェルネの花は咲かず、カリュドウの思慕の対象となるフィンはか弱く、その死に責めを負うべきセフィヤは大きな存在たり得ず、読後にしっかりとした印象を残す提起には感じられませんでした。
1000年の時間を超えて、登場人物も増やした結果、アンジストとカリュドウと2人の仲間の生まれ変わりを追うだけで手一杯になり、本来魅力的に育てられる脇役たちには手が届かなかったかなと感じました。
乾石智子 創元推理文庫 2014年4月11日発行 (単行本は2011年4月)
読み味としては、最初はゲド戦記の雰囲気に思えたのですが、次第にハリー・ポッター風に収斂して行って終わるという印象を、私は持ちました。中盤の第4部でカリュドウが背負った過去の女魔道師たちの非業の死と怨念を「月の書」に吸い込まれて体感していく展開は、ハリー・ポッターの「ペンシーブ」(松岡訳では「憂いの篩」でしたっけ)を思い起こさせますし、相手を殺して自らの魔力を強めていく魔道師長のイメージはやはりヴォルデモートですしね。
女魔道師を殺し続けるアンジストの支配の下女性差別意識の強いエズキウムの街という設定で、実力のある同僚ヴェルネを配し、終盤で「あたしたちは魔道師にはならない。あなたが言うように、闇に侵されるようなことはしない。けれど、魔法を無効化し、魔道師と対等になることができる。この意味わかる?女は男のもつものをもたないけれど、女にしかもてないものをもって男と対等になることができる。それと同じ。互いに虐げもしないし、侵しもしない。否定もしない。その土壌から、理解しようと手をさしのべること、尊びあうこと、助けあうことが生まれると思う。あたしたち、きっと変わるわ」(282ページ)と高らかに宣言させています。アンジストに対抗する女の力、女の魔術を強調していることも含めて、フェミニズム的な側面を読み取ることもできますが、ヴェルネの花は咲かず、カリュドウの思慕の対象となるフィンはか弱く、その死に責めを負うべきセフィヤは大きな存在たり得ず、読後にしっかりとした印象を残す提起には感じられませんでした。
1000年の時間を超えて、登場人物も増やした結果、アンジストとカリュドウと2人の仲間の生まれ変わりを追うだけで手一杯になり、本来魅力的に育てられる脇役たちには手が届かなかったかなと感じました。
乾石智子 創元推理文庫 2014年4月11日発行 (単行本は2011年4月)