福島原発事故の収束ができず汚染水漏洩が続いている現状、放射能汚染の広がり、廃炉と放射性廃棄物処理の困難性などを検討し、原発の再稼働に反対し、原子力を推進してきた者たちの責任を問う本。
著者の専門領域の放射線測定結果からの論述がやはり説得力があります。三陸産わかめのCs137の測定値及びCs137とK40の比が福島原発事故直後(2011年4月)に急増していることから事故直後から海が遠方まで事故により放出された放射性物質で汚染されていたこと(37~41ページ)、伊方原発の近くの海で半減期の比較的短いCo60の測定値が原発の放水口近くでだけ検出されていることから原発では事故が起こらなくても放射性物質が放出されていること(42~48ページ)、そしてその中では飲食が禁止され放射性物質を持ち出さないよう厳重に出入りが管理される「放射線管理区域」の基準が1平方メートルあたり4万ベクレルで、広大な地域がそれ以上に汚染され福島から遠く離れた東京都葛飾区の水元公園でもそのレベルに達しているのに多くの人々がその中で生活している(70~80ページ)などの話は、改めて考えさせられます。
「一般の人々は一年間に一ミリシーベルトを超えて被曝してはならないという法律もありました。しかし、政府自身が発表しているように、東北地方だけでなく、関東地方も広大な範囲で深刻な汚染を受けています。その事実を前にして、政府は何をしたか。『これまでは平常時だった。今は緊急事態だから、一年間に一ミリシーベルトを超えて被曝してもいい』と言ったのです。」「これまで日本は法治国家だと自称してきました。国民が法律を破れば国家は処罰します。それなら、法律をつくった国家が法律を守るのは最低限の義務だと私は思います。しかし、日本の政府というのは、守るのが無理だとなると、自分が決めた法律の一切を反古にしてしまうのです。」(73~75ページ)、(放射線業務で)「給料をもらっている人間でも、妊娠している女性は妊娠期間中に一ミリシーベルトを超えて内部被曝してはいけないし、おなかの表面部分だけしか被曝しない場合でも二ミリシーベルトを超えて被曝してはいけないと定めているのです。年間一ミリシーベルトの被曝を放射線業務従事者の妊婦がしてはいけないのに、被災地に住む一般の妊婦、そして子どもたちはしてもいいなどということが許される道理はありません。それでも、もし二〇ミリシーベルトという年間被曝限度というものを妊婦や子どもたちに許してもいいと思うような政治家や役人、御用学者がいるなら、まず彼らこそがそこに住むべきだと私は思います。」(100~103ページ)というあたりも、規制の下で放射性物質を扱ってきた研究者の経験と思いが言わせるものだと思います。
「汚染というものの正体は、もともと東京電力福島第一原子力発電所の中にあった放射性物質で、東京電力のれっきとした所有物なわけですから、東京電力に返すというのが私は正しいだろうと思います。」「殊に東京電力は、福島第一原子力発電所の事故が収束していないというのに、もう福島第二原子力発電所を再稼働させるというようなことを言っているわけです。周辺の何十万、何百万の人たちにこれだけの苦難を押しつけながら、自分だけは無傷でまた原子力発電所を再稼働させるというようなことは、私は正しいこととは思えません。ですから、まずは福島第二原子力発電所を放射能のゴミ棄て場にする。それでも足りなければ、東京電力はもう一か所、柏崎刈羽原子力発電所という膨大な敷地を持っていますので、そこを放射能の次のゴミ棄て場にする。もっと言えば、もし、この放射能のゴミの移送を私にやらせてもらえるのであれば、東京電力本社の会長室、社長室、重役室、役員室から順に、核のゴミで埋めていきますそして、そこで集中的に管理をするというのがよいと思います。それが一番道理にかなったことだと私は思いますし、東京電力に責任をとらせる一つの方法です。」(137~139ページ)というのは、実にすっきりした意見で、そうして欲しいものです。
小出裕章 幻冬舎ルネッサンス新書 2014年2月20日発行
著者の専門領域の放射線測定結果からの論述がやはり説得力があります。三陸産わかめのCs137の測定値及びCs137とK40の比が福島原発事故直後(2011年4月)に急増していることから事故直後から海が遠方まで事故により放出された放射性物質で汚染されていたこと(37~41ページ)、伊方原発の近くの海で半減期の比較的短いCo60の測定値が原発の放水口近くでだけ検出されていることから原発では事故が起こらなくても放射性物質が放出されていること(42~48ページ)、そしてその中では飲食が禁止され放射性物質を持ち出さないよう厳重に出入りが管理される「放射線管理区域」の基準が1平方メートルあたり4万ベクレルで、広大な地域がそれ以上に汚染され福島から遠く離れた東京都葛飾区の水元公園でもそのレベルに達しているのに多くの人々がその中で生活している(70~80ページ)などの話は、改めて考えさせられます。
「一般の人々は一年間に一ミリシーベルトを超えて被曝してはならないという法律もありました。しかし、政府自身が発表しているように、東北地方だけでなく、関東地方も広大な範囲で深刻な汚染を受けています。その事実を前にして、政府は何をしたか。『これまでは平常時だった。今は緊急事態だから、一年間に一ミリシーベルトを超えて被曝してもいい』と言ったのです。」「これまで日本は法治国家だと自称してきました。国民が法律を破れば国家は処罰します。それなら、法律をつくった国家が法律を守るのは最低限の義務だと私は思います。しかし、日本の政府というのは、守るのが無理だとなると、自分が決めた法律の一切を反古にしてしまうのです。」(73~75ページ)、(放射線業務で)「給料をもらっている人間でも、妊娠している女性は妊娠期間中に一ミリシーベルトを超えて内部被曝してはいけないし、おなかの表面部分だけしか被曝しない場合でも二ミリシーベルトを超えて被曝してはいけないと定めているのです。年間一ミリシーベルトの被曝を放射線業務従事者の妊婦がしてはいけないのに、被災地に住む一般の妊婦、そして子どもたちはしてもいいなどということが許される道理はありません。それでも、もし二〇ミリシーベルトという年間被曝限度というものを妊婦や子どもたちに許してもいいと思うような政治家や役人、御用学者がいるなら、まず彼らこそがそこに住むべきだと私は思います。」(100~103ページ)というあたりも、規制の下で放射性物質を扱ってきた研究者の経験と思いが言わせるものだと思います。
「汚染というものの正体は、もともと東京電力福島第一原子力発電所の中にあった放射性物質で、東京電力のれっきとした所有物なわけですから、東京電力に返すというのが私は正しいだろうと思います。」「殊に東京電力は、福島第一原子力発電所の事故が収束していないというのに、もう福島第二原子力発電所を再稼働させるというようなことを言っているわけです。周辺の何十万、何百万の人たちにこれだけの苦難を押しつけながら、自分だけは無傷でまた原子力発電所を再稼働させるというようなことは、私は正しいこととは思えません。ですから、まずは福島第二原子力発電所を放射能のゴミ棄て場にする。それでも足りなければ、東京電力はもう一か所、柏崎刈羽原子力発電所という膨大な敷地を持っていますので、そこを放射能の次のゴミ棄て場にする。もっと言えば、もし、この放射能のゴミの移送を私にやらせてもらえるのであれば、東京電力本社の会長室、社長室、重役室、役員室から順に、核のゴミで埋めていきますそして、そこで集中的に管理をするというのがよいと思います。それが一番道理にかなったことだと私は思いますし、東京電力に責任をとらせる一つの方法です。」(137~139ページ)というのは、実にすっきりした意見で、そうして欲しいものです。
小出裕章 幻冬舎ルネッサンス新書 2014年2月20日発行