外科医、麻酔科医として勤務した後外務省の医務官として海外勤務し、在宅医療クリニックで勤務した著者が、自己の経験に基づいて死の実情について語る本。
下顎呼吸(顎を突き出すような呼吸)が始まると蘇生措置を施しても元に戻ることはまずなく(17~18ページ)、最後の段階では点滴は効果がないだけでなく心臓と腎臓に負担をかけ肺にも水が溜まり徒に患者を苦しめるだけ(46~47ページ)、酸素マスクも実際ほとんど意味はなく単に家族を安心させるためだけのパフォーマンス(47ページ)だそうです。「長生きを求めて病院にかかると、治してもらえる病気もある代わりに、何度も病院に通わされ、長時間待たされ、いろいろ検査を受けさせられ、不具合を見つけられ、その治療のためにまた病院からは解放されず、不安と面倒な毎日が続く危険が高いでしょう。病院にかかっても、死ぬときは死にます。そもそも医療は死に対して無力です。それなら自分の寿命を受け入れ、好き放題に残り時間を過ごしたほうが、よほど気楽」(132ページ)というのが著者の意見です。私も社会人になって以来、生命保険加入の際と歯医者以外病院にも検査にも行ったことがなく、著者の意見に共感します。単に聞きたい意見だけ聞く耳持つ状態というべきかもしれませんが。
老衰死について、決して楽ではないと著者は釘を刺しています。それまで元気でいて急に衰えるわけではなく、死のかなり前から全身が衰え、不如意と不自由と惨めさに、長い間耐えたあとでようやく楽になれる、視力も聴力も衰え味覚も落ちて楽しみはなく、食べたら誤嚥して激しくむせ誤嚥性肺炎の危険にさらされ、関節痛に耐え寝たきりになって下の世話や清拭、口腔ケアなどを受け、体は動かせず呼吸も苦しく言葉も発するのも無理というような状況にならないと死ねないのが老衰死だというのです(134ページ)。言われてみればごもっともです。
そういうことから癌で死ぬ方がましという話にもなるのですが、ここでも興味深い説明があります。癌の判定は最終的には生検(鉗子で腫瘍の一部を採取)して顕微鏡で見て行う(病理診断)のですが、癌細胞の塊をつついたらそのときに癌細胞が血流に乗って転移するんじゃないかという疑問を、私はずっと持っていました。医師である著者も同じ疑問を持ち、「何人かの医師に聞いてみましたが、いずれもその話には触れたくないと言わんばかりでした。いわばがん診断界のタブーです」(156ページ)というのです。まぁ、X線検査等も放射線被ばくによるリスクがあることがわかっていてもそのリスクよりメリットがあるという評価でやっているわけで、それと同様にリスクよりメリットがあるという評価なのでしょうけれども。もっとも、その検査被ばくについても、日本は検査被ばくによる発がんが世界中でダントツに多く欧米は全がん患者の1%前後であるのに対し日本は3%もある(150ページ)というのですが。また、病理検査で癌かどうかは判定できても進行の速さや転移するかどうかは顕微鏡では見分けられない(155ページ)とのことです。
医療知識の点でも、死生観でも、さまざまに刺激を受ける本でした。
久坂部羊 講談社現代新書 2022年3月20日発行
下顎呼吸(顎を突き出すような呼吸)が始まると蘇生措置を施しても元に戻ることはまずなく(17~18ページ)、最後の段階では点滴は効果がないだけでなく心臓と腎臓に負担をかけ肺にも水が溜まり徒に患者を苦しめるだけ(46~47ページ)、酸素マスクも実際ほとんど意味はなく単に家族を安心させるためだけのパフォーマンス(47ページ)だそうです。「長生きを求めて病院にかかると、治してもらえる病気もある代わりに、何度も病院に通わされ、長時間待たされ、いろいろ検査を受けさせられ、不具合を見つけられ、その治療のためにまた病院からは解放されず、不安と面倒な毎日が続く危険が高いでしょう。病院にかかっても、死ぬときは死にます。そもそも医療は死に対して無力です。それなら自分の寿命を受け入れ、好き放題に残り時間を過ごしたほうが、よほど気楽」(132ページ)というのが著者の意見です。私も社会人になって以来、生命保険加入の際と歯医者以外病院にも検査にも行ったことがなく、著者の意見に共感します。単に聞きたい意見だけ聞く耳持つ状態というべきかもしれませんが。
老衰死について、決して楽ではないと著者は釘を刺しています。それまで元気でいて急に衰えるわけではなく、死のかなり前から全身が衰え、不如意と不自由と惨めさに、長い間耐えたあとでようやく楽になれる、視力も聴力も衰え味覚も落ちて楽しみはなく、食べたら誤嚥して激しくむせ誤嚥性肺炎の危険にさらされ、関節痛に耐え寝たきりになって下の世話や清拭、口腔ケアなどを受け、体は動かせず呼吸も苦しく言葉も発するのも無理というような状況にならないと死ねないのが老衰死だというのです(134ページ)。言われてみればごもっともです。
そういうことから癌で死ぬ方がましという話にもなるのですが、ここでも興味深い説明があります。癌の判定は最終的には生検(鉗子で腫瘍の一部を採取)して顕微鏡で見て行う(病理診断)のですが、癌細胞の塊をつついたらそのときに癌細胞が血流に乗って転移するんじゃないかという疑問を、私はずっと持っていました。医師である著者も同じ疑問を持ち、「何人かの医師に聞いてみましたが、いずれもその話には触れたくないと言わんばかりでした。いわばがん診断界のタブーです」(156ページ)というのです。まぁ、X線検査等も放射線被ばくによるリスクがあることがわかっていてもそのリスクよりメリットがあるという評価でやっているわけで、それと同様にリスクよりメリットがあるという評価なのでしょうけれども。もっとも、その検査被ばくについても、日本は検査被ばくによる発がんが世界中でダントツに多く欧米は全がん患者の1%前後であるのに対し日本は3%もある(150ページ)というのですが。また、病理検査で癌かどうかは判定できても進行の速さや転移するかどうかは顕微鏡では見分けられない(155ページ)とのことです。
医療知識の点でも、死生観でも、さまざまに刺激を受ける本でした。
久坂部羊 講談社現代新書 2022年3月20日発行
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