なあむ

やどかり和尚の考えたこと

雲水道中記ー永平寺から最上へー 18

2009年12月01日 20時35分13秒 | 雲水道中記

3月25日。
生地の町で、わざわざ呼び止めて1000円の喜捨をいただく。何ともありがたく、うれしい。
50メートルほども離れたところから、「行者さ~ん」と呼んだのだろうか。呼ばれても自分のことだとは思わなかった。四度ほど呼ばれてから振り向くと、こちらを見て確かに私を呼んでいる。近づいてよく聞いてみると、「かどづけ」をやっているのだろう、と言う。先を急ぐので托鉢はやっていない、と言うと、「ま、昼飯代にでも」と1000円を渡してくれた。応量器(食器)を出していただく。ありがたいことだ。
しかし、何故、通り過ぎていった者をわざわざ大声で呼び止めてまで喜捨してくれるのか。まさに「喜捨」の言葉の通りに、そこに何かしら喜びがあるのに違いないと思う。
東司(トイレ)は喫茶店かガソリンスタンドをお借りする。スタンドではお茶やお菓子を出してくれたりする。宿のことを聞くと親切に教えてくれる。
「どこまでいくの」と聞かれると、話をし、驚かれたり、励まされたりして元気が出てくる。
何も聞かれないと、話したいのに、こちらからは何も言えず、少し消沈して出て行く。身勝手なことではある。
18asahi_sakai2 境鉱泉。新潟との県境。
明日は待望の新潟県。隣は山形だ。
早く新潟の友だちの顔が見たい。
色んなことを考える。自分の位置、自分の意見というものが見えてくる。
やはり左足が痛い、治らない、まだ調子が出ない。
生地鉱泉~境鉱泉 23㎞。