なあむ

やどかり和尚の考えたこと

あきらめと覚悟

2010年07月23日 22時02分18秒 | ふと、考えた

私が、寺の長男に生まれたことを恨んで青少年時代を過ごしたことは、何カ所かに書いたり、彼方此方で話をしたりしてきました。
物心ついた時には、自分の人生が生まれる前から決められていると思い込まされていることに反発し、その矛先がすべて父親に向いていました。
しかし、その境遇から飛び出す勇気も裁量もなく、ただ漠然と「あきらめ」が支配していました。
大学に入り、色々な出会いがあり、難民キャンプに赴いたりして、僧侶としての生き方に少しずつ興味を持ってきました。
更に優れた人々との出会いによって、僧侶であることの喜びに目覚めていきました。
いつの頃からか私は、「あきらめ」ではなく、自分の人生を引き受ける「覚悟」ができてきたのだと思います。
土地も時も性別も親も兄弟も家の職業も、総じて、生まれることが選べないのだとすれば、生まれてきた自分の境遇を、「これでいい」と「覚悟」して受け入れるのと、「しかたない」と「あきらめ」るのでは、その後の人生が大きく違ってくるはずです。
ただ、個人の「覚悟」ではどうにもならない世界に生きている人がいることも事実です。
貧困のために売られてしまう子どもたちに、「覚悟」を迫ることは到底できません。
そういう事実を知ってしまった自分がどう生きるかは、また違った「覚悟」が必要となります。
でも、もし、そうではない境遇であるならば、短い人生を「覚悟」をもって生きてもらいたいと願うところです。