なあむ

やどかり和尚の考えたこと

人に非ず

2012年04月03日 20時25分38秒 | ふと、考えた

はっきり言って、ヒマです。

家内と母親が観音巡礼に出かけたので、留守番状態です。

何も用事がないときは、何をしたらいいか分かりません。

パソコンに向かって、ネット麻雀をしたり、facebookをのぞいたり、こんなことをしたり、天気が悪いので雪の片付けもできません。

午前中に1件檀務があったきり、ヒマです。

ヒマつぶし。

夜中に電話がきます。

「お坊さんですよね」

「はい、そうです」

そうです、お坊さんには勤務時間外がありません。

お坊さんにお坊さんではない時間はないのです。

いっぺん言ってみたい。

「今はもう営業時間終わったんです」

「今日は定休日で」

だいたいにして、お坊さんは「職業」ではありません。

それは神父さん、牧師さん、神主さんも同じでしょう。

天皇陛下も。

お坊さんになった以上、死ぬか還俗するまで、そう(僧)でしょうね。

お坊さんらしくない振る舞いも、お坊さんとして責任を持たなくてはならないのですね。

「お坊さんも人間だ」などというのは、「お坊さんらしくない行動も人間だから許される」という苦しい言い訳でしかありません。

お坊さんらしからぬ行動をしてしまう自分を、お坊さんとして反省するからこそお坊さんなのであって、「人間だ」などと開き直ってはいけません。

「仏」という字は元は「佛」と書きましたが、「弗」という字は「不」と同じ否定の意味ですので、「人に似て人に非ず」ということを表した文字です。

僧も「佛」になろうとするわけですから、人間ではありながら人間ではない生き方をする人のことだということでしょう。

窮屈そうに感じるかもしれませんが、「その世界に入ってしまったのだ」と覚悟さえ決めればそれほどでもありません。

したいことをする、言いたいことを言う、自由さはたくさんあります。

人間から離れた自由さを手にする、とでも言っておきましょうか。

そんなこと言いながら、実は全くの俗人なのです。

ヒマだから余計なことを書いてしまう。


大丈夫

2012年04月03日 15時11分33秒 | ふと、考えた

最近「大丈夫」という言葉の使い方が気になります。

たとえばレストランで「おかわりはいかがですか?」と聞かれた返答が「大丈夫です」みたいな。

おかわりしないと危険なのか?とツッコミたい衝動に駆られます。

元々、「立派な男子」を指す誉め言葉から派生して、「しっかりしている」「間違いない」という、「安心」という意味合いになりました。

それが、「もう結構です、充分です」みたいな、「遠慮」の言葉として使われているようです。

「ご注文は以上でよろしかったですか?」と同様、イラッとくる用法です。

因みに、河北町出身の細谷亮太先生の生き方と言葉を追ったドキュメンタリー映画が完成しました。「大丈夫。ー小児科医・細谷亮太のコトバ-」です。「風のかたち」の続編のような作品。Daijoubu_f_2

監督は伊勢真一監督。

この映画、昨年のキネマ旬報文化映画部門で第1位になりました。

5月には河北町で祝賀上映を行う予定です。

先生は、診察の後決まって「大丈夫!」という言葉を患者さんにかけられるそうで、その口癖がタイトルになりました。

相手を安心させる、魔法のコトバ、「大丈夫」はそういう力がある言葉です。誤用してほしくないですね。

私も、自殺の電話相談を受けたときなど、最後にこの言葉を伝えようと心がけています。