なあむ

やどかり和尚の考えたこと

免停 1

2012年04月20日 21時00分18秒 | 免停

大学入学前の春休みに山形の自動車学校で仮免までとって、路上は東京の教習所に通いました。

東京の意地の悪い教官から田舎者のイジメにあいながら、何とか耐えて免許を取得しました。

初めて自分で運転したのは、夏休みに内房海岸の牛乳屋でバイトしたときです。

駅に迎えに来てくれた社長(バイトはそう呼んでいました)から、「じゃあこれ運転して」とワゴン車の鍵を渡されました。

全く初めて一人で運転するのはドキドキもので、ハンドルに汗がにじみました。

おそるおそる社長の軽トラックの後をついて行くのですが、前が暗くてよく見えません。

しばらくすると、社長が路肩に車を停め私にも停まれと指示します。

社長が近寄ってきて、引きつった笑顔で「ライトつけて」と。そうです、ヘッドライトをつけることすら知らなかったのです。何せ夜道の運転は初めてでしたから。

ライトをつけてみると、何と明るいではないですか。道理で運転しにくい訳だと納得しました。

それでも何とか、社長の自宅までたどり着き、そこに住み込みながら1ヶ月間、臨海学校の小学生に牛乳を届けるバイトをしました。

その間、車をぶつけたり擦ったり、大変ご迷惑をかけました。

そんな役立たずのバイトを社長一家は暖かく使ってくれて、夏休み4年間通うことになりました。

若くして事故で亡くなってしまった社長に、今更ながら感謝をしたいと思います。

私の車の運転はスタートからこんな様子で、で、本題はこれからなのですが、前置きが長くなりました。

続きは次回に。


インターネット媒体の犠牲

2012年04月20日 17時47分55秒 | ふと、考えた

ブログから、Twitter、facebookと、関心が移ってきました。

かといって暇な時間は限られていますから、一つ新しいことを始めれば、それ以前のことが犠牲になるのは当然のことでしょう。

このブログもねえ、以前は毎日のように更新していたものが、だんだんブランクができるようになりました。

中には、毎日チェックしているよ、というような奇特な人もいたので、楽しみにしてくれていた人には大変申し訳ないと思うばかりです。

Twitterはもうほとんどやっていませんが、facebookはやりはじめということもあり、ついついのぞいてしまいます。

でも、やはり、まとまった発言ができるわけではなく、近況をわがまま勝手に知らせるだけで、自己満足のバラマキであることは否めません。

震災以降、Twitterもfacebookも、いざ災害が発生したときにはとても有効な情報手段になると分かって、平生からつながっておきたいということで始めたのでした。

それはそれとして、ブログも大事にしていきたいと思っていますので、どうぞこれからもおつき合いくださればありがたいです。

で、ブログを始めてから犠牲になったものがあります。

紙媒体での「なあむ」と「いちょう」です。

月刊で十数年まじめに発行していたものが、SVAの常勤で東京に在住していた頃から徐々に間隔が広がり、200号が出たころから、ブログへの移行も手伝って年に一二度しか発行できなくなりました。

書く側からすれば「書いてますよ」と言えるのですが、インターネットへのアクセスがない人にとっては、どんどん怠けているとしか思えないでしょう。申し訳なく思います。

もう一つ、掲示板も間隔が空いてしまいました。3月のものが未だに衆目に晒されています。こちらは単なる怠けです。

新しい媒体に振り回されて、忘れ去る人がでないように気をつけなければなりません。