なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災121 「うらやましい」

2012年04月22日 17時42分58秒 | 東日本大震災

昨日はもう一つ、会合がありました。

最上町の「NPO法人やまなみ」が企画しているこの夏の福島支援プログラム「福島っ子キャンプイン最上」の実行委員会です。

何度かの企画会議を経て、最終的な実行委員会には、福島側の共催「NPOりょうぜん里山学校」の代表、関久雄さんも同席されました。

お互いのアイディアとノウハウを出し合って具体的な詰めの打ち合わせでした。

プログラムは、8月1~6日の5泊6日、福島から35名の子どもたちを招いて青空と緑の高原で思いっきり空気を吸い思いっきり遊んでもらおうという企画です。

その延長線上には、放射能疎開の構想もあります。1年ないしはそれ以上、学童を最上町で山村留学のように受け入れようという考えです。

これが、福島の人々の切実な願いであるということも、関さんの話を聞いて分かりました。

さて、この企画の発端となったのは、関久雄さんの書かれた一遍の詩でした。

それはこんな詩です。

「うらやましい」

私はみなさんがうらやましいです。

マスクをつけずに空気を吸えることが。

私はうらやましいです。

家族や友人や地域の人と別れずに暮らせることが。

私はうらやましいです。

普通に野菜や魚、お米が食べられ、水が蛇口から飲めることが。

山や川で遊び、グラウンドをかけ回り、虫や犬や草や木にふれることができる。春は山菜をいただき冬には薪(まき)で暖をとる。落ち葉やわらでたい肥をつくり自然と共に暮らしていける「当たり前の暮らし」がうらやましい。

私はみなさんがうらやましいです。

子どもをたった一人で見知らぬ土地に送り出さなくてもいいことが。

避難をめぐって、「そんなこど、やっこどねえ!」と言い争い、家族がバラバラになることがないこと、家族、友だち、ふるさとを捨てなくてもいい暮らしのあることが。

でも、うらやましがっていても詮(せん)ないことです。

私と私の家族はそんな道を進んでいくしかありません。

どうか、できるところでかまいません。福島を助けてください。

そして、原発を止める動きに立ち上がってください。なぜなら、この日本列島に暮らす限り震災は免れません。

そして原発事故に備えてください。

家具は倒れないように。ガソリンや水、食料、合羽を用意してください。どこに逃げたらいいかを考え、線量計を用意してください。

必ず地震は起きます。10年後かもしれないし明日かもしれません。誰の上にも放射能は降ってきます。だから支え合う仲間とつながってください。

あなたとあなたにつながるすべての人を守るために、福島の教訓を生かしてください。

(2012年1月20日記す)


大震災120 福島の犠牲に報いるには

2012年04月22日 17時38分52秒 | 地球環境

昨晩は「河北町環境を考える会」の総会でした。

総会といっても、わずかな会員で、会費もないので1年間の事業と決算の報告、今年度の計画などをご披露する程度です。

それが終わって、恒例の講演があるのですが、今年のゲストは、福島市の住職渡辺祥文さん、私の同級生でもあります。

曹洞宗の特派布教師、人権相談員をお勤めで、全国を駆け回っておられます。

福島の現状、原発の被害についてお聞きすべくお招きしたのでした。

その内容は予想をはるかに超える厳しさで、これがどこか遠くの国で起こっていることではなく、すぐ隣で、今起こっている現実なのだと、改めて戦慄させられました。

まずはお招きして生の声をお聞きすることも大事なことなのですが、そのままで終わってしまっては対岸の火事になってしまいかねません。

次は、我々が福島に入ってそこに住んでいる人々と同じ空気を吸い、肌で感じ、同じものを食べて自分の問題にしていかなければなりません。

便利さと快適さを追い求めてきた裏腹にこんな危険が潜んでいたことを、我々は思い知らされたわけですが、その犠牲を福島の人々にだけ押しつけしまっては罪です。

日本全国民が自らのライフスタイルを変え、価値観を変えることによってのみ、福島の人々の犠牲に報いることができると強く思います。

国は、原発を再稼働させることに躍起です。そのためには、原発が安全であることにしなければなりません。

そのためには、今まさに苦しんでいる福島の人々ことをなるべく見えないようにしておこうという意図がありありです。

ですから、今福島で何が起こっているのかは、知ろうとしなければ分かりません。見ようとしなければ見えません。

渡辺さんもどこへでも真実を話しに行きますとおっしゃっています。渡辺さんだけではありません。まずは福島の人の話を聞こうではありませんか。

そして、みんなで福島を訪ねようではありませんか。環境を考える会でも近く企画を立てます。ご参加下さい。

昨日はそれに先立ち、最上町で新たな福島支援の実行委員会がありました。それについては別項でUPします。


免停 2

2012年04月22日 16時35分15秒 | 免停

大学入学して1年間は池袋に住んでいました。短大を卒業した姉と入れ替わりなので姉が住んでいた池袋になったのでした。

学内で見かけた女性の後を何となくついていくと、小田急線の経堂で降りたので、2年目は経堂に引っ越すことにしました。

池袋と違って清楚で、静かで気品があって、やっぱり自分は世田谷に住むべきだと思いました。

焼き肉屋の2階を改造したアパートに引っ越して、毎日焼き肉の匂いをかぎながら過ごしました。

焼き肉屋の目の前の京風小料理屋に「アルバイト募集」の張り紙を見て飛び込みました。

小料理屋といっても、ママ(暗がりで見ると鬼瓦のような顔で恐かった)が一人で切り盛りをするカウンター数席と小さな座敷だけのこぢんまりした店です。

バイトは自分一人だけで、鍵を預かって早めに店に入り、掃除をしたりぬかみそをかき混ぜたり、営業中は洗い物をする程度の気楽なバイトでした。

何よりも食事代が浮くことが利点でした。

いいこともありました。

何とリリーが来店したのです。「私は泣いています」のあのリリーです。

酒とタバコで声をつぶしたという噂を聞いていました。

ドキドキしながら見ていると、最初にビールを飲み、その後日本酒、ワインと噂に違わぬ酒豪で、タバコはハイライトを長いパイプに差して吸っていました。何とカッコイイ。

やっぱり経堂は自分が住むべき町だとひとり頷きました。

これから話す本題は、その店に関わることなのですが、また前置きが長くなりました。

続きは次回に。