なあむ

やどかり和尚の考えたこと

インターネット媒体の犠牲

2012年04月20日 17時47分55秒 | ふと、考えた

ブログから、Twitter、facebookと、関心が移ってきました。

かといって暇な時間は限られていますから、一つ新しいことを始めれば、それ以前のことが犠牲になるのは当然のことでしょう。

このブログもねえ、以前は毎日のように更新していたものが、だんだんブランクができるようになりました。

中には、毎日チェックしているよ、というような奇特な人もいたので、楽しみにしてくれていた人には大変申し訳ないと思うばかりです。

Twitterはもうほとんどやっていませんが、facebookはやりはじめということもあり、ついついのぞいてしまいます。

でも、やはり、まとまった発言ができるわけではなく、近況をわがまま勝手に知らせるだけで、自己満足のバラマキであることは否めません。

震災以降、Twitterもfacebookも、いざ災害が発生したときにはとても有効な情報手段になると分かって、平生からつながっておきたいということで始めたのでした。

それはそれとして、ブログも大事にしていきたいと思っていますので、どうぞこれからもおつき合いくださればありがたいです。

で、ブログを始めてから犠牲になったものがあります。

紙媒体での「なあむ」と「いちょう」です。

月刊で十数年まじめに発行していたものが、SVAの常勤で東京に在住していた頃から徐々に間隔が広がり、200号が出たころから、ブログへの移行も手伝って年に一二度しか発行できなくなりました。

書く側からすれば「書いてますよ」と言えるのですが、インターネットへのアクセスがない人にとっては、どんどん怠けているとしか思えないでしょう。申し訳なく思います。

もう一つ、掲示板も間隔が空いてしまいました。3月のものが未だに衆目に晒されています。こちらは単なる怠けです。

新しい媒体に振り回されて、忘れ去る人がでないように気をつけなければなりません。


老いの苦しみ

2012年04月15日 15時01分46秒 | ふと、考えた

久しぶりにおばに出会い、赤くしょぼしょぼした目をしていたのでどうしたのか聞きました。

ぼんやりしてよく見えない。医者に行っても緑内障だから治らないと言われた。テレビは見ているけど、何だかよくわからない。この通り歯も悪くて、食べたいものが食べられない。

「つまらないもんだなあ」と、嘆息していました。

モノがはっきり見えず、食べることが楽しみでなければ確かにつまらないだろうな、と想像されます。

目はぼんやりかすんで、食べたいものが食べられず、笑顔で話す会話が聞き取れない、腰が曲がり、膝は痛く、大事なことも忘れてしまう。

老いたる人が若返ることがない限り、今後症状の悪化は進んでも、好転することはまずないでしょう。

ますます老いが進んでくれば、家にもいられなくなるのだろうか。家族から邪魔にされるかもしれない。施設で一人寂しく死を待つだけになるのか。

これまで長生きしてきて、最後にこんなつまらない時間しか残されていないのか。

それでも生きていかなければならないのか。

明日に希望がなくとも、それでも生きていかなければならないのか。

そんな声が聞こえてきました、

当然のことながら、老人を経験した若者はいない。

いや、昨日の自分に今日の自分の気持ちが分かろうはずがない。

老いの苦しみを共感できるのは老人しかいない。

お釈迦様が、「老」を「生、病、死」とともに、「四苦」に入れた所以でしょう。

老苦は、生まれたものが宿命的に背負っている、逃れられない苦しみなのです。

被災地や難民など、困難な状況にある人々は国内外に数限りなく存在しますが、問題が「困難」「苦しみ」「辛さ」であるならば、特別な地域や存在ではなく、我々の周囲極近くに日常的にその人々は存在するということを、おばのことを考えて気づかされました。

もう少し慈悲の眼をもって接していきたいと自戒します。

父親の最期を看て、人間はどんな状態にあっても生きる意義がある、と若い者の教材としての存在意義を感じましたが、当の本人には、そのことを喜びとする精神的な体力は残っていなかったことでしょう。

老いの苦しみを想像することによって、それに耐える予習とはならないでしょうか。


禅をきく会

2012年04月06日 22時08分38秒 | 今日のありがとう

昨日は、曹洞宗東北管区教化センター主催「禅をきく会」でした。

講師はやなせななさん。

講師といっても講演ではなく、コンサートです。

しかし、歌だけでもありません。

彼女が今、ここでこうしてお坊さんとして歌を歌っている、そのありったけの理由を語りながらのコンサートです。

おじいさんの戦争の話があり、ご自分の病気の話があり、震災の話があり、いつどこでどうなるか全く分からない命をいただきながら、だからこそ、一歩ずつ一歩ずつ、丁寧に生きていかなければならない、と彼女は語ります。

それが人ごとではない、彼女の命からの発露であることが分かるために、会場は胸にしみて感動の渦に満たされるのです。

いいコンサートでした。

もちろん、まけないタオルを歌って、会場がタオルを揺らしながら一体となったことは言うまでもありません。

その後の打ち上げが夜中まで続いたことも、予定通りです。

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それから、今更ですが、本日ななさんは、仙台から山形に回り、FMやまがたの番組に生出演されました。

短い時間でしたが、3曲ほど歌を流して震災関係の話をされました。

「近々山形に来られる予定は」

「ええ、5月27日に宿用院の地蔵まつりにまいります。どなたでもお越しいただけます」と広報までしてくれました。

本当です。

どなたでもお越しいただけます。

ただし、木戸銭は1000円となっています。

チケットは宿用院まで。電話0237-72-2155。

faxでの予約も受付けます。0237-72-2163。

「jizou23.pdf」をダウンロード


人に非ず

2012年04月03日 20時25分38秒 | ふと、考えた

はっきり言って、ヒマです。

家内と母親が観音巡礼に出かけたので、留守番状態です。

何も用事がないときは、何をしたらいいか分かりません。

パソコンに向かって、ネット麻雀をしたり、facebookをのぞいたり、こんなことをしたり、天気が悪いので雪の片付けもできません。

午前中に1件檀務があったきり、ヒマです。

ヒマつぶし。

夜中に電話がきます。

「お坊さんですよね」

「はい、そうです」

そうです、お坊さんには勤務時間外がありません。

お坊さんにお坊さんではない時間はないのです。

いっぺん言ってみたい。

「今はもう営業時間終わったんです」

「今日は定休日で」

だいたいにして、お坊さんは「職業」ではありません。

それは神父さん、牧師さん、神主さんも同じでしょう。

天皇陛下も。

お坊さんになった以上、死ぬか還俗するまで、そう(僧)でしょうね。

お坊さんらしくない振る舞いも、お坊さんとして責任を持たなくてはならないのですね。

「お坊さんも人間だ」などというのは、「お坊さんらしくない行動も人間だから許される」という苦しい言い訳でしかありません。

お坊さんらしからぬ行動をしてしまう自分を、お坊さんとして反省するからこそお坊さんなのであって、「人間だ」などと開き直ってはいけません。

「仏」という字は元は「佛」と書きましたが、「弗」という字は「不」と同じ否定の意味ですので、「人に似て人に非ず」ということを表した文字です。

僧も「佛」になろうとするわけですから、人間ではありながら人間ではない生き方をする人のことだということでしょう。

窮屈そうに感じるかもしれませんが、「その世界に入ってしまったのだ」と覚悟さえ決めればそれほどでもありません。

したいことをする、言いたいことを言う、自由さはたくさんあります。

人間から離れた自由さを手にする、とでも言っておきましょうか。

そんなこと言いながら、実は全くの俗人なのです。

ヒマだから余計なことを書いてしまう。


大丈夫

2012年04月03日 15時11分33秒 | ふと、考えた

最近「大丈夫」という言葉の使い方が気になります。

たとえばレストランで「おかわりはいかがですか?」と聞かれた返答が「大丈夫です」みたいな。

おかわりしないと危険なのか?とツッコミたい衝動に駆られます。

元々、「立派な男子」を指す誉め言葉から派生して、「しっかりしている」「間違いない」という、「安心」という意味合いになりました。

それが、「もう結構です、充分です」みたいな、「遠慮」の言葉として使われているようです。

「ご注文は以上でよろしかったですか?」と同様、イラッとくる用法です。

因みに、河北町出身の細谷亮太先生の生き方と言葉を追ったドキュメンタリー映画が完成しました。「大丈夫。ー小児科医・細谷亮太のコトバ-」です。「風のかたち」の続編のような作品。Daijoubu_f_2

監督は伊勢真一監督。

この映画、昨年のキネマ旬報文化映画部門で第1位になりました。

5月には河北町で祝賀上映を行う予定です。

先生は、診察の後決まって「大丈夫!」という言葉を患者さんにかけられるそうで、その口癖がタイトルになりました。

相手を安心させる、魔法のコトバ、「大丈夫」はそういう力がある言葉です。誤用してほしくないですね。

私も、自殺の電話相談を受けたときなど、最後にこの言葉を伝えようと心がけています。