Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

自句自解(2) はじけて眩し

2010年02月04日 23時28分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★向日葵のはじけて眩し入院日
   →☆向日葵のまぶしき道を入院す

 私が入会した結社の指導では、普段は、添削があったとしても「てにおは」程度だけだった。そして句の後ろに★が二つから五つつけられ、比較的良い句に先生のコメント(ほとんどが誉めてもらう)をもらった。技術的なことより内容についてのコメントばかりであったが、それが私にはうれしかった。
 (この結社の前に別の俳人の教室に一度だけ「向日葵のはじけて眩し入院日」を投句したら、この17文字どの語句も跡形もなく消えた添削句となっていた。その添削句はもうすっかり忘れたが二度とこの人の指導を受けることはしたくないと思った。)
 そんなこともあり、また作った人間の思いや言葉のリズムの個性を最大限尊重しようとの姿勢にも見えた。強引な添削ではなく、他の方の句を見ながら自分で勉強するという姿勢を教えてもらったような気がする。
 そして2002年7月に俳句をはじめてから2008年夏の終わりまでの句を句集にまとめた。その折、結社の先生より上記のような添削をはじめて受けた。
 句集をまとめる以上確かにそれは結社の指導者としてはできうる限り水準を確保することをめざす。確かに添削を受けたほうが相手には伝わる。「はじけて」の意味が不鮮明であることも承知をした。この添削は私は了解できたので添削のとおりにして句集に収録した。
 しかし私の思いはやはり「はじけて眩し」だ。
 頭痛の原因が近くの医院でも大きな公立病院でもわからず、痛み止めと解熱剤だけを処方され、5日間ほど間歇的に体が海老反るような痛みに襲われ、40度を超える熱にあえぎながら、暗い北向きの寝室で、病院が休みの土日も含め、ひたすら耐えていた。もうこれ以上どうしようもない状態で、月曜の朝に、公立病院へ電話をして、受け入れてもらえるよう頼み込み、タクシーに担ぎ込まれた。
 そのとき早咲きの小さな向日葵の生を謳歌するような黄色が、暗い部屋に順応していた目にそれこそはじけるようにパッと目に鮮やかに映った。眩しく強烈な黄色であった。外界の眩しいエネルギーの奔流に圧倒されたと感じた。
 「あぁ、まだ生きていた」と心のそこから湧き上がるように言葉が浮かんできた。鮮やかに目に飛び込んできた向日葵の生きた色への驚きと、「生きている」という言葉が水底から泡が浮かび上がって勢いよくはじけるような思いを「はじけて眩し」と、自分なりに言い当てたように思った。
 だから文法上通じにくいとはおもいつつ、やはり私としては「はじけて眩し」にこだわったほうが良かったと思っている。

 はじめに作った作品にはどんな方も強い思いがあるようだ。私もこのはじめて感動を俳句にした出発点を大切にしたいと思い、この文を綴ってみた。