Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

大津波警報

2010年02月28日 18時30分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 仕事柄警報・注意報には敏感だが、大津波警報というのは初めて認識した。奥尻島の地震以来17年ぶりとのこと。
 チリの巨大地震は丁度50年ぶりだが記憶に残っている人も少なくなった。私は函館にいた頃で、小学3年だったか。気仙沼・大船渡・釜石などの聞き慣れない地名をラジオのニュースで聞き、新聞で大きな船が陸地に上がっているのを見た記憶がある。
 本日の津波による湾岸の道路や漁業施設の被害は、明日以降徐々に明らかになるようだ。千葉県の鴨川をさかのぼっていた津波がテレビに映し出された。津波としてはわずか50~60cmだったが、大きな力を感じた。
 被害の軽微なことをのぞむ。

届いた本
「図書3月号」(岩波書店)
 高橋睦郎と坪内稔典の連載は毎回楽しみにしている。
「俳句界3月号」(㈱文学の森)

長谷川等伯展感想(3)

2010年02月28日 08時45分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 長谷川等伯の水墨画の世界は豪華絢爛とした金碧画からの転進に見える。あの楓や松の幹の強引とも言える力業でその量感を強調した画面構成は、それを続ける限り、際物的なところへ進むか、様式化へと進むかのどちらかに行かざるを得なかったのではないかと思う。この転進は鮮やかで、そしてさすが、ということだ。
 制作年代のことはよくわからないが、彩色の絵からその転進を探ると、萩薄図からはそんな力技からの転進を読み取りたい。生命感あふれる作品であることは確かだが、力技ではなく、細い萩の枝と薄の柔らかな曲線が光の中でたたずんでいる。波濤図からは色彩の奔流からの転進を読み取りたい。躍動感のきわみではあり、波は大きくうねっているがどこか静謐な感じのする空間である。


 水墨画での樹木は大きくうねってはいるが画面の主役ではない。大きな景物の中に小さく人間の営みである家や人、あるいは動物が描かれている。小さいが決しておろそかにされてはいない。人が次第に大きな位置を占めるようになっていく。奇怪で、のたうつような幹よりも、のびのびと横に伸びる細い枝が構成上は重要な要素となり、量感をあらわすものは幹よりも岩が大きくせり出してくる。
 私は竹林七賢図屏風や竹鶴図屏風、竹林猿猴図屏風の左双の竹が印象深かった。手本とされた牧谿の竹よりもまっすぐに立ち、まばらであり、濃淡による遠近が強調されている。それにともない動きがある。光や空気の湿気が、牧谿など中国の自然観よりもっと人間や動物に親和性の高いものとして、表現されているように見える。
 幾本もの縦の線の並びの濃淡による遠近法で画面に奥行きと広がりをつくり、光と空気への親和を表現しているのではないか。こんなことを思いながら最後の松林図屏風の前でしばらくたたずんだ。
 最後に、等伯の絵で最初に目に焼きついた印象は「緑」の色だ。どの絵も緑がいい。水墨画に緑色だけを彩色したもの、金碧画でも緑が目を奪う。日本の絵のこと、絵の具の特質は知らないが濃い深みのある緑がいいと思う。色を施していない水墨画からも、深みのある緑が立ち上ってくるように思える。
 別冊太陽の長谷川等伯、東京国立博物館の等伯展カタログ、ともに読み応えがある。この2冊カタログをどれだけ読み込めたかはわからないが、これとは離れてずいぶんと自由に、勝手に飛翔しながら感想を書かせてもらった。頓珍漢なところや間違いが当然ある。論気の飛躍も勝手なはや合点もあるがどうかお許しを願います。