Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

気に入った句

2010年02月19日 16時00分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連
●山眠る貝の化石を抱きながら 白濱一羊
●一月や運河の橋は朱でありぬ 佐藤麻績
 俳壇3月号をめくっていたら俳句月評という欄があり大牧広という方が、俳壇1月号の中からいくつか取り上げた句の内、上記の2句が目にとまった。
 プロの俳人の句の評価などおこがましく、失礼とは思うが、いい句だと感じる。
 はじめの句、評者によると「壮年」で「岩手在住」の俳人。
 山なみを眺めて、「貝の化石を抱いて眠る」と感受する根拠はない。しかもこれが白い雪を戴く、冬の山でなければならないとなると、もっと希薄な必然でしかない。でもこれが「山笑う」春でも「山滴る」夏でも「山粧ふ」秋でもぴったりこない。季語の不思議なんだろう。「眠るー抱く」の連想だけではない何かが結びつけている。
 貝の化石は、太古の海に発生し連綿として我々まで続く生の象徴であろうし、山を眠らす白い雪は、東北の豊かな森と生と稔りを支えるものだ。 海起源の山は東北に限らず四国にも関東にもある。エベレストもそうだ。それらの山では、景観がちがう。貝の化石が眠るには別の季語でなければならないと、不思議に納得してしまう。森の深い東北の山であることを素直に受け入れたくなる。
 2句目、運河があるところだから、賑やかな初詣などとは離れた、寂しいモノクロームの寒々しい個所であろう。朱の橋、初詣の神社の朱の柱のように目に映ったのかもしれない。あるいは寂しい紅ならぬ朱一点と感じたのかもしれない。
 橋が鮮やかに、黒い水がよどむ冬の寂れた町に浮かんで見えた。1月の寒い、人の気配が希薄な木造の家並みを思い浮かべた。
 作者は朱の色に救われたのだろうか。再び人の世に戻る力を回復しただろうか。私にそのようには思えなかった。朱ではない、鈍色の心を重くしただけのような気がする。